104.紫竜魔女コーカサイア①
俺たちが連れてこられたのは、魔法学会の奥まった一室だった。
「えっと、ここが大賢者様のお部屋……?」
ラウナが困惑したように部屋を見回した。
気持ちはわかる。どう見たって物置にしか見えないし。
「そんなわけがあるか。あそこからはここが一番近いってだけだ」
「近い?」
どこか不服そうなコーカサイアの言葉を聞いて首を傾げるリード。
「まあ見てろ」
コーカサイアがニヤリと笑い返しながらステッキを振るう。
すると何もなかった壁に光り輝く扉が出現した。
「ほーれ! オレの研究室は、いろんなところに入り口があるのさ! もちろん扉を開けられるのはオレだけってな。ささ、入れ入れ!」
コーカサイアがケラケラ笑いながら驚くリードとラウナを招き入れる。
俺とミィルも後に続いた。
扉をくぐった先は、足の踏み場もないほど本や資料が散らかってる広い部屋だった。
怪しげな実験器具とかも乱雑に置かれている。
相変わらず片付けができない人だなぁ。
「ちょーっとばかし散らかってるが! まあ、テキトーにくつろいでくれ! テーブルでも書類の山でも、好きなところに座っていいぞ! 今から茶を煎れてくるからちょっと待ってろ!」
コーカサイアが手を振りながら部屋の奥へと引っ込んでいく。
「これがちょっと……?」
部屋の惨状を見てリードが思わずつぶやく。
指示通りにみんな思い思いの場所に座って待っていると、なんとひとりでに動くぬいぐるみがお茶を運んできた。
「ドーゾ! ドーゾ!」
「あ、ありがとうございます」
ラウナがぬいぐるみからおっかなびっくりお茶を受け取った。
「なんというか、すごいですね……昔読んだおとぎ話の中みたいです」
「人類の絵本に登場する魔女って、だいたいコー姉がモデルだからねー」
「えっ、そうだったのか?」
ミィルから飛び出た新情報に思わず声を上げてしまった。
「うん。あたしが生まれる前の話だけど、コー姉はいろんな人間と交流を持ってたらしいからね」
「へー、そうだったのか。なんか俺は引き篭もってるイメージしかないけど……」
「んー……今のコー姉はいろいろこじらせてるからねぇ。守りに入ってるっていうか。別に嫌いとかじゃないけど、正直あたしはちょっと苦手――」
「待たせたな!」
ちょうどコーカサイアが戻ってくると同時にミィルは口を閉ざした。
「さーてさて。ここまで来れば安全だ。他の連中に聞かれることも絶対ない。もしわからないことがあれば、今のうちに聞いてくれていいぞ!」
チラチラと俺のほうを見ながら聞いて欲しそうに胸を張るコーカサイア。
ここで何も言わないとヘソを曲げるに決まっているので、おそるおそる挙手をする。
「えっと、じゃあ……ここで何やってんの姉貴?」
「バカたわけ! 見てわからんか!」
どっちみち怒られた。
理不尽だけど、喜んでるっぽいからこっちで正解だな。
「オレはこのとおり魔法学会で大賢者をやってる!」
コーカサイアが指をぴんと立て、もう片方の手を腰を当てながらウインクしてきた。
「あ、師匠。カワイイでーす」
「おざなりだな! だがよし!」
カワイイポーズをすかさず褒めたので、コーカサイアがご機嫌になった。
俺は既に思考するより先に条件反射でカワイイを指摘できるようになっている。
これも血の滲むような努力の賜物だ。
「あの、さっきからずっと気になっていたんですけど……」
「なあアイレン。お前と大賢者様はひょっとして……」
さすがにふたりとも気づいたみたいだから、俺は咳払いをしてから答える。
「あー。もう言うまでもないと思うけど、コーカサイアは竜王族だよ。七支竜の“紫竜魔女”……俺の魔法の師匠なんだ」
「どーだ、びっくりしたか!」
コーカサイアが偉そうに胸を張るけど、子供がふんぞり返ってるようにしか見えない。
「は、はい。びっくりはしました……」
「いろいろと意外ではありましたが、まさかアイレンの師匠とは……」
大賢者が竜王族だっていう以上に濃い情報をいろいろ見せつけられたふたりは、どう反応していいか困惑してるみたいだった。
「まあバカ弟子だけどな! こいつ物覚えはいいんだけど突拍子もないことをいろいろやらかすから手を焼いたぞ! なまじ才能があるから、とにかく目が離せなくてなー!」
「わかります! こいつのおかげでいったいどれだけ迷惑を被ったか!」
「おお、セレブラントの王太子とは話が合いそうだな!」
コーカサイアとリードが何やら俺のことで意気投合している。
俺、そんなにやらかしてるかなぁ……?
