二日酔いと女たち
若い男女は歌い踊り、遅くまで楽しげな雰囲気がさざめいていたが月が谷の向こうに見えなくなってからはその数を減らし徐々に静かになっていく。
女たちは途中でこれから二日間続く祭りのために早めに帰宅し、男たちは車座になって飲み明かした。
カルセオも谷の男たちに飲まされて前後が解らなくなるくらいに酔っぱらっていたが、その中にティアもおり平然とした顔で深酒をしていたので酒に強いのは父であるオーサに似ているのだろう。
うつらうつらとしている中ではいつ日が昇ったのか定かではないが、地面に横たわったまま目が覚めた時には既に昼近くだった。
「うー……頭痛ぇ」
それどころか喉が渇いて仕方がない。
呻きながら起き上がろうとするのだが、その度に頭が重くガンガンと痛んで動く気力さえなくなってしまう。
「情けないね、あれくらいで酔っぱらっちゃうなんてさ」
「……止めてくれ。声を落とせ。頭が割れる……」
顔を顰めて耳を塞ぎながら懇願したが、ティアは大声で笑い飛ばしその場にしゃがみ込んだようだった。
ひんやりとした掌が額に触れ、その心地良さにほうっと息を吐くと「ほら、これ飲んで」と促され薄目を開ける。
突き出された木の椀にとろりとした液体が入っているのは解ったが、それを受け取ることすら億劫で小さく頭を振って拒絶した。
その途端にくらりと眩暈がして吐き気がする。
「うぐっ」
「しっかりしなよ。セオは昨日吐き戻す程の食べ物は食べてないんだから、逆にくるしいだけ。これ飲めばすっきりするから」
ほら速くする!と急き立てられ、カルセオは渋々右手で椀を掴み不精にも寝転がったまま液体を口にした。
ほのかに甘いのは花の蜜とすりおろしたコチリを混ぜて作られているからだろう。
甘酸っぱいような爽やかな飲み物は吐き気を増長させるかと思ったが、意外にも胃の中が治まったようでむかむかとしていた症状はゆっくりとなくなっていった。
頭の重さはそのままだが、これは酒が身体から抜けてしまえば治るのでじっと我慢するしかない。
「水場で顔洗ってきたら?それから家に帰って身体を拭いて着替えて寝たらいい」
「……そうする」
湧き出ている冷たい水で顔を洗えばもっとひと心地着くだろう。
その魅力的な提案にカルセオは気怠い身体をのそりと起こすとティアが「その調子」と笑いながら励ましてくれる。
「お前はもう、着替えたのか」
起き上がった先に膝を抱えて座っていたティアは昨夜着ていた緑の服を脱いで、いつものシャツとスカートに戻っていた。
それを残念に思いながら呟くと、呆れたような顔で「当然でしょ」と返してくる。
「あたしだけじゃなくみんなも一旦帰ったよ。寝てたのはセオだけだけどね」
「……面目ない」
「今まで放置されてたせいで、村の女全員に無防備な寝顔を見られてたよ。ちょっとした大騒ぎだったんだから」
「お前ら、悪趣味だな」
酔っぱらって引っくり返っているカルセオを谷の女たちは心配もせずに見物に来ていたのだという。
しかし大騒ぎになっているのなら起きそうなものだが、寝ているカルセオの顔を見て忍び笑って離れた所で騒ぎ立てていたのだろう。
本当に趣味が悪い。
「なかなかこんな美丈夫が寝ている姿を見られる機会なんかないからね。今年の風送りは例年にないくらい盛り上がったよ。セオのお陰で」
「嬉しくない……」
一方的に見られていたということが不公平でならない。
しかも酔っていたのだからだらしない顔で寝ていたわけである。
「俺はもう二度と風送りには参加しない」
膝に手を当てて慎重に立ち上がりながら決意を表明するとティアが「え!?それは困る」と激しく動揺した。
何故だと視線で問うとほんの少し頬を膨らませて目を伏せる。
「だって、楽しかったから。また来年もセオと参加したいなって思ってたのに」
「来年は他の男と参加すりゃいいだろ?」
この村には可愛い女もたくさんいれば、気の好い男も陽気な男もたくさんいるのだ。
中には好青年で猟の腕前もなかなかな人物もいる。
