提案
「なんだよ、ティアがまだ子供だと思ってたのか?」
杯をぐいっと煽り飲み干した後でカラカラと笑いながらオーサが身を乗り出してカルセオの肩を思い切り叩いた。
骨が折れるほどではないが肘まで痺れて杯を持つ手が震える。
「子供だとは思ってなかったが、想像以上に歳がいってて驚いたな」
「同じ事だろ」
「いや、違うだろ」
一緒だと主張してオーサは顎髭をひと撫でした。
空になっている器に透明の液体を注いでやると、それも一息に飲んでしまう。
「でかくなったのは上背ばっかりで、大事なとこは育ってないからな。そう思われても仕方ない」
自分の娘のことだというのに仕方がないと片付けて、カルセオの手から酒の入った壺を引っ手繰ると並々と注いで旨そうにまた飲んだ。
「あんまり飲むと明日に響くんじゃないのか?」
明日は大物を狩るのだといっていたから、夜が更けティアが寝たのを見計らって相手をしろと酒を持ち出してきたオーサにあまり深酒をさせては怒られてしまう。
何故止めなかったのだと叱られるのが解っていても、上機嫌に飲んでいるのを見るとなかなか引き際を見つけられずにいた。
「いいんだよ。息子が半年ぶりに帰って来てるんだ。こんな時くらい飲ませろ」
「オーサ……」
竜族であるカルセオを息子と呼んで憚らないオーサは、五年前に比べて衰えるどころか更に脂が乗ったように見える。
娘と谷を渡り、過酷な猟をする生活は彼にとって充実した日々のようだ。
「お前、…………本当におれの息子になる気はないか?」
だが浴びるように飲んでいた杯を止めて、舐めるように飲み始めたオーサが突然そんなことを言い始めたので驚いて目を丸くする。
娘と同じ碧色の瞳を真っ直ぐに向けられて動揺していると「お前嫁さがしは上手くいってるのか?」と問われた。
「上手くいってたらここには来ない。伴侶ができたら里で暮らすし、今までのようにはここにも来れないから」
“今までのように”とはいったものの、用も無いのにグリュライトへと頻繁には来られなくなる。
きっと伴侶を得たならばこの谷には来られなくなる。
そんな気持ちの余裕も、谷のみんなに依存する必要もなくなるからだ。
勝手だ――――。
そんなことを自分の都合で考えるのだから。
第二の故郷と思いながら、状況が変われば簡単にこの谷を捨てることができる。
こんなにも彼らのことが好きなのに、まだ見ぬ将来の伴侶が現れればその気持ちは変わってしまうのだ。
今までと同じ重さで彼らを、この谷を好きだと思えなくなる。
そんな日が来てしまうのが恐い。
できれば永遠に来なければいいと思うが、それではカルセオは伴侶を得ることができない。
愛を知らぬまま生きるのは惨めだ。
そして寂しすぎる。
「なんだ、薄情だな」
詰るようなオーサの声に申し訳ない気持ちになる。
「悪い……」
「謝るな。そういう性なんだろ?竜ってのは」
解っていても受け入れて納得できるかは別である。
それはカルセオよりもオーサたち人族の方が強いはずだ。
「もしお前の嫁にティアを迎えたとしたら、それでもここには来られなくなるのか?」
「ちょっと、冗談は――――」
止してくれと笑いながら見たオーサの顔は真剣で、冗談をいっているような雰囲気ではなかった。
中途半端な気持ちや言葉で誤魔化すことはできないと瞬時に覚り、カルセオは持っていた杯を覗き込んで一気に煽る。
喉を焼くような強い酒が頭の芯をくらくらとさせ、舌を麻痺させた。
それをいいことに黙ったまま、オーサの言葉を何度も心で反復させる。
大丈夫だ。
もしもの話をしている。
仮定として考えて、それに答えればいいだけだ。
難しく考えるな。
「――――その場合でも、そうなる」
「そうなのか?どうしてだ?」
これほど竜族の世界に関して知ろうと努力してくれるのはオーサぐらいなものだろう。
顔を突き出して真剣に聞いてくるので、苦笑いしながらカルセオは説明をする。
「通常は伴侶を伴って里へと帰ったら拠点はあっちだ。伴侶が故郷へ帰ることができないのに、夫である俺だけが自由に行き来してたら上手く行くもんもいかなくなっちまう」
だからこそ伴侶を得たら竜族は里から出なくなる。
帰りたくても帰れない妻の傍でその時を過ごす。
「なんで嫁は里帰りできない?それができれば親も安心して竜の里へ嫁がせてやれる」
