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竜の花嫁たち  作者: 151A
アリウムの恋
7/48

仮初め


 宵闇が明けきらぬ時刻にルテアと別れの挨拶を済ませてセロ村までの道程を足早に歩く。

 濃厚な土と緑の匂いが立ち込める森の中は生き物たちの気配と息遣いで静かなのに騒々しかった。


 それ以上に大きく乱れている自分の鼓動の音が耳に喧しくてアリウムは冷静になろうとゆっくりと呼吸を繰り返す。


「漸く約束の一週間が経った……」


 気持ちが逸るのは仕方がない。

 六日も待ったのだから。


 今すぐにでも旅立ちエリスのいる町まで飛んで行きたいが、なんの成果も持たないままでは彼女を望まぬ婚姻から救いだすことなどできない。


 そしてアリウムに与えられることになる可能性と機会を失う。


 まずは友人の家を訪ねて弟ゼルの病を治す方法を聞かねばならない。


 木立を抜けると村外れを示す木の柵と建物の影が朝靄の中に浮かび上がってくる。

 清々しい空気が満ちている村にはまだ眠りの中にまどろんでいるようだ。

 柵を超えて直ぐに右へ続く道を辿るとどこからともなく煮炊きする匂いが漂ってきて驚いた。


 セロ村には早起きの習慣は無い。


 勿論太陽が昇るのに合わせて起きるが、それより早く起床することはなんらかの変事があることが多かった。


 だが村には張り詰めた緊張感もなく、普段と変わらぬ様子に見える。


 訝しがりながらもアリウムは小道を進み、見えてきた柵で囲まれた家へと向かう。

 腰の高さまでの門を押し開けて庭に出ると、使用頻度の高い薬草が栽培されている畑がある。

 その近くに果実のなる樹が植えられていて、今は小さな黄色の実をつけていた。


 玄関へと近づくごとに美味しそうな肉の焼ける匂いが強くなり、早起きしているのはグリッドの家の者だと気づく。


 控えめにノックをするとすぐさま扉は開けられて、グリッドの母キキがにこりと微笑んで中へと招き入れてくれた。


「ふふ。やっぱりグリッドがいっていた通り朝一番で来たわね」

「……すみません」


 迷惑であることは解っていたがこれ以上無為に時を過ごすことが耐えられなかったのだ。


「平気よ。治療師がいない村の薬草師の家なんだから、夜中だろうが朝方だろうが急病人だと人が駆け込んでくるのは日常茶飯事。慣れてるから気にしないで」


 謝罪したがなんでもないことのように躱して香ばしい匂いのする台所へとキキが移動するのでアリウムもその後ろをついて行く。


 焼いたばかりの肉を野菜と一緒にパンの間に挟んで油紙に手早く包むとそれを「朝食は食べただろうからこれは持って行って途中で食べて」とアリウムの手に乗せてくる。

 とても成人した息子がいるようには見えないキキは真っ直ぐに下ろされた前髪の下から可愛らしい瞳を瞬かせ頑張ってと激励してくれた。


「ありがとうございます」

「いいのよ。グリッドを呼んでくるわ」


 キキの思いやりと優しさが温もりとなって包みから伝わってくる。

 こんな風にさりげなく、そして確かな実感を伴うようにエリスに自分の気持ちを伝えられたらいいなと思う。


 奥の方へと去って行ったキキと入れ違いにグリッドが少々疲れた顔でやって来た。


「……おはよう、アム」

「おはよう、グリッド。朝早くに、ごめん」

「いや……来ると思ってたから、構わないよ」


 ようやく微笑んだ友人はエリスから預かって来た一回分の薬をキキが持たせてくれた包みの横に置く。

 粉末状になっている熱冷ましを生温かいものの近くに置くのは湿気てしまうのではないかと眉を寄せてグリッドを責めるように見つめた。


「そんな怖い顔しないでよ。そんな薬、どうなろうが構わないんだから」

「構わないって――――!」


 エリスがこの薬を手に入れるために苦労していることを知っているからこそ無責任な言い方をされて腹が立つ。


 険を深くする眼差しを受けながらグリッドは「あふぅ……」と気の抜けた欠伸をするのだから意外と肝が据わっている。


「だってそれが原因で弟くんの症状の半分が良くならないんだから仕方がないよね」

「――――え?」