適齢期を迎えている男女は多く、祭りの高揚もあってか多くの恋人が誕生したようだった。
今までティアは風送りの宴席には参加していなかったようだが、これから積極的に出るようになれば素敵な男と結ばれることは十分可能だろう。
飲み会の席でティアにそれとなく言い寄っている男は確かにいたのだから。
特に昨日着ていたワンピースはよく似合っていて、その姿に改めてティアの魅力に気づいた男もいたようだ。
「そもそも勿体無いんだ。お前はオーサ似の美人だし、気立ても悪くない。まあ、ちょっと跳ねっ返りなのが玉に瑕だが、それすら切り離せないティアの魅力の一部だしな。ちゃんと着飾って、笑いかけてやればどんな男だって――おい?どうした?」
いつの間にかティアは抱えている膝の上に顔を俯け、スカートの裾をぎゅっと皺になるくらいに握り締めていた。
その手がぶるぶると震えていて、もしかして泣いているのかと動転して声をかけたのだが「うるさい!」と怒鳴られる。
大声に頭が揺れて治まったはずの吐き気を催し、慌てて口元を抑えたが逆流してくる水分は留まらずに溢れてきた。
顔を横向けて嘔吐するカルセオを碧色の瞳が恨めしそうに見上げてくる。
そりゃそうだろう。
せっかく持ってきてくれた飲み物を全て戻してしまったのだから申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「…………悪い」
「うん。そうだね。セオは本当に酷い」
なにもそこまでとは思わないではないが、甘んじて謗りを受け止める。
口元を拭って自分が吐き出して汚れた地面を掃除するべきかと悩んでいると後ろからぐいっと背中を押された。
「ここは掃除しとくから、顔洗って家に帰って寝て」
「でも、」
「酔っぱらってるやつがなにをしても二度手間になるんだから、おとなしく言うとおりにして」
「ほんと悪いな」
「いいから、速く行って。邪魔だよ」
後頼むと言い残していわれるがまま水場へ向かって歩き出し、角を曲がる直前で振り返る。
ティアは近くの家から桶と水を借りてきてそこに撒き、木の枝を束ねた箒で擦っていた。
世話になりっぱなしであることを反省し、詫びる気持ちでいっぱいになった胸を抱えて辿り着いた水場には多くの女たちが集まっていて少々気後れする。
先程寝顔を見られていたとティアから聞いているのでかなり気まずい。
「あら、セオ。おはよう」
「昨日は谷の男たちに飲み潰されたみたいで大変だったわね」
「そうそう、竜族に飲み比べで勝ったってうちの旦那が自慢してた」
「うちも」
クスクス笑いで迎えられ、カルセオは一番隅っこの方で小さくなりながら水を両手で掬う。
女たちの視線が生暖かい。
大変居心地が悪い。
「でもティアが護衛以外で祭りに参加したのは初めてだから、それはセオのお陰だわね」
「ほんとほんと。お手柄よ、セオ」
「あの衣装とても似合ってたし、なんにんかぼうっと見惚れてた男もいたし。あんまりぼやぼやしてるとティア持ってかれちゃうわよ」
祭りへとティアを連れ出してくれた功績を誉めながら、何故か危機感を煽られてカルセオは返答に困る。
どうやらオーサ同様にこの谷の連中はカルセオとティアをくっつけようと画策しているようだ。
「いや、だから、ティアの気持ちが、だな」
しどろもどろになりつつもなんとか答えると女たちは目を丸くして「えー!?」と姦しく騒ぎ立てる。
「なにいってるのよ!セオが誘ったから祭りに参加したのよ?ティアの気持ちなんて解ってるでしょ?」
「そうそう。今まで誰が誘っても断ってきたのに、ティアの一途さに気付かないなんて鈍~い」
「ねえ?五年間も片思いしてたセオに誘ってもらったティアの気持ちを考えたら泣けるわ」
「おいおい!」
この場に本人がいないからといってここまで明け透けにばらされてはティアの立場も無いだろう。
色々と問題がありそうな内容に思わず耳を疑いそうになりながら、今聞いたことは聞かなかったことにしようと自分に言い聞かせる。
