106.紫竜魔女コーカサイア③
「この世界から魔法を消し去る? それが兄上の最終目的だというのですか!?」
ラウナが驚愕のあまり口元を覆った。
一方でコーカサイアはなんでもないことのように耳をほじりながら、どうでもよさげにしている。
「そうだ。あの筋肉たわけは魔法の素質がないのがコンプレックスだったからな。シビュラ神教と手を組んで魔法そのものを抹消しようとしてるんだよ」
「ガルナドールめ。魔法を滅ぼすとは大きく出たな……しかし大賢者様はあまりお怒りにならないのですね。魔法に相当の思い入れがあるようでしたが……」
リードが意外そうに呟いた。
確かに魔法大好きなコーカサイアだったら激怒しそうだけど……。
「一応怒ってはいるぞー? とはいえ他愛ない子供の妄想だしな。どうせもうじき現実を思い知るんだから、ほっときゃいい。天神は魔法も利用する腹積もりでいるから最終的にあいつらは決裂するしな」
コーカサイアが苛立たしげに「ケッ」と毒づいた。
うーん……これ、そんな簡単な話で済まないんじゃ?
この話が本当ならガルナドール王子は明らかにやりすぎだ。
もし竜王族が真実を知っていたなら、そもそも俺に裁定役すら回って来ない。
それこそガルナドール王子ごと人類を焼き尽くして終わりだったはずだ。
コーカサイアが人類側に肩を持ってて情報を秘匿してる?
いや、竜王国の顔役として動いているリリ姉がガルナドールの陰謀を把握できないわけがない。
ましてやサンサルーナが予見できないはずもないし。
そうだとすると、竜王族はガルナドール王子を意図的にスルーしてる?
だけど、どうして……?
「あんな筋肉たわけはどうでもいい。お前らにとって問題になるのはバルミナ司教のほうだ」
「バルミナ?」
コーカサイアが出した名前に、これまで会話に加わってこなかったミィルが小首を傾げる。
「天神がなんたるかを知った上で連中に協力している人間のひとりだ。要するに天神を迎え入れた人類の子孫だな」
「へー。じゃあ、あたしたち竜王族にとっても敵なんだね」
「そうは言っても、オレたちが積極的に戦う必要ないぞ。裁定中はあんな奴らでも人類だからな」
コーカサイアが俺のことをジッと見た。
あくまで俺が人類を滅ぼすって決めない限り、竜王族はシビュラ神教に手を出さないってこと?
コーカサイア以外の竜王族もみんな同じ意見なのかな?
だけど、俺の予想はすぐに間違いだと判明した。
「うーん、それってどうなのかなー」
これまでずっと不満げだったミィルが遂に異を唱えた始めたからだ。
案の定、コーカサイアの表情が曇る。
「どうって……なんだよミィル。何が言いたい?」
「あたし、コー姉の話を聞きながら今までずーっと考えたんだけどさ。正直このままフルドレクスを放っておいたら人類を滅ぼすしかなくなるんじゃない?」
「えっ、そんな……」
ミィルの言葉を聞いたラウナが登っていた梯子を外されたような顔をした。
「だって一国の王子が天神連中と手を組んで、なんかとんでもないこと企んでるんでしょ? しかもラウナのお姉さんまで閉じ込めちゃって、ゆくゆくは王様も殺そうとしてるってさ。これってアイレンの裁定的にどうなの?」
「え? ああ、それはまあね……」
全く同じことを考えていただけに、なんて返事をしたらいいか一瞬迷っちゃったけど。
十二賢者といいガルナドールといい、そして天神の話といい……人類はもうダメなんじゃないかって正直思わないでもない。
リードとラウナが頑張って姉貴に認められるくだりがなかったら、俺はここで答えを出していた気がする。
「だいたい、コー姉がフルドレクスの情報をあたしたちに詳しく教えて来なかったのってさ。竜王族としてはアウトライン越えてるのわかってるからでしょ? それを条件付きでリードとラウナにチャンスを与える形で公開して、ちょっといくらなんでも人類側に加担しすぎじゃない?」
「……あーん? その辺を蒸し返して決まった話をなかったことにしたいってんなら意気合わせで相手すんぞ?」
コーカサイアが不穏な気配を漂わせる。
姉貴は意気合わせでサンサルーナに次ぐ強さを持つ。
ミィルが仕掛けられたら勝ち目はないのだけど……。
「ん、それはいいや。あくまであたしの考えってだけだし。それにあたしたちがどう考えようと決めるのはアイレンだから」
「むっ……」
ミィルのあっけらかんとした返事を聞いたコーカサイアが肩透かしを食らって唸る。