「そんなにびっくりすることないんじゃない?おれ始めからいってたと思うけど?飲み続けた薬に対する拒絶反応かもしれないって」

「じゃあ――――薬を止めれば、治る?」


 期待を込めた問いにグリッドは申し訳なさそうな表情を浮かべつつ首を傾げた。


「んー……そんな簡単なものではないけど、概ねそうだね。少なくとも拒絶反応から来る嘔吐や発疹は治まると思うよ」

「……熱は?」


 そもそもの病の始まりは日が落ちてから急激に熱が出るという症状だ。

 それが治って初めてゼルは病気から解放される。


 グリッドが目を伏せて吐息のような声で「難しいね」と答えた。


「実際に病状を診たわけでもないし、そもそもおれたちは薬草師であって治療師じゃない。病に詳しいのは治療師の方だし、その治療師が珍しいと診断する病を完全に治すための方法なんておれには解らないよ」

「クラップさんは、」

「父さんも同意見だった。でも、この熱冷ましを止めてセロ村で使ってる薬に変えれば少なくとも嘔吐や発疹は確実に無くなる。問題はその粉末の熱冷ましよりも丸薬の熱冷ましの方が効果は弱い。劇的に熱が下がらない代わりに副作用がないのが特徴だからね」


 安全性は保障するけど、とグリッドは丸薬の入った袋を空いている左手に握らせた。


「それからこれは注意事項。粉末の熱冷ましが身体から抜けてしまってから丸薬の熱冷ましを飲ませること。もしその前に飲ませてしまったら体温が下がりすぎて生命の危険に陥ったり、予測できない副作用で中毒死してしまう可能性もあるから」

「――――死?」


 ゼルの穏やかそうに微笑む顔や落ち着いた語り口調を思いだし、彼が死んでしまうことを想像して青くなる。


「薬は毒にもなる。おれたち薬草師や治療師が劇的な効果がある薬草を使いたがらないのはそこなんだよ、アム」


 症状を抑えることはできても副作用や拒絶反応で他に不具合が出るようでは困る。

 だからこそセロ村の薬草師であるクラップやグリッドはやんわりと効く安全な薬草を使用するのだ。


 でもそれでは治らない病や抑えられない症状がある。


 だからこそそんな時には強い薬を用いることを選択する勇気もまた必要なのだろう。


「調べたところによるとアムの想い人が住む地域には、うちにある熱冷ましの原料である薬草は生えてないみたいだから落ち着いたら薬草を取りに来て。向こうからも貴重な薬草を貰ったから今度はこちらからも誠意を見せないとね。でもまずは」


 熱の籠った瞳に見つめられアリウムは自然と頷いていた。


 多くを語らなくともグリッドが言いたいことはよく解る。

 ゼルの病を重くしている薬を身体から追い出して、新しい熱冷ましを使用し改善を図るのだと。


 そしてエリスとの間を少しでも縮めなさいとその眼が十分に語っている。


「多分嘔吐が治まれば胃腸が元気になって食欲が出てくる。食べられるようになれば体力もつくから熱も次第に上がりにくくなると思うよ」


 明るい情報に支えられアリウムが再度頷く。


「それからもうひとつ。薬が切れている間随分苦しむと思う。だけど絶対に今まで飲んでいた薬を飲ませないで」

「――――解った。でも薬が抜けるまでってどれくらいかかるの?」

「これも難しい所だけど普通なら二日くらい、でも弟くんは長期にわたって薬を服用しているし身体も弱っているから一週間はあけないとだめだろうね。それから苦しいのは最初の日から次の日くらいまでで、それから徐々に落ち着いて来ると思うから」


 頑張ってと言われてしまえばアリウムには「うん」と返事するしかなくなる。

 手の中のサンドイッチと薬を見下ろして気持ちを奮い立たせると簡単に挨拶を終わらせて家を辞した。


 エリスの住む町までの空の旅は明け方から始まり、爽やかな早朝の風の中を切って進み太陽が中天に差し掛かる前に辿り着いた。

 いくら竜族がどの生き物よりも早く空を駆けるとは言われてはいてもそれくらいの時間がかかる。

 時の流れは感覚的なものや感情などにも左右され、急いでいる時ほど流れ去っていくかのようだった。


 町外れに降り立ち大きく息を継ぐと腹がぐうっと鳴る。


 温かかったはずのサンドイッチは冷たくなっていたが、それでも肉汁がパンに染み込んだ良い匂いがしていてアリウムはすぐにでも広げて食べたいという欲求に襲われたが我慢した。


