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竜の花嫁たち  作者: 151A
喜びの雨
37/48

意味と覚悟


 翌日は快晴で例によってもれなくニスはやんわりと家から追い出された。


 夜通し情交を重ねて途中でナタリーに見守られながら安らかな眠りに落ち、今朝も前回同様目覚めた時に彼女の姿は隣に無かった。

 訪ねて来る前に他の男と性交していたはずなのに、先にニスの方が果てて寝落ちした上に朝も早く起きているなど、どれだけ体力があるのか。


 今回も信じがたい思いでナタリーを見たが、疲れていない訳では無いことはその顔を見れば解る。


 恋人では無い男に寝顔を見られないようにすることに拘っているのか。

 彼女なりの矜持というか意地なのかもしれない。


 雨上がりの心地のいい早朝の道を歩きながらニスは空を見上げる。澄み渡った空は薄青くその色はナシスの瞳と同じ色をしていた。


 他の女の家に泊まった帰り道に別の女のことを思い出している自分の不誠実さにほとほと嫌気がさす。


 ニスになら騙されても良いと生真面目な顔でいうような娘だ。

 どんな男でもそこまで好意を寄せられたら悪い気はしないだろう。

 しかしニスのどこに惹かれるところがあるというのか。


 ナシスは昔助けてくれたという青竜への感謝と憧れをこじらせて、若い娘特有の期待と夢に胸を膨らませて恋という想像の感情を抱いているに過ぎない。


 決してニス自身に恋愛感情を持っているわけではないのだ。

 叶わなかった幼い恋に身代わりとして同じ青竜であるニスを求めている。


 そのことに酷く憤りを覚えるが、また同時に愛しいと思う気持ちもあるのも事実。


「このようなこと、真っ当では無い」


 見返りとして誰とでも寝るような女と、身代わりとして青竜のニスに恋する娘、そしてそれを拒めずどちらも欲しいと思う欲深い自分。


 恥ずべきことだ。


 女たちが、では無くニス自身が。

 一番悪いのは中途半端である己だろう。


 ナタリーは豊かな生活をする為に、ナシスは女性経験の豊富なニスに初めてを委ねて大人へと成長したがっている。


 十八歳で経験の無い娘は友人たちから蔑まれることがあると聞いたことがある。

 だからこそナシスは必死で、羞恥を堪えてニスを煽るのか。

 ならばそれに応えれば、ナシスは満足してニスから離れて行くのかもしれない。


「――――身勝手な言い訳だ」


 自分の手で純血を汚したいと思う卑怯な欲望と、目的を果たした後でナシスがさっさとニスを捨てて去って行くかもしれないことに対する失望とで引き裂かれそうだ。


 ズクリと痛む胸にナシスの澄んだ印象はあまりにも辛すぎる。

 まだ大人の女のように駆け引きで火遊びをする相手ならばニスもここまで取り乱すことは無かっただろう。


「やはり、面倒だ」


 経験の無い若い女は扱いが厄介だ。

 自分の中でも気持ちに安定を欠くのだから。


 ぬかるんだ大地を進み広場へと出ると早起きの鳥の声が響いていた。

 湿気を含んだ風が吹き、長椅子に目を転じるとそこにナシスが座っている。

 両拳を腿の上に乗せて汚れた靴先を睨んでいる姿は傷ついているようにも、怒っているようにも見えた。


「…………ナシス」


 ふとナタリーの声で「覚悟はできてる?」と注意を促された気がしてニスは緊張しながら名を呼んだ。


 ナシスはひどくゆっくりと面を上げて、青ざめたままこちらを向く。

 泣きはらした目元と失望に沈む水色の瞳がニスの中途半端な覚悟を打ち砕き衝撃を与えた。


 昨日一日会わなかっただけでその顔は様変わりしている。


 色を失った顔には憔悴があり、ふっくらとしていた頬がげっそりとやつれて見えた。

 活き活きと輝いていた瞳もお喋りな唇もなりを潜め、くるくると変わってニスを楽しませていた豊かな表情も消え失せている。


 ナシスを形作っていた魅力的な要素が根こそぎ失われ、そこにはなにも無くなっていた。


「――――すまない」


 思わず口からついて出た言葉にニス自身が驚く。


 特別に付き合っていたわけでも、将来の約束をしていたわけでもないナシスとの関係はニスが取った行動は裏切り行為に等しくても激しく詰られる筋合いでは無いのだ。


 それでも打ちひしがれた様子に、ナシスをここまで追い詰めたのは自分であるという罪悪感に苛まれぬ男がいるとしたら教えて欲しい。


「………謝罪したということは、自分の罪を解っているということですよね?」

「ああ。多分」

「――――多分?呆れた」


 口を歪めて笑ったナシスの右目からポロリと涙が零れる。

 それを綺麗だと思ってしまった自分の感性を呪う。


 自分の言動ひとつで娘の感情を揺るがせられることに愉悦を感じている暗い自分の存在を疎ましく思いながら快く受け入れている自分もいる。

 相反する感情はニスの中で嵐を呼び起こし、波打つ感情に翻弄されるしかない。


 ある意味、ナシスにも溺れているのだろう。


 自嘲気味に笑うニスを咎めるように娘は「なにを笑っているんですか」と眼に険を籠める。


「確かに私にはニスさんの行動に対して口出しできる権利はないです。でも、好きな人が他の女の人の所に泊まって朝帰りするなんてことを納得するなんて、できない」


 握り締めていた拳に更に力を入れたせいで白くなっている。

 頬は興奮のために朱が射しており、その対比がまた眩しくニスの目を焼く。


「私は子供だし、そういう意味ではニスさんを満足させることできないから我慢しようって思ったけどできなくて、知っていて知らないふりをしていつも通り振る舞うこともできないから、卑怯だけどこうして待ち伏せして、」