相手に考えを押し付ける気がないと言われたら意気合わせは成立しない。
こうなってしまうと、ミィルは言いたいことを言うだけだった。
「ていうかさ、コー姉は人類っていうか……弟子に対して過保護過ぎるんだよ。なんやかんや理由をつけて資料をアイレンに読ませないで、蚊帳の外に置こうとしてるしさ!」
「むむっ……!」
「あたしの扱いだってそう! 裁定を盾にして、アイレンごとあたしが何もできないようにしようとしてるでしょ! そーゆうのって、あたし一番嫌いだからね!」
「むむむっ……!」
「そもそも天神が原因だって主張するならさ、それこそアイツらを止めておかないと駄目だって思わないの? それこそ天神の完全復活なんてことになったら、リードとラウナにチャンスをあげたってどうしようもなくなるよ?」
「むむむむっ……!」
あ、姉貴がミィルに言い負かされてる。
やっぱり意気合わせではともかく、普通の口論に持ち込まれるとコーカサイアは弱いな……。
直弟子の俺が相手なら不利になった時点でかんしゃくを起こすだろうけど、ミィルみたいな弟子でもない年下の竜王族相手にマジギレとかしたら、年上竜の沽券にかかわるしなぁ。
っていうか、やっぱり俺は蚊帳の外だったんだ!
なんか話に置いてかれてる感はヒシヒシとしてたけどさ!
「アイレンはどう思う? ぶっちゃけ裁定を抜きにしても、ガルナドールとバルミナには冒険者ギルドのときみたいにガツンとやってやらなきゃいけないと思うんだけど!」
ミィルは姉貴のやり口に相当に不満をため込んでたみたいで、ぷりぷり怒りをアピールしてくる。
「うーん、そうだなぁ……」
俺が考え込んだところで、何もない空間から手紙が飛び出してコーカサイアの前に浮いた。
「ん、リリスルからの定期連絡だな……」
コーカサイアが読んでいる間、みんな黙って見守った。
「……最新情報だ。バルミナ司教が秘密の試験場で『神造人類』のテストを行なうんだそうだ。ガルナドールも同席するんだとよ」
「神造人類?」
俺が聞きなれない言葉に首を傾げると、コーカサイアは忌々しそうに毒づいた。
「天神の器になるべく魔法で肉体に手を加えた人間のことだよ。奴ら曰く、今後の未来を担うべきまったく新しい人類らしい。まったくクソたわけな臭いがプンプンするぜ」
ここで、それまでじっと話を聞いていたリードが意を決したように前に出た。
「ここまで話を聞かせていただいてありがとうございます。重ねて申し訳ありません。大賢者様には愚かだと言われるかもしれませんが……私はやはりエルテリーゼを救出したいと思います。このままにはしておけません」
「リード様……!」
ラウナがはっと顔を上げた。
「……本気なのか? お前らの修行はまだ始まってもいないんだぞ」
コーカサイアが厳しい視線を送ってくる。
それでも、リードは退かなかった。
「はい。ガルナドールが城を空けるというなら、むしろ今が最大のチャンスです」
「本当にわかってるのか? それをやったら、もう引き返せなくなるんだぞ。一気に事態が動いて、修行の時間だって充分に取れなくなるかもしれない」
「重々承知の上です。大賢者様は現状を維持しておくのがいいとお考えかもしれませんが、エルテリーゼは生まれつき病がちで体も弱い。幽閉塔での生活が長引いて体調を崩したら、それこそ命に関わります」
「わたくしも行きます!」
ラウナも前に出てきた。
「幽閉塔までの道のりだったら案内できますし、お姉さまを救い出したいのは同じですから。それに兄が父を暗殺して王位を得ようとしている以上、なんとしても止めなくてはなりません。そのためには姉上の力もきっと必要になります!」
リードは一度だけ深く頷いてから、今度はミィルに目配せをする。
「ミィルさん。大変心苦しいのですが、手伝いをお願いできますか? さすがに我々だけでは厳しい」
「手伝い……あ、そっか。そういうことね! いいよいいよ、喜んでやるー! アイレンもやる?」
「え? でも、俺は……」
サンサルーナに裁定の件では首を突っ込みすぎるなって言われてるし……。
「おいおいおいおい! お前たちが天神どもと戦うのはまだ早いぞ! 裁定だって終わってないってーのに!」
当然コーカサイアが止めに入ってくる。
「んー? 天神とはまだ戦わないよ。それにこれは裁定とか関係ないし。あたしたちは友達の頼みを聞くだけ。ねー、アイレン」
「えっ? あ、そういうことか!」
そうか、裁定と関係なければ俺たちは別に自由に動いたっていいんだ!
