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竜の花嫁たち  作者: 151A
風送り
45/48

谷に吹く風



 待ち伏せされていたらしい。


 年に一度行われる祭事の時が一番村の警備が緩くなると野盗たちは知っていた。

 谷の上まで護衛を引き連れて風を送るための巫女がやって来る道は細く足場が悪い。しかも上から襲撃されれば、幾ら警戒をしていたとしても不利である。


 着飾った美しい巫女を人質にして攻め入ろうとしたのだろう。


 この谷には水場があり、始終穏やかな風が吹いており荒野や砂漠に住む者たちからすれば羨ましい楽園のような場所だ。

 しかも切り立った崖に囲まれて自然の要塞のようになっている。

 多くのならず者たちが狙う格好の獲物であるのは間違いない。


 そう。


 平和だと思っていたこの土地はオーサたちのような猛者が必死で護り通してきたからこその安寧なのだ。

 この谷に住む男たちの殆どが弓矢を扱い、剣を揮えるのはなにも狩りをしているからだけでは無かった。


 外からの侵略者との戦いを繰り返し、勇ましく経験を積んできたからこその賜物。


 そしてティアも例外では無い。


 女でありながら谷を知り尽くしたティアは幾度も戦いに身を投じていたのだ。


 カルセオが知らないだけで。


 幾ら上から攻撃する方が有利だとはいえ、谷へと降りる道は細い上に所々で切れて無くなっている。

 でっぱりに足や手をかけてよじ登ったり、下りたりしなければならない箇所がありそう簡単に進入を許すとは思えない。


 それでも。


 上から降り注ぐ矢の脅威や、隊列を入れ替わることもできない足場の悪い状況では逃げることもままならない。


 退くことも、進むこともできないのでは死を待つしか方法は無い気がする。


 矢を受けて苦しむ姿、斬りつけられて赤い血の花を咲かせる姿、足を滑らせて転落する姿が次々と脳裏に浮かぶ。


 どれも信じがたいほど現実味を帯びていてカルセオの腹が凍ったように冷えて硬くなっていく。


「くそっ、どうすれば」


 今ほど無力を感じたことはない。

 握り締めた指が己の掌に食い込んで血を滲ませても、ティアが受けているかもしれない傷に比べればたいしたことはないように感じる。


 大好きなこの谷を護りたい。

 そしてなによりも大切なティアとオーサの父娘を護りたいのに。

 竜族であるカルセオにできることはなにもないのだ。


 このまま黙って待つだけでいいのか?