「コー姉。話が進まないから、一旦その辺にしてー」
「ん、そうか? まあ、そうだな。お前らも遊びに来てるわけじゃないんだもんな」
ミィルが手をパンパン叩いて注意すると、コーカサイアが素直に騒ぐのをやめた。
居住まいを正してから、その辺の資料の山に腰かけて足を組む。
「とりあえず聞かれる前に答えておくと……リードにラウナリース。お前たちはオレが選んだ人類代表。弟子候補だ」
「人類代表……」
「弟子候補、ですか」
リードとラウナが言葉を反芻した。
「そうだ。とーっても悪いとは思ったんだが、お前たちを試させてもらった。いや、厳密にはこれからも試し続けるんだがな。とはいえ、最初の試験には合格したぞ。喜べ!」
コーカサイアがニカッと笑うと、ぬいぐるみたちがパフパフと一斉に拍手する。
「大賢者の弟子候補……光栄です」
「そ、そうですね。こんなこと、望んでも叶えられないですよね。ありがとうございます……」
リードとラウナはどう反応していいか困りながらも、一応お礼を言った。
「ちなみにオレが最初に試したのはお前たちの『探求心』だ。そいつがなかったら、お前たちに見せる情報にも意味がなくなっちまうからなー」
「意味がなくなるとは、いったいどういうことなのですか……?」
ラウナの声が不安に震える。
「お前らが知りたかった情報って、これだろ?」
コーカサイアが人差し指をクイッと持ち上げると、資料の山から何枚か羊皮紙が飛び出してリードとラウナの前に浮かんだまま静止した。
「それは天神どもが人間をどう支配してきたかの記録だ。もちろん例の検閲もなし。オレが直接この目でつぶさに見てきたことが、そのまんま書いてある」
資料の正体を聞いたリードが驚きに目を見開いた。
「では、先におっしゃっていた秘密資料の源典というのは、つまり……」
「そ。竜王族視点から見た人類の歴史ってわけだ」
ふむふむ、コーカサイアの残した日記に天神の情報が書いてある、と。
ん……あれ?
つまり、姉貴は天神が何をしてきたのかとっくに知ってたってことか?
でもミィルも驚いた顔をしてるってことは、竜王族全体に共有してる情報じゃないってわけで……。
「し、失礼する!」
リードは資料を手にとって資料の閲覧を始めた。
ラウナが横から覗き込んでいたので、俺も同じように読もうとすると。
「バカ弟子。お前は読むな」
何故かコーカサイアに止められた。
「えっ、なんで?」
「いいから」
むぅ、何か書いてあるか気になるのに……。
「馬鹿な……本当にこんなことが……」
「嘘……」
あっ、リードとラウナが愕然としてる!
俺も読んでみたいー!