むしろ友達の頼みでエルテリーゼさんを助ける手伝いをするっていうなら、竜王族の価値観的にも絶対に行かなきゃいけない場面だし!
「いや、ガルナドールのたわけはもう――」
「もう、なに?」
ミィルにジト目を向けられるとコーカサイアが言葉を詰まらせた。
「……クッ、いや。なんでもない。オレの口から言っていいことじゃない」
「?」
一瞬だけこっちを見てたような気がするけど、なんだろう?
「まったく……なんでこう、オレの弟子は言い出したら聞かん奴ばかり集まるのか……」
コーカサイアが頭を抱えながら、こちらに向き直って睨んでくる。
「バカ弟子。まさかと思うが、お前もこいつらと同じ意見なのか?」
「うーん、正直言うとさっきの話を聞いたら放ってはおきたくはないかな」
むすっとするコーカサイアに、俺はずっと思ってたことをそのままぶつけてみることにした。
「ていうか……姉貴はぶっちゃけ、人類裁定を止めたいって思ってるだろ?」
「んなっ……!?」
コーカサイアの顔が真っ赤になった。
うーん、本当にわかりやすい……。
「ベ、別にそんなことないぞ。ただ、人類にもちゃんとチャンスは与えてやらないと不公平だと思ってるだけで――」
「それだけじゃ魔法とカワイイにしか興味のない姉貴が、ここまで面倒臭いお膳立てをしないでしょ。『人類を救いたいなら人類を信じるな』……だっけ? そんなこと言ってさ、一番人類を信じたいのは実は姉貴だったりするんじゃないの?」
「そーんなわけがあるかーっ! このバカ! たわけ! アホー!」
「アイタタタタ! 髪引っ張らないでー!」
遂にコーカサイアが逆ギレした。
ていうかミィルもリードもラウナも八つ当たりされなかったのに、なんで俺だけ!
「まあ、でも。友達の頼み……か。それなら、しゃーないよな。そりゃあ、絶対に、断っちゃあ駄目だ」
コーカサイアが何事か呟いたかと思うと、俺の髪から手を離した。
髪の毛が何本か犠牲になったよ。とほほ。
「チッ……わかったよ。やるからには失敗するなよな。ひとつ何か間違えた時点で、とんでもない大事になるぞ? セレブラントとの国際問題になるとか、フルドレクスで内紛が起きるとか、そんなチャチな話じゃあない。他の竜王族から見たら、お前が人類鏖殺を決めたって思われかねないんだからな?」
「あ、そっか。じゃあリリスルに手紙を送っておいてよ。今回のは俺の個人的な事情だって」
「し、仕方ないな。それぐらいは頼まれてやるっ!」
コーカサイアが顔を赤くしたまま、ぷいっとそっぽを向いた。
頼りにされると本当に嬉しそうな顔するよな、姉貴って。
「ああ、それと姉貴……」
姉貴は……コーカサイアは、不器用だ。
子供っぽいし、すぐキレるし、照れ屋だし、扱いに困る師匠でもある。
指導も厳しいし、手抜きは許してくれないし、修行中もカワイイに気づかないと怒るし。
だけど、すごく一生懸命で。
弟子の俺のことをいっつも心配してくれて。
だから俺は、今回も心配ないって伝えることにした。
「姉貴はオレに天神たちのやってることを見せたくなかったのかもしれないけど。それを止めたいって人間も、俺はちゃんと見てるから。ガルナドール王子のことだけで人類裁定の結果を決めたりしない。約束するよ」
「…………そうか」
コーカサイアがこちらをまっすぐに見つめながら俺の肩をポンと叩いた。
「ま、やるからにはしっかりやれよ」
そしてどことなく居心地が悪そうにモジモジしたかと思うと、コーカサイアは背を向けた。
どうやら、行くならもう行けということらしい。
「じゃ、ちょっと行ってくる! すぐに帰るから!」
俺たちは手を振ってコーカサイアの部屋を後にする。
「まったく。人間の子供っていうのは瞬きする間にどいつもこいつも大人になっちまうんだな……」
コーカサイアの寂しそうな呟きが風に乗って聞こえてきた気がした。




