父娘
上背もあり鋼のような筋肉がついたオーサはまるで山のような、と表現した方がしっくりとくる。
だがその娘であるティアは痩せてひょろりとしているせいか頼りなさばかりが目についた。
ずっと泣いているせいもある。
めそめそと目を擦って食事も採ろうとしないことに段々と苛立ってきたカルセオは木の匙を奪い、細い顎をぐいっと掴んで開かせると無理矢理口に野菜の煮込みを突っ込んだ。
「むー!ぐ、やだ。食べたうにゃい」
吐き出そうと舌を蠢かせ、ジャリングを口の端から落とそうとするので「うりゃ!食え!」と怒鳴りながら匙で奥まで入れ込むと次は吐き出させまいと掌で押える。
ボロボロと涙を零しながらティアは腕だろうが首筋だろうが構わずに爪を立てて暴れた。
途中で椅子から落ちてカルセオも道ずれになり落下するが、踏み潰さないようにだけは注意して飲み込むまで手は退けるものかと意地でも押さえつける。
床に転がったティアは手だけでなく脚や身体も使って抵抗するが、成体である竜族に力で勝てるほど少女の身体は頑強では無い。
貧弱な腕で胸を押されようが、顔を引っ掻かれようがたいした威力はなかった。
「いつまでも泣いてたって仕方ねえだろ。泣いて母ちゃんが帰って来るなら幾らでも泣かせてやる。でもお前にはまだ父ちゃんが、オーサがいるだろ?」
「う―――っ」
ごくりと喉を鳴らして口中のジャリングを嚥下した後でなにか言いたそうにしていたので、そっと手を除けてやる。
ティアは碧色の瞳に諦めの色を滲ませて悔しげに顔を歪めた。
「そんなこと、解ってる。余所者の竜なんかに言われなくても」
「解ってんなら困らせんな。癇癪起こして暴れるほど子供じゃねえだろ」
「癇癪じゃ、ない!食べたくないのを無理矢理食べさせようとするお節介の竜がいるから」
暴れて抵抗したのだと言うのでにやりと笑い身体を起こして床に座ると、ティアの頭をぐりぐりと乱暴に撫でる。
「お節介で悪かったな」
「…………ほんと迷惑」
のそりとティアも起き上がり、口元をぐいっと拭う。
そしてテーブルをじっと見つめて、なにかを考えているようだった。
「貸して」
おもむろに手を伸ばして来てカルセオから匙を奪うと座面に腕を着いて腰を上げ、するりと尻を滑らせて椅子に座った。
それから猛然と食事を始めたのでカルセオは「なんだぁ?」と驚きと戸惑いの声を上げたが、余所者である緑竜に答える義務はないとばかりに無視を決め込まれてしまう。
あれほど食べるのを渋っていた癖に皿の中のものを全て食べ尽くすと、暖炉の鍋へと歩いて行って皿を山盛りにして戻ってきた。
ティアは泣きながら匙を口へと運び、味わうことよりもただ料理を飲み込み腹へと入れることが重要であると言わんばかりだ。
「理解不能だわ」
お手上げだと嘆いていると出かけていたオーサが戻ってきて、料理をかき込んでいる娘の姿を見ると穏やかに笑む。
「立ち直ったようだな」
「立ち直った?これで?」
意味が解らないと首を傾げるカルセオに男は立派な髭をひと撫でして口を開いた。
「ここでは人が死ぬと谷の上へと葬る。それを獣や虫が食べ、太陽が浄化し、風と雨が躯を風化させ、やがて土へ混じり森を育む。人は自然から命を繋ぎ、生かされている。だからこそその命が尽きた時、自然へと還るのが道理だ」
解るかと強い眼差しを向けられて小さく首肯する。
道理であるかどうかは解らないが、その感性は理解できる。
「魂はあるべき場所へと逝き、そして肉体はあらゆる自然の中へと溶け込んで行く」
「つまり、死は永遠の別れでは無い?」
「ま、そうだな。自然の中に形を変えて存在するともいえなくもないな」
魂の在るべき場所とはどこなのか。
それは誰も知らない。
見たことが無いからだ。
「物を食べるという行為は生きたいと渇望する本能だ。ティアは生きることを選び、食べることで自然と繋がる」
「だから“立ち直った”か」
