84.策謀する者たち②
一方その頃、ゼラベル・ノートリアは緊張の面持ちでガルナドール王子の私室を訪れようとしていた。
「大丈夫、大丈夫……練習は何度もやったんだ。きっとうまくいく」
ひとり廊下を歩きながらブツブツと呟いていたゼラベルだったが、いざ扉を前にすると緊張に身を強張らせてしまった。
なんとか冷静になろうと大きく深呼吸してから――
「失礼いたします!」
ついに覚悟を決めたゼラベルは約束の時間ぴったり、作法に従って入室した。
ノックの回数も完璧。入室後の一礼も練習通りの角度でズレはない。
だが、迎える側が練習通りの返事をしてくれないのは想定外だった。
「フン! フン! フン!」
「え、えっと……」
頭を下げたままのゼラベルにはガルナドール王子と思しき気合の入った声だけが聞こえてくる。
いつまでたっても頭を上げる許しをもらえないので、おそるおそる顔をあげると……そこには巨大なダンベルを片手で上げ下げしているガルナドール王子が目に入った。
ゼラベルは慌てて頭を下げて、再び待つ。
しかし待てど暮らせど一向に話しかけてもらえない。
さすがに痺れを切らしたゼラベルが、とうとう勇気を振り絞ってガルナドール王子に声をかけた。
「あ、あの。なにをなさっておいでなのですか?」
「ううん? 見ればわかるだろう? トレーニングだよトレーニング。筋トレだ!」
ガルナドールは全身汗だくのまま、ご機嫌そうに笑った。
「筋肉はいいぞう! 大抵のことは筋肉で解決できるしな! まったく、健康を大事せよというのなら筋肉のほうが魔法などよりよっぽど確実だというのに、親父もオレの意見を聞こうとしなかった!」
「さ、左様でございましたか。あ、その、お許しをいただく前に話しかけてしまって申し訳ありませんでした」
「かまわんかまわん! オレはそういう細かいことは気にせん!」
「は、はあ」
豪放磊落なガルナドールの返事にゼラベルが気を抜きかけた、そのとき。
「……それで。おまえは誰で。オレに何の用があってここに来た?」
ガルナドールが睨み殺すような視線をゼラベルに向ける。
「ヒ、ヒィッ! 大変失礼いたしましたッ! 私はゼラベル・ノートリアと申します!」
本能的な恐怖に身を震わせながらゼラベルは必死に自己紹介した。
「不肖の身でありながらガルナドール殿下よりセレブラントの連中の監視という命を賜りましてございます! この度、初日は直接報告せよとのことでしたので拝謁賜りましてございますッ!」
ゼラベルが流暢に事の次第を説明できたのは、反復練習の賜物だった。
「ああ、そういえば――」
今思い出したとばかりに思案するガルナドール。
ごとり、と専用の台にダンベルを置いてから特注の巨大椅子に腰かけた。
「そんなことを命じていたな。たしか、お前のところの研究室は……なんといったか」
「ノートリア教室にございます、殿下……」
「ああ、そうだ。ノートリア教室。思い出してきたぞ? ふたりでひとりのノートリア教室だ。そうだな、そうだろう?」
「は、はいっ! 仰せの通りでございます!」
ノートリア教室の名が、王族の耳にまで届いている。
その事実に嬉しくなったゼラベルは一瞬だけ恐怖を忘れることができた。
ほんの一瞬だけ。
「……はっ、申し訳ありません!」
ゼラベルがすぐさま頭を下げる。
ガルナドールが構わないとばかりに巨大な手の平を振った。
「クク……いいぞいいぞ、そうだった。お前たちの実績はもちろんのこと、なにより『凡人は手段を選ばず天才を引きずりおろすべし』って後ろ向きな思想が気に入ったんだった。こうして顔を合わせるのは初めてだが、はたしてどんな奴らなんだろうと楽しみにしていたんだぞ。まあ予想どおりのヘナチョコだったが……で、お前はどっちなんだ?」
「殿下……それについては、どうかお許しを。我らの秘儀にございます」
「そうだったか。まあいい……それでセレブラントの連中はどうだった?」
「は、はい。まずは――」
ゼラベルはアイレン達の動きと自分のしたことを細かく説明した。
「そして、こちらが報告書になります」
「なるほど、よくやった! まずは奴らにフルドレクス流を教えてやったというわけだな、ガハハハハ!!」
豪快に笑うガルナドールを見て、ゼラベルは心の底から安堵する。
なんだかんだアイレンにやりこめられた気がしていたが問題なかったようだ、と。
「さて……わかっているだろうが、改めて言っておく。奴らには何もさせるなよ」
「は、はい」
笑っていた先ほどとは打って変わって真面目な口調で念押しするガルナドール。
生きた心地のしないゼラベルは、コクコクと頷き返すことしかできない。
「必要ならば、お前たちに便宜をはかることもする。いいか、よく聞け。フルドレクスは今とても大切な時期だ。絶対にセレブラントの連中に余計なことをされたくない」
「さ、左様でございますね」
頷いたものの、ゼラベルは詳しい事情を知らない。
ガルナドールの様子から何か探られたくない秘密があることは見て取れる。
それがなんなのか気になるが、わざわざ蛇のいそうな藪を突いたりはしない。
無闇に首を突っ込めば命を失うことぐらい容易に想像がつく。
「本当なら交換留学など断りたかったが、セレブラントとは今はまだ同盟関係だからな……無碍にするわけにもいかん。だから喧嘩を売ったりする必要はない。ただ単に、あの連中には大人しく勉学に励むだけ励んで丁重にお帰りいただきたいわけだ」
「はい、その通りです」
「だから、連中が何かしようとしている様子があったら必ずオレに報告するんだ。いいな?」
「かしこまりました! 必ず!!」
ゼラベルが一礼してから頭を上げると、ガルナドールは再び筋トレを始めていた。
それが「もう用はないから下がれ」という合図だと気づくと、ゼラベルはそそくさと退室するのだった。




