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竜の花嫁たち  作者: 151A
アリウムの恋
9/48

空っぽ


 蝋燭の炎が揺れゼルの枕元に座るエリスの顔に沈鬱な色が濃く浮かび上がる。

 神妙に寄せられた眉の皺と張りつめた緊張感が長く続くことから窺える疲労の影に、ただ付き添うしかできないアリウムには辛く長い時間に感じられた。


 高熱に魘されているゼルは苦しそうに呼吸を繰り返し、言葉にならない譫言を度々口にする。

 その度にエリスが汗を拭い、耳を傾けて力づけるように声をかけるが届いているのかすら怪しかった。


 夜が深まるほどにゼルの熱は高くなり、不安が募りやがて恐怖と化す。


 エリスの視線が今まで与えていた薬へと向く回数が増え、アリウムは彼女を諫め宥めるために名を短く呼んだ。

 顔を歪めて無理矢理意識をそこから剥がし、紛らわすために席を立ち部屋を出て行くが容体が心配なのだろうすぐに戻ってくる。


「俺が見とくから、少し休んでおいでよ」


 まるで泣くのを必死で堪えているかのような様子にこちらが参ってしまいそうでそう勧めたが、エリスは頭を振って「大丈夫」だと椅子に腰かけた。


 確かにこの状況で寝台に横たわったとしても眠れるわけがないだろう。


 だがそれでも休息は必要で、ゼルの看病を優先してエリスが倒れては意味がない。


「寝込みを襲ったりしないから、安心していいよ。なにかあったらちゃんと呼びに行くし」


 できるだけ明るく努めて言うとほんの少しだけ口角を上げてエリスが苦笑いを浮かべる。


「そんな心配してない」

「そう?信用してくれてありがとう。でも状況が違えば襲う気は満々なんだけどね」

「本当に貴方って口ばっかり……」


 手を伸ばしてゼルに布団を掛け直しながら呆れたようにため息を吐かれ、アリウムはまたしても彼女得意の卑屈さからくる間違った謙遜かと頬を掻く。


「必ず約束は守るって言った癖に」

「へ?」


 だがエリスからいつもとは違った言葉が返ってきて驚き過ぎたアリウムは頓狂な声を上げてしまう。

 堪らずといった感じで眉を下げて吹き出したエリスが「やだ、ちょっと……それも嘘だったわけ?」と首を傾げたので、慌てて首を左右に振って否定する。


「私に触れられないのにどうやって寝込みを襲うつもりなの?」

「確かに……なにもできないなぁ。でも可愛い寝顔を見るくらいは許されるよね?」

「ね、寝顔!?勿論駄目に決まってるでしょっ。一体何を考えてるのよ」


 指一本触れることができないと解っているからエリスはアリウムを家へと招き入れているのだ。

 その信用が嬉しく、またその危機感の無さが男として見られていないようで悔しくて意地悪も込めた欲望を口にすると案の定狼狽して取り乱す。


「エリスはなんでもダメダメって言うなぁ……。そろそろ俺の我慢も限界かも」

「それは良かった。他に素直で可愛い子が町には沢山いるんだから、そっちへどうぞ」

「――――エリス、」


 いい加減アリウムの気持を茶化して誤魔化すのは止めてもらおうと口を尖らせて不満を口にしようとすると、エリスが思いがけず優しく微笑んでこちらを見たので固まってしまう。


「彼女たちの方がお似合いだし、貴方を幸せにできる。私はきっと貴方を困らせてしまうから」


 茶色の瞳に炎が映り込みキラキラと輝く。

 ゼルの方へ向けていた身体を足元側に置いた椅子に腰かけているアリウムへ向け直し、いつになく穏やかさを湛えた真剣な様子でエリスは再度口を開いた。


「ゼルのことも、私のことも一生懸命助けようとしてくれたこと感謝してる。病気になってから仲良くしていた友達と疎遠になってしまったゼルが、貴方が来るようになって昔みたいに笑うようになって、明るくなったことがどれだけ私の救いになったか」


