240.我慢できず手前から歩いた
王宮に近づくと、馬車の速度が落ちる。身を乗り出して確認したくなるが、さすがに目立つので我慢した。御者から渋滞していると連絡が入る。国中の貴族が駆け付けたのだから、一家に一台としても渋滞するのは当然だ。
ケンプフェルト公爵家とシュミット伯爵家で二台の馬車が使われた。家によってはさらに増えるのだろう。侍女達は近くにある離宮へ馬車で来て、歩いて移動らしい。各家ごとに控室が用意されており、その部屋で待機する予定と聞いた。
国中がひっくり返る騒動ね。
「即位式には貴族籍を持つ者が全て集まる。先日のお茶会で騒動を起こした家も、参加する。目は配るが、トラブルが起きたらケンプフェルトの名で退けてくれ」
筆頭公爵家の当主であるヘンリック様は、挨拶や顔出しがある。私やレオンにずっと付いていることは無理だった。悪意がある者は、夫のいない化粧室などで声を掛けると聞いている。そうした際も、公爵家の名と権威で遠ざけろ。ヘンリック様がそれを許した。
ケンプフェルト公爵家の権威を振るって構わない。真剣に告げるヘンリック様に、胸が温かくなる。傷つけられる前に身を守れと、手を握って言い聞かせた。その想いが嬉しい。
「わかりました。レオンも私も、きちんと身を守ります」
ぎゅっと強く握った手が、少し緩んだ。ヘンリック様は安心したみたい。
「それと……控え室は隣同士にしておいた」
「はい。え?」
思わず頷いて、何かおかしいと眉を寄せる。化粧が崩れちゃうわ。はっとして、表情を和らげる。深呼吸した私の膝で、レオンがもじもじと動いた。
「おかぁ、しゃま……おちっこ」
「え、あら。やだ……我慢できないわよね」
困ったわね。まだ渋滞は長いのかしら。そう思ったところで、御者から連絡が入った。あと少しでアプローチに着く、と。
「レオン、もう少しなのだけれど」
「……でちゃう」
正直に申告してくれたので、私はレオンを抱き寄せた。
「私、レオンを連れて先に降り……」
「任せろ」
ヘンリック様は力強く頷き、御者の側の壁をコンコンとノックした。
「馬車を止めろ。降りる」
大きな揺れもなく止まり、外からノックがあって扉が開く。待っていたベルントが手を貸し、先にヘンリック様が降りた。御者の用意したステップを確認し、私へ手を差し伸べる。レオンを抱いた私は、彼に抱きつく勢いで降りた。
びっくりした。踵が絨毯に引っかかったわ。転ばなくてよかったと安心しながら、ヘンリック様と並んで歩く。抱き上げたレオンを、執事のベルントがトイレに運んだ。間に合うといいけれど。手前で公爵家が歩き出したため、周囲の馬車からも降りる人が現れた。
シュミット伯爵家もその一つで、伸びをするユリアンが先頭を切る。エルヴィンがユリアーナの手を取り、お父様が最後に降りて歩き出した。レオンは間に合い、無事に合流する。
なんだか慌ただしい入宮になったわね。レオンは手を繋いで歩くと主張し、ご機嫌でヘンリック様や私の手を握る。到着した控え室では、実家の家族が寛いでいる。控え室は隣だと聞いたのに。
「おかちっ!」
焼き菓子を見つけたレオンが繋いだ手を解いて走り、顔を見合わせた私達は後を追った。