 永遠に大切な人たちを喪うかもしれないのに。


「そうだよ――失うよりも悪い」


 戦うことはできなくとも身を挺して護ることはできる。


 護るだけならば。


 意を決してカルセオは外へ飛び出した。

 冷たい風が吹き下ろしてきて、剣戟の音と血の匂いを運んできている。


「急がねえと」


 手遅れになる前に、辿り着かねばならない。

 全身から力を抜いて風の軌道を読む。その流れに身を委ねればふわりと上昇し空を駆けることができる――――はずだった。


「なんだ!?」


 身体が酷く重く感じた。

 風を掴んで地を蹴ってもカルセオは浮くことすらできない。


「こんなこと、」


 漂ってくる血の匂いは濃くなっていくばかりで気ばかりが焦る。風を操る能力に長けている緑竜が飛ぶことができなくなるなど有り得ないのに。


 一体なにが起きているのか。


 竜族ではなく人族になりたいと願っていたからだろうか、と馬鹿な考えが頭を過るが即座に否定する。


 願うだけで種を変えられるなど聞いたことがない。

 他に原因があるはず。


「まさか」


 頭の芯がジリッと熱を持つ。

 身体に枯渇している力のせいで輪郭が曖昧になりそうになったのを思い出したからだ。


「そこまで残ってないのか」


 人の姿で空を飛ぶことすらできない程に。

 長居し過ぎたのだと後悔しても遅い。


「仕方ない」


 幼体だった頃のことを思い出しながら肩甲骨の辺りに意識を集中させる。


 不完全である本当に小さい幼体の頃は背に羽を生やして空を飛ぶ感覚を養うのだが、十を超える歳になれば羽など無くても飛ぶことはできるようになるのだ。

 だから背中に羽を出すなど随分久しぶりのことでその奇妙な感覚に体中が震えあがる。


 むず痒いような、少し痛いような心地は気持ちのいいものではない。

 ミシミシと音を立てて骨が蠢き、皮膚を引っ張るようにして突き出してくる。


 こんな姿を見られては化け物と恐れられても仕方がないなと自嘲気味に顔を歪め、どうか誰も来てくれるなよと願いながら醜い羽を晒す。


 薄い皮膜に覆われた不格好に大きな羽は蝙蝠の羽のようで気味が悪い。

 一打ちすると風が渦巻き、もう一打ちすると身体がふわりと浮いた。

 なんとも凶悪な姿だがこれでティアたちの元へと行けると言う安堵感が勝つ。


「うわっと」


 久しぶりなせいか制御が難しく、ふらふらしながら壁に激突しそうになりながらも何度か旋回して姿勢を保つ。


 コツを思い出しながら飛翔すると段々と危なげなく飛べるようになる。


 ぐんぐんと上昇しながら谷の上を目指して行くと身なりの悪い男が落下してきた。

 左肩から右脇腹まで傷を負い白目を剥いているので、気を失っているかすでに事切れた後だろう。


 見知った顔では無いので村の男ではない。


 ほんの少し視線を上に動かすと赤く濡れた剣を下げたオーサが懸命に谷の上を目指して進んでいるのが見えた。


 細い道の上での乱戦は侵略者よりも村の男たちの方がやはり有利に働いている。

 そのことに安心しながらも、待ち伏せされていた方へと急ぐ。

 屹立した崖は上に行くほど少し幅を狭めている。


 細長く切り取られた空は青く澄んでいて、その穏やかさとは裏腹に生臭い血の臭いが鼻についた。

 オーサたち加勢の者たちが戦っている場所よりも更に上までやって来たが、巫女もティアの姿もない。


 まさか落とされたわけじゃないよなと冷や冷やとしながら谷に上る最後の階へと飛んだ後で、森の入り口にある開けた大地の上に点々と赤く染める血だまりとその傍らに倒れている護衛たちの姿を認めて頭が真っ白くなる。


