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竜の花嫁たち  作者: 151A
喜びの雨
35/48

優良物件


 川辺に座り淀みのない流れを眺めていると川面に銀色の鱗を閃かせて魚が跳ねた。


 二日前の雨でほんの少し水かさが上がっており流れも急だが、釣り竿から糸を垂らして釣りに興じている人族もちらほらあった。


 この町は恵みの多い土地柄だ。

 生活に必要な水と食料として十分な魚が川からは恵まれ、穏やかな気候が育む畑の実りもある。 

 そして多くの命を内包した森があり、人々の顔には焦りも飢えも無かった。


 だからだろう。


 普通なら畑仕事に精を出す午前中にのんびりと釣りをしている人がいるのは。

 町の中を歩いていても仕事よりも近隣住民との交流を優先している女性たちや、軒先で休憩している男たちの姿も多い。


「ああ、やっと見つけた。こんな所にいたんですね」


 声が少し離れた場所から聞こえ、肩越しに振り返ると土手を下りてこようとしているナシスがいた。

 危なげな足取りに思わず立ち上がり歩み寄ると、娘はにこりと微笑んで「大丈夫ですから」と差し出した手を断る。


 だがどう見ても大丈夫には見えず、ニスは眉間に皺を刻んで「女はこういう時は男の手を取るものだ」と苦言を口にすると笑みを引っ込めて小首を傾げた。


「……そうですね、転んで見苦しい所を見せるのは恥ずかしいですし」


 考えを改めてナシスが右手に持っていた籠を左手に持ち直してニスの手を取ろうと腕を伸ばしてきた。


 恥じらうように目を伏せているその顔があまりにも純すぎて、すこしからかってやろうと悪い心が疼き出す。

 伸ばされた腕を掻い潜り、左足を大きく踏み出して身を寄せるとがら空きの腋の下に腕を差し入れてもう一方の手で素早く膝裏をさらった。


「う、や――ちょっと!ニスさん!?」


 ひょいっと横抱きに持ち上げられたナシスが一瞬言葉を失い、すぐに動揺して悲鳴を上げる。

 静かな河原に響いた女の声に釣り人らが煩わしい視線を向けてくるが、ナシスの取り乱しっぷりがあまりにも面白いので意識の外へと切り捨てた。


「やだ、ちょっと下ろしてくださいっ。重いですから!」

「重くはない」

「軽くもありません!それに、恐いんです!高すぎて、」


 籠を落とさないように必死で抱えている左腕とは違い、右腕はニスの首の後ろでわたわたと動いている。


 そんな不安定な状態では確かに恐いだろう。


「ならば掴まればいい」

「つ、掴まるってどこに?」

「どこでも構わない」

「わた、私は構いますから!もう、やだ、どうしたらいいの……」


 涙目になって困惑しているナシスの姿は非常にそそられるものがある。

 成熟しきっていない青さの中に、瑞々しさと愛らしさがあった。


 ニスの言動に逐一反応する素直さや、肌が僅かに触れるだけでも赤面する初さは正直新鮮だ。


 容姿や雰囲気のせいか若い女性よりも、ある程度酸いも甘いも経験した女性ばかりが寄って来ており、ナシスのような娘とは今まであまり接触が無かった。

 面倒そうだと思っていた節がニスにもあり、思わせぶりな態度や目線をくれる小娘を相手にしようとはしなかったのだが。


 これはこれで、面白い。


「なに、笑ってるんですか?人が困ってるのを見て笑うなんて性格悪いです」

「……困ってるのか?」


 微笑んだまま顔を近づけるとナシスが首元まで真っ赤に染めて「近い!近いですから!」と叫んだ。


「嫌ならば近づかなければいいものを」


 先程まで座っていた場所まで行き、そっと下ろしてやるとようやく落ち着いたのか籠を抱えて深呼吸を繰り返している。


 直ぐ近くでニスが見つめているのに気付いた後はまた酷く狼狽して慌てふためいたが。


「嫌では無いんです、嫌では!ただちょっと過剰な触れ合いが多すぎて、私にはどう対処していいのか解らないだけです」


 目元を赤らめたまま潤んだ瞳で見つめてくるので、まるで誘っているように見えるのだがきっと違うのだろう。

 激しい動揺と困惑のせいで半泣きになっているだけだ。


「嫌では無いのなら、許可したと捉えても差し支えないか?」

「うん?許可って、なんの――――ひゃっ!!」


 ナシスの肩を抱き寄せて唇に唇で触れると興ざめするような悲鳴が聞こえて、思い切り両手で胸を押された。

 重ねる寸前でわざと止めたのだが、逆に拒絶されたことで燃え上がりその僅かな隙間を食むようにして埋める。


「ん――――っ!?」


 弾力のある柔らかな唇は緊張のためか少し冷たく、頑なにニスの侵入を拒んでいた。喉の奥から上がってくる悲鳴も口内で響くしかなく、明確な意思も言葉も伝わってこない。


 戯れに口づけを与えながらナシスの様子を見つめていると、弱々しい視線を返してくる。

 普通なら互いに目を閉じて行うはずの行為だが、反応を楽しんでいるニスとは違い、彼女の方は瞳を閉じる瞬間を逃してしまい今更目を伏せることも視線を外すこともできずに困っているようだった。