「感想を聞かせてくれ。お前たちがこれを読んでなにを感じるのか? 人類裁定と関係なく、オレは純粋に興味がある」
資料を一通り読み終えたところでコーカサイアがふたりに問いかけた。
「ここに書いてあることが本当なら、という仮定で話させていただきますが……我らの先祖は愚劣極まれる!」
リードがわなわなと震えながら顔を上げた。
「そうですね……人類は竜王族に滅ぼされても仕方がない、と思ってしまいそうです」
えっ、裁定は残酷だって言ってたラウナがそこまで言っちゃうの……?
いったい何が書いてあるんだ!?
「それだけか? 他に感じることは?」
コーカサイアが念を押すと、リードとラウナは弱々しく答えた。
「……我々人類がこのようなことをしたとは思いたくありません」
「……わたくしもです。信じたくありません」
「そうだろうな」
コーカサイアが当然だとばかりに頷いた。
「その資料には人類の営みや尊厳を貶めるような事実が書いてある。お前たちが信じてきた価値観が全部ひっくり返るような内容だ。オレの私見や感情を一切交えてないただの記録ですら、そういう反応になる。わかってたさ。それが普通だ。だから、どんなに回りくどくても、天神に支配された人類の現状を先に実感してもらいたかったんだよ」
コーカサイアは空飛ぶ肘掛を呼び寄せて、その上に頬杖をついた。
「わかるか? その資料だって、お前たちが『こんなことは信じたくないから嘘だ』って決めつけたら、それで話が終わっちまうんだ。だから、お前たちに物事を最初から決めつけない『探求心』があるかどうかを試させてもらった。信じたいものだけを信じる連中に天神の真実を説いたところで無駄骨だからな」
そこまで言い終えてから、コーカサイアが深いため息を吐く。
そして古代の記憶を反芻するようにぼうっと宙を見上げると、思い出を語るような口調で話し始めた。
「あるいは、お前たちはこう思っているかもしれない。『どうして竜王族が人類が天神に支配されるのを黙って見ていたのか』ってな。もちろん黙ってなんてなかった。竜王族の何人かは忠告したんだ。だけどな……」
「聞き入れてもらえなかった……のですか?」
ラウナの問いかけに、コーカサイアが首を横に振る。
「それだけならまだよかった。オレたちの忠告を聞いて天神を受け入れないように訴えた人間は全員、他でもない人類の手で暗殺されたんだ」
リードとラウナは何も言わなかった。
ただ、本当に申し訳なさそうにコーカサイアのことを見ていた。
「……それ以来、オレは……オレたちは人類に口出しするのをやめた。どうしても天神を受け入れたいっていうなら、もう放っておこうと。人類が望むに任せようと。だけど、それは間違いだった。天神に知識を与えられた人類は増長して、自分たちこそが世界の支配者だと錯覚するようになった」
「そ、そうか。我々の本当の敵は――」
リードが何かを察したように目を見開くと、コーカサイアはニヤリと笑った。
「理解したな? そうさ。人類にとっても竜王族にとっても、真に打倒すべきは天神どもなんだ。連中に堕落させられた人類がオレたちすらも呑み込もうとし始めた。オレが人類裁定に条件付き賛成票を入れたのは、それが理由だ」
そうだったんだ。
コーカサイアの姉貴は今回の人類裁定に関して中立を貫いてるって聞いていたんだけど。
てっきり魔法とカワイイのことしか考えてないからだと思ってたら、姉貴もいろいろ悩んでたんだなぁ。
「さっきのクッソたわけな審議会と十二賢者どもを見ただろ? ああやって一時的に竜王族の力を見せつけたところで、世代が変わっちまえば人類は教訓を忘れちまう。何しろ事情を知ってる人間は百年も経てばみんな死んじまうんだからな。で、誰かが遺そうとした記録があっても今度は天神どもが捻じ曲げちまう。オレの記録だけを読ませたところで誰も信じない。だから……いっそのこと人類は全部滅ぼしてしまおうっていう話が出たとき、オレは真っ向から反対できなかった。だからといってディーロンの拳馬鹿みたく問答無用の人類鏖殺にも賛成できなかった。だからオレは人類裁定に賛成票を入れる代わりに、選ばれた人間にわかりやすいチャンスを与えるべきだって条件を他の竜王族たちに呑ませたんだ」
