優しく 軽やかに
「セオが風送りの時期に来るなんて珍しい」
一歩でも足を下ろす場所を間違えれば地面に真っ逆さまとなる高さと足場の悪さの中でも平然とした顔でティアは谷の上を目指して歩き続ける。
時折身体を煽るようにして強い風が吹き抜けるが、そのたびに重心を低くしてゆっくりと進んで行く後ろ姿は頼もしい。
「そういや、そうかもな」
あまり意識していなかったが、ティアがいうようにこの谷に新たな風を呼び込む“風送り”の祭事の季節は里に帰っていることが多かったように思う。
「まー……あれだ。人族の祭りに竜族が参加するのはちょっと図々しすぎるだろ?」
「なんで?」
きっと無意識下で遠慮があったのだ。
人族が行う祭事や行事は特別なものであり、そこに自然に対する崇拝や人々の結束を強固なものにする意味あいが含まれている。
そこに余所者である竜族が混じるなど許される訳がない。
だがティアは心底不思議そうな顔をして「なんで?」と問う。
「なんでって、聞くお前の方がどうかしてるんじゃないか?」
「だって、風送りは古い風を送り出し新しい風を招くお祭りだよ?緑竜であるセオにも深い関わりがある祭事なのにダメって方がおかしい」
きっとみんなもカルセオの参加を喜んでくれるはずだと笑うティアの言葉に谷間に小さく見える集落を振り返る。
水場のある広場と僅かな草地の場所に囲われている家畜の姿。岩壁に建つ変わった形の家々。
そしてそこに暮らす温かな人達。
「……本当にここは緑竜に甘い」
「だってみんなセオのことが好きなんだ。仕方ないじゃん」
ティアが楽しげに声を上げて背中に担いだ矢筒を揺すり、柔らかな長靴に包まれた足を先へ先へと送って行く。
猟をする際にはティアは男物の服を着る。
スカートでは谷の上り下りで煽られることも少なくなく、動きづらいからだと言っていた。
長い髪も無造作に束ねて布でぐるぐる巻きにして頭部自体を見えなくしているので、見た目は成長途中の少年のように見える。
身長だけはひょろひょろと伸びているが、肩幅はやはり女なので広くはない。
だがしなやかな筋肉に覆われておりがっしりとしていた。
生成りの衿付きシャツに鞣した革の分厚いベストを着たティアは跳ねっ返りでは無く、最早精悍ささえ湛えた男前風である。
色気は無いが父親に似た凄みのある美人顔。
だからこそ勿体無いと思うのだが、女らしくしろといわれて素直に従うような女ではない。
無理して女らしく振る舞った所でそれはティアではなく、いつでも全速力で駆け、全力で自然と向き合い狩りをするその在り方でなくては彼女は彼女らしくいられないのだろう。
「お前、本当に行き遅れるぞ?」
「余計な御世話だよ!大体強くなれっていったのはセオだ」
「なんだぁ?俺のせいか?」
「当然、セオのせい。父さんのように強くなれっていった責任がある」
そんな出会ったすぐの頃の話を持ち出されても困るが、あの時交わした何気ない会話を覚えていてくれたことが嬉しい。
彼女の中でも忘れがたい思い出として刻まれているのだ。
「無理矢理食べさせようとしたことも忘れてないからね!」
途中で足を止め腰をぐいっと捻って上半身だけこちらに向けたティアの顔には笑みが浮かべられている。
言葉尻は強く怒っているように聞こえるのに、ティアの意思を無視して強引に食事をさせようとしたことすら今では楽しい記憶として残っているのだと解った。
「……本当に人族の成長は早いな」
ついこの間まで痩せっぽちの少女だったのに、五年も経てば生意気な口も身体も成長する。
自分がそれほど変わっていないことに焦りばかりが増して行く。
「いっとくけど、乳の成長は期待しないで欲しい」
「そこ、頑張れよ」
面に出していないつもりでもティアには伝わるのか、わざと深刻な顔をして胸の話をし始める。
その心遣いが嬉しい反面情けなくもなった。
年下のティアに気を遣わせているなんて。
苦笑いして努力を促せば、けろりとした顔で「頑張って大きくなるなら苦労はしないよ」と返す。
「なんだぁ?少しは苦労してみたのか?」
気にしていないように見えていたが、ティアも年頃の女だ。
己の胸の寂しさに少しは悩んでいたのかもしれない。
「いや、別に?広いグリュライトの中でひとりくらいは胸が小さい女でも構わないっていってくれる男がいるかもしれないじゃん」
「まあ、なぁー……。そういう男もいるかもしれん」
「でしょ?あたしをあたしのまま丸ごと認めてくれる男じゃなきゃ嫌なんだ」
跳ねっ返りで、男勝りで、胸は小さいが締まった良い身体をしている、そんなティアをそのまま愛してくれる男。
確かにそれくらい器のでかい相手でなければティアの夫にはなれないだろう。
「普通の夫じゃ狩りに行くなんて、許してくれないだろうしな」
「そういうこと」
再び前を向いて歩き出したティアの少し先には谷の上へと出るための階があった。