 照れたように視線をずらし、ここ数日間のやり取りを思い出すかのように床の上をなぞる。

 ほんの少しの沈黙があってもアリウムは喋ることは許されないかのような雰囲気があり、彼女の言葉や感情がどこへと行きつくか予想できずに息が詰まる。

 

 内容は前向きで明るいものなのに、まるで別れを切り出されているかのようで恐い。


「諦めるしかなかったこと全てが貴方のお陰で少しだけ希望が持てるようになったし、素敵な竜族から特別扱いをしてもらえる夢のような時間を過ごすことができた」

「エリス、ちょっと――――」


 だがエリスはにこりと微笑んで待たない。

 勝手に決めて、勝手に終わらせようとしている。


「私は貴方に相応しくない。都合よく貴方を利用して、貴方の純粋な気持ちに応えられない卑怯な女なんか早々に見切りをつけて幸せになりなさい」


 私が悔しがって嫉妬するくらいに。


 最後は自嘲気味に笑って、エリスは拒絶した。

 ちゃんとアリウムの恋する気持を理解したその上で。


「――――狡い」


 震える声で紡いだ非難の言葉に「そうよ。私は狡い女なの」騙された方が悪いと背を向けて苦しむ弟の看病へと戻る。


 アリウムの気持ちは置き去りにして。


 胸が引き裂かれるように痛み、鼻の奥が痺れた。

 壊れたかのように感情の総てが涙となって目から溢れる。


 力を失った四肢から溶け出すように闇が流れ、絶望と共に世界から色が失われた。


「ひどいよ、それじゃあエリスはどうやって幸せになるの」

「私は、――――って、ちょっと!なんで、泣いてるの!?」


 灰色と黒色の視界の中でエリスが目を丸くして叫ぶ。

 その声もどこか遠くから聞こえるようで寂しくなる。


 触れることもできない。


 その声を聞くこともやがてできなくなるのなら、約束など守る必要がどこにあるのだろうか。

 これで終わりだと言うのなら、せめてほんの少しの触れあいくらいは許されてもいいはずだ。


 二度と会えなくなるのなら、二度と忘れられないくらいに酷い傷を互いに刻みつけてやろう――そんな思いでアリウムは椅子を蹴立ててその距離を埋めた。


 見開かれた瞳の中に動揺と恐れが混在しているのを見下ろして乱暴にエリスの身体を左手で掻き抱くと小さなおとがいを掴んで上向かせて唇を重ねた。

 柔らかな感触と冷たかったエリスのそれがアリウムの熱と重なり温度を変えていく。


 それが嬉しくて夢中で口づけていたが、相手が応じてこないもどかしさと閉じられることなく注がれる、凍えるような視線に耐えかねてゆっくりと腕から力を抜いた。


「―――――ごめん」


 なにをしているのかと我に返った己の暴挙に恥じ入って謝罪するが、失われてしまった信頼は取り戻すことはできない。


「謝るくらいなら始めからしないで」


 咎めるような声にアリウムは目を伏せて悄然と項垂れる。

 睫毛を濡らして頬を滑り落ちて行く涙は既に自分の力では止めようも無くなっているようで、はらはらと未練たらしい思いを具現化してエリスの前に無様に零れて行く。


「あー……もう。大の男が子供みたいに見っとも無い。ほら、泣き止みなさいよ」


 エプロンの裾を持ち上げて、アリウムの頬を拭い目元を優しく触れて行く。

 まるで小さな子供にするかのような仕草に愛情が溢れている気がして、それが独り善がりの勘違いであることにまた大きく傷つき涙が浮かぶ。


