198.小さくて大切な約束
ヘンリック様は大人だし、社交は慣れているでしょう。自分で解決できると思う。後回しにすると決め、レオンの顔を覗き込んだ。もぞもぞ動きながら、こちらを窺う。視線が合うとすぐに俯いた。
「レオン、何があったの? 私が何かしたかしら」
声は聞こえないが、ぶんぶんと大きく首が横に振られた。隙間から覗くようにしたら、唇が尖っている。ご機嫌斜めなの? その尖った唇を指で押し戻してあげたいわ。
「お母様に教えて頂戴」
お願いと付け加え、レオンが動き出すまで待つ。無理やり聞き出すのは最後の手段よ。じっと待つ私の目を見て、姿勢を変えたレオンが小さな声をあげた。
「あの……ね、うっと……」
言いづらそうね。顔を見ていると恥ずかしいのかも。視線を逸らしたら、慌てた様子で抱きついた。
「ちが、の! ねりゅと、へん、なの……みる」
「寝ると変な夢を見るのね。どんな夢なの?」
「いや、なの」
嫌な夢らしい。話す気はあるみたいで、でも説明する内容に困っている感じ。抱っこしてゆっくり体を揺らした。視線を向けた先で、ヘンリック様はまだ手紙を見つめている。こういうところ、親子でそっくりね。
「おか、しゃま……いな、い……く、なるっ、やっ」
レオンがぽつぽつと口にして、わっと泣き出した。驚いたヘンリック様が手紙を放り出し、慌てて近づく。父親らしい振る舞いは、こんな場面なのに嬉しくなった。
「私がいなくなる夢をみたの? それは怖かったわね」
ぽんぽんと背中をリズムカルに叩き、体を密着させた。じわりと涙が沁みる感覚があって、本当に怖かった幼子の気持ちを知る。小さな頃は、親の存在が絶対よ。世界の中心は母親で、何があっても一緒にいたい存在だった。
そんなのは夢よ、といきなり否定したら次は言葉を呑み込んでしまう。だからまずは、怖かったのねと寄り添った。先日のお昼寝から起きて泣き出したのも、最近べったり張り付いていたのも、全部夢のせいだったのね。怖くて、不安で、苦しかったと思う。
「私と約束をしましょう、レオン」
「ん……?」
ずずっと鼻を啜るレオンの顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃ。受け取ったハンカチで顔を拭いた。ほら、可愛い天使のお出ましだわ。笑顔を向ければ、へにゃりと笑う。つられちゃうわよね。
「ゃく、しょく?」
「ええ、約束。覚えている? 約束は破ったらダメなの」
こくんと縦に動いた頭で、黒髪が揺れる。その向こう側で、ヘンリック様の眉尻が垂れていた。不安なのはあなたも同じ? 困った親子だこと。ふふっと笑みが漏れた。
「ヘンリック様もこちらへ」
レオンの手を私が握り、上からヘンリック様の手を重ねた。互いの温もりを感じながら、小さくて大切な約束をする。
「私達は家族よ。仲良く一緒にいる約束をするの。守れるかしら」
「うん」
「ああ、もちろんだ」
いずれレオンは愛する人を見つける。その頃には、この約束も時効でしょう。ヘンリック様は契約で離婚はなしとなっているから、ずっとお付き合いただくわ。だから守れる約束を一つだけ。手をしっかり重ねて、互いの顔を見ながら交わした。