 だが巫女である女の姿はどこにもなく、同じ女であるティアの姿も見える範囲ではどこにも見つけられない。


 倒れているのはみな男ばかり。

 その事実が嫌な予感を孕み、カルセオの怒りを増長させていく。


「どこだ、どこにいる?」


 空中で眼光鋭く探っていると森の中から微かな女の悲鳴が聞こえてきた。


 ティアのものでは無い。


 か細くすすり泣くような声は憐れさを誘い、更に男の欲望に火を着けるのだとその声に主は気づかないのだろう。


「巫女か」


 女というよりもまだ年若い娘の悲痛な声を頼りにカルセオは谷の上に降り立ち羽を折り畳んで駆けた。

 巫女の護衛としての役目を預かっているティアはきっと護り助けるためにその傍を離れないだろう。


 娘を探せば自ずとティアに辿り着く。


 森の中には多くの気配と不穏な空気に包まれている。

 男たちの下卑た声や口笛の音があちこちから聞こえ、恐怖に狂乱している若い娘の声が切れ切れに森の中に響いていた。


 ティアの声はしない。


 本当なら巫女の口を塞いで黙らせたい所だろうが、そんな余裕がないのだろう。

 娘が取り乱して騒いでいるせいで居場所を覚られてしまうのだから。


 もしくははぐれているのかもしれない。


 盗人やカルセオと同じように娘の声を追っている可能性だってある。


 もしかしたら――――。


「今は、考えるな!」


 最悪の状況を予想し出した臆病な頭を無理矢理黙らせて、カルセオは茂みを飛び越えた。

 そこに潜んでいた野兎が驚いた様に飛び出してくる。

 野生の動物たちもいつになく騒々しい森に戸惑い怯えているようだ。


「きゃっ、いや!」


 止めてと抵抗している声が割と近くで聞こえた。


 左手奥の方。


 可愛らしい悲鳴に似つかわしい容姿の娘が蒼白になりながら男の腕に絡め取られている。

 後ろから抱きすくめられている格好でなんとか身を捩って逃げ出そうとしているが、その細さと華奢さでは男の丸太のような手から逃げることは不可能だろう。


「や、イヤ離して。お願い!」

「お願いだってよ。可愛いじゃねえか!もっと違うお願いをさせてやるよ。たっぷり可愛がって、もっともっとっておねだりさせてやる」

「いや!いや!誰か、助けて!嫌だってば!!触らないで!!」

「いちいち可愛い声出しやがる。誘ってんのか?誘ってんだろ?」


 がははと品の無い声で笑いながら男の無遠慮な右手が娘の柔らかな胸を掬い上げ乱暴に握りつぶされる。

 恐怖と痛みに悲鳴を喉の奥で上げ、娘が泣きながら腕を振りほどこうと爪を立てた。

 腰に回されていた手がスカートの裾を持ち上げて白く滑らかな腿に這わされ、首筋を厚い舌が舐め回す。


 性急さと荒っぽさに再度悲鳴を上げて泣き狂う娘はもう言葉にできない声だけで抵抗していた。


 カルセオはその距離を詰めて娘を助けようと動こうとしたが、それより早く動く影があった。


 鈍色の光りを弾いて男の首を斬りつけると、続けざまに胴を薙ぎ払い蹴りつけて娘を男の手から取り戻したのは紛れもなくティアだ。


 腰が砕けて立ち上がれなくなっている女の腕を掴んで引っ張り上げながら「しっかりしなさい」と叱りつけている。


 必ず助けは来るから、諦めちゃいけないと諭して娘を歩かせながら辺りへの警戒を怠らないティアは少し離れた場所にいるカルセオの姿を直ぐに見つけた。


「セオ!?」

「しーっ!でかい声出したら他の奴らに気付かれる」


 指を唇に当てて声を抑えるように伝えるとティアは小さく頷いて女を励ましながら近づいてきた。


「でも無事でよかった」


 小さな怪我はあるもののティアは元気そうで安心した。


「セオ、どうして」

「どうしてってあんまりだな。護りに来たんだよ」


 移動しながらせめて安全に身を隠せる場所がないかと探しているとティアが理由を聞いて来るので苦笑いする。


 人族の諍いに干渉してはならないという決まりがあることをティアも知っている。

 人族相手に戦うことのできない緑竜であるカルセオがこの戦場にいることを心配してくれているのだ。


「どうやって?」

「戦えずとも代わりに矢や剣を受けることはできるだろ?」

「そんなの、ちっとも嬉しくないよ」

「いいんだよ。喜んでもらえなくても。俺は俺の意思でここに来た」

「そんな決意いらない。もっと他のことで決断して欲しかった」

「そういうなよ。今は助かることを考えるのが先だ」


 こうやって小声で喋っていることすら危険である。


 ちらりと視線をやると娘はカルセオが来たことで随分と落ち着いたらしい。

 黙ってカルセオとティアの間を歩いている。

 無駄に悲鳴を上げたりしないので、男たちは今の所見失っていてくれているようだ。


「セオ、お願いがあるんだけど」


 沈鬱な声にその願いが聞き入れがたいものであることを予想して身構える。

 視線だけで促すとティアは小さく笑って巫女の細い肩を優しく抱いた。


「この子を村まで送り届けて欲しい。セオなら簡単でしょ?」

「はあ?なにを言い出すのかと思えば」

「あたしなら大丈夫。まだ戦えるし、独りなら振り切るのは容易い」

「お前な、仮にも女なんだぞ?解ってるのか?捕まったら」


 どうなるのか解りきっているだろうに。

 さっき娘が犯されそうになっていたのを忘れたのか。


「舐めてもらったら困る。あたしは最強の男オーサの娘だよ?あんな連中に負けるわけがない」

「ティア、だめよ。逃げるなら一緒に」

「申し訳ないけどセオの力じゃ二人も抱えて飛ぶのは難しい」

「なら、歩いて谷へ下りれば」


 娘が必死でティアを説得しようとしていたが、やんわりと頭を振られて拒否される。


「村への道は狭いし、今守り手たちが攻防を繰り広げている。邪魔にしかならない」

「でも」


 守り手として戦ってきた経験からティアは女の浅はかな案を易々と否定して行く。


「あんたが無事に帰ることが重要なんだ。盗人を蹴散らした後で巫女が祈りを捧げられないのは困る。今年の風送りは絶対に成功させたいんだ。良い思い出を悪い記憶で消したくないからね」

