115.策謀する者たち⑥
アイレンたちと別れた後。
エルテリーゼは月の光が届かない虚空へと語り掛けた。
「ずいぶんと計画と違うのではなくて? ガルナは例の施設で生き埋めになるという話だったけど」
エルテリーゼの独り言には、驚くべきことに返答があった。
「ええ、その予定だったのですが。ガルナドールは罠を察知したのか来なかったようで……」
闇の中から仮面を被った女が現れる。
バルミナ司教のそばにいた副官だ。
「随分とお粗末な話ね」
エルテリーゼの声にはあからさまな苛立ちが混じっていた。
副官も申し訳なさそうな態度を取ってはいるが、頭は下げない。
「まあ、もともとが素人の立てた作戦でしたからね。実のところ私も状況を確認するために使いに出されてきたのですよ。形だけでも報告しなくてはならないので、よろしければ事情を聞かせていただいても? あなたが幽閉塔の外にいる理由も含めて」
「先に質問をするのはこちらよ。どうしてラウナリースがこの国に? あの子はセレブラントで平和に暮らしていなければならないのに。私があなたたちの『楽園計画』に協力しているのは、すべてあの子のためなのよ? それなのに、あの子が巻き込まれたら元も子もないじゃない!」
エルテリーゼはそこまで捲し立てると、ケホケホと苦しそうに咳をする。
「どうか落ち着いて。お体に触りますよ」
「私のことはどうでもいい。とにかく、話によってはもう協力しないわよ」
「……交換留学ですよ。彼女は自分の意志でこの国にいるのです。我々は介在していません」
「疑わしいわね。これも『あの御方』とやらの差し金ではないの?」
「本当です。嘘だと思うのであれば、状況が落ち着いてから事実関係を調べてください。さて、次はこちらが問う番です。ここでいったい何があったのですか?」
「……ガルナがやられたわ。あなたの言っていた竜王族の使者にね。私は幽閉塔から救出されてしまった」
「ああ……そういうことでしたか。大賢者のところで修行している間は大人しくしていると思っていましたが、彼らの行動力を甘く見ていましたね」
「神造人類になったガルナを倒すだなんて、今でも信じられないわ。本当にあなたたちの計画ではないの?」
「とんでもない。完全にイレギュラーですよ。あの御方もおっしゃっていませんでしたしね」
エルテリーゼは親指の爪を噛みながら思考を巡らせる。
思わず感情的になってしまったが、ここで問い詰めたところで意味はない。
それになにより、持ち掛けられた計画に乗ろうと決めたのは自分だ。
今更この女が嘘を吐く必要も、ラウナリースを人質に取るメリットもない。
「……結構。ひとまず信じましょうか」
エルテリーゼが顔を上げると、仮面の女が再び質問を投げかける。
「それより、どうするのですか? 本来ならガルナドールに王の暗殺を決行させた後で、用意しておいた暗殺の証拠を提示する手筈でしたが」
「計画変更よ。私が幽閉塔にいなければ王の暗殺を見過ごしたことになってしまう。証拠は予定通りに提示するけれど、暗殺は止めなくてはならないわ」
「妹君に頼まれたのですか?」
「……見ていたの?」
「まさか。声が聞こえる距離まで近づいたら『彼ら』にバレてしまいますよ。なんとなくそう思っただけです」
『彼ら』というのが竜王族の使者と、隣にいた竜王族の娘なのは間違いない……エルテリーゼはそう分析した。
「竜王族に育てられた人間……アイレン。彼が人類の裁定者」
自分と父のもとを訪れた竜王族の女から人類裁定について初めて聞かされたとき、エルテリーゼはこう思った。
『このままなら人類は間違いなく滅ぼされる』
彼女はフルドレクスの忌まわしき歴史を知る者として、今の人類に竜王族と共存するほどの価値はないと断言できた。
むしろ、自分も含めて滅ぼされてしかるべきであろうとすら考えていたのだ。
だが、それでも。彼女にはたったひとつだけ、人類裁定に抗う理由があった。
「……ところで前々から気になっていたのですが」
仮面の女が口を開いた。
「父親が死ぬ前提の計画を立てたのは何故ですか? あなたは幽閉塔にいながらフルドレクスのすべてを操っていた。その気になれば最初から王を殺さずとも魔法国の実権を握ることができたのでは?」
「王族が国のために死ぬのは義務よ。どのみち病で長くないのだし。それに私はあの男を父親とは認めない。実の娘を天神に捧げようとしていた、あのひとでなしをね……」
シビュラ神教の熱狂的な信者だった王は、ラウナリースを神の御子として捧げようとしていた。
王がラウナリースに注いでいたのは愛情などではない。
神にささげる器としての人形を、供物として丁重に管理していたに過ぎなかった。
幸い、ラウナリースはこの残酷な真実に気づいていない。
王が病に臥せた後、ガルナドールとエルテリーゼは利害の一致からラウナリースを魔法国から追放するためにセレブラント王都学院へ送り込んだのだ。
「あの子だけは、フルドレクス王族の呪われた血脈から守ってみせる。たとえ私がどうなろうと」
そこまで語り終えてから、エルテリーゼは我に返る。
こんな得体の知れない女に、どうしてこんな話をしてしまったのか。
相手の話術が優れていたわけでも、魔法を使われたわけでもないのに。
「……そうでしたか」
話を聞き終えた女が、おもむろに仮面を外した。
その顔を見たエルテリーゼが驚愕する。
「あなた……その目は……!」
「これが私なりの敬意です、エルテリーゼ王女。あなたに真実を覆い隠すのは無礼が過ぎる」
エルテリーゼを真摯に見つめる両目は赤く輝いている。
最愛の妹と同じ輝きを見間違えるわけもなかった。
「両目とも神眼! あなた、いったい何者なの!?」
女は自嘲気味な笑みを浮かべながら、優雅に一礼した。
「……私の名はマイザー。両王家の血を引くレンデリウム公爵が妾を孕ませてできた子供……つまり、フルドレクス王家の血が混じった『天神返り』です」




