134.弱さを口にする強さ
屋敷に戻って、侍女のリリーに指摘されて気づいた。帽子をどこかに忘れてきたわ。普段は被らない帽子のツバを何回か触ったっけ。どこが最後の記憶かしら。
「……ケーキ店に入るまでは、被っていたと思うが」
ヘンリック様の呟きに、じっくり考えて思い出した。ぽんと手を叩いて呟く。
「そうよ、お菓子を食べるときに斜め後ろへ置いたわ」
あまり広いお店ではなくて、貸切状態になった。護衛もいたし、私達だけでも七人だもの。ツバが広いから置く場所に困って、斜め後ろにある出窓を見つけて。軽い気持ちで置いたわ。そのまま自分達だけ出てきてしまったのね。
「お店に連絡して、明日のケーキと一緒に配達してもらいましょう」
若い護衛の一人が、街へ降りるので伝言を頼んだ。というのも、彼は明日休みなんですって。街で羽を伸ばすと聞いて、微笑ましい気分になった。親戚の子を見守るような感情が芽生えたけれど、よく考えたら私より年上だ。
子育て期間が長過ぎて、考え方がおばさんになっちゃったのかしら。嫌ね……と笑い、廊下から居間に入る。ヘンリック様のお膝で眠るレオンは、まだ起きそうになかった。
「よく眠っている」
「ええ、たくさん歩きましたから」
ヘンリック様の眼差しは柔らかく、レオンに触れる手も優しい。壊れ物を扱うように、ゆっくりと触れた。ぎこちなさも消えて、すっかり父親らしくなっている。
お茶を用意したベルントが、机の上に並べた。レオンの手が届かない場所を選んでいるのは、さすがね。ヘンリック様の向かいに座ろうとしたら、左隣の席を勧められた。素直に応じ、ソファに落ち着く。
お父様と三人は、今夜はもう休んでいる。お昼に食べ過ぎたせいか、ほんのり甘いパンを食べて夕食は終わり。温泉は明日に持ち越し、今夜はこのまま寝てしまおうかと考える。欠伸が出ちゃうわ。
はふっと口を手で覆い、欠伸を誤魔化した。
「この屋敷は……祖母のお気に入りだった」
ぽつりと話すヘンリック様は、視線をレオンに固定している。
「王女だったからか、姿勢や仕草の綺麗な人で……」
語られたのは、元王族だった祖母の話。責任感が強く、父母に放っておかれたヘンリック様と、一緒に過ごした。その時間がとても大切だったのだと、懐かしそうな顔をする。早くに亡くなってしまい、気落ちした祖父が続き……。
そこでヘンリック様は顔を上げた。先ほどまで浮かべていた表情は消え、出会った頃のように冷たい顔だ。なのに、泣きそうだと思った。
「素敵なお祖母様とお祖父様でしたのね」
「ああ、そう……だな。俺は二人が、好きだった」
過去形で表現したヘンリック様が消えてしまいそうで、私は手を伸ばした。レオンを撫でていて止まった彼の手を握り、指を絡める。
「今日はきっとお二人の夢が見られますよ。だから休みましょう」
「一緒に?」
「ええ、同じ寝室で家族は休むものですわ」
促して、ヘンリック様をベッドに押し込む。レオンを中央に寝かせ、私も滑り込んだ。伸びた手が、指先に触れる。なのに握ろうとしないから、こちらから絡めた。
臆病なのは、失う痛みを知っているから? 大丈夫よ、今夜の温もりは私が与える。だから安心して、夢で祖父母に甘えてきてね。




