108.ノートリア兄妹
大賢者コーカサイアに無茶振りされて後処理をしていた賢者ライモンドは、とある一室を訪れていた。
「大事ないかね?」
「だいぶ落ち着きました。礼を言います、ライモンド師」
部屋ではギラベル・ノートリアがベッドで横たわっていた。
大賢者に三下り半を突きつけられた彼はショックでずっと寝込んでいたのだ。
「そうか。さて、早速で悪いが君に聞きたいことがある」
ライモンドはやや厳しい目つきでギラベルのことをジッと見た。
「なんでしょうか?」
「……やはり君はギラベル君なのだね?」
ギラベルが肩をびくりと震わせる。
ライモンドは大賢者がギラベルの名を呼ぶのをしっかり覚えていた。
「私は――」
ギラベルが何かを言いかけたところで。
「兄さん!」
そんな叫びとともにバタン、と扉が勢いよく開かれた。
部屋に入ってきた人物は、ギラベルと瓜二つの姿をしている。
「ゼラリア!? 何故来た!」
これに一番驚いたのは他でもないギラベルだった。思わずベッドから半身を起こしている。
「だって、呼びかけても全然応えてくれないし!」
ゼラリアと呼ばれた人物の見た目はギラベルと同じだ。
唯一、片眼鏡をかけている位置だけが左右逆になっている。ギラベルが左。ゼラリアが右だ。
「これは一体……!」
ライモンドはギラベルに抱き着く瓜二つの姿を見て呆然とするしかない。
ゼラリアは兄から離れて身を正した。
「申し遅れました。わたしはゼラリア・ノートリアと申します。そしてライモンド師……ここに告白致します。我々ノートリア兄妹は不正を働いていたのです」
「不正?」
「二人一役でゼラベル・ノートリアという人物を創作していたんです。魔法学会で上り詰めて、兄を追放した十二賢者たちに復讐を果たすために」
「なんということだ……」
全容を聞いたライモンドがわなわなと震えている。
しかし、震えているのはギラベルも同じだった。
(何故話したゼラリア! それを言ってしまったら、我々はもう終わりなんだぞ……!)
大賢者に見放されたからといって十二賢者ゼラベル・ノートリアがいなくなったわけではなかった。
しかし、ゼラリアの暴挙によってギラベルは地位すらも失うことが確定したのだ。
愕然とする兄に、妹は涙ながらに振り返る。
「兄さん。もうやめよう」
「なんだと……?」
「大賢者様の言うとおりだよ。こんなことをしてまで復讐したって、なんにもならない」
「だが、私は理想を――」
そう言いかけたところで、ギラベルはハッとした。
「ああ、そうか……」
万民のための魔法を広める。
誰もが魔法を使える世界を目指す。
それらの理想は他でもない大賢者自身に否定されてしまった。
ギラベルにとって、それだけがすべての拠り所だったのに。
「それでは彼がギラベル・ノートリア。君が、ゼラリア・ノートリアということで良いのかな?」
ライモンドがふたりに確認するように問いかける。
ゼラリアはゆっくりと頷いた。
「はい。相違ございません」
「その話を聞いた以上、私は十二賢者として君たちを裁かねばならない。本来であれば他の十二賢者にも判断をあおぐところだが、未だに動物のままだからな……大賢者様に全権を委任された身として、この場で沙汰を出そう」
「覚悟はできております」
ゼラリアがライモンドをまっすぐな瞳で見つめ返す。
(本当に失うのか? ここまですべてを捨ててやってきたのに、またゼロからやり直さなくてはならないのか?)
ギラベルは、これっぽっちも覚悟などできていなかった。
事ここに及んで地位にすがりつき、未練を抱き続けている。
ただ己が器の小ささに恥じ入り、俯くことしかできない。
「ギラベル・ノートリア及びゼラリア・ノートリアを平賢者とする」
ライモンドの答えを聞いたゼラリアが、あまりに軽い処分内容に息を呑み。
ギラベルは奈落の底まで突き落とされる気分を味わった。
「えっ、魔法学会を追放されるのでは……?」
「存在しなかった人物を追放などできんよ。君たちは私預かりの弟子として、以後監督させてもらう。それでいいかね?」
「じゃあ、これからもわたしたちは魔法の研究を続けられるんだ……よかったね、兄さん!」
ゼラリアが泣き笑いとともに兄に抱き着いた。
だが、ギラベルはとても妹と喜びを分かち合う気になれなかった。
(ゼラリア……何故、お前はそんな顔ができる?)
いいや、わかっている。
妹は、強かったのだ。
兄である自分よりも、はるかに強い心を持っていた。
これは本当に、ただそれだけの話に過ぎない。
(結局弱かったのは、私ひとりだったということか)
弱者だからこそ、できることがあると信じてきた。
大賢者の理想を叶えるに相応しいと自分に言い聞かせてきたのだ。
しかし……他人を拠り所にしなければ語れない理想を掲げていた時点で最初から敗北していた。
そんな自分でもできるのだと証明することが、この世界に対する真の復讐だったのに。
(結局、弱者のままでは駄目だということだな……)
当然の摂理に逆らった報いを受けたのだ。
虚栄心に囚われていたのはほかでもない。自分自身だった。
もう他の十二賢者たちのことを笑えない。
弱い人間はどうすればいいのか?
答えは最初から出ていた。
強くなるか。
身に余る願いを捨てるか。
それしかない。
ギラベルに言わせれば、どちらも強者の理論だった。
どちらも選べない自分のような半端者こそが最大の弱者なのだと考えていた。
そんな後ろ向きの気持ちこそが、ギラベルにとって唯一、胸に懐くちっぽけな誇りだったのだ。
「ゼラリア……」
自分の一切合切、すべてを奪った愛すべき妹をギラベルは優しく抱き返す。
どうしても憎む気にはなれない。
彼女は兄を愛しているからこそ、こんな仕打ちをしたのだ。
それが理解できてしまう程度に、ギラベルは賢かった。
「兄さん……」
体を離して顔を上げる妹に、兄は決意を告げる。
「私は強くなるよ」
「うん……うん!」
その答えを聞けてゼラリアは嬉しかった。
これまでずっと、兄と離れ離れだったから。
ゼラベル・ノートリアを演じるために顔を合わせないで常に別行動をしていたから、片眼鏡とイヤリングによる感覚共有……そして生まれつきの念話能力による会話だけが兄との縁だった。
久しぶりに兄のぬくもりを感じられることに、ゼラリアは涙を流して喜んだ。
そんな妹を優しく見つめていたギラベルは、ガルナドール王子のことを初めて羨しく思った。
姉妹の愛情に気づけないくらい自分も愚かだったらよかったのに、と。