「エリス――どうして、俺じゃだめなの?」

「だめ、というか……私はゼルを置いてはいけないの。解るでしょ?」

「……解りたくない」

「我儘言わないで。とにかく、貴方と一緒には行けない」


 竜族の住む世界は人族の住む世界とはちがう場所にあるから。

 行ってしまえば帰りたいと思っても簡単に帰ってこられない所だ。


「いやだ。俺は、エリスがいい」

「アリウム……」


 困ったように名を呼ぶエリスの唇が欲しくて、でも重ねることはできなくて彼女のエプロンを縋るように掴む。


 額同士がくっつくギリギリの場所で止めて吐いた吐息がエリスの前髪を揺らし、頬に押し付けられているエプロン越しの指先がびくりと反応する。


 まるでなにかを期待するかのように赤く染まる耳と首筋、怯えるように震える細い肩や心臓が跳ね上がっていることすらつぶさに感じられる距離でアリウムが踏み止まれたのはなにも理性が勝ったからでは無い。


「ゼルが、苦しんでる時に……こんなの、いや」


 現実へと引き戻したのはゼルが病と闘っている息遣いと熱気だった。


 寝台には懸命に生きようと抗っているゼルの姿が在り、不埒な思いを持て余して迫っている自分の姿が浅ましく思える。


 そっと後退りながらエリスから離れて大きく深呼吸した。

 喧しかった鼓動が少し治まり、冷静さも戻ってくる。


 そして伝え忘れていたゼルからの伝言も。


「どんなに苦しくても、辛くても乗り越えて、今よりも必ず元気になるって伝えて欲しいってゼルが言ってたよ」

「ゼルが?」

「だから信じて、彼の意見と決断を尊重してあげてくれる?」


 怪訝そうな顔をしながらも頷くエリスにアリウムは苦笑いで応えた。


「俺、やっぱり無理だ。密室でエリスと夜を過ごして手を出さないなんて、そんなこと約束できない。これ以上一緒にいたら確実に君を傷つける、だから」


 苦しむ弟との時間をエリス独りにすることは酷く気が咎めるがこれ以外に方法は無い。


「ちゃんと近くにいるから、なにかあったら声をかけて」


 エリスからの返答を待たずに身を翻して部屋を出た。

 彼女はアリウムと違って約束はちゃんと守る。


 だから苦しむゼルを見かねて粉末の熱冷ましを飲ませようとはしないはずだ。


 そう言い聞かせて逃げ出したことを外へと飛び出した後で悔いたが、他にいい方法を思いつけなかったアリウムは戸口に背を預けて座り込み、無数の星が瞬く空を見上げて散々泣いた。




 どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。


 頭上から聞こえる引き戸を開けようとして苦戦している音と背中に伝わってくる衝撃で覚醒する。


「ちょっと!なんで開かないのよ!」


 苛立った声が戸の向こうから聞こえて慌てて立ち上がると、開くのに邪魔になっていたアリウムの体重が無くなり横へと移動する。


 あまりの勢いに態勢を崩したエリスが桶を掴んだ状態でふらついて転びそうになったので咄嗟に腕を差し出して支えた。

 その後で許しも無く触れてしまったことに気付いたが、下心のない純粋な親切故の行動だったので大丈夫だろうと判断し、両脚でちゃんと立ったのを確認するとすぐに身を引き挨拶をする。


