261.まずは警戒心を解く
散策すること十数分、執事ではなく侯爵自ら呼びにきた。それだけ重要視しているのね。息子の養育を妻や使用人に任せ、王宮での仕事に邁進していた。そう考えれば、ヘンリック様とほぼ同じだ。
一般的な貴族家当主は、これが普通なのだろう。トラブルが起きて初めて、息子と向き合うなんて。もったいないわ。幼い頃の愛らしさも、育って悪さをする成長を喜ぶのも。全部、人任せにしたんですもの。
先代王の頃は、ヘンリック様の仕事量も膨大だった。部下であるティール侯爵がなかなか家に帰れなかったのは、その辺も関係しているはず。一方的に責める気はない。ただ、すべて奥様の責任にすることは避けてほしいわ。愛妻家で有名なら大丈夫だと思うけれど。
「こちらです」
考え事をする私は、案内された部屋の前で立ち止まった。客間の中でも上位者向けなのだろう。豪華な彫刻が施された扉は、ところどころに貴金属の装飾が施されている。女神様かしら? 神殿で見たようなお姿だわ。長い布を靡かせる美女は、浮き彫りになっていた。凝った扉に感心しながらくぐる。
「あ、足をお運びいただき……その上、お待たせして……申し訳、ございません」
お詫びから入った侯爵夫人は、身なりこそ整えたものの、体調不良は一目瞭然だった。泣き出しそうな表情と艶のない肌、憔悴し切った様子にまず着座を勧めた。夫である侯爵にも同席をお願いする。
この状況で、私やユリアンと向き合うのは酷だわ。味方を増やして安心してもらわないと、謝罪以外の言葉を聞けないまま終わりそうだった。その考えは当たっていたようで、侯爵が隣に座るとほっとした顔になる。口元が少し緩んだ。
ユリアンは侯爵夫人の向かいに腰掛けてもらう。男女が交互に座る形で、円卓の椅子を埋めた。侍従が壁際に控えるも、外に出てくれるよう伝える。屋敷の女主人が、よその貴族に謝る姿を使用人に見せるものではない。貴族の慣習や作法より、面目を優先してあげたかった。
「突然の訪問、こちらこそ申し訳ないことをしたわ。今日の予定がなかったものだから、急いでしまったの」
まずは話題を逸らす。穏やかな性格の方なのか、夫人はゆっくり頷いた。そこへ侍女がお茶を運び、茶菓子と共にセットされていく。終わったところで、侯爵の指示で外へ出された。私の意図を汲んで対応してくれるところ、有能な文官なのでしょうね。
「ケンプフェルト公爵家のアマーリアです。よろしければ、名前でお呼びになって」
微笑んで自己紹介する。ユリアンがすぐに続いた。
「シュミット伯爵家次男、ユリアンと申します」
やればできる子なのよ。私に続いて挨拶することで、相手の警戒心を解く。丁寧な口調で、目上の侯爵家に挨拶する。どちらも侯爵夫人のためだろう。警戒対象にならないと示した。
微笑みを浮かべて黙っていたら、貴族令息らしく見えるわ。普段からこうなら、お父様の胃も傷つかないでしょうに。




