105.紫竜魔女コーカサイア②
その後、修行の前段階ということでリードとラウナは部屋中の資料を読み漁っていた。
ミィルもふたりの補助を任されている。
だけど俺だけは何故か姉貴の『カワイイ衣装』の新作作りを手伝わされていた。
「どうして俺だけ資料を読んじゃ駄目なのさー!」
「お前が見るべきなのは過去の人類の所業じゃなくて、今の人類だからだよ! こーのバカ弟子! 聞き分けろ!」
「だって気になるものは気になるしさ!」
コーカサイアは呆れたようにため息を吐いてから肩を竦めた。
「ふたりの反応を見たろ? あの資料には人類の結構ヤバい所業が書いてある。裁定者のお前が昔の人類のやらかしを知って『人類ゆるすまじ』って考えで凝り固まっちまったら、あのふたりの決意も努力も全部無駄になるんだぜ? わからないのか? このアホたわけ!」
「ぐぬぬぬぬ……」
やっぱりだ。
コーカサイアは俺のことを今回の一件から遠ざけようとしてる気がする。
いったい何を考えてるんだ?
「まあ、そうだなー。問題ない範囲で簡潔に説明しとくと……人類の先祖は天神に同胞を売り渡したんだ」
「売り渡した?」
「天魔大戦で魔神と天神が痛み分けになったのは知ってんだろ?」
「え、ああ、うん。その辺はさすがに」
天魔大戦については子供の頃からサンサルーナに読み聞かせしてもらってたし。
「大前提として魔神はこの星の防衛機能で、天神は別の世界からやってきた侵略者だ。だから、その頃は竜王族も人類も手を取り合って天神と戦った。だけど大戦後に世界のほとんどはボロボロになって、人類の生き残りもだいぶ少なくなった。それが問題だったんだ」
「だから人類は復興のために天神と手を組んだってこと?」
「まあ、かいつまんで言うとそうなる。なにしろ天神も物理的な肉体は全部滅ぼされて実体のない魂みたいな状態になってたからなー。連中も生き残るには人類を利用するしかなかったんだろうぜ」
「でもそれって、そこまでおかしいことかな? 生き残るために互いに手を取り合うっていうなら美談に聞こえるけど」
「あー、そっか。お前は天神がどういう連中だったかまでは知らないんだな」
「うーん。一応、ディーロン師匠から倒し方だけは教わってるけど……」
対天奥義はひととおり修めてある。
実戦で使ったことは一度もないけど。
「天神はもともと実体のない連中なんだが、活動するためには肉体が必要だ。最初にこの世界に侵略に来たときは金属の肉体を持ってたんだが、全部破壊された。だから人類は天神に新たな肉体を提供したんだよ」
「えっ。まさか……」
「ああ、そのまさかだぜ。人類は知識と引き換えに、まだ自我のない赤子を天神の肉体として差し出したんだよ。それがシビュラ神教で神の御子と呼ばれてるかわいそうなお人形たちだ。天神たちが人類に言葉を伝えるための伝達装置ってわけだな」
それは……とても残酷だ。
赤ちゃんがかわいそうっていうのはもちろんだけど、母親はどんな気持ちで子供を手放さなきゃいけなかったんだろう。それともやっぱり、喜んで差し出すのかな。
そんな俺の考えを知ってか知らずか、コーカサイアが不機嫌そうに言葉をまくしたてる。
「御子の入れ替えは今も行事として定期的に行われてる。盲目な信仰って怖いよな。ちなみに言っとくけど、こんなのは氷山の一角だ。他にも人類は天神に言われるがままに自然を破壊したり、動植物を絶滅に追いやるようなことを平気でやらかしてる。文明的な暮らしってやつのためにな。まあ、あいつら的には正しかったんだろうぜ……実際、人類は絶滅の危機から救われて、今じゃ世界中で繁栄してるんだしな」
「そんなことをして、人類は心が痛まないのかな?」
「手を汚してるのは一部の人間だからな。ほとんどの人間は無知のまま、それなりに暮らせれば満足なんだろうよ。自分がやらなくても誰かがやってくれる……まったく、竜王族のオレたちからしてみれば反吐が出る考え方だよな。どうも人類には『自分の目に映らない不都合な真実はないものとして処理する能力』が生まれつき身についてるものらしいぜ」
「なんだそれ……そんな能力、俺はいらないよ」
「うんうん、お前はそれでいい。だけど、他の人間が自分と同じ考えだとは思うなよ。オレもそれで昔、痛い目を見たからな……」
コーカサイアのぼやきには実感が籠もっていた。
あんまり墓穴は掘りたくないけど、スルーすると機嫌を損ねるので仕方なく何があったか聞こうとすると――
「なっ、これは……!」
リードがとある資料に目を落としながら叫び声をあげた。
「大賢者様! ここに書かれてることは本当なのですか!?」
「ん、どれどれ」
リードの手から資料がひとりでに飛んでいって、コーカサイアの目の前に浮かび上がる。
しばらくまじまじと見ていたが、どうということはないとばかりに頷いた。
「あー、うん。ホントだぞ。第一王女エルテリーゼは城の幽閉塔に閉じ込められてる」
「えっ、お姉さまが!? いったいどうして!」」
ラウナが仰天して顔を上げた。
第一王女エルテリーゼ……ラウナのお姉さんで、確かリードの許嫁でもあるんだっけ?