 どうせ滞在許可を申請しても待たされるのだから、先に手続きをしてからゆっくり食べようと訪問の鐘を鳴らすための紐を掴んで力強く鳴らす。


「……本当に来たのか」


 若干呆れた顔をした前回と同じ男が小屋から出てきて境を示す柵の傍までやって来た。

 一週間も会えなければ簡単にエリスを諦めると思われていたことは心外で、「約束した通り六日我慢したんだから問題ないよね?」と確認する声に棘があったとしても許されるだろう。


「脈があると本気で思ってるのか?」


 人族と竜族間にある明確な種族の違いと住む世界が違うことを改めて感じながらも、母やグリッドたちに背中を押してもらったアリウムにはもう迷いは無かった。


「当然。俺、エリスのこと本気だから」


 エリスが今は特別な感情を抱いてなかったとしても、振り向かせてみせると言えるくらいには心が晴やかだ。


「……変わった竜族だな」

「そうかもね」


 眉尻を下げて嘆息する男はアリウムへの印象を少しだけ良い方へと改めたようだったが、町長からの許可が出るまでは町の外で大人しく待っていろと告げる。


 数刻か、それとも二、三日か。

 解らないが待つしかない。


「そういえば、治療師の成果はどう?六日も邪魔者がいなくてやりやすかったんでしょ?」


 上手く行ったのかと言外で問えば男は複雑そうな表情でアリウムを眺める。

 一週間前にはシラン贔屓だった癖に、結果や経緯を話すことを迷っている様子は人族の感情が変化しやすいことを如実に表していた。


「エリスは治療師との婚姻を承諾したの?勿論、まだだよね」

「………………残念ながら、な」


 ほっと胸を撫で下ろしながら「よかった」とアリウムが呟くと、男は眉間にぎゅっと力を入れて皺を刻むと苦々しい顔をする。


「シランさんはいい人だ」


 搾り出すような声には憤りや悲しみなど色んな感情が混じりあっていて、低く小さいのに怒鳴っているかのように聞こえた。


 その思いの矛先はアリウムでは無いように感じられたので黙って促す。


「いい人過ぎて、前の奥さんに浮気されて逃げられた。普通なら町を出た二人を責めて憎んでいいのに、自分に甲斐性がなかったからだって許して……」


 自分のことのように悔しそうに話す男だけではなく、きっと町人の殆どがシランに同情的なのだろう。


 真面目で誠実な治療師は町人からの信頼も篤いに違いない。


 だがいい人だから妻に逃げられたのが原因だと一概に言えない気がした。

 勿論浮気して家や町を出て行ってしまった女の方が悪いが、そうなるまで妻の不満や気持ちに気付けなかったシランにもまた罪がある。


 同じ屋根の下で暮らす夫婦の間になにがあったのかは彼らにしか解らない。


 いい人そうに見えているシランにもまたなにか重大な欠点があったかもしれないのだ。

 浮気の理由や原因は女に聞かなければ解らないし、余所の男に目を向けさせないよう努めるのは夫の役目でもあるだろう。


「……そうやって、いい人だから可哀相だからってエリスの気持ちを無視して一緒にさせようって町の人みんなが考えてるんだとしたら、俺本気で怒るけど」


 アリウムにも、竜族にも、恋愛にも興味がないと断言していたエリスが治療師に恋慕しているとは到底思えない。


 彼女が心底シランを愛しているのならば諦める努力はする。

 でも違うのならばエリスが幸せになれる道を護りたいと思う。


 護るだけでなくその道を共に歩める権利を与えてもらえるように心を砕いて尽くすつもりだったが、それを今この男に言った所でしょうがない。


「そんなつもりは、ない……ただ、シランさんならエリスを幸せにできるとおれたちは信じてるんだ。それにその方がゼルだって――――」

 