 初めてなのか。


 そう思いながら深追いはするまいと拘束を緩めてやり、唇を離してやると放心したままナシスは大きく息を吸い込んだ。


「…………くるし、」

「息を止めているからだ」

「だって!突然だったし、」


 どうしていいか解らずに、と続く反論にニスは苦笑いする。


 色気の無い娘だが、それでも女というだけで危険性は増すのだと少しは警戒心を持ってくれればいいのだが。


そんな心配をナシスは軽く凌駕する。


「――――こういう時、どうしたらいいんですか?」


 その発言は自ら男性経験がないと告白しているようなものだ。

 少し身体が触れても羞恥に身を震わせるくらいなのだから当然なのかもしれないが、男に対しての免疫がないと解ればその隙をついて迫ってくる男もいる。


 ニスのように。


「簡単に自身の自由を他者に委ねない方がいい。なにをされても文句は言えなくなる」


 叱られているのだと勘違いしたのか、ナシスは頬を強張らせて俯く。

 膝の上の籠を抱き締めて反省でもしているのかと思っていたら、徐に籠の中から大きな葉に包まれた包みを取り出して突き出してくる。


「なんだ?」

「…………口直しに食べて下さい。約束してた、美味しいものです」


 受け取って包みを開くと甘辛く煮こまれた肉と香味野菜の和え物が一緒に入っていた。

 他にファミノイアを茹でたものや卵を焼いたもの、魚に粉をつけて蒸し焼きにしたものが包まれたものも出してくる。


「私、料理が得意なんです。足は不自由でも他は健康ですから、時間をかかりますが家事はひと通りこなせます。だからいつでもお嫁に行けるし、色んなことも慣れるように頑張りますから」


 言い終わった後でナシスは怒ったように口をへの字に曲げて、涙に濡れた瞳をニスへと真摯に向けてくる。


 思い返せば「やっと見つけた」と声をかけて来たのだから、自由の利かない足で自分を探して歩き回ってくれたのだと漸く気付く。

 昨日「またお話させてください」と乞われて頷きはしたが、明確に明日の何時何処でと約束をしたわけではないのだ。


 それをナシスは愚直なまでに守り、町外れの川辺まで来てくれた。


「…………そのうち悪い男に騙されるぞ」

「大丈夫です。誰にでも同じことをするわけじゃありませんから」

「お前の大丈夫は当てにならん」


 人の手を煩わすのが嫌なのだろうナシスは快く差し出された手を取ろうとはしない。


 大丈夫だと口にして、強がって。

 こうして簡単に信用する。


「失礼ですね。これでも近所ではしっかり者で通ってるんですから」

「そんな娘ほど、騙される」


 薄青の瞳を丸くして「騙すんですか?」と確認してくるのでそうだと首肯して見せた。

 するとナシスは顎の下に指を添えてちょっと考えるような仕草をした後で「それでも構いません。相手がニスさんなら」と妙な返答をしてくる。

 こちらの方がぎょっとするほどで、かなり熱の籠った瞳を向けられて慌てて柔らかく煮込まれた肉を摘まんで口に運んだ。


「…………美味い」

「でしょ?私優良物件ですよ」


 さっきまで身体を硬くして恐がっていた癖に、そうやって自分自身を押してくるからいけないのだと何故解らない。

 ニスになら騙されても、遊ばれても構わないと本当に思っているのか。


「――――知りたいか?」


 問われてナシスは途端に無表情になり「なにを、ですか?」と慎重に聞き返してきた。

 迂闊に返答しなくなった辺りは成長したということか。


「さっき聞いてきただろう?『こういう時にはどうしたらいいのか』と。知りたければ」


 教えてやる。


 耳元で低く囁くとナシスがびくりと肩を跳ね上げて、みるみるうちに耳が赤くなっていく。


「あ、あの。ゆっくり、ゆっくりでいいから」

「約束はできない」

「う、ええ?それは困ります」

「まずはその品も色気も無い悲鳴をなんとかしてくれ」

「品、色気!?んんー……努力してみます」


 急下降気味に落ち込んでナシスはぱくりとファミノイアを口に運ぶ。

 もぐもぐと咀嚼しながら品と色気について真剣に悩んでいる姿を飽きもせず眺めながらニスは晴れ渡った空の下で楽しい食事を満喫した。


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