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十八歳・ふたりの限りなく透明な季節  作者: 香月よう子
第三章・透明な二学期
23/44

初めての喧嘩 ☆

「ねえ、守屋君! 待ってよ!」

 いつものように一緒に下校中、私は長いストライドの彼の後を追う。

「守屋君ってば」

 私の言葉に彼はようやく足を止めたが、そのまままた歩き始める。

 彼の左隣に並んで、私は彼に言葉をかけた。

「そんなにイライラしたってしょうがないじゃない」

 その言葉に、彼はものすごく不機嫌そうに言葉を返した。

「あれだけ夏休み、頑張ったんだぜ。なのになんでアレなんだよ」

「そりゃ……思ったほど点数伸びなかったみたいだけど、受験までまだ時間はあるのよ。これからが追い込みよ」

「これからって、もう高三の二学期だぜ」

 彼の不機嫌は収まりそうになかった。

 それで私は横で溜息をつく。


 今日は二学期最初の模擬試験だった。

 放課後の自己採点の結果、彼は思うような点数が取れなくて苛ついているのだ。

「結局、俺なんか何やったってダメなんだよ」

 ぼそりと自嘲気味に彼は呟いた。

「ダメなんてことないわ。それに、()()()なんて言葉、使っちゃダメ」

 その時、彼は吐き捨てるように言ったのだ。

「はっ! いつも優等生だよな。神崎委員長は」

「な……っ」

 私は全身がカッと熱くなった。

「お前みたいにデキル奴に俺みたいな落ちこぼれの気持ちなんかわかるわけねえよ」

「馬鹿っ……!!」


 パシン!と思わず私は、彼の左頬を叩いていた。


「たった一回、模試が悪かったくらいで何よ。そんなことで諦めるの? それに、守屋君にだって私の気持ちなんて到底わからない!」

 私はぱっと身を翻した。

「守屋君の馬鹿!!」

 そう言うと、私はその場を走り去った。

「神崎……」

 そう呟き、私の後ろ姿を見つめている守屋君の姿など、私にわかるはずもなかった。

挿絵(By みてみん)



 ◇◆◇



 何よ。何よ。何よ。

 たった一回、模試の結果が悪かったからって何よ。

 私だって三年に上がってから、ずっと成績は伸びてない。

 今回の模試だって……多分C判定……。

 足早に歩きながら、私は思考だけを巡らせる。


『優等生』

『デキル』

『神崎委員長』


 その単語がぐるぐる頭の中を駆け巡る。

 私が一番聞きたくない言葉だってこと、どうしてわかってくれないの?!

 私は、本当は勉強なんて出来る方じゃない。

 ただ、努力して今までやってきただけ。

 だから……優等生なの?

 ううん、違う。

 私はそんな存在じゃない。


 守屋君の……馬鹿……。

 足を止め俯いた瞳から涙が溢れ、頬を伝って流れて落ちた。



 ◇◆◇



 その翌日。


 第一時限目と二限目の休み時間、いつものようにお杏と教室移動をしている時だった。

「神崎……」

 守屋君が私の前に立っている。

 つ、と視線を遣り、ふいと足早にその場を離れた。


「純!」

 お杏が私の背中を追ってくる。

「純、どうしたのよ。一体」

 お杏が私の隣に並んだ。心配そうにお杏が声をかける。

「彼と喧嘩でもしたの?」

「喧嘩?」

「そうよ」

『喧嘩』────── 

 そう言えば、夏休みにお付き合いを始めて、守屋君とこんな風にギクシャクするのは初めてだった。


 喧嘩なんてしたくない。したくなかった。

 でも、許せない。

 あんな風に簡単に自暴自棄になった上。

 優等生……神崎委員長……彼の声音が蘇る。

 ああ、嫌だ。

 こんな風になろうと思ってたわけじゃないのに……。


 私はぎゅっと瞳を閉じ、拳を握った。

 そんな私をお杏が心配そうに見守っていた。



 ◇◆◇



 その日一日中、私は授業も上の空だった。


 自分の進路、守屋君のこと。

 ぐるぐると頭の中を渦巻く。

 やっぱり、この時期に『恋』なんて、間違ってたんだろうか……。

 今の私には、第一志望の東京の国立・東応大学合格もおぼつかなく、彼の心も掴めない。

 無性にイライラする。

 そうかと思うと、不意に涙が溢れてくる。

 心細くて堪らなくて……。


 大学受験も、恋の行方も、さらさらと砂のように私の掌から零れて落ちて行くような気がしていた。



 ◇◆◇



 その日の放課後。


 守屋君は、教室まで私を迎えに来てくれなかった。

 その事実は私に期せずして事の重大さを認識させた。

 もう私達、ダメなのかも……。

 そう思うと、胸が痛い程ぎゅっと締め付けられる。

 こんな。

 こんな些細なことでダメになるなんて……。

 意地を張った私が悪いの?

 でも、あの時の守屋君はどうしても許せなかった。

 自分のことも私のことも揶揄したような守屋君が。

 そんな複雑な打ちひしがれた思いでとぼとぼと一人、校舎を後にする。


 しかし、校門まで来たその時。


 瞬間、躰が硬直し、歩を止めた。歩けない。

 そんな私の元に彼は歩み寄ってきた。

「神崎」

 彼のその言葉にぱっとその場を辞し、足早に歩き始める。

「待てよ」

「離して!」

 私の後ろ手を掴んだ彼に、そんな拒絶の言葉を私は発していた。

 私はとことん素直になれない。

 彼の手の力は緩まなかった。


「ごめん」

 彼は一言、はっきりとその言葉を口にした。


「俺……。お前にあんなに夏休み、勉強見てもらったのに、自分が不甲斐なかったんだ。それと」

 彼は、呟いた。

「悪かったよ。あんなこと言って。お前があんな言い方されるの、一番嫌ってることよく知ってたのに……」

 彼は私の手を離し、そして深くこうべを垂れ言った。


「本当にごめん」

「守屋君……」


 彼は私の顔を見つめ、真剣に言った。

「今からまた死ぬ気で頑張る。お前と同じ大学には行けないけど、現役合格目指す」

「守屋君……」

 彼のその一言で、私は一気に気が緩んだ。

 私の中でわだかまっていた重く苦しかった想いが自然と溶解していく気がしていた。

 彼の気持ちが嬉しくて自然、熱いものがこみ上げてくる。

「泣くなよ……。いや、泣かせた俺が悪いんだけど」

 守屋君は、ぽりぽりと頭を掻いている。

 しかし次の瞬間、照れたように柔らかく笑んだ。


「一緒に帰ろう」

「うん!」


 そうして、私と守屋君の初めての喧嘩は終息し、私達は改めて共に現役大学合格を誓い、いつものように帰宅の途に就いた。


 そっと守屋君の右の掌に左の掌を重ね、仲良く手を繋ぎながら……。



挿絵(By みてみん)




作中イラストは、茂木多弥さまより頂きました。


多弥さん、素敵なイラストをどうもありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 他人からみれば、たわいなくて、何でもないような喧嘩ですが、当人たちからすればとても大きくて、真剣なことですよね。 アオハルな恋人の一幕。 ラストのイラストもあって、ほっこりしました。
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