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竜の花嫁たち  作者: 151A
喜びの雨
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誘う女


 煙るような雨がしとしとと降り続き、地面に跳ね上がった水しぶきが遊ぶさまを眺めているのは思いの外楽しい。


 世界が灰色に染まり、雨音のみが木霊する。


 人家の軒先で佇み跳ね返った泥水で裾が汚れていても気にならないのは、ニスが水に属する青竜だからかもしれない。


「なにしてるの?」


 そんなところで、と声をかけてきたのは雨宿りに軒先を借りていた家の者だった。

 戸を細く開けて女が忍び笑いを洩らしながらこちらを見ている。

 癖のある赤茶の髪が頬にかかりくっきりと影を落としていた。紫色の瞳は大きく、顔立ちは酷く妖艶なのにそれだけが幼くて目を惹かれる。


 ふっくらとした唇は触れずとも柔らかなのが解る程で、誘うような視線と微笑みにニスは戸惑いながらも「雨を、見ていた」と答えた。


「さすが青竜ね。飽きもせずに雨が降っているのを見ていられるなんて」

「……人は眺めないのか?」

「日照り続きで待ちわびていたのなら歓喜に沸くだろうけど、そうでもないしね」


 肩を竦めた女はちらりと軒越しに空を見上げて、日の射さない薄暗さに腕を掻き抱いて擦った。


「肌寒いわね……。軒下で雨見物も良いけれど、中で温かいお茶でもいかが?青竜さん」

「……いいのか?」

「悪けりゃ誘わないわよ。どうするの?たいして上等なお茶では無いけど、温まることはできる」


 女が家に竜族を招き入れることが他の住民にどういう目で見られるか解っていない訳ではないだろう。

 年端もいかない少女では無いし、道理の解っていない若い娘でも無い。

 成熟した大人の女だ。

 なにかあったとしても割り切って対処ができるだけの余裕は感じられる。


「ならば、邪魔する」


 ニスが返事をして軒の下を歩いて戸口へと向かうと女が「堅苦しい」と苦笑いした。


「でも悪くないわね」

「なにがだ……?」

「いい男とお茶ができること……かな」


 ニスだけでなく竜族は己の容姿に頓着しない者が多い。


 勿論身だしなみには気を遣うし、清潔を心がけるが、それはみな女性に嫌われないがためである。

 多少の劣等感を持つ者もいるが、それは美醜に関することでは無く、身体が小さいとか力が弱いとか等の戦闘に影響の出る能力的なものに関心がいく。


「顔など目と鼻と口があるだけだ」


 その部分の比率が人族よりも狂いがないから美しく見えるだけだ。

 ついているものはみな同じ。

 効果も機能も。


「そりゃそうだけど、気の利かない不細工よりも無口な男前の方が断然いいに決まってる」

「無口……」


 どうやらニスのことを言っているようだが、口数が多い方ではないが全然喋らない方では無いので複雑だ。


 もし女がただ黙って話を聞いてくれるような相手を欲しているのだとしたら辞退するべきだろう。


「なんだっていいからさっさと入って。身体が冷え切っちゃう。それとも」


 温めてくれるの?と、流し目をくれる女は艶然と微笑みながらニスの反応を窺っている。

 こういう誘いは少なくない。

 人族の女もたった一晩の夢を見たいと思っている者もいる。


「望みとあれば」

「あら、簡単に応じるのね」

「……落胆したか?」

「いいえ。望む所よ」


 カラカラと笑って女は背を向けて中へと入って行く。


 潜り戸を潜って後に続くと、そこには竈があり温かな火が燃えていた。

 右へ視線を転じれば小さな入口の向こうに続き間があり、そこは私室となっているようだ。

 人を招く用の部屋であり台所であるその場所にはテーブルと椅子が三脚。


「あ、ちょっと待ってて」


 女はそのまま進んで来ようとしているニスを制止して急ぎ足で続き間へと消える。

 言われたまま戸を閉めてその場に立って待っていると女が衣類を手に戻ってきた。