「おはよう、エリス」

「……おはよう、じゃないわよ。どうしてこんな所で寝てたの?風邪でもひいたらどうするつもり?」

「どうしてって……寝るつもりは全く無かったんだけど、気が付いたら意識無くて……。あ!ごめん。エリスは一睡もしてないのに、俺だけ暢気に寝ちゃってた!?」


 ゼルの傍で一晩中看病を続けていたエリスが寝ているわけなどないはずで、そのことに気付いたアリウムは自分の失態に思い至ると青くなる。

 体力はエリスよりも無駄にあるはずなのに、寝落ちしてしまうなんて竜族の名折れだ。


「ああああぁー……俺ってば、情けなさすぎ」


 しかも密室で過ごす誘惑に勝てずに約束を破って無理矢理抱き締めた挙句に口づけて、二人とも支えて見せるとゼルに豪語した癖に結局は無様に逃げ出して。


 なにひとつまともにできない弱い自分が恥ずかしく、また許せずに苦悩して頭を抱えた。

 その目前にずいっと桶が二つ突き出されてアリウムはきょとんとした顔で桶とエリスを交互に見つめる。


「悩んでるところ悪いんだけど、水汲んで来てくれる?戻って来たら私、少し休むから代わりにゼルについてて欲しいんだけど」

「あの…………?」

「なに?嫌なら別にいいんだけど、」

「いや、そうじゃなくて。全然水汲みくらい何往復したって構わないし、代わりにゼルにつくのもいいんだけど!」

「じゃあ、よろしく」

「って、ちょっ……いいの!?」

「いいって……なにが?」

「俺、中に入っても平気?」


 夜の間のできごとなどすっかり無かったかのように扱われているようでアリウムは戸惑うばかりだった。


 エリスは確かに自分など忘れて他の女の子の所へと行けと言ったし、今思い出しただけでも羞恥で死ねるくらいに泣き縋って「エリスがいい」と駄々をこねたアリウムに「一緒には行けない」と拒んだはずだ。


 それなのに寧ろ調子がよすぎるだろうと思える程に朝の日課の水汲みを頼み、戻って来たら休みたいので交代して欲しいと頼んでくる図々しさに途方に暮れる。


「今更なに言ってるの?貴方は私の、恋人なんでしょ?」


 “恋人”の部分で若干の照れ臭さと抵抗を感じているのが窺える口調で、少し怒ったように膨れ面をする。


「私は解消したつもりはないんだけど、貴方の方は違うの?」

「違わない!でも、なんで――いや、いい。聞きたくないって言うか、聞くのが恐いから水汲み行ってきます!」


 桶を二つ奪うようにして受け取って急いで水場へと向かう道を駆けた。


 心細い夜をゼルの枕元でたった独り過ごすエリスの傍に寄り添うことも、同じ空間にいることすらもできなかったアリウムなのに彼女は特別な関係を解消するつもりはないという。


 あの後泣きつかれて眠ってしまった間にエリスはなにを思い、考えたのか。

 解らないけれどまだ利用価値があると思われているのならそれでもいい。

 彼女が幸せになれる手伝いをできるのならば構わなかった。


「できれば俺が幸せにしたいんだけど、あまりにも不甲斐無さ過ぎてちょっと自信喪失気味だしなぁ……」


 こんなに振り回されて不安になったり、恐くなったりするとは思っていなかった。

 少々恋愛を舐めていたのかもしれない。


 考えを改めながら桶を満たして家へと戻ると卵とパンを焼く匂いがしていて腹がグウッと鳴り途端に空腹を訴え始めた。

 口の中は唾液でいっぱいになり、ふらふらと誘われるまま工房から住宅部分へと入ると四人がけのテーブルの上に朝食を並べているエリスの後ろ姿が見える。


 いつもとは違う真っ白なスカーフの端の部分を縁取るように緑の葉と赤い果実の絵柄が描かれていて、地味で落ち着いたものを好むエリスにしては珍しく可憐な女の子らしいものを身に着けていた。