 男は言葉を最後まで発することができなかった。

 勿論アリウムが邪魔をしたからでは無い。

 町の奥へと続く道の向こうから鮮やかな青い色が近づいてきていることに気付いたからだ。

 きっと訪問の鐘が鳴ったのに気付いて駆けつけてくれたに違いない。


「アリウム!?本当に、戻ってきてくれたの!?」


 茶色の瞳を驚きで丸くしながらしげしげと見つめてくる視線にアリウムは震えた。

 彼女に初めて名を呼ばれたことを認識して心が歓喜し、体中を駆け巡る血が全力で嬉しいと叫ぶ。

 手を伸ばせば触れられる距離にいるエリスの髪や爪の先までじっくりと愛しげに眺めてほうっと溜息を吐く。


「エリス――――」

「ちょ、やめて。変な声出さないでよ」


 途端に青ざめたエリスの変化にアリウムはだらしなく相好を崩して笑う。

 冷たい物言いも、態度も久しぶりでそれすらも心を浮き立たせるのだから恋とはすごい力を持っている。


「だって『戻って来てくれたの?』なんて可愛く言われたら、どんな男でもデレデレしちゃうよ」

「…………可愛く言ったつもりはないけど?」

「でも待っててくれたんでしょ?」

「だって、それは貴方が」


 勿論そうだ。


 治療師への返事は帰って来るまで待っていて欲しいと頼んだのはアリウムの方だし、なにもエリスはアリウム自身の帰りを待ち望んでいたわけでないのも知っている。


 それでも鐘が鳴ったのを聞きつけて急いで来てくれたことがなによりも嬉しかった。


「それに名前、呼んでくれたしね?」

「う、…………名前くらい、」


 しどろもどろになりながらなんとか返してきたが、まともな返答にはなっていない。

 そこに動揺が見えて常に冷静さを保っているエリスとは違った印象があり余計に可愛く見えた。


「ちゃんと方法、見つけて来たから。安心して」

「本当!?じゃあゼルは治るの!?」

「おいおい、本当かよ!?」


 エリスは期待に満ちた声を上げ、男は驚愕の声を上げた。


「つまんねえなぁ……竜族ってのは顔が良いだけじゃなく、不治の病すら治せちまうのか。面白くない」

「いや、これは俺の力じゃなくて友達の薬草師の力だから。竜族関係ないよ」


 遠い目をして愚痴り始めた男に苦笑いを向けて、アリウムは一応他力本願で見つけた方法だと教えたが聞こえていない様子。


 エリスが焦れたように手を伸ばしてアリウムの腕を掴み「じゃあ、早く家に」と引っ張った。

 手指が荒れているはずなのに吸いつくような感触と熱いくらいの体温がそこから伝わってきて胸の奥を切なくさせる。


「だめだよ。エリス。まだ、許可が下りてないから」

「そうだ、そうだ!町長は忙しいからきっと早くても明後日に――」


 滞在許可が下りぬまま町の境を超えることはできない。

 男も我に返ってエリスの暴挙を止めようと間に入ろうとしたが「そんなに待てない!」と鋭く睨まれて口籠る。


「ゼルの病気が治るかもしれないのに二日も待て、だなんて馬鹿じゃないの!?もし自分の家族が同じような立場ならそんなこと言えるわけないくせに!町長が忙しいだなんて片腹痛いわ!いつもこの時間はテーブルいっぱいの贅沢な料理に舌鼓を打ってるのを知らない住民は町のどこにもいないと思うけど?」

