113.エルテリーゼ救出作戦⑤
"黄龍師範"ディーロン曰く、天神の肉体は無敵であるという。
何故なら体内の神核がどんなダメージも瞬間的に再生してしまうからだ。
天神を打倒するには神核を砕かねばならないが、そもそも肉体が強靭な外殻で覆われている。
従来の手段では打倒できない最強の存在。
それこそが天神なのだ、と。
『いや、ガルナドールのたわけはもう――』
アイレンの脳裏に"紫竜魔女"コーカサイアの言葉が蘇る。
『……クッ、いや。なんでもない。オレの口から言っていいことじゃない』
コーカサイアは既にガルナドールの正体を知っていたのだ。
いや、おそらくリリスルやサンサルーナも。
「あっ……わかったあーーっ!!」
サンサルーナが見せたかった現状。
コーカサイアの煮え切らない態度。
王子に対人竜技が通用しない理由。
ようやくすべてがアイレンの中でピタリと符合した。
「……なんだ?」
いきなり叫び声をあげたアイレンを見て、ガルナドールが首を傾げる。
「ようやくわかりました! 王子……あなたは人類にカウントされてなかったんですね!」
「なんだと? 何を言って――」
「いやあ、そっか。もう人間じゃないのか! そりゃ裁定の対象外にもなるや。これは一本取られたなー!」
竜王族は、人類が『天神の気持ちのいい嘘』から抜け出せるか試している。
つまりフルドレクス王国における人類裁定は「人類がこの天神をどうするのか」も含まれていたということ。
竜王族は見定めようとしている。
人類がガルナドールを神と崇め、その力に従ってしまうのか。
あるいは抗うのか。
「…………うん。そういう意味じゃあ、合格かな! みんなは必死に止めようとしてたもんな。王子の正体なんて知らなかっただろうけど俺は合格を出しちゃうね! ここには裁定にきたわけじゃなかったけど、それはそれ!」
確かに人類のほとんどは神の力に、その誘惑に……まだ抗えないのかもしれない。
現にガルナドールは人間の体を捨ててまで天神の力を手にしている。
それでも可能性は示された。少なくともリードとラウナは片鱗を見せている。
アイレンは、そのように結論づけた。
「ガッハッハッハ! さっきから何をゴチャゴチャとワケの分からん事を!」
ガルナドールが哄笑しながら翼を展開して、己を誇示するように胸を張った。
「さあ、圧倒的な神の力の前に絶望するがいい! オレがこの姿になった以上! 万にひとつも勝ち目はなくなったのだからな!」
「それは違います! 俺があなたの前にいるのは、みんなの頑張りが無駄じゃなかったことの証です!」
アイレンが、これまで見せたことのない構えを取る。
『三対一合』の内、対天の構え。
是より放つは対天竜技。
かつて竜王族を圧倒した天神をも打倒し得る秘奥。
「さあ、かかってきてください! 俺が相手になります!」
人を捨て神になった男と、人の身で神に勝てる男。
このふたりが対峙したのは、あくまで偶然に過ぎない。
それでもアイレンは数奇な運命を感じずにはいられなかった。
こうなったのは人類の献身が実ったからだと、心のどこかで信じたかった。
だからこそ竜王族の使者として、人類の代理として……裁定の障害となる天神を打倒しようと決意したのである。
だが、子供の感傷に付き合う義務は……ガルナドールにはない。
「フン……たしかにこの姿になったオレの攻撃も、お前には当たらんかもしれん! だがしかし! オレの勝利条件は、お前を倒すことでは……なーい!」
ガルナドールがアイレンにショルダータックルを仕掛けてきた。
これまでとは比べ物にならない超神速。
今までと同じく反射的に回避動作に移ろうとするアイレンだが――
「躱しても構わんぞ! だが、オレはお前を突破して牢に到達できる! 止められるものなら止めてみるがいい!」
「……っ! なら止めなきゃ――」
巨大なプレッシャーが回避行動を中断したアイレンへと迫り来る。
(あ、しまった。これ、無理なやつだ)
刹那のうちにアイレンは悟った。
天神と化したガルナドールのタックルは、直撃すれば間違いなくただでは済まない。
しかも、ここは対魔領域。魔法で身を守れない以上、回避以外の選択肢はない。
それなのに、ガルナドールの揺さぶりで迷いが生じてしまった。
普通の回避行動では、もう間に合わない。
仮に回避できたとしても、このままではガルナドールは当初の目的を達成してしまう。
後ろの扉を破り次第、即座にエルテリーゼをくびり殺すだろう。
まさに絶体絶命だったが、アイレンに焦りはなかった。
(時間は充分に稼いだし、もう演技する必要もない!)
なんとアイレンは師匠に「人間の前では絶対に使うな」と言いつけられている最終奥義をサクッと開帳したのだ。
『対人』『対魔』『対天』『合一』のうち、秘中の秘である『合一』。
すなわち、星界合一を。
(王子はもう人類じゃないからノーカン! ノーカンだよね……?)
今更そんな不安を懐きつつも、世界と一体となったアイレンの姿は消える。
当然、どんな強烈な攻撃だろうと通らない。
ガルナドールはアイレンのいた場所をすり抜けていく。
(チッ、挑発には乗らんか! だが、オレの勝ちだ!)
ガルナドールは一気に渡り廊下を駆け抜けて、塔の扉に到達した。
そのままブチ破る。
さらに天神の超知覚と解析能力でもって一瞬のうちに状況を把握した。
(牢の格子は既に破壊されている。魔法もなしに……そうか、さっきオレを吹き飛ばした一撃か)
ガルナドールの巨体はそのまま牢の壁を破壊しながら、内部への侵入を果たす。
エルテリーゼは、いない。
牢はもぬけの殻だった。
格子とは反対側の壁に巨大な穴が開いている。
(城には轟音が二度響いた! 塔の壁を破ってから、あの女を飛び降りさせたってのか!?)