「お帰り、どうしたの?そんなところで突っ立ってないでこっちに来て座ったら?」


 アリウムがいない間に着替えのついでに身体を拭いて清めたのか、小ざっぱりとした部屋着を身に纏っているエリスはどこか力が抜けていて自然体だ。


 調理台の前に桶を二つ下ろしてテーブルに近づくと、丁度食器棚へフォークを取りに行こうとしていたエリスとすれ違う。


 染色で使う染料や青い植物の匂いもしない、勿論治療師の悪臭もない素のエリスの匂いが不意に香ってきてアリウムは弾かれたように振り返った。


 一番グリュライトに豊穣が齎される地の月に一際赤く艶やかな実をつけるコチリの果実に似た甘く爽やかな香りは激しくアリウムの記憶と嗅覚を呼び覚ます。


 初恋の思い出と匂いを連れて、だがそれよりも強く激烈に心を揺り動かされて思わず「ああ……この匂いだ」と呟く。


「やだ、そんなにお腹空いてるの?ちょっと待ってて、すぐにフォークを――ちょっと、なに!?」


 引き出しを開けて“匂い”が朝食のパンや焼き立ての卵のものだと思っているエリスが目を細めて呆れたように応じる、その足元に跪きゆっくりと頭を垂れた。


「ど、どうしたの?立てなくなるくらい空腹なの?」

「――――空っぽなのは心の方だよ、エリス」

「アリ、ウム?」

「竜族についてなんにも知らないエリスに教えてあげる。竜族は孤高の生き物で自尊心と自意識が異常に強いんだ。それから縄張り意識も強いし、独占欲だってエリスが引くくらい強いよ。他の竜族や種族に負けるなんて屈辱は耐え難いし、こうして無条件で降伏の姿勢を取ることも竜族としての誇りが赦さないんだ」

「じゃあ、なんで――?」

「完全に俺の負けだ。もう、二度と前には戻れない」

「待って!?一体なにを言ってるの?どうなってるの?説明して!」

「つまりエリス無しでは俺はもう生きていけないってことなんだけど、俺の求婚を受け入れてくれる?」

「――――その話は、昨日」

「じゃあ俺は一生空っぽのまま生きて行かなきゃならない」


 未だその覚悟はできていないけれど、たったひとりの女性であるエリスと結ばれることができないのならばそれしか方法は無い。


 母が言う誰からも愛されない一生とは想像もできないが、それがどんなに恐ろしく孤独であるかは傍で見ていた分感じることはできた。


 母子共々愛されない運命だとは、なんとも皮肉なものだ。


 やはり他人の幸せを奪うことで生を受けたアリウムもまた報いを受ける運命だったのだろう。


「いいんだ。エリスは気にしなくても」


 憐れな竜族が無残に恋に破れたことを少しでも覚えていてくれさえいればそれでいい。


「気にするなって言われても、困る。そんなの、本当に困るから」

「大丈夫。俺が勝手に求婚しただけだから、エリスは悪くないよ」

「そういうわけには、」

「じゃあ受けてくれるの?」

「うっ」


 返す言葉に困って固まってしまったエリスを見上げて微苦笑すると、ゆっくりと立ち上がる。

 甘いような酸っぱいような心の琴線に無条件に訴えてくる香りを堪能しながら「良い匂い」と吐息を洩らせば、漸くエリスが“匂い”がなんのことをさしているのか勘付いてぎょっとして後退した。


「――――竜族って、肉食なの!?」


 ずれた箇所で怯えるエリスに詳しく説明するのは酷だし、誤解しているままの方が都合も良いので黙って微笑む。


「お腹空いたから、朝食にしようよ」


 入口側に腰を下ろしてテーブルに着くとエリスが恐る恐るといった体で向かいの席に座る。

 動転していたせいか彼女の手にあるのはスプーンとナイフだったので、手を伸ばしてナイフを取るとパンの横に射し込んで切れ目を入れ、その間に目玉焼きを掬い上げて挟み込んだ。


 一旦皿の上に置いてから手を合わせ今日の糧となる食材とそれを育んでくれた自然への感謝を表してから一気に頬張る。

 もぐもぐと咀嚼しながら飲み込み、直ぐに残りにかぶりつくと茶色の瞳を瞬いて驚いているエリスの様子に気づいて視線だけ向けた。


「えっと……ごめん。私たちあんまり豊かじゃないから、貴方を満足させられるだけのものを用意できそうにないんだけど」


 あまりにもすごい勢いで食べているのを見て申し訳なさそうな顔に変わっていくエリスがそっと自分の分の皿をこちらへと押し出してくるので、空いている方の手を振ってそれを断る。