「ティア」

「あたしは護衛なの。巫女を護るのが仕事。だからね、気にせずに行きなさい」


 泣きながら娘は俯く。


 気にするなと言われて気にしない女がいるとは思えない。

 特に同性同士だ。


 残されたティアがどうなるのか、先程受けた仕打ちがその若い身体の中で恐怖として未だに残っているのだから。


 勝手に決めてそれを実行しようとしているティアをきつく睨みつけた。


 到底承服できないことだった。

 なんの為にここへ来たと思っているのか。

 だから素直な気持ちで「置いてはいけない」と首を振った。


「セオ」

「だめだ」


 これだけは譲れない。

 置いて行けるわけがない。

 それが何故解らないのか。


「俺にしかできないんだろ?お前を幸せにすること」


 憤ったまま口にした言葉にティアは驚いたように目を丸くして「随分と自惚れてるね」と困ったように笑う。


「俺はティアにもオーサにも幸せになってもらいたい。ここまで来たのはティアが命を張ってでも護りたい女だから来たんだ。その相手を置いて別の女を連れて逃げるなんてこと、この俺ができるわけがない」


 竜族にそれを望むなど酷なことであると解って欲しい。


「だから、無理だと言われようとも二人を抱えて飛ぶ」

「ちょっと、無茶言わないでよ」

「うるさい。黙って任せろ」

「はあ!?」


 頓狂な声を上げたからか、それとも今までの会話が聞こえていたのか。


 「見つけたぞ!」という男たちの声と足音が近づいてくる。

 放たれた矢が風を切って飛んでくる音がして、カルセオは背中の羽を広げて大きく前後に動かした。


 風圧で矢が逸れ、森の木々が揺れる。


「セオ、その羽――――!?」

「うるさい。力が底ついてんだ。ちょっと気味が悪いが我慢しろ!」


 驚いているティアとあまりの異形に慄いている娘が揃って足元をふらつかせたので腕を伸ばして引き寄せる。


 空へと飛び立つための羽ばたきではなく、矢と男たちの侵攻を止めるためのものなので若干強く風が吹くように打ちつけているのでよろめくのは仕方がない。


「ばか。気味悪いわけないじゃん」


 ぎゅっとしがみ付いてきたティアが耳元で小さく囁いた気がしたが今はそのことを言及する暇はなかった。

 二人を抱えて飛ぶなど大見得を切ったが、途中で力尽きて失速し落下という最悪の場合も考えられる。


「お前ら他の悪人どもにも言っとけよ!この谷は風の竜が守護してるってな!簡単に落とせると思ったら大間違いだ!!一昨日きやがれ!!」


 更に二度激しく羽を打ち鳴らして男たちが転倒し、完全に身動きができなくなったのを確認してから上下に動かして風を呼んだ。


 従順な風は二人分の重みを抱えたカルセオの身体を押し上げて空へと誘う。

 流石にいつもの速さは出ないが、矢の届かない高さまで上れれば問題はない。


「絶対落とさないが、暴れたりすればその保証はできない」

「解ってる」


 明確に事態を理解しているティアは左手でしっかりとカルセオに掴まり、右手で巫女の身体を抱えるようにして頷く。


 巫女は目をぎゅっと瞑ったまま小刻みに震えて恐怖をなんとか誤魔化しているようだった。

 ゆっくりと羽を動かして風に乗ると後はそう難しいことはなにもない。

 逆らわず飛び、速度を落として高度を下げて行けばいいのだ。


 問題はどこまで力が持つか。


 今にも竜に戻りそうな状態のカルセオの腕には鱗が浮き、三本の指と鉤爪が女たちをしっかりと支えていた。

 風に流されないように態勢を整える役目をしているのは尾てい骨から生えている尻尾だったし、いつもより風を感じ音が良く聞こえるのは耳が引っ張られて伸びているからだ。


 見た目も顔もかなり変わってしまっているだろう。