 飾り気のない麻のシャツと地味な色味のズボンは男ものだ。


「あなた手足が長いから合わないだろうけど、乾くまではそれを着ていて」

「…………いいのか?」

「なにが?」


 茶を飲んでいる間に乾くわけがないので、それまで居ても良いということなのだろう。

 だが今は夕暮れの少し前くらいで、乾く頃には日も暮れて他の家人も帰って来るに違いない。

 そうなると竜族を家に上げたと非難され、女の立場が悪くはならないだろうか。


「もういいから、さっさと脱ぎなさい!床が汚れるでしょ!」


 指差されて見下ろした床には確かに黒い染みと土汚れがついている。


 これでは靴も脱いだ方がいいだろう。


 ニスはしゃがみ込み靴紐を緩めて脱ぎ、裸足をひたりと床の上におろした。

 女が奪うようにして靴を掴むと竈の近くへと持って行き並べて置く。

 そしてそのまま湯を沸かし始めるので茶の準備をしているようだ。


 その隙にシャツを脱ぎ棄て、ズボンの紐に手をかけた所で視線に気づき顔を上げた。

 女が興味津々で眺めており、目が合うと子供のように破顔する。


「いい男は服を脱いでもいい男なのね。女が焦らしながら服を脱ぐのを見て喜ぶ男の気持ちがよく解ったわ」

「……物好きだな」


 男の着替えを興奮して見る女がいるとは驚きだ。


 見られていると思うと妙に気になってしまい、なかなか思い切れずにいると「くくっ……あはは、いいわよ。その顔」と何故か喜ばれた。


「恥じ入る女に意地悪したくなる男の気持ちも解る。なるほどね。うんうん」

「――勘弁してくれ」


 一体どんな顔をしていたというのか。

 想像するのもおぞましくてニスは項垂れる。


「もっと色んな顔が見たいわ」

「からかうのはやめてくれ」

「あら、そんなつもりはないんだけど。意外と純なのねっと思ったら可愛く見えてきちゃってさ」

「それが、」


 からかわれているというのだ。


 ムキになって反論すると女は驚いたように目を見開き、そしてそれから直ぐに目を細める。


「……だめよ、それ反則。我慢できなくなっちゃう」


 胡乱な響きにニスの背中が粟立つ。

 見つめてくる女の視線に熱が籠り、剣呑さが増して行く。


「お茶なんか後にして、食べたくなる」


 ぺろりと上唇を舐める舌先に眩暈がしそうだ。

 歩いて来ながら女は髪を覆っているスカーフに手をかけた。


 それは誘いの合図。


「――――――っ!?」

「ふしだらな女でごめんね?本当は楽しくお茶して、あなたの緊張を解してからいただきたかったんだけど」


 謝罪しながらも心から悪いとは思っていないのは声音で解る。

 初めからそのつもりでニスを家へと誘い込んだのだと告白しながら腕を伸ばして首に巻きつけてきた。


「ご馳走が目の前で恥じらっていたら、私の理性なんてチョロイから箍が外れちゃうの」


 男が言うような台詞を平然と口にして女は唇を寄せてくる。

 触れるだけの口づけはニスの中にも熱を灯す。

 柔らかくて温かい、女の唇はおしゃべりな癖に冷静に様子を窺いながら攻めてくる。


「…………逆だ」


 本来ならばニスの方が誘導して悦ばせなければならないのに、女の方が一枚も二枚も上で勝てそうにない。

 ニスも経験の浅い方では決してないはずなのに、焦らしているかと思えば突然従順になったり、不意に執拗なほど荒々しくなったりと一方的に女に翻弄され続けている。

 蕩けていく意識の中で女の身体を必死で掻き抱いていると、口づけの最中に女が笑って「溺れればいい」と囁いた。


 それはまるで呪いのようで。


 頭のどこかで警告しているのかチカチカと光が点滅している気がしたが、それすらどうでもよくなってくる。


 この女は魔性だと慄きながらも夢中になっていく。


 抗えない魅力と甘美な口づけに酔わされて、ニスは女の誘いに乗って心地良い波に身を委ねた。


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