「そんなのガルナドールに閉じ込められたからに決まってるだろ。あの筋肉たわけはな、地方で療養中の父親……国王を病死に見せかけて毒殺した上で、エルテリーゼにすべての罪を擦りつけて処刑しようと思ってるんだよ」
「そ、そんな……! ひどすぎます!」
ラウナが青ざめた。
一方、コーカサイアの答えを聞いたリードがすぐさま部屋を出ていこうとする。
「おい、リード。どこへ行く」
コーカサイアに呼び止められたリードが振り返った。
神滅のダンジョンに閉じ込められたときと同じぐらい、ひどく焦った顔をしている。
「決まっています! エルテリーゼを助けて――」
「助けてどうする?」
コーカサイアが厳しめの口調でぴしゃりと言い切った。
「いや、お前らのやることにいちいち口出しする気はないから、どうしてもやるというなら構わんが。エルテリーゼを助けた後はどうするつもりなんだ?」
「それはもちろん、ガルナドールを告発して――」
「オレは政治に興味ないけど宮廷力学ってやつは仕方なく学んでるし情報も集めてる。その上で言わせてもらうなら、フルドレクスの政争はもうとっくに決着がついてるんじゃないか? ガルナドールの独り勝ちだ。今更エルテリーゼを救ったところでどうしようもない。奴が父殺しを企んで王位を得ようとしてるって情報は、私個人が握っているだけで手元に証拠があるわけじゃないんだ。ああ、それともセレブラントに亡命させるのか? 一応は可能だろうが、その場合はさすがに両国の同盟は破棄されるだろ。大義名分だってガルナドールに持っていかれてお前の母国は相当不利な状況に陥るぜ?」
ペラペラと現状を解説するコーカサイアを見て、リードもラウナも言葉を失っていた。
いや、驚いたのは俺もだった。
魔法とカワイイ以外のことを真面目にこなしているのが意外だったからだ。
やっぱりコーカサイア、なんからしくないぞ?
いつもの魔法バカで傍若無人な姉貴はどこに行っちゃったんだ……?
「物事には順序がある。慌てるな。まずは知識と力を蓄えるのが先だ」
「し、しかし……!」
コーカサイアに諭されても、リードは納得していない様子だった。
エルテリーゼさんとは幼いころに一度しか会ったことがないと言ってたけど、やっぱりそれでも許嫁のことは気になるんだろう。
「むー……」
一連のやりとりを見ていたミィルは、むすっとしていた。
やっぱり何かが気に入らないみたいだ。
「大賢者様! せめて、お姉さまが置かれている状況だけでも教えてください!」
「ん……本当なら自分で調べろって言うところだけどな。ま、弟子の頼みだしいいだろ」
ラウナに涙ながらに懇願されると、コーカサイアは頬をぽりぽり掻きながらそっぽを向いた。
うーん、なんだかんだで弟子にダダ甘なんだよな、姉貴って。
そこだけはいつもどおりで安心するな。
「で、何から知りたい? オレは何でも知ってるぞ」
◇ ◇ ◇
「なにが大賢者だ! こっちの事情を何ひとつ知らないくせに! クソッ、クソが!」
一方その頃。
ガルナドール王子は執務室の設備を苛立ち紛れに壊していた。
屈強な肉体から繰り出される拳が、壁や窓、調度品の類を破壊していく。
「……まあいい。ずっと引っ込んでいたロートル風情に今更何ができる。いや、できまい! 留学組の連中だってそうだ! 魔法学会の秘密資料を読んだからって別にどうなるってわけでもない! あくまで念のため、計画に勘づかれないようにしたかっただけだ! そうだ、もう留学などやめさせてしまえばいい! セレブラントとの同盟関係などもはや不要だ!」
自らの圧倒的優位を再確認して落ち着きを取り戻していくガルナドール。
しかし、苛立ちは完全におさまらなかった。
「だが、あの役立たずのノートリアには制裁を加えてやらねばならんな……」
ノートリア兄妹は未だに報告に現れていない。
今回の十二賢者審議会に大賢者が現れたという情報も噂で流れてきたのだ。
事の次第を問い質し、答えによっては顔面を殴り砕いてやろうと考えていると。
「失礼します」
突然、執務室の中で女の声が響いた。
「ん? ああ、なんだお前か」
ガルナドールは慌てるでもなく声のしたほうを見る。
そこにいたのは仮面をつけた身軽な服装に身を包んだ女。
既に何度か見かけたバルミナ司教の副官だった。
「バルミナ司教からの連絡です。例の実験を早めてほしいとのこと。王子にも同席していただきたいとのことです」
「なんだと? まだ一ヵ月は先という話ではなかったか」
「大賢者の出現に合わせ、念のために計画を前倒しするとのことです。材料となる素材が何人か手に入りましたゆえ、その調整具合も見ていただきたいと」
「ふん。オレという成功事例があるというのに、いつまで続けるのやら。まあいいわかった。いつになる?」
「本日深夜。誰もが眠る時刻にて」
「本当に随分と急だな? いいだろう、他のスケジュールはすべてキャンセルさせる。行くと伝えろ」
「御意」
副官の女は頷くと、一瞬のうちに姿を消した。
ガルナドールが満足げに頷く。
「やれやれ、大賢者のせいで忙しくなった。まったく迷惑な話だ。しかし、そうか。例の実験をやるということは、いよいよ研究が完成するというわけだな……」
念願が叶うと実感したガルナドールは、それまで懐いていた苛立ちも吹き飛んで大笑いを始めた。
「ガッハッハッハッハ! いよいよか。いよいよだな! この世界から魔法などというくだらない力を淘汰できる、本物の力が手に入るときがきたのだ! いいだろう、そうしたらまずは――」
八つ当たりで叩き割られた窓から、びゅうびゅうと風が吹き込んでくる。
ガルナドールは乱れる髪に構うことなく、遠方の建物を睨みつけた。
「あの忌々しい魔法学会を抹消してくれるわ!」