喋りながら上って来たが、そう時間もかけずに上りきってしまうティアの脚力はやはりすごい。
もちろん体力も。
息も切らさずに上るなど女の身では難しい。
きっとあの日約束したように「強くなる」ために色んな努力をしたのだろう。
カルセオが谷を離れて伴侶を探している間にティアは夢を叶えるため、約束を守るために生きてきた。
母親の死を乗り越えて。
その強さには本当に頭が下がる思いだ。
カルセオは未だに女の一挙手一投足に一喜一憂していちいち取り乱して傷つくのだから。
それは繊細さではなくただの臆病風。
熱しやすく冷めやすい性格なのは、本気になった後の喪失が恐いからだ。
夢中になる前に自分で自分に自制する。
卑怯だ。
純粋に夢を追い求め、努力を怠らず一生懸命にその身を削るティアは会うたびに眩しく輝きを放つようになっている。
行き遅れるという心配は必ずカルセオの杞憂に終わる。
余程カルセオの方が貰い損ねたまま一生を終えてしまいそうだ。
「もう少し、ゆっくり大きくなって欲しかったな」
少女のまま。
しかし五年の歳月は残酷なほど少女を大人へと変貌させる。
中身は変わらないのに。
あの頃のまま純粋で、強い。
「ああ、もう!その辛気臭いおっさんの発言なんとかならないの!?あたしとセオはそんなに歳離れてないんだからね!!」
聞こえないだろう呟きはどうやら耳の良いティアに届いてしまったらしい。
階を上り切り、谷の頂上に立つと柳眉を逆立てて勢いよく振り返って来た。
そのあまりの剣幕に押されながらもカルセオは素直に答える。
「だってお前今年十九――――」
「ウソ!?なにそれ!一体いくつからセオの中であたしの歳止まっちゃってるわけ!?」
「――――そういや、お前がいくつかはっきりとは聞いてない気がする」
初めて会った時の様子から十三か四くらいだと思っていたのでそろそろ適齢期の年頃になっただろうというくらいの認識だった。
それでも少し歳を上乗せて考えていた方なので、カルセオとそう変わらないと聞いて驚く。
「信じらんない!あたし今年で二十三なんだから!!」
「はぁ!?それこそ嘘だろ!!初めて会った時お前十八だったのか!?有り得ん!それはないだろ!」
ということは初対面の時すでに適齢期だったことになる。
だがあの細さ、華奢さで十八は有り得ない。
「うっさい!今も昔も発育不足で悪かったね!!」
愕然としているカルセオに怒鳴りつけてティアは肩を怒らせて森へと向かっていく。
ピリピリとした空気を纏って話しかけるなと全身で言っているので声をかけ辛くなってしまった。
謝るのも違うだろうし、言訳をしたところで更に怒りに火を着けることになりかねない。
ここは黙ってほとぼりが冷めるのを待った方が得策だ。
「ま……確かに、オーサがでかすぎてティアが必要以上に小さく見えてたってのもあるけど」
きっと母親の病を心配するがあまりティアの食は細くなっていたに違いない。
そうでなければあれほど痩せていた理由が思い浮かばなかった。
猟をしているオーサの腕前は見事なもので、食べるものに困るといったことはなかっただろう。
長いこと患っていたと聞くから心労もかなりあったはずだ。
「悪いことしたな……」
全面的にカルセオが悪いわけではないのだが、自分の年齢をはっきりと言わなかったティアやオーサにも落ち度がある。
だが竜族に娘が婚姻可能な年齢だと伝えることを躊躇う気持ちも解った。
「でも二十三で独身って」
まずくないか?という言葉は飲み込んだ。
ずんずんと森の奥へと進んで行くティアの姿は木々に隠れて見えなくなりつつあるが、獣の小さな気配や足音すら聞きつける耳である。
失敗を繰り返す愚行は避けたい。
迂闊な言動をしたくなかったので、いつもは共に森に入るが今日は黙って谷の上で待つことにした。
オーサも別行動で森に入っているが、なにも父娘だけが猟をしているのではない。
祭りが近いこともあり谷で暮らす人々は供物を捧げるため多くの男たちが森へと繰り出していた。
「風送りか……」
どんな祭りなのだろうか。
聞くところによると三日三晩酒宴が開かれ、最終日には巫女に選ばれた娘が護衛を連れて谷へと上るらしい。
そして祈りを捧げる。
風を送り、風を呼ぶ。
常に心地いい風が吹くこの谷が人々の祈りで満たされる。
「壮観だろうな」
楽しみだと思いながら、参加しても良いものかと迷う自分がいる。
グリュライトでは厄介者と煙たがられ、恐れられるだけの存在である竜族。
快く迎えてくれるこの地の人々に甘えて依存しているのは危険なことであるような気もして。
それでもまたここへ来てしまう。
風が呼ぶのか、人が呼ぶのか。
それとも。
「俺の心が行きたいと叫ぶのか」
寂しさに耐えかねてカルセオはここへ逃げ込む。
温かい人たちに癒して貰いに。
やはり狡い。
いつかはここへは来れなくなるから、今だけは。
もう少し。
そう願うカルセオの頬を風が撫でて行く。
優しく、軽やかに。