ティアが必死で口に料理を運んでいるのは悲しんでばかりはいられないと気づいたからだろう。
そして自分は独りでは無いと思い出した。
「そういうことだ。忘れちゃいけないのは“生かされている”ってことだ」
“生きている”のではなく“生かされている”。
その違いはなんだろうか。
カルセオにはまだ難しい。
そしてきっとティアにも。
過酷な自然の中で生きる彼らの独特の感覚を余所者であるカルセオに理解して欲しいとまでは思っていないようだ。
ただ知っていて欲しいとその穏やかな瞳が告げる。
「さてと、今日は鹿狩りに行ってくる」
矢筒と矢を手に掲げて見せて夕方までには戻るとオーサは再び出かけて行く。
その大きな背中をじっと見つめてティアは「いってらっしゃい」と呟いた。
小さな声は寂しさが滲んでいて、振り返った父が眉を下げて力強く頷く。
そして扉を閉じる前にくるりと身を翻して大股で娘に歩み寄ると分厚く大きな掌で頭を優しく包み込む。
ゆっくりと動かされる手には深い愛情が込められていて、見ているカルセオの胸まで温かくなる。
「いい子にしてるんだぞ」
「……あたしはいつだって、いい子だ」
さっきまで食べたくないと駄々をこねてジャリングを吐き出そうとしていた同じ口で良く言う。
呆れているとオーサが弓を持っていた手の指を自分の唇につけて申し訳なさそうに笑った。
それは「言わんでやってくれ」という意思表示。
だからカルセオは小さく頷いて了承する。
「じゃ、行ってくる」
「ああ、気を付けて」
出て行くオーサは戸口を出る時に頭をぐっと下げなければいけないほど大男だ。
それなのに歩く気配も足音もせず、無駄な動作ひとつない。
急な崖を獲物を担いで難なく移動するだけでなく、危うい足場を渡るその速度は驚くほど速かった。
屈強で勇ましい男。
それでも妻の死別の際は人目も気にせず泣ける男。
「すげーな。お前の父ちゃん」
竜族から見てもその人柄と姿勢は尊敬に値する。
扉の向こうに消えた父親の姿を追って意識を途切れさせていたティアが感嘆の声を聞きつけて戻って来た。
「父さんは最強だから。竜にだって負けない」
その自信たっぷりの口振りがおかしくてカルセオは破顔する。
父親を誇れるのはいいことだ。
ティアの中では父が負ける姿など想像することもできず、また負けることなど有り得ないと思っている。
「なんだぁ?竜族の強さ甘く見んなよ。でも、確かに勝てそうにないわ。オーサには」
「あたりまえじゃん!」
鼻の穴を膨らませて主張するティアは痩せっぽちだが心の気高さは父親譲りのようだった。
ティアが扉をじっと見ていたのは寂しいから傍にいて欲しいと思っていたからでは無い。
その顔に一緒に行きたいと書いてある。
「強くならなきゃな」
「なに?いきなり」
強くならなきゃならないのはティアだけではない。
伴侶探しに倦んで、人を恐いと逃げているカルセオ自身も人のことはとても言えなかった。
「最強の男の娘がいつまでも泣いてたら格好悪い」
「――――っ、もう泣いてない」
「はは。だな。ティア強くなれ。父ちゃんのように」
大きく。
そして優しく。
「あたりまえだ。あたしは父さんと一緒に谷を歩いて狩りをするんだから」
それがティアの夢なのだろう。
碧色の瞳には悲しみを乗り越えた者だけが持ち得る強さがあった。
「できるさ、お前なら」
眩しくて目を細めカルセオは少女を励ます。
そしてその姿に勇気を与えられて本来の自分を取り戻した。
「もう逃げねえ」
「逃げてここまで来たの?」
不思議そうな顔のティアに少々ばつが悪くなる。
詳しく聞かれては困るので「色々あるんだよ!」と誤魔化せば「ふうん」と適当な相槌を打たれた。
それはそれで悔しい。
だがティアは再び食事に向かいながら一言「ま、頑張りなよ」と返してきた。
その気の抜けた激励にカルセオは何故かひどく背中を押された気がしたのだが、礼をいうのも恥ずかしかったので「おう」とだけ返事をしたのだった。