確かに五年間も思っていてくれていたと聞いて鼓動が速くなり、嬉しい反面恥ずかしいような居た堪れないような気持ちにもなった。
人を介して伝えられた想いに期待して、傷つくのは御免だ。
「本当にセオは竜族なの?時々忘れちゃうわ」
「ねえ?見た目だけなら十分竜族なんだけど、中身や言動が今いち竜族っぽくない」
「その自然体な感じがまた堪らないんだけどね。ティアがいるから」
「そうそう。みんなティアには幸せになってもらいたいんだからね」
「…………勝手に言っててくれ」
うんざりしながら顔を洗い、乱暴に服の袖で顔を拭うと嘆息を洩らす。
人の噂に左右されるほど子供では無い。
「あー、可愛くない。私たちはセオにも幸せになって欲しいって思ってるんだからね」
「頑張りなさいよ。少しは」
「女心を解りなさいっての」
女は好きだがこんな風に複数の女に囲まれて責められるのは苦手だ。
やはり口では女に敵わないし、結局は女には弱く甘い。
女心が解っていれば伴侶探しで苦労などはしないし、ティアの秘められた想いに指摘されずとも気づけていただろう。
「帰って、寝る」
明確な答えを返さぬまま逃げ帰るカルセオを女たちは胡乱な目で見たが、誰も引き止めようとはしなかった。
きっと二日酔いのせいで酷い顔色をしていたからだろう。
頭痛と気分の悪さに感謝しながら背を向けて家への道を辿り階段を上って戸を開ける。
カルセオのために用意されている居間の端に置かれた寝台にごろりと横になると更に酔いが回ったようだった。
「…………気持ち悪い」
目を閉じてもぐるぐる回る視界の中でカルセオは不安定に揺れていた。
女たちはティアが五年間もカルセオのことを好きだったというが、そんな素振り全く無かったと思う。
それともそんなはずはないと思いたかったのか、無意識で見て見ぬふりをしてきていたのかもしれない。
ティアはそんなに器用な女ではない。
素直で正直な性格をしている。
そうなるとやはり考えられるのはカルセオの方に意気地がなかったのだろう。
この居心地のいい場所を失いたくなくて、甘えていた。
卑怯だ。
確かにティアが言うように酷い雄である。
詰られても仕方がないな、と眠りに落ちながら苦笑し、次どんな顔をしてティアに向き合えばいいのかと狼狽した。
つい先ほどまで寝ていたにもかかわらず眠りの波は静かにカルセオを誘って行く。
深く、穏やかに。
だがカルセオが目覚めた時ティアは既に護衛として出発していた。
つまり驚くべきことに丸一日寝入っていたことになる。
「お前、一体なにやってんだ?」
呆れ顔のオーサに開口一番そう言われ返す言葉も無く項垂れていると、大きな掌で頭を撫でられた。
「ま、風送りにティアを誘ってくれたから上等だ」
「そんなことくらいで誉めるのか?」
酒がすっかりと抜けて逆に腑抜けた感じになっている身体は気を抜くと輪郭がぼやけてしまいそうだ。
人としての形を留めることができず、本来の竜としての姿へと戻ってしまいそうな危うさがあり「潮時だな」とぼんやり思う。
そろそろ里へと戻り身の内に力を充足させねばならない。
理性が飛ぶ程の飢餓感ではないが、意識せねば人の姿でいられないというのは随分と枯渇していることを意味している。
余力のあるうちに戻らなければならない。
人族の世界で竜の姿になることは禁じられている。
徒に人族を怯えさえ、恐がらせてはならないという配慮からだ。
そして人化をしている容姿がいくら魅力的でも、本性である竜の姿を見た後では伴侶になってもいいと思ってくれる女はいないだろうという危惧もあった。
「風送りが終わったら、里に帰るわ」
「……そうか、残念だ」
別れを惜しみながらも竜族のことを理解してくれているオーサは無理に引き止めたりはしない。
ティアと一緒になって欲しいと願っていたのだろうが、今まで伴侶探しへと旅立つカルセオを責めたり辛く当たったりもしたことがない。
そしていつでも快く迎えてくれる。
その優しさと大らかさがカルセオを支えてくれていた。