「大丈夫なの?私すっかり忘れてたけど、両親が生きていてゼルも元気だった頃は本当によく食べてたのを久しぶりに思い出した。そうよね、男の人はそれくらいじゃ足らないわよね」

「……すぐにゼルも元気になってエリスがびっくりするくらい食べるようになるよ」

「そうだと――ううん。そうよね、うん。きっとそうなるわ」


 だからもっと染色の仕事頑張らないと、と無理して笑うエリスに同じように笑顔を返して食事を終える。


「じゃあ俺がゼルについてるから、ちゃんと寝台で休むんだよ?隠れて仕事しようとか考えてない?もし染め物してるのを見つけたら捕まえて寝台に縛り付けるからね」

「う、はい」


 どうやら図星だったらしく言い淀んだ後諦めたように首肯するのを確認してから立ち上がり「ごちそうさまでした。美味しかったよ」と言い置いてゼルの部屋へと入る。


 淀んだ空気と熱気の籠った部屋には暗い死の影が漂っているようで息が苦しい。

 小さい窓が設置されている壁へと足早に横切り、外へ向かって開け放つと涼しい風が入って来て過ごしやすくなる。


 寝台のゼルを窺うと少し呼吸が楽になり、表情が和らいだように見えたのでそれに気をよくしたアリウムは部屋の戸も開け放ち、エリスに家じゅうの窓や戸を開けておいて欲しいと頼んでおいた。


 朝方までエリスが座っていた椅子に今度はアリウムが陣取って玉の汗を浮かべるゼルの額に湿った布をあてて拭ってやる。


「……ゼル、頑張れ」


 そっと耳元で応援するとなにかを伝えたがっているかのように唇が動いたが、意識は混濁しているようで形として音を成すことはできなかった。


 聞こえてはいるのだと勇気を得て、励ましの言葉を選んで口にする。


 「ゼルなら勝てる」とか「大丈夫だ」とか「エリスが待ってるよ」とか「元気になったら沢山エリスの手料理を食べてやって欲しい」とか言っている内に、徐々に愚痴を零し始めてしまう。


 エリスへの伝わらない想いや竜族であることを悔いるようになってしまったこと、自分の感情を上手く制御できないことも約束を果たせずに逃げ出してしまったことも全てゼルに聞いてもらった。


「それからやっぱりエリスは俺の運命の女性ひとだったよ。でも求婚を断られちゃった。エリスの気持ちが俺に向く前にしちゃったからしょうがないんだけどさ」


 でも抑えられなかった。


 気付いてしまったからには求婚せずにはいられなかったのだ。


「これからずっと、満たされないまま俺は生きて行かなきゃならないんだ。誰も愛せず、愛されずに。これってすごく絶望的なはずなのに、俺はずっと探し求めてた伴侶と出会えた喜びで胸がいっぱいなんだ」


 おかしいよね、と忍び笑うとゼルの唇も綻んで笑ってくれているように見えた。


 馬鹿だな、アムは――。


 そんな声すら聞こえてきそうな気がして、ゼルの痩せて湿った手をぎゅっと握りしめる。


「だから元気になってくれないと困る。ゼルが協力してくれたらエリスだって考えを変えてくれるかもしれないし……ああ、ごめん。本当に俺ってば人に頼ってばっかりで情けないなぁ」


 そんなんだからエリスに好きになって貰えないのかもしれないと嘆息し、アリウムは浮かんできた涙で瞳を潤ませて鼻を啜る。


「難しいね」


 強くなることも、潔く身を引くことも。


「でも不純な動機を抜いてもゼルには元気になって欲しいと思ってるよ」


 だから病気に負けないで――。


 今は苦しくても、辛くても、頑張った先に未来があるから。

 ゼルの決意に満ちた強い眼差しを思い出しながら、少しでも力になればと願いつつ傍に付き添い続けた。


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