231.伝えたかった本音 ***SIDE公爵
初めて、レオンと二人で風呂に入った。貴族階級ではまずあり得ないが、アマーリアが入れると聞いて、興味が湧いたのだ。今まで知らなかった体験や環境が重なり、俺を変えてきた。この経験も、いつか大切な思い出になるはずだ。
鼻歌のレオンは、ご機嫌で石鹸を泡立てる。何が楽しいのかわからないが、手にたっぷりと泡をつけて笑った。今日は髪を洗わなくていいと言われたので、息子の体をさっと洗って湯船に浸かる。これは貴族や一部の裕福な家庭の特権だった。大量の湯を用意することは、贅沢な行為だ。
「おとちゃま、これ!」
タオルを見せてから、四隅を掴んで沈める。中に溜まった空気を反対の手で押し、ぶわっと気泡を作り出した。すごいでしょ、と言わんばかりの笑顔で振り返る。幼い頃の俺によく似た顔で、まったく違う笑顔を浮かべた。
「すごいな。もう一度やってくれ」
アマーリアなら、こう伝えるのではないか。そう思って言葉を選ぶ。向かい合ったレオンは教えるように、俺の手を掴んだ。こうして、こう。言葉ではなく仕草で伝えてくる。以前なら鬱陶しいと感じた幼子の所作が、とても大切なものに感じた。数回繰り返して遊び、侍女に渡す。
先に風呂を終えたアマーリアとベッドに入ったレオンは、勇者の冒険譚に夢中だった。寝室に響く声は耳に心地よく、穏やかな口調で語る声が、セリフになると変化する。丁寧に読んでいるアマーリアの邪魔をしないよう、長椅子で待った。
やがて読み聞かせの声が途絶え、俺は手にしたコップをテーブルに置く。覚悟を決めたと思ったのに、不安が膨らんで酒をもう一口。気づけば、二杯目も半分ほど飲んでいた。これ以上はダメだと言い聞かせる。
酒の勢いで何を語っても、後悔するだろう。そういう人をたくさん見てきた。酒は失敗を招く。残りを押しやり、代わりに別のコップに水を満たした。ぐっと喉を潤し、酒臭くないか確認する。残念ながら飲んだ後では判断できなかった。
「お話があるのでしたね」
覚えていますよ。そんな口調で彼女が身を起こす。ベッドから降りて、俺の向かいに腰掛けた。当たり前だし、今までと変わらないのに……泣きたくなる。隣に腰掛けてほしい。そう伝えたら、彼女はなんと答えるのか。ごくりと喉を鳴らし、緊張しながら切り出した。
「結婚の契約だが……その……」
言い淀んで止まり、次の一言に詰まった。更新してくれ? いや、以前の契約を破棄? それも違う。言葉と望みがぐるぐると頭を回り、伝えたかった本音が飛び出した。
「好きだ、結婚してくれ」
「……もう夫婦ですわ」
驚いた顔をしたあと、彼女はほわりと笑った。困った子ね、レオンに向ける時に似た、母親の笑顔だ。そうじゃない、俺が欲しいのは母親じゃなく……最愛の妻なのに。
「契約の内容を変更して、本当の妻になってほしい」
「……変更、ですか?」
どの部分だろう。そんな感じで考え込む彼女に嫌悪の色はない。そのことだけが救いだった。いままで何度も言葉を呑み込んできたが、今日はすべて声に出そう。俺はゆっくり深呼吸して、伝え直した。
「契約で縛った、形だけの結婚ではなく……君を愛して愛されたいんだ。アマーリア」




