191.手を汚すのは私よ ***前侯爵夫人
私の可愛い娘、マルレーネ。フェアリーガー侯爵令嬢として生まれたばかりに、苦労を背負わせてしまった。夫に逆らって娘を逃がせばよかったと、何度後悔しただろう。
貴族令嬢は家のために、より高位の家に嫁ぐことを義務付けられる。稀に利害関係と恋愛が一致する幸運な女性もいるが、そんなのは物語になるほど限られた人だけ。事実、私も夫に嫁いだのは家同士の繋がりだった。
可もなく不可もない。そんな夫との間に息子と娘を授かり、ある日運命が狂った。将来、フェアリーガー家が繁栄するため? 貴族女性最高位である王妃になれるから? 後付けの理由など要らない。王の唯一の息子、あの考え足らずを支えるための犠牲にされるだけじゃないの。
何度も抗議した。王に陳情もしたし、実家であるシントラー侯爵家からも申し入れをした。バルシュミューデ公爵家は王に苦言を呈したが、決定が覆ることはなかったわ。理由が、他に王妃になれる女性がいないから、よ。
リースフェルト公爵家は、ご令嬢を他国の貴族へ嫁がせる手配をした。王太子の資質に不安を感じ、国の犠牲にされるくらいならと他国へ送り出したの。バルシュミューデ公爵家に釣り合う年齢のご令嬢はいない。筆頭公爵であるケンプフェルト家は、跡取りである一人息子が王の側近とされた。
自国の公爵家に王妃候補がいないなら、他国は……と思ったがすでに断られたらしい。噂は他国にも広まり、娘を犠牲にする気はないとどの国も首を横に振った。そうなれば、自国内で探すしかなく……先代王が白羽の矢を立てたのが、フェアリーガー侯爵家だったわ。
跡取りとなる息子がいて、その下の妹は王家に差し出せるだろう、と。賢かったのも、外見が整って愛らしかったのも、すべてが裏目に出た。自慢の娘が王妃候補として召し上げられると決まったとき、お茶会で顔を合わせる友人から慰めの言葉をもらった。
誰もが「お気の毒に」と告げる。そんな婚約に縛られ、娘マルレーネの笑顔は消えた。ぎこちなく大丈夫と告げる彼女が、可哀想で仕方ない。逃がす方法はないかと模索し、誰か代わりを探そうと努力し、それでも間に合わず結婚してしまった。
案の定、あの子は苦労している。外交をすべて王の代理として請け負い、内政の執務はケンプフェルト公爵に押し付け、自分は好き勝手している。王族とはそれほどまでに偉いのか! 義務を果たさず、権利を貪るほど?
夫に抗議するため執務室へ向かい、偶然聞いた浮気話に愕然とする。王子二人、王女一人を設けた娘を蔑ろにする行為を、夫が斡旋した? 平民の女を宛がい……そこで涙が溢れる。息子は宰相として働き、娘も王妃という肩書で奪われた。それでもさらに貶めようというのか。
王宮へ乗り込み、元凶であるあの男を始末しよう。娘マルレーネも孫達も、まだ未来がある。カールハインツの治世に影を落とす存在は不要だった。ローレンツやルイーゼを苦しめる男など許せない。
平民の女性が先に食べないよう、あの男の好物である海老に毒を仕込んだ。酒と合わされば助からない毒をたっぷりと塗し、王宮へ向かう。手足が痺れて動かなくなり、言語も発せられない。けれど即死できないよう調合させた毒で倒れる離宮の主を放置して。表から堂々と入り、正面から前侯爵夫人として退出した。
見上げる先の空は青く、どこまでも高く遠い。それが私の行為を祝福していると感じ、頬が緩んだ。待たせた馬車に乗り込み、王宮を後にする。マルレーネ、思うまま幸せに生きなさい。あなたの手を汚す価値のない男は私が片付けたから、綺麗な手で新王カールハインツを導くの。
ああ、なんて素敵な日かしら。もっと早く処分すればよかったわ。