「ぐっ、だが町長は町民のために働いてくれているんだぞ」

「勿論、知っているわ。感謝もしてる。でもここで彼を二日も待たせて無駄に足止めするのならその評価は簡単に覆るんだから」


 私は本気よと怯まずに己の意見を通そうとするエリスは勇ましいが、掴まれている腕から怒りや憤りでは無い感情で震えているのが解る。


 恐れを押え込もうと縋りつくようにきゅっと指先に力が込められた。


 その手をアリウムの両手で包み込んで力強く握り返せたらいいのだが、今はこうして突っ立っていることしかできないことが悔しい。


「だが、規則なんだ。これを破ることはできない。おれたちよりも竜族の方が遥かに困ることになるんだぞ?」

「……そうなの?」


 竜族に興味がないと公言した通り、エリスは竜族と人族との間の決まりごとについてよく理解していないようだった。


「許可なく町や村に立ち入ることは禁止されていて、もしこれを破ったら全ての竜族はその町や村の広範囲にわたって近づくことすらできなくなるんだ。永遠に」

「永遠に?……どうしてそんなこと」

「これは人族側からの要請で結ばれた取り決めなんだよ。親や家族が知らない間に大切な娘たちが竜族に攫われたりしないようにって」


 どんな理不尽な要望であろうとも竜族が子孫を残すには人族の協力が必要な限り飲むしかない。

 個としての力が脆弱であろうとも、集団になったときの人族の力は過信できず、また愛する女性の故郷と諍いを起こそうと思っている竜族はいない。


 できるだけ穏便な形で伴侶として迎えたいと考えているからこそ、人族の意見を長い間尊重してきたのだ。


「じゃあどうすればいいの?貴方も私も二日も待たなきゃならないの?」


 他に方法は無いのかと問われたアリウムはにこりと微笑む。


「エリスが俺のことを恋人だと認めてくれれば簡単だよ」

「――な!?こい、」


 かっと頬を上気させてエリスが唇を震わせる。そしてアリウムの腕を掴んでいたことを思い出し慌てて指を放すと狼狽えたように視線を反らす。


「竜族が恋人を訪ねてくる際には手続きは簡単になるんだ。理由は前にも伝えた通り、竜族はひとりの女性しか愛せない生き物だから相手を決めたら余所見なんて絶対しない」


 特定の女性を決めるまでは手当たり次第に声をかけたり、多くの女性と適当に遊んだりする竜族だが、恋人ができた場合には一切他の女性のことなど目に入らなくなる。


 それは人族にも定着しており、婚姻を結ぶ前までの恋人の期間はいつでも会いに来られるくらいの配慮はしてくれていた。

 勿論恋人になったからといって婚姻まで漕ぎつけられるかは相手の気持ちと自分の努力次第だろう。


「これも前言ったけど、俺はエリス以外の女の子なんてどうでもいいし、エリスと恋仲になりたいって思ってる。だから後はエリス次第なんだけど……」

「わた、私は……まだ、そんな風に貴方を見られないというか」

「まだってことはこの先は変わる可能性があるってことだよね?じゃあ問題ないんじゃない?途中でやっぱり嫌だって思ったら、解消してくれて良いし。別にゼルが良くなるまでの間だけ恋人だってことにしてくれても良いしさ」

「おいおい、そんな悪巧みは誰もいない所でやってくれよ」


 流石に聞き捨てられないと男が割って入って来る。

 エリスは少しの間だけでもアリウムを恋人として呼ぶことに対して逡巡しているらしく戸惑った顔で俯いていた。


「少しは目を瞑ってよ。ゼルの病気が少しでも良くなれば、エリスもゼルも幸せになれるんだからさ」

「そりゃあそうだが、」

「――――いいわ。貴方の申し出を受けることにする」


 二日待てば不本意な思いをしなくてもアリウムは町へと入ることができるというのに、エリスは弟への思いと病に苦しむ姿を天秤にかけて仮初めの恋人を受け入れることに決めたようだった。


「じゃあエリスは俺の恋人ってことで、いいんだよね?」

「うっ――、暫くはそういうことになるわね。さあ、さっさと手続きを終わらせましょう」


 形ばかりの恋人としての立場だったが、それでもエリスの特別な存在になれたことが嬉しくてアリウムは最愛の女性へ視線を注ぐ。


 その熱い眼差しに渋面で応え「はやまったかしら……」と早くも後悔し始めたエリスだったが、一度決めたことは反故にしたくないのか男に差し出された羊皮紙に言われるがまま名前を記載した。


 そしてそれがアリウムの元へ差し出され、エリスの名前の横に自分の名を書くと一歩も二歩も前進できたようで熱く胸が震える。


「さあ、速く」


 促した後でエリスはさっさと家への道を辿る。

 先程のように腕を引いてくれないことが残念だったが、彼女の恋人として町へと入れることで由とした。


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