そこまで言うとコーカサイアが指を二本立てた。
「リード。ラウナ。オレは、お前たち人類代表にふたつの道を用意してやれる。ひとつはオレの記録を信じてお前たち自身が天神から人類を解放して裁定の合格を目指すか。もうひとつは竜王族とともに世界を滅ぼすことに協力するか。どっちかだ」
コーカサイアが中指を折る。
「ひとつめを選ぶなら、人類はまだやれるってところをアイレンに示せ。いいか? ほとんどの竜王族は天神とは関係なく人類そのものに失望してる。それでもお前たちが天神どもを滅ぼせれば説得材料にはなる。そこはオレが体を張ってやる」
体を張る……っていうのは意気合わせのことだろうな。
意見を押し通すだけの実力があるから自信もあるんだろう。
さらにコーカサイアは残っていた人差し指も折った。
「もしもふたつめを選ぶなら、どうしても助けたい家族や友人がいれば数人まで助命してやれる。うちのバカ弟子の友達には不幸になってほしくないからな。オレが何としても他の連中を納得させてやるぜ?」
コーカサイアはニヤリと笑いながらグッと親指を立ててみせる。
「姉貴……」
正直、意外だった。
コーカサイアがここまで人類側の肩を持つとは思っていなかった。
もちろん、リードとラウナにチャンスをあげるって話は俺としても賛成なんだけど……なんだろう?
俺としては何か釈然としないような……。
「……いいえ、我らは天神と戦うことを選びます。やはり我らも人類です。滅亡を受け入れることはできない」
リードが答えると、ラウナもまた深く頷いた。
「はい。わたしも同じ意見です。天神は確かに我らに叡智を分け与えてくれたのでしょうが……だからといって、彼らの操り人形になるのは容認できません」
「……そうか!」
コーカサイアは満面の笑みを浮かべた。
オレが初めて弟子になったときみたく、本当に嬉しそうな顔だった。
「だったら今からお前たちはオレの弟子だ。天神と戦うために必要な力を教えてやるぜ!」
リードとラウナが顔を見合わせてから真剣な面持ちで頷く。
「ふーん……そっか。コー姉、そういうことするんだ……」
その様子をミィルもどこか釈然としない様子で見ていた。
そうだよな? 一応筋は通ってるし、天神打倒には俺も賛成だけど……。
「さて、と」
俺の疑問をよそにコーカサイアがコホンの咳払いをしてから、改めてふたりに語りかける。
「理解してるとは思うが、もう一度念のために言っておく。天神を相手取るっていうのは、全人類のほぼすべてを敵に回すってことだ。奴らの所業を訴えたところで信じる人間はほとんどいやしない。人類は真実よりも信じたい嘘を信じる生き物だ。お前らだって、うちのバカ弟子と出会っていなかったらこんなの信じなかったろう?」
「それはたしかに……」
リードが頷いた。
「特にラウナリース。お前は『それでも人類を信じたいのです』とか頭お花畑なことをほざきそうだから、特にきつーく言い含めておく! 『人類を救いたいなら人類を信じるな』……これは鉄則だ! いいか? シビュラ神教そのものを潰す必要はない。裏で暗躍する天神勢力だけをひそかに滅ぼせばいいんだ。わかったな?」
「は、はい!」
「よし、それじゃあ修行を始めるぞ! お前らに天神に対抗する術を……『神滅魔法』を叩き込んでやるからな!」
うーん、なんというか、やっぱり。
リードとラウナにとっては悪い話じゃないのは確かだし、俺たちが頑張った成果なのも間違いないんだけど。
なんか俺とミィルだけ置いてけぼりにされてるような……?




