267.お留守番の役目 ***SIDE家令
まず旦那様が出仕なさった。続いて、奥様もお出かけになる。ティール侯爵家へ出向き、若様を傷つけた侯爵令息の件で話をなさるようだ。同行するユリアン殿と馬車に乗り込む姿を、若様はじっと見つめていた。
ついていきたいと泣き喚いてもいい年齢なのに、ぐっと堪えている。奥様にお屋敷を任せると言われ、自分なりに決めたのであろう。奥様がお戻りになるまで、使用人一同、全力で若様を支えねばならん。目配せすれば妻のイルゼはもちろん、侍女マーサも大きく頷いた。
「若様、そろそろお部屋に戻られては……」
「ううん、らめなの。ぼく……おかしゃまと、やくとく、した」
頭の中で必死に言葉を当てはめ、翻訳する。拒んだ後、奥様と役得……約束か! はっとして同意の言葉を口にした。
「そうですな、奥様とお約束なさっておられました」
「うん! らから、おやちき、まもる」
日によって苦手な発音が変わるのか。失敗した部分を直そうとして、気が逸れてしまうのか。若様の言葉は幼く愛らしい。微笑ましい気分で、お屋敷を守ると宣言する若様に目線を合わせた。膝をついた使用人に、満面の笑みを向ける若様の、なんと可愛らしいことか。
「おやちき、まぁる」
お屋敷、丸? 守るではなさそうだ。こてりと首を傾げる私の後ろから、妻が口を挟んだ。
「お屋敷を見回るのでございますか。このイルゼもご一緒させてくださいませ」
「いぃよ」
にこにこしながら、当然のように手を差し出された。イルゼが手を繋ぐ栄誉をいただく。しまった、翻訳に時間をかけると負けてしまう。イルゼと手を繋いだ若様は、あっちと左側を指差した。やや駆け足で進むが、イルゼはゆったりと大股に歩く。
転ばないよう速度を調整しているのだろう。引っ張ってもイルゼが急がないことに、若様も気づいて首を傾げた。
「いたいたい?」
「いいえ、痛くはございませんが……歩く速度が違うのでございます」
「ふーん」
納得していないのか、理解ができなかったのか。微妙な答えの若様は、駆け足をやめて歩き出した。早く行きたいが、イルゼに合わせて我慢なさるらしい。
旦那様の若い頃を思い出した。感情を表に出すことは苦手なのに、気遣いは人一倍だった。他人の表情を読んで、先回りなさった旦那様に、本当によく似た若様だ。
奥様に申しつかったお留守番の役目を、見回りで果たされるようだ。お屋敷を一周見て回る気持ちはご立派だが、途中で疲れてしまうだろう。休憩場所の指示を出し、客間や窓際にお水を用意させた。歩いては休憩し、また歩く。抱っこを強請ることもせず歩き回る若様に、私もイルゼもマーサまで。皆で肩を落とした。
奥様がいない今がチャンスなのだが……。
「若様、お疲れでしょう?」
「へぇき」
笑顔での返答が、なんとも複雑な気持ちにさせる。疲れたと言って、この腕に抱っこさせてください……若様。




