258.無理が通ってしまったわ
ティール侯爵から返答が届いた。朝食の場で封筒を見て、私は驚きで固まった。もしかしたら会えるかもと思ったけれど、来訪を歓迎する旨の答えは意外だ。奥様同士の交流であるお茶会は、夜会より格式が低い。それでも十日ほど前に連絡するものよ。
格上の公爵家からの要請でも、夜中の連絡で翌日に了承してくれるなんて。いくら謝罪が絡む案件でも、一般的ではなかった。私の認識が間違っているの? そう尋ねたところ、フランクは首を横に振った。
「奥様の仰る通り、一般的ではございません」
「ああ、よほど切羽詰まった状況なのか」
ヘンリック様も心配そうに声をあげた。何も知らないレオンは、きょとんとしたまま口を開ける。
「おか、しゃま……あーん」
「あら、いい子ね」
難しい話に興味のないレオンは、ご飯を強請る。微笑んで、彼の口に卵を入れた。綺麗な色のオムレツだ。きのこが入った黄金の卵料理は、レオンの口に吸い込まれた。美味しいと頬を押さえて笑う天使に、私も笑顔になる。
そうよね、悩むより動いた方がいいわ。元々の私は大人しい淑女から程遠いんだもの。レオンのような笑顔を、幼い頃のオイゲン様も持っていたはずよ。その笑顔を引き出すことができれば、夫人も安心すると思う。
「行くのか?」
「はい」
スプーンでポタージュを掬い、温度を確認してレオンに食べさせる。最近はスプーンを握って食事をするレオンだが、まだ掬うのは下手だった。一口目を与えれば、二口目から自分で頑張る。そう約束したレオンは、何度も溢しながら口に運んだ。
「あっ……」
思わず声が出て助けそうになるが、ぐっと拳を握る。顔を上げた先では、ヘンリック様がレオンと連動して口を開けたり力んだりと忙しい。ふふっ、釣られちゃうのよね。わかるわと頷きながら、レオンの頑張りを見守った。
「俺も一緒に行けたらいいが」
「お仕事を優先なさってください。今日はリリーとベルントをお借りします」
結婚当初は私のサポートに回ったベルントだが、本来はヘンリック様の仕事場にもついて行く有能な執事だ。貸してほしいと素直に伝えたら、もちろんだと同意された。何か問題が起きそうな時、私を止める役をベルントにお願いしたいの。
貴族夫人としての振る舞いを超えて、余計な世話を焼かないように。リリーは侍女だから、公の場で私の動きを止めるのは無理だった。ヘンリック様は王宮内にも侍従がいるから心配するなと笑う。
そういえば、最近は自然に笑うようになった。ヘンリック様の顔は整って綺麗だけれど、まるで人形のように表情が動かなかった。あの頃が嘘のようだわ。
「ヘンリック様、笑顔が素敵になりましたね」
「そ、そうか。あ、その……変、ではないか?」
挙動不審になるのはなぜかしら。おずおずと尋ねる表情は、感情豊かで。こちらの方が好ましいと伝えたら、首まで真っ赤になった。
「おとちゃま、かっか!」
真っ赤っか……お父様と掛かってるわね。レオンの指摘に慌てたのか、ヘンリック様らしくない失態をした。カトラリーを落としてしまったの。拾う侍従が驚いているわよ。