 責め立てている、そのことを酷く後悔しつつもそうするしか己の気持ちを抑えられない幼稚さに腹を立てているのだ。


 彼女ナシスは。


 若いから真っ直ぐで、自分の気持ちごともろにぶつかってくる。

 善かれ、悪かれ正直だ。


「どうして、求めてくれないんですか?そりゃ私ではその気になんかなれないでしょうけど、私の気持ちは本気だし、受け入れられるだけの心の準備はできていて――――」


 ナシスの正面に立ち、上半身を倒しながら両手を椅子の上に乗せる。

 丁度腕と腕の間に挟まれる形になった娘は震える唇を噛み締めて気丈にも睨みつけてきた。


「覚悟は、できているのか?」


 初めてを竜に捧げることを。

 そして男を誘うことで失うものや痛みを。

 恐怖に泣き叫んで途中で止めてくれと言われてもできぬことを。


「好きなんです、あなたが」


 ナシスの告白を信じられずニスは「何故だ?」と問う。


 意地悪な言葉に一瞬怯んだナシスが肩を震わせて「憧れていた青竜に抱き締められたり、口づけされれば意識してしまうのは当然です」と答える。


「そこにあなたの愛が無くても、心惹かれて好きになってしまう」

「お前は特殊なのだ」


 普通の女ならば竜族というだけで恐れる。

 憧れよりも先に種族が違うことを恐れ、永遠の愛を求められることに恐怖するのだ。


「青竜に助けられたことがあるから、竜族を好意的に見過ぎる」

「それは――――そうかもしれません。でもこの気持ちは偽りではなく本物だと私には解ります」


 本気で竜族を愛する女などそうそういないのだ。


 しかも本気で口説いたわけでもない若い娘が、ただ青竜というだけでニスに入れあげるということが理解できない。


 誠心誠意ニスが心と言葉を尽くして得たものではないのだから。

 一方的な若い思いは喜びよりも戸惑いしか覚えない。


「どうすれば信じてくれるんですか?それとも足が不自由な女は嫌ですか?」

「違う」

「なら、どうして私じゃだめなんですか?」

「駄目だとは言っていない」

「…………言ってるのと同じです」


 頭を振ると薄茶の髪が揺れていい匂いがした。

 女の匂いではないが、確かに青く甘い香りがする。

 唇を寄せて食べてしまえば、その果実は更に匂いたち華やかな芳香を放つに違いない。

 欲望と願望をない交ぜにして無茶苦茶にしてやりたいと獣が舌なめずりをする。


「足が不自由でも私には生殖機能があります」

「そんなことは、」


 知っていると続けるより先にナシスは言葉を被せてきた。


「あの女にはありませんよ」

「!?」


 ナシスが口にした“あの女”がナタリーのことを言っているのだと即座に気付いて息を飲む。

 確かにそうでなければあそこまで奔放に男たちと契ることはできないだろう。


 嘘の情報でニスを惑わそうとしている訳ではない。


 言った後で激しく後悔しているのが解ったが、それでもナシスは真摯に見つめ続けてくる。


「子を成せない女を伴侶に求めることは、繁殖のために伴侶探しをする竜族にとって意味の無いことではないんですか?」

「――――その通りだ」


 色香と経験の差で負けているナシスが彼女に勝てるのはきっとその一点だと思っているのだろう。


「私ならできます。あなたのために子を産むことも、竜の里へと嫁ぐことも」


 甘い囁きにニスの頭の中は蕩けて行く。

 今までの中で一番の誘い文句だ。


 竜族はその言葉ひとつで女を愛することができる。


 永遠に。


「都合がいいことに私は四人姉妹の三番目で、ひとりくらい遠くにお嫁に行っても問題はないんです。それに危ない所を青竜に助けてもらったことをとても感謝しているから、竜の花嫁になることを両親は祝福しても反対はしないです」

「ナシス、本当に」


 震える声で問うとナシスは小さく微笑んで、おずおずとニスの頬に触れそっと唇を触れさせてきた。


「これで信じてもらえましたか?」

「…………夢かもしれん」


 再びこちらから口づけて、柔らかな唇を堪能する。

 躊躇いながらもそれに応えようとするナシスはやはり目を閉じることが上手くできずに薄く開いた目でニスを見つめていた。


「目を、」


 促すと嫌々と顎を小さく振る。


「……ニスさんも、目開けてるし……閉じたら、いなくなりそうで」


 恐いのだというからぎゅっと抱きしめてから深く口づける。

 視線を合わせての口づけは背筋がぞくぞくするほど心地いい。


「暴れ出しそうだ」

「もう、余所見しないで……私だけを、」


 見てくださいという懇願にニスは黙って口づけを重ねる。


 伴侶を得られたのだという充足感や幸福感が一体どんなものなのか解らないニスには、自身に劇的な変化が起こらないことを訝しく思う。


 どうなっているのか。


 解らないが心に虚ろが広がって行く気がする。

 悲しみと孤独が襲い、腕の中の温もりに縋るがそれは果てしも無く広がり続けて行く。

 燃え上がって行く身体と感情とは逆に冷えて行く頭。


 正常では無い。


 雨は上がったのに。

 ニスの頭の中にはまだ雨が降っているかのように雨音が喧しく鳴り響いていた。


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