111.エルテリーゼ救出作戦③
「来ないわね。あのバカ王子!」
約束の時間を大幅に過ぎても一向にやってくる様子のないガルナドールに、バルミナ司教が苛立ちもあらわに毒づいた。
隣にいた仮面の副官が事務的に答える。
「何かトラブルでも起きたのでしょうか?」
「困ったわ。ガルナドール王子は、なんとしてもここで消しておかねばならないというのに!」
シビュラ神教はフルドレクスの魔法科学技術を、ほぼ完全にコピーした。
だから、ガルナドールの息のかかった研究員は既に全員始末してある。
ここでデモンストレーションの実験をするという情報は本当だったが、それは実験成果の神造人類たちをガルナドールにけしかけるという内容だった。
アイレンたちが幽閉塔に向かっていなかったら、ガルナドールはここで死ぬ運命にあったのである。
「それに、このままでは次の予定地への到着が大幅に遅れてしまう!」
「本来なら王子を施設ごと生き埋めにしている時間ですからね」
「とはいえ、ここでガルナドールを始末しないとフルドレクスが丸ごと我らの敵に回ることに。しかも、奴らは我々の技術も学んでいる……!」
「もしかしたら、こちらが罠を張ったのがバレたのでは? 今頃、手の者が我らを取り囲んでいるのやも」
「それはないわ」
副官の危惧をバルミナはきっぱりと否定した。
「自分の力に絶大な信頼を置いているあの男が、我らを消す仕事を他人に任せるはずがないもの」
「そういうものですか」
「ええ。ガルナドール王子は強い。パワーとスピード。魔法への完全な耐性。そして無限の再生力! 肉体の性能だけで言えば紛れもなく最強クラスよ。きっと大昔にフルドレクスに入った神の血脈のせいね。姉は絶大な魔力、妹は神眼持ち。いずれも先祖帰り……ああ忌々しい! 神の器としてこれ以上ないほど相応しいのに、我らが神に肉体を明け渡すつもりがないだなんて! なんたる不敬! やはり死んで当然だわ!」
バルミナ司教がガリガリと爪を噛んだ。
副官が探るように問いかける。
「洗脳もできない。だから消すしかないということですか」
「そう! あの男がフルドレクスの王になったが最後、我らにも牙を剥く! 世界はガルナドールの手に堕ちるでしょう。そうなれば誰もあの男を止められなくなる! だから、なんとしてもここで消しておくのよ!」
「……つまり人間に彼を打倒する手段はないと?」
「業腹だけど……ガルナドール王子は我々の最高傑作よ。旧人類に倒すことはできない。絶対に!」
ヒートアップするバルミナ司教を横目で眺めながら、副官は他の誰にも聞こえない小声で呟いた。
「まあ、いずれにせよ……些事ですね」
◇ ◇ ◇
バルミナ司教はガルナドールを先祖帰りと評したが、それは少しばかり事実とは異なる。
フルドレクス魔法国には三人の妃がいた。
エルテリーゼを産んだ、王家の血の濃い第一妃。
ガルナドールを産んだ、傍流の健康的な第二妃。
ラウナリースを産んだ、どっちつかずの第三妃。
第二妃の子としてこの世に生を受けたガルナドールは、第一王女エルテリーゼと違って健康優良児だった。
しかし、魔法の才能がからっきしだったため、王から愛情を注がれることなく孤独な少年時代を過ごした。
ある日、唯一の心の支えだった母親が「魔法の才能のある子を産めなかった」ことを儚んで自刃して果てた。
魔法の才能があれば母親は死なずに済んだ。
母親を殺したのは魔法だ。
そんな想いを懐きながら、ガルナドールは魔法を憎みながら育った。
魔法の才能だけはズバ抜けていたエルテリーゼや、蝶よ花よと可愛がられて育てられたラウナリースに鬱屈した想いを抱いているのも、そのためである。
魔法を憎んだガルナドールが強くなるために頼ったのは皮肉にもフルドレクスの魔法科学だった。
父王が病に倒れた後、姉と妹に政争で勝利したガルナドールはシビュラ神教と手を組み、自らの肉体を実験体として差し出したのである。
魔法科学の改造手術によって天神の器にすらなれる究極の肉体を手に入れた男……それがガルナドールなのだ。
だからアイレンに迫る速度は巨体に比して到底信じがたいものだったし、現にアイレンの動体視力をもってしてもガルナドールの姿は捉え切れなかった。
ガルナドールはアイレンを思い切り突き飛ばそうとする。
たかが子供。ほんの少し触れただけで全身を消し飛ばせるはずだった。
……が、しかし。
「…………あ?」
宙を舞ったのはアイレンではなくガルナドールのほうだった。
巨体がクルクルと回転しながら鞠のように二度三度と床を撥ねる。
壁にぶつかってようやく止まったときには、ガルナドールの視界は天地が逆転していた。
「なんだ、何が起こった……?」
目を回したまま起き上がるでもなく混乱するガルナドール。