「そりゃそうだが……」
互いの誤解や不安が解消され関係が良くなれば、竜の花嫁になってもいいといってくれる女は増えるはずだ。
だがなにも意地悪で帰さない訳ではない。
その理由は種の違いであり、それ故の対応策なのだと説明しても人族は理解出来ないだろう。
「簡単に伴侶ができるようになれば、竜族にとっても悪い話しじゃないと思うんだが」
「オーサ、竜はみな恐いんだよ」
「おいおい、最強と謳われる竜がなにを恐がるっていうんだ?」
首を竦めて怪訝そうに眉を寄せるオーサを納得させる自信がない。
それでも彼なら解ってくれるかもしれない。
愛する女性を喪っているから。
普通の人よりは竜の気持ちが。
「人は変わる。見た目も、気持ちも」
「それは、」
なにか言いかけたオーサを右手で制して止めさせる。
強い酒精が口の中に残っており、舌が思ったように動かない。
もしかしたら酒だけでなく、自分の弱い部分を口にするのが嫌だったのかもしれないが。
「竜族はひとりしか愛せない。愛したら最後、失ったら永遠に孤独をこの身に受けなければならないんだ。竜の愛は真実ひとつだけ。だが人は違う」
その愛は真実だが、ひとつだけではない。
限りある竜とは違い、他の者を愛することができるのだ。
だからこそ里の中でも伴侶を他の竜と会わせるのを嫌う。
女を惹きつけるため優れた容姿をしている竜たちなのだから、親しくさせて他の雄に気を移されては困る。
勿論伴侶のいる竜は余所に目移りなどしないが、伴侶のいない若い竜は違う。
夫のいる女に手を出すことは禁忌とされているが、それでも魅力的な若い竜に優しくされれば女の方がその気になってしまうこともある。
女性に求められて拒める若い竜はなかなかいないだろう。
だからこそ里に嫁いできた女たちに滅多なことでは竜たちは近づかない。
竜が嫉妬深いこともあり、いらぬ諍いへと発展することも珍しくないからだ。
「結局、真実の愛といいながら信じ切れないのではそれを真実と呼べるのか?それに里へ連れて行った所で心が休まらないんじゃ互いが疲れ切ってしまう。通い夫じゃだめなのか?」
真顔でそんなことをいうのだからカルセオは面くらってしまう。
全然酔っていないことはオーサの明瞭な言葉と鮮明な瞳を見ればよく解る。
「だから、竜は嫉妬深いんだよ。見てない所で自分の大切な女が他の男に狙われてるかもしれないなんて想像しただけでも頭がおかしくなる」
「面倒だな。じゃあ住まいをこっちに据えろ」
「里に帰らずに理性を保てる竜は少ない。それに胎に子ができたら、こっちでは産めない」
「そん時だけ向こうに行けばいい」
「ああ、もう簡単に言ってくれる!だいたい竜の幼体はグリュライトでは成長できない。里の源を糧に育つんだ。そうなると母親と離れてでかくなる。それは互いにいいことじゃないだろ?」
もちろん絶対不可能ではない。
五歳でグリュライトへ行き、無事に成体へと至った個体もいるのだから。
「オーサはそれを母である女に要求できるか?」
子供の成長を傍で見られないとはあまりにも惨い。
「お前こそ難しく考えすぎだ。ティアは二十三にもなって嫁に行く風でもないだろ?お前が放っておいたって、あれに言い寄ろうって男はまずいない。子供もお前が連れてここへと訪ねて来ればいい。それなら通い夫でも問題ないだろ」
「――――っ、なんでそうなる?オーサはティアを俺の嫁にしたいのか?」
「ああ。だからさっき聞いただろ。本当の息子になる気はないかと」
質問の意図が漸く解ってきた。
オーサは娘を手元に置いたまま婚姻してもいいという相手を探しており、ティアが自分を偽らずに添い遂げられる男を求めていたのだ。
「嫌か?」
「俺が嫌とかいう問題じゃないだろ?ティアの気持ちを無視してするような話じゃない」
「娘のことはおれが一番よく知っている。問題ない」
「いやいやいや!あるだろ、十分」
「やかましい。とにかくお前は風送りにティアを誘え。いいな」
「はあ!?ちょっと、待て」
「明日があるからおれは寝る。じゃあな」
自分の言い分を言ってしまうとよっこらしょと立ち上がり、カルセオの戸惑いと不安を他所にさっさと居間を出て行く。
取り残されたカルセオは壺を引き寄せ、混乱した頭のまま手酌で酒を飲み考えることを放棄した。




