祭りが始まる
祭りを迎えた谷には華やかで賑やかな空気が流れている。
良い匂いのする料理や酒を綺麗な色の布を纏った女たちが笑顔で給仕し、男たちは広場に集まり談笑しながら楽しんでいた。
「ティアを誘え」と言われた手前カルセオは隙を見て何度も誘おうとしたのだが、祭りの準備に忙しいティアは声をかける度に面倒臭そうな素振りを隠しもしない。
そのせいで結局誘えぬまま当日を迎えてしまっていた。
非常に情けない。
カルセオは谷の浮かれた雰囲気とは逆に気分を落ち込ませ、家の窓から広場の様子を見下ろしていた。
無責任に嗾けていったオーサは昨夜から前夜祭だと意気揚々と出かけて行き、そのまま祭りに参加している。
そしてティアは夜中に戻ってきて疲れ果て眠っていた。
「これを三日三晩ってんだから恐ろしい……」
祭りの前準備から考えると大変な手間と時間がかけられており、この村の人々が“風送り”にどれほど力を入れているか解ろうものだ。
それほどみんなが風を大切に想っている。
それが嬉しくて堪らないのは自分が緑竜だからだろう。
風を思うようにカルセオを受け入れてくれている。
「ありがたいね、ほんとに」
「んー……なにが、ありがたいって?」
目を擦りながら居間に入ってくるティアは帰った時のままの服装だった。
あまりにも疲れすぎて着替えはおろか、服を脱ぐのすら億劫だったのだろう。
しわしわのスカートとシャツという格好はだらしないが、欠伸を噛み殺す様子にそれを指摘するのは難しい。
「これだけ風を大切に想ってくれてんのが、ありがたいなって思ったんだよ」
「は、今更?」
「そうだよ。悪いか。風送りを見るのは始めてなんだからよ」
大目に見ろと反論すればティアは「くあ」と大口を開けて欠伸をする。
聞いているのかいないのか。
判然としないが火の消えている暖炉へと近づき、熾火を使って火を起こそうとしているのを見て
「おい」と慌てて声をかける。
「なに?」
「なにって……祭り、行かないのか?」
「行かない。あたしの仕事は最終日の護衛くらいだし、それまではゆっくりするのが通年通りだから」
祭りに必要な女手は料理と酒を振る舞い、男たちと楽しく会話をすることらしい。
ティアに求められているのは護衛の仕事であり、それ以外は自由時間なのだろう。
ここでも男勝りを発揮して、女としてではなく男手として求められているのが少々悲しい。
「あー……そうか、なら」
一緒に行かないかと誘うのは簡単だ。
簡単なはずなのに毎年ゆっくり過ごしているのなら邪魔するのもなんだな、と勝手に決めつけて諦めようとする。
臆病なカルセオは一番親しい異性であるティアに断られることを避けようとしていた。
それなのに「なに?はっきり言いなよ」と強い眼差しで促されてしまい、逃げることができなくなる。
「ああ、うん。一緒に、どうだ?ほら、俺初めて参加するから作法とか儀礼とか解んないし、失礼があったら困るだろ?お前が一緒に来てくれれば心強いっていうか、なんだ、だからだな」
しどろもどろになっていくカルセオを冷たい視線で見つめた後、ティアはゆっくりと長い嘆息を零した。
「…………もっと格好よく、爽やかに誘いなよ。セオは竜族でしょ?女を口説くのなんか寝ていたってできる癖に」
「悪かったな。格好良くも、爽やかでもなくて!」
照れ隠しで声を荒げるとティアが眉を下げて苦笑いをする。
暖炉の前に座っていた姿勢から腰を上げて立つと、皺だらけのスカートを整えて何故かもう一度ため息を吐いた。
「ま、相手があたしじゃ仕方ないけどさ。どうせならもっと可愛い子を誘ったらいいのに」
その声があまりにも自信無さ気で、いつものティアらしくない。
村に可愛い子は確かにいるが、気負わずに自然体で喋れるのはティアだけだ。
不慣れな祭りに気を遣いながら参加するなど、楽しめる訳がなかった。
「きっとティアとの方が楽しい」
「え?」
「聞こえなかったのか?野生動物の押し殺した呼吸も、気配も、足音も聞き取るお前の耳が?」
丸まった瞳が徐々に緩んで困ったように細められた。
首の後ろを掻きながらティアは少し俯いて、再び座り込んで暖炉に向き直る。
断られたのだと肩を落として外へと視線を反らすと、楽しげな音楽が鳴り始めた。
空は薄墨を溶かしたかのようにゆっくりと夜を招いている。
広場の中央に置かれた祭壇の上にオーサが仕留めた獲物が果物や野菜、魚などの供物と共に供えられていた。
あちこちに置かれた篝火に火が入れられる。
中央の広場から少しずつ広がって行く炎の灯りが集落を優しく照らして行く。
「あたし、準備してくる」
「ん?」
カルセオが振り返るよりも速くティアはばたばたと自室へと走り去って行った。
どうやら暖炉に火を起こそうとしていたわけじゃなかったらしい。
熾火は灰をかけられ静かに眠りについている。
「意外と、」
可愛い所もあるのだと思ったがそれは口には出さずに心の中にしまっておいた。
また聞きとがめられて機嫌を悪くされては困る。
折角行く気になってくれたのに。
オーサとの約束を破ることにならずに済んでほっとしながら、ティアと共に参加する祭りという祭事に胸を弾ませる。
人族の祭りに参加する竜族というのもなんだか不思議だが、彼ら特有の行事だけに興味津々だ。
まあ一番大切なのは最終日の巫女の祈りなのだから、それまでは宴席で酒を飲んだり料理を食べたりするだけらしいから村人たちと親睦を更に深めるいい機会になるだろう。
音楽を奏でる者たちを中心にして若者たちが手を取り合って踊っている。
表情までは解らないがとても充足した明るい雰囲気が遠く離れたこの場所まで届いていた。
ガタン――――。
突然大きな音がティアの自室の扉の向こうで聞こえた。
なにかにぶつかったかのような音だったが、その後痛がる気配もなく静まり返っていたので少々不安になる。
もしかして打ち所が悪かったのかと危ぶみながら窓から離れて「ティア?どうした?」と声をかけるが反応は無い。
「ティア?大丈夫か?怪我でも――!?」
頑丈なティアが転んだり、ぶつかったくらいで動けなくなるとは思えないが心配が募って戸を開けた。
合図も無しに開けたことを胸中で謝罪しながらも、部屋に踏み込むとティアが慌てたように「や、ちょっと待って!開けないで!入ってこないで!」と叫んだ。
「――――ティア?」
鮮やかな緑の布が床の上にふわりと襞を作っている。
随分と薄く繊細な織りのその布は薄暗い部屋の中でも淡く発光しているように見えた。幾重にも重ねられた布を辿って行くとその中央にこちらに背を向けたティアがいて、なにかに怯えているかのように肩を震わせている。
襟ぐりが大きく開いているようで、いつもは襟付きのシャツに隠れている美しい首筋が顕になっており、そのことが酷く心細いのか弱々しくこちらへと向けた横顔の目元が潤んでいて目を瞠る。
「驚いた……」
正直な感想だったがティアは否定的に捉えたらしい。
「悪かったね!どうせ似合わないよ。でも母さんが残してくれた衣装だから、」
「待て、待て。誰も似合ってないとはいってない。見違えたんだ。あまりにも綺麗で」
「…………ウソだ。そんなお世辞いらないよ」
「世辞ならもっと上手いこという。俺は竜族だぞ?世に誉れ高い女たらしの」
全く信じていないティアにおどけたように肩を竦めて見せると、少しだけだが笑ってくれた。
「さあ、行こうぜ。お嬢さん」
気取って手を差しだすとティアが顔を顰めて「気持ち悪い」と辛らつな言葉を返してくる。それでも手を重ねて来たので、きゅっと掴んで引き立たせてやった。
緑の布が頼りなく揺れる。
薄布を重ねて作られたワンピースは腰の所を同色のリボンで結んでいるせいでティアの細さを強調していた。
五年経って成長したと思っていたが、やはり痩せっぽちの身体は筋肉をつけても変わっていない。
「……なんか、どうしたらいいのか解らなくなる」
こんな服初めて着るからと動揺しっぱなしのティアがおかしくて。
可愛くて。
「そういう経験も積んどかなきゃいけないんじゃないのか?」
「…………そうかもね」
「俺も初めての風送りだし、初めて同士仲良くやろうや」
なんとなく手を繋いだまま部屋を出て玄関へと向かうと、外へと出る前にくいっと腕を引かれた。
振り返るとティアが頬を赤くして目を反らし「誘ってくれて、ありがと」と消え入るような声で呟く。
「こちらこそ、一緒に行ってくれてありがとな」
「うん」
今度は速攻で返事が来た。
その素直さに相好を崩してカルセオは肉刺だらけの硬い掌を握り締める。
抱き寄せた所で蕩けそうな柔らかさはないが、弾力のあるしなやかな感触はティアでしか味わえないだろう。
ちらりと開いた胸元へ視線を走らせると、鋭いティアは直ぐに気付いて後ろから握った拳を腰に叩きつけてくる。
「いってぇ!」
「女の胸を無遠慮に見るからだよ!」
「いや、だってな。つい」
期待したがやはりそこには慎ましい膨らみしかなかった。
そこさえ育てば男も放っておかないだろうに残念である。
「いったはずだよ!筋肉じゃない肉は無駄肉だって!」
「その主張は聞き入れることはできない。小さいことが悪いんじゃない。ただ努力をだな」
「うっるさい!」
ようやくいつもの調子が出始めたようで、カルセオのそわそわとした気持ちも落ち着いてきた。
ずんずんと大股で進みカルセオの横を通り過ぎると、今度は逆にティアが手を引いて歩き出すような形になる。
折角の可憐な衣装だが、その方がティアらしくていい。
階段を下りて広場へと出ると村人たちは既に出来上がっており、酔いの回った陽気さで大声で笑って歌っている。
騒々しいが楽しい。
その中に自分もいるのだと思うと自然と心が浮き立って行く。
種は違えどもこの地に縁を持った仲間だと彼らが歓迎してくれていた。
それが嬉しくて。
カルセオは込み上げてくる感情に涙腺を刺激され、泣くまいとして眉間に力を入れる。
それに気付いたティアが「なにしてんの?」と笑って手を伸ばして額を撫でた。
幸せだといったら笑うだろうか。
初めて竜族では無く人族として生まれたかったと切望したことを打ち明けることはできない。
誰にも。
だからそっと胸の中にしまい、カルセオは大きく息を吸う。
いつも風が吹き抜ける谷の空気は美味い。
染みわたる温もりと強さに心を満たして。
祭りが始まる。
風送りの祭りが。
そしてカルセオの運命も。
そんなことなど、露とも知らず。




