142.そういえば契約だったのよ
レオンを間に挟んで眠るのも、朝目覚めて化粧もなしに挨拶するのも、毎日一緒に食事を摂るのも。緊張したのは数日で、すぐに慣れてしまった。弟妹の面倒を見るのが普通だった私の生活は、結婚を機に大きく変化している。
幼い継子レオンと出会って、その可愛さに心を奪われた。留守で稼ぐ夫は、いつの間にか日常に食い込んでいる。家族の悲惨な生活も改善され、私は幸せを実感した。
「恵まれ過ぎているわ」
「一般的な意見を申し上げても?」
化粧を施すリリーが口を挟み、私は大きく頷いた。ヘンリック様は自室で支度を整えているし、レオンはマーサと積み木で遊んでいる。いまは私の身支度にリリーが奮闘中だった。
「結婚式で奥様を放置した旦那様に対し、奥様は甘過ぎます。私でしたら、絶対に許しません」
「ふふっ、そうね」
笑ってしまう。契約結婚だと知らなければ、リリーのように怒ったわ。でも家族の窮状を救ってくれる人がいて、私が少し我慢すれば話は終わり。嫁いでみたら、想像より幸せな生活と可愛いレオンが待っていた。何も不満はないのよ。
契約結婚の部分を除いて、リリーに説明した。彼女はうーんと唸る。その間も手を止めないのは、見事だわ。くるくると髪を巻いて、コテで熱をかけていく。
「確かに若君の母親になるのは、素敵です」
「そうでしょう? あんなに可愛いんだもの。愛さずにいられないわ。それにヘンリック様も、未来のレオンだと思ったら可愛いでしょう?」
「……奥様の最後の意見には賛成致しかねます」
あら、伝わらないみたい。巻き終えた髪を一箇所で纏め、後ろ髪をふわふわに仕上げてもらった。初めての髪型なので、何度も鏡で確認してしまう。
「いかがでしょう」
「素敵ね、リリーは手先が器用だわ。ありがとう」
一瞬目を見開いたが、何も言わずにリリーは頭を下げた。立ち上がり、スカートの皺がないか確認する。夫婦の私室の真ん中にある寝室へ戻れば、レオンが駆け寄った。
「おかぁ、しゃま! ここ、くるん」
髪を指さし、後ろに回り込んで確認しようとする。屈んだら、両手でそっと触れていた。
「抱っこするわよ」
「あい!」
巻き髪が近くなり、レオンは大喜びだった。首に抱きつき、髪に触れている。こんなに喜ぶなら、こまめに髪型を変えてみようかしらね。マーサも合流したところへ、ヘンリック様が現れた。執事ベルントが同行し、食堂へ向かう。
すでに待っていた家族と朝食を摂り、午前中はレオンのお勉強に費やした。急いで帰る可能性は消えたので、予定を元に戻したの。レオンは温泉や街で買い物をした出来事を絵に描いた。
「これ、ならちゅ」
ななつ……いいえ、らが入っているわ。絵から判断も難しい。じっくり悩んで、ガラスと読み解いた。描いた絵を説明するレオンは、ご機嫌だ。話を聞いてもらえるだけで、人ってこんなに喜ぶのね。笑顔の幼子の黒髪を撫でて、私は幸せのお裾分けをもらった。
「俺も描いたんだが」
褒めて欲しいと主張するヘンリック様の絵も確認する。温泉……滝? 説明を求めたところ、前世でいう打たせ湯があったらしい。おそらく高いところから流したら変化があっていいのでは? 程度の感覚で作られたのだろう。それでも興味が湧いた。
「私も見てみたいわ」
「なら、一緒に……じゃなかった。すまない」
謝られて少し考えて、頬が赤くなる。一緒に……は無理ね。契約夫婦だもの。




