明日、もう一度
「ああ、良かった……」
暗く沈んだ気持ちで坂を上りきると、薄暗くなった丘の上で途方に暮れていたレンが涙を薄らと浮かべて駆け寄って来た。
安堵するレンを見下ろしながら、そんなにメイの相手が大変だったのかと意外な思いで肩を叩いて励ます。
会話が成り立つ相手ならばそれほど困ることはないだろうに。
メイもどちらかというとウィルよりレンとの方がなにかとやりやすそうだと思ったのだが、無理をいって暴れたりスージーを探しに行こうとしたのかもしれない。
「なにかあったのか?」
「それが、」
問えばレンは目元を赤らめて茂みの方へと視線をやる。
それ以上なにもいわないので眉間に皺を寄せて足先をそちらへと向けた。
「あ!わわっ、ウィルさん!ちょっと、待って。待った方が!」
慌ててレンが腰にしがみ付いて来たので驚いて歩を止めると、右脇腹から見上げてきた潤んだ瞳に何故か心が動揺する。
「なんのつもりだ?」
「ええっと、まずいです。なにか着るものを用意するのが先だと思います!」
「…………着るもの?何故だ?」
レンの言葉はいまいち要領を得ない。
回されている手をやんわりと振り解き、ウィルは首を傾げながら向き直った。
「メイさんは女性です。裸はさすがに、まずいでしょ?」
「裸――?一体何のことを言っている?」
灰色の毛に覆われた肉体は服など来ていなくても裸には見えない。
勿論身体の線ははっきりと解るが、今