対魔領域になっているのは渡り廊下と、塔の内側だけだ。
外に出てしまえば魔法で空を飛んだり、安全に着地できるのかもしれない。
いろいろ想像したが、ガルナドールに魔法の知識はなかった。
確かな事実がひとつ。
エルテリーゼはとっくの昔に脱走していた。
まんまと足止めを食らって一杯食わされたのはガルナドールだったのだ。
「このガキ! オレを担ぎやがっ――」
もちろん、こんな大きな隙を見逃すアイレンではない。
星界合一を解除し、宙空の死角より踊りかかる。
「対天奥義が壱! 莫邪神討掌!!」
アイレンはガルナドールの背中に掌底による一撃を入れた。
「あがッ!?」
ガルナドールが弓なりに体をのけぞらせて苦痛の呻き声をあげる。
「よっし、手応えあり!」
華麗に着地したアイレンが小さくガッツポーズを決めた。
「な、なんだ。この体の内側を裂くような痛みは……!」
ガルナドールが胸を抑えながら全身から脂汗を噴出させている。
アイレンは油断なく構え直しながら口を開いた。
「対天奥義の衝撃は体内を巡って神核に直接ダメージを与えます」
「なっ! どうして神核のことを知って……!?」
驚愕するガルナドールは、皮肉にも妹と同じ結論に至った。
「そ、そうかわかったぞ。さてはお前も人間じゃないな!」
「えっ!? 俺は人間ですよ!」
「嘘を言うな! 人間が神に勝てるわきゃねーだろうが!」
激昂して襲い掛かるガルナドールだが、速度は見る影もない。
「……いや、たぶん勝てますよ?」
いともたやすく躱してから、アイレンはカウンターをみぞおちに打ちこんだ。
「がふッ!」
体内の神核にさらなるダメージが蓄積される。
立っているのもやっとなガルナドールを見て、アイレンが心配そうに声をかけた。
「もうやめにしませんか? 神核は外殻と違って再生しないんでしょう? 次の一撃で王子の神核はコナゴナになりますよ」
「ふざけるな……オレは神になったんだぞ。どいつもこいつも気に入らない奴はぶっ潰せる力を手に入れたんだ。それなのに、こんな、こんな……!」
「確かにすごい力です。だけど、人であることを捨ててしまったなら……そんなのは正しい強さじゃないと思います」
「ガキが! わかったような口を叩くんじゃねぇ……!」
忠告に耳を貸すことなく、最後の力を振り絞って拳を振り下ろすガルナドール。
アイレンの体は師匠の教えのとおりに動いて攻撃を掻い潜ってから、哀れな男の胸に最後の掌底を叩き込む。
ガルナドールの中で何かが砕け散るのを、アイレンは確かに感じ取った。
「お……ぶ……」
巨体が背中からゆっくりと倒れ込む。
ガルナドールの体はみるみる縮んでいった。
天神に変身する前よりもさらに小さく、普通の人間サイズになる。
「そっか! 神核だけを壊したから人間に戻ったんだ!」
アイレンは咄嗟にガルナドールの背中に耳を当てて生死を確認した。
かすかだが心音はある。
「よかったぁ……ラウナに顔向けできなくなったかと思った」
ホッとして顔を上げると。
「やっほ。終わったー?」
「ミィル!?」
なんと壁の穴……塔の外側から、ミィルがひょこっと顔を出した。
そこには当然、地面などないはずだが。
「先に行ったんじゃなかったのか?」
「アイレンが心配だから戻ってきちゃった」
そう言う彼女の足元には水でできた足場があった。
さらに塔の壁に沿って水の螺旋階段が下へと続いている。
ミィルの役割は幽閉塔の堀の水を操って階段を創り、脱出ルートを確保することだった。
幽閉生活でだいぶ弱っているエルテリーゼを飛び降りさせるのは――軟着陸の魔法もあるとはいえ――憚られたからだ。
リードがエルテリーゼを抱えて階段を降りていく手前、どうしても脱出には時間がかかる。
だからアイレンが渡り廊下で時間を稼ぐ必要があった。
外出したはずのガルナドールが戻ってくるのは、さすがに想定外だったが。
「それにしても人間をやめてまで強くなりたいだなんて、本当によくわからない奴だったね」
どうやらミィルはやりとりを聞いていたらしく、倒れたガルナドールを見て怪訝そうに呟いた。
「なんでこんなバカなことしたのかなー?」
その視線には怒りも憐れみも含まれていない。
生まれながらの強者である竜王族には、ガルナドールが理解できないのだ。
「うーん、きっと力が欲しかったんだろうけど……」
逆にアイレンにはガルナドールの気持ちがほんの少しだけわかる。
そう、あくまでほんの少しだけだ。
アイレンも竜王族のように強くなりたかった。
だけど、人間をやめて竜王族になりたいと思ったことは一度もない。
竜王族のみんなが輝いて見えたから、憧れて手を伸ばした。
本当にただ、それだけだったから。
「俺にも、よくわからないや」
結局、アイレンもミィルと同じ結論に行き着いた。
「そっかー。アイレンにわかんないなら、あたしにわかるわけないかー」
ミィルがにぱっとかわいらしい笑顔を浮かべた。
それを見て、アイレンはふと思う。
ひょっとするとガルナドールには、こんなふうに笑いかけてくれる人がいなかったんじゃないか、と。
「さ、行こ! みんな待ってるよ?」
「ん、そうだな……」
ミィルに頷き返してから去り際にガルナドールのほうを振り返り、一礼する。
できればラウナと仲直りしてください、と願いながら。