「あ、あれ?」
一方、アイレンも状況を掴めないままポカーンとしていた。
投げを放った態勢のまま、はるか後方で倒れているガルナドールを見てようやく気付く。
「そっか、俺が反射的に投げ飛ばしちゃったのか! すごい速さだ! 全然気づかなかった……」
アイレンは速度が上回る相手にも体が勝手に反応するよう“黄龍師範”ディーロンによって仕上げられている。
あらゆる初見殺しに対して的確なカウンター技を繰り出せるよう鍛えられているのだ。
「これはアレだな……単純なスピードだけだったら師匠より速いや。それに相手の攻撃力を利用する投げであんなに吹き飛ぶってことは、ちゃんと体に気を通しておかないと触れられただけで木っ端微塵になりそう……あっ!」
何かに気づいたアイレンが倒れているガルナドールを追い越して、幽閉塔側へと回り込んだ。
「やばいやばい! 通さないとか言っておいて、自分で通しちゃってる!」
そして、先ほどと同じように構える。
ガルナドールは寝転がったまま、そんな珍妙な光景を呆けたように眺めていた。
「なるほどな……」
ガルナドールがのそりと起き上がり、自分が叩きつけられた壁を見やる。
崩れこそしていないものの大きくへこんでいた。
先ほどの攻撃を本気で放っていたら壁を突き抜けて、地面まで落下していただろう。
「そりゃそうだ。ここに到達してる時点で只者じゃないっていうのはわかってたのによ。ガキだと思って、ついつい手加減しちまったぜ……」
「えっと。そのまま手加減してもらえるとありがたかったりするんですけど」
「ククク……せいぜい後悔しろ。たった今、オレにとどめを刺しておけばよかったとな!」
再びガルナドールが駆け抜ける。
速度は先ほどの比ではない。繰り出した拳もアイレンの顔面の位置を過たず捉えている。
それなのに、当たらない。
続けて繰り出す蹴りも、紙一重のところで躱される。
「どうして当たらねえ! 普通の人間が反応できる速度じゃないはずだぞ!」
「そんなこと言われても、俺にはよく見えないし……」
「ふざけんな! 見えないなら当たるはずだろうが!」
「えっ、それって逆では? 見て考えて回避してるようじゃ間に合わないし!」
会話の最中にも攻防は続くが有効打は一度もない。
程なくしてガルナドールが息を切らし始める。
対して、アイレンに呼吸の乱れはない。
「あー、きっと無駄な動きが多いからじゃないでしょうか。確かにすごい肉体ですけど、あんまり使い慣れてないというか、戦い慣れてなくないです?」
「ぜえ、ぜえ……当たり前だ! オレは王族だぞ? 前線で戦う機会などないし、親衛隊でも相手になる奴はいなかった!」
すべて瞬殺だった。
誰一人としてガルナドールに追随できる人間など存在しなかった。
敵はいない。戦いにすらならない。
ガルナドールは今、初めて敵と出会い、戦闘らしい戦闘を経験していた。
「強すぎると戦いに工夫がなくなる、か。そこは竜王族と人類は同じなんだなぁ。師匠だって、もともと竜身体が弱かったからこそ竜人体の戦闘に特化して七支竜になれたって言ってたし……」
「何をゴチャゴチャと!」
ガルナドールが拳の一撃を思い切り振り下ろす。
予備動作の時点で回避行動をとっていたアイレンは既にその場から飛び退いていた。
床が破砕し、瓦礫が飛び散る。
そのすべてをヒョイヒョイと避けながら、ガルナドールにアドバイスをした。
「つまり、フェイントぐらい使ったほうがいいってことですよ。王子は大振りばっかりだし動きが素直過ぎます。もっと小さい攻撃を出して、相手が回避できない状態に追い込んでから必殺の一撃を出さないと」
「うるせえ!!」
「じゃあ、俺もそろそろ目が慣れてきたんで反撃しますね?」
アイレンは懲りずに繰り出された力任せのパンチを屈んでよけると、重心を刈り取るように足払いをかけた。
「ぬぅおっ!」
ガルナドールはあっさりとすっころんだ。
顔面が地面に激突してめり込む。
「ありゃりゃ、大丈夫ですか?」
そのまま動かなくなってしまったガルナドールをツンツンつつくアイレン。
「おーのーれー!」
「わあ、びっくりした!」
突然起き上がったガルナドールに驚いたアイレンが飛び退く。
「この野郎ー!! てめえ、よくもオレをバカにしやがって! いつもそうだ……どいつもこいつもオレが魔法を使えない王族だって陰口を叩きやがる!」
「えっ、魔法って今関係あるんですか? 対魔領域ですよ、ここ」
アイレンの真顔の返しに、ガルナドールの脳の血管がぷつんと切れた。
「もう許さねえ! 絶対に殺してやるからなあ!!」
激昂するガルナドールを見て、アイレンはぽつりと漏らした。
「…………ひょっとして怒らせちゃったのかな?」