 自分ではどんな風になっているのかは見えないが、しっかりとこちらをみつめている碧色の瞳には醜い竜の姿が映っているに違いない。

 それでもティアの真っ直ぐな目は常と変らず、蔑みも恐れもないのだ。


 嫌われずに済んでいる。


 それだけがカルセオの崩れそうな心を支えていた。


「セオ?大丈夫?なんか、失速してるけど――――」


 不安そうなティアの声にはっと我に返る。

 谷を半分ほど下降した辺りで意識が飛んでいた。

 そのせいで制御が上手くいっていなかったようで、ぐんぐんと大地に引きつけられるように落ちて行く。


「拙い……!」


 これでは十分な減速ができず着地に失敗する。

 安全に、というのは最早できない程に地面は近い。


「仕方ない。竜の巫女と長には厳しく罰せられるだろうが、」


 これしか方法は無かった。


 元よりもう余力など無いのだから。


 そもそも大地に叩きつけられて死んでしまえば巫女と長にもカルセオを罰しようがないだろう。

 里の両親や友、仲間の顔を思いだし、そして風の谷に住む人々の顔を続けて思い浮かべる。

 そして腕の中のティアのこと、世話になりっぱなしのオーサのことも。


「ティア、どうか嫌わないでくれ」


 どんな姿を晒そうとも。


 ティアは小さく、だがしっかりと頷いて「嫌わないよ」と涙で目を潤ませる。

 初めて会った時以来久しぶりに見る涙だった。


「一度だってセオのことを嫌ったことなんてないから」

「そうか…………」

「セオ、あたしセオが好き。ずっと好きだった、諦めようとしてもできないくらいに」


 恋の告白を聞きながらカルセオはそれに答えることはできなかった。


 既に身体はカルセオの意識とは関係なく膨張を始め、人型である輪郭が歪んでいたのだ。

 緑色の粒子が身体から溢れ、大きく強大な生き物へと形を変えていく。


 グリュライトで竜の姿になるなど思ってもいなかったが、想像していたよりも心は自由で躰は巨躯であるにも拘らず軽かった。


 筋肉と脂肪の上に硬い皮膚と鱗が覆い、温かな臓器を守ってくれる。

 そしてそれはきっと腕に抱えた小さな女たちも護ってくれるだろう。


 死ぬことはないかもしれない。


 それでも力を失ったカルセオは再び空を駆けることも、人型に戻ることもできないのだ。


 里に帰ることができなければいずれ死ぬ。


 異変に気付いた緑竜の里から迎えが来てくれればいいが、決まりを破ったカルセオに救いなど与えられることはないだろう。


 これも悪くない。


 この風の谷の一部になる。

 いずれ朽ち果て自然に還ることができるのならば永遠に別れずに済むのだから。


 相当な衝撃を背中に受けて翼が折れた。

 地面を横滑りして鱗が剥がれ羽も捥げる。

 それでも腕の中の二人を落とさぬよう力を入れて、痛みと動きが止まるまで根気強く待った。


 ――――セオ!セオ!大丈夫!?お願い、目を開けて。


 呼ぶ声は遥か遠くから聞こえているかのようだったが、カルセオはそっと薄目を開けた。

 霞みがかった視界の向うで泣きじゃくりながら鼻面にしがみ付くティアがとても小さく映っていた。


 竜と人ではこれほどに体格差があるのだと改めて思う。


 これではもう手を繋げない。


 風送りに誘うこともできないな、と笑ってみたが口が微かに動いて凶悪な牙がちらりと見えただけだった。

 それでも鼻先に抱きつくティアの温もりと涙の冷たさは感じられる。


『泣く、な』


 嗄れたざらついた声はティアに届いただろうか。

 一筋目尻から涙が零れて、ティアの髪や服を濡らした。


 ――――セオ、どうしたら力が戻るの?どうしたら、セオの力になれるの?教えて!


