256.王太后陛下のお誘い
ティール侯爵は早々に夜会を辞した。というのも、奥様と次男が心配らしい。社交重視の貴族社会では珍しいけれど、妻子を優先する人は好印象だった。家族の支えがあるから、外で働いて結果を出せるんだもの。蔑ろにしないでほしいわ。
会場内では小さな人の群れができていた。派閥ごとに集まる場合もあれば、話題の人物を取り囲んでいることもある。お父様達を探せば、さほど離れていない場所で囲まれていた。ケンプフェルト公爵家への繋がりを求めている人が半分、残りはフォンの称号持ちとの繋がり欲しさだろう。
危なそうなら助けに行く、とヘンリック様が口にした。安心してお任せできる。私の肩か腰にずっと触れている夫は、近づこうとする貴族を威圧する。睨むので、遠巻きに人の輪ができた。
「おかぁ、しゃま……おとちゃま、いたいたい?」
痛いたい? ああ、痛い痛いなのか尋ねたのね。
「違うわ。アナやユンもこちらへ」
夜会の広間なのに、屋敷の応接室のように寛ぐ。このソファーセット、普通は置いていないわよね。ヘンリック様の指示かしら。
「アマーリア夫人、楽しんでらっしゃる?」
マルレーネ様だわ。さっと立ち上がり、丁寧にゆっくりと一礼する。王太后陛下が微笑んで親しげに呼びかける。それだけで周囲の目の色が変わった。
「はい、お料理も音楽も、この会場の飾り付けも素敵です。マルレーネ様のお人柄でしょうね」
いつもの調子で呼びかけ、慌てて言い直そうとした。王太后陛下なのに、人前でお名前を呼んでしまうなんて。不敬になる大変な失礼だわ。
「あのっ」
「とても嬉しいわ。私の大切なお友達に褒めてもらえるなんて」
意味ありげに微笑み、訂正しなくていいと伝えてくる。貴族達は見た光景を手土産に、あちこちの群れへ合流していった。半数ほどに減った見物人を見回し、ヘンリック様が眉を寄せる。
「あなた、厳しくし過ぎないでください」
「わかっている」
機嫌よく応じ、駆け寄ったレオンを抱き上げる。ランドルフ様が私の左隣に座ったため、レオンが手を伸ばして私の膝に移動した。抱き上げたのに逃げられてしまい、ヘンリック様の眉尻が下がる。
向かいにマルレーネ様が腰を下ろし、双子は緊張の面持ちで大人しく両手を揃えて座った。ユリアン、左足も揃えて。合図を送れば、慌てて姿勢を正す。
「先ほどバルシュミューデ公爵夫人やリースフェルト公爵夫人と、お茶会の予定を決めてきましたの。明後日はいかが?」
早くないですか? 思わず即答しそうになり、視線を彷徨わせる。予定は大丈夫だし、ドレスもあるわ。ちらりと視線を向ければ、ヘンリック様は驚いた顔のまま、こくんと縦に首を振った。
「ええ。どちらにお伺いすればよろしいでしょうか」
「温室にしようと思っているの。招待状を送るわね」
膝の上のレオンは、ランドルフ様とお菓子を半分こにしている。緊張する双子はお菓子どころではなく、ちらちらと周囲に目を配っていた。人目を気にするユリアンなんて、珍しいものを見たわ。
「承知いたしました」
「本日は楽しんでらして」
小さな子供がいるから早く帰るけれど、そう言ってもらえるのは嬉しい。笑顔で会釈し、別の集団に入っていくマルレーネ様の軽やかな足取りを見送った。
「明後日か。俺は仕事だ」
肩を落とす夫が大きな犬のようで、私は頭を撫でたくなる。人前なので我慢だけど、後でたくさん褒めて撫でようと決めた。