伴侶探しという孤独と焦りに加え痛みを伴う旅を今まで続けて来られたのは、きっとこの風の谷の存在とオーサとティアのお陰だと思う。
「感謝してる」
いつも。
旅立つのが毎回苦しい。
人族であったなら、この地に定住できたのに。
そうしたらなにも考えずに安心してティアと一緒になれたのに。
「ここでは竜ってのは無力だと、いつも気付かされる」
邪魔者で、厄介者で、幸をもたらさない者。
人族の世界に度々訪れる異物。
天災のような存在。
「人も無力だ。変わらない」
「オーサが無力なわけがないだろ。それだけの腕を持っときながら」
「いや。無力だ。娘のためにできることがなにひとつないんだからな」
愛する妻の忘れ形見。
自分の面ざしを受け継いだ可愛い娘であるティアのため、できることがないのだとオーサが無力を訴える。
自然にある獣と戦い、日々の糧を得る力強い父も我が子の幸せの前には無力だというのか。
「もっと俺を嗾けて、恩を着せて強引に逃げられなくしちまえばいいのに」
そうはしない。
オーサは結局カルセオに選択権を委ね、逃げ道を用意してくれている。
今までの付き合いの中でオーサには脅しつけてティアを娶らせることができるほど大変世話になっている。
頼まれれば嫌だとは言えないのも事実。
「おれに言われたから一緒になったなんてティアが知ったら確実に殺される」
おどけた様に肩を竦めオーサは歯を見せてにやりと笑う。
顎髭に包まれている厳つい顔だが、造形は整っており凄みがある男前だ。
妻に先立たれた可哀相な男に粉をかけてくる女もいるようだが、亡くした妻の想いを今でも大切にしている所は一途であり、そこもまたティアに受け継がれているのだろう。
「それに普通五年間も叶わない相手を思ったりしないだろ。だからティアの気持ちも、セオの気持ちも尊重してやりたい」
実直なオーサは娘の幸せを思うように、カルセオの幸せも望んでくれている。
互いが納得しないままの婚姻を由とはしないのだとその碧色の瞳は力強く伝えてきた。
「おれがいうのもなんだが、ティアは良い女だ。そんじょそこらの女とは比べ物にならないくらいに。強く、美しく育ったと思っている」
「ああ……」
「ただ頑固だ。セオ以外とは添い遂げたくないらしくてな。このままじゃ独り身のまま最期を迎えるだろう。おれだって孫を見たいし、この腕に抱いてあやしてやりたい」
それだけは覚えておいて欲しいと請うのでカルセオは頭を抱えて呻く。
今回の滞在でカルセオが決心しなければ、この話は二度と蒸し返されることはないだろう。
オーサもティアも今まで通り次にまた訪れた時には笑顔で受け入れてくれる。
変わらぬ態度で。
それが解っているから辛い。
カルセオもティアには幸せになってもらいたいし、オーサには可愛い孫を抱いて欲しい。
それをできるのがカルセオだけだというのが問題なのだ。
何故俺なんだとティアを責めて、他にも相応しい男などいたはずだと腹を立てる。
その癖カルセオだけを求めてくれているという喜びと優越感に激しく心を揺さぶられて。
強く揺さぶられたのは心だけでは無かった。
「大変だ!オーサ!セオ!」
突然玄関の扉が強く叩かれ、切羽詰った声が何者かの訪いを告げる。
立ち上がったオーサが扉を開けると汗だくになった男が息を乱して立っていた。
「どうした?」
「盗人たちが、巫女を!」
「なに!?」
「護衛のひとりが、血だらけで戻ってきて、」
急いで駆けてきた男が手短に状況を伝えるとオーサは表情を引き締めて素早く腰に剣を佩き、愛用の弓と矢筒を持った。
「おれが加勢に行く。お前は村を頼む」
「ああ」
男がしっかりと頷いたのを確認すると、勢いで腰を浮かせていたカルセオをじろりと睨みつける。
「セオはここにいろ」
「でも!」
「お前は戦えないだろ。人族が相手では」
「く、」
的確に弱点をつかれカルセオは言葉に詰まる。
オーサが扉を出て行き、事情を知らない残された男が何故一緒に行かないのだと顔だけで責めていた。