 懇願されてもカルセオも解らない。

 これほど力を使い果たしたことはないのだから。


『いいんだ、これで』


 竜であることを悔いて無力を嘆いたカルセオにとって、最期をこの地で迎えることができればそれで十分な気がした。


 そっと目を閉じて、吹く風を感じながら意識を手放す。


 もう二度とこの地を離れずに済む。


 それでいいのだと。






 穏やかな風が吹いている。


 谷には祈りが満ち、竜がたてる気持ちよさそうな寝息さえ聞こえてくるようだ。

 風の谷には緑竜の守護があると実しやかに近隣に響き渡っている。

 そして猛然と戦う男たちとその中に勇猛に弓や剣を扱う女のことも風に乗って噂が広まっていた。


「母さん!」


 まろびながら駆けて行く銀の髪の子供は岩壁を下りてくる母親の姿を見つけて歓声を上げる。


「おい、転ぶぞ」


 気をつけろと声をかけるが聞いてなどいない。

 久しぶりに会う母親に甘えようと必死なのだろう。


「エメル、久しぶり。大きくなって」

「母さん、元気にしていた?」

「エメルこそ元気にしていた?あなたの父さんはちゃんと面倒見てくれてる?」

「それがさぁ、あれもダメ、これもダメってうるさいんだ。母さんみたいに俺強くなりたいのに」


 胸に飛び込んできた幼い我が子を抱き抱え、頬擦りすると優しく微笑み父に対する不満に耳を傾ける姿は遠く離れて暮らしているとは思えないほど仲睦ましい。


 嫉妬するほどに。


「エメル、帰ったか」


 母の後ろから祖父が下りてきてその肩に乗っている大鹿を揺すり上げて、孫の帰省を喜んだ。


「うん!今年の風送りも祖父ちゃんの獲物なの?」

「いや、今年はお前の母さんの獲物だ」

「本当に!?一体何を狩ったの?」


 小さな掌を母の頬に当てて目を丸くして瞳を覗き込むエメルは明日の祭事に供えられる供物の獲物を尋ねる。


「内緒。明日のお楽しみ」

「え~?ずるい」

「さあ、ほら下りて。父さんとも挨拶させて」

「うん、いいよ」


 素直に飛び降りて祖父の足元に纏わりつくエメルは、今日の狩りの様子を聞きたがっていた。


 いずれは祖父と母と共に狩りをするのだと楽しみにしている息子は、飛ぶことを覚えるよりも弓矢や剣の扱いに熱心になっている。


「お帰り」


 いつものように谷を訪れたことを歓迎して手を伸ばしてくるので、エメルに手を焼いているのだと言えなくなる。


 大切な我が子。

 だからこそ手をかけ、愛情を注いで育まねばならないと思っている。


「また風送りの季節が来たから、愛しい伴侶を祭りに誘いに来た」

「うん、嬉しい」

「またあの緑の衣装を着てくれるか?俺のために」

「もちろん」


 あの日死にかけていたカルセオを助けてくれたのは愛しい伴侶であるティアの機転だった。


 古い風を送り新しい風を招く祭事を最後まで続けることで、谷に祈りと今までにないほどの風が吹き込んだ。

 そして枯渇していたはずのカルセオの身にじんわりと力を与えてくれたのだ。


 この谷はいつでも与えてくれる。


 愛しい女性も大切な家族も。

 そして変わらぬ第二の故郷を。


「愛してる。永遠に」

「あたしも」


 絡めた指に思いを籠めて囁かれる愛の言葉は感謝の言葉でもある。


 諦めないでくれたこと。

 そして愛し続けてくれたこと。

 今も変わらず想ってくれること。


 その全てに。


 臆病なカルセオに呆れず、真実の愛を与えてくれるティア。


「信じ続けると誓う」


 この谷に風が吹いている限りティアの愛も想いの強さも変わらないと。

 ずっと傍にいられなくても気持ちは通じているから。


 緑竜の里とこの谷に吹く風は繋がっている。


 だから寂しくはない。


 こんな風に続けていく家族の形もありなのだと今なら思える。

 変わらないものも確かにあって、愛は変化しながら絆を強くしていくのだ。


 ずっと愛を風に乗せて送ろう。

 この谷に満ちるように。


 優しく。


 穏やかに。


さて緑竜カルセオの物語が終わりました。

色々な困難を乗り越えて手にした幸せは他の竜たちとは違った形になりましたが、ずっと彼らしい選択のような気がしています。

これで六色の竜族たちのお話が終わりました。

ですがもう数話お付き合いください。


次回は白竜レンの物語。

メイの決断とそれを尊重できない彼の葛藤を描きます。

もしよろしければ次の話まで見守ってくだされば幸いです。

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― 新着の感想 ―
[一言] カルセオの、カルセオらしいお話だった! 嫉妬深い竜族の中では、かなり大胆な決断だったんではないだろうか。ティアの村の立地もあるんだろうけど、二人や家族がより良い方法を選んで信じていけることが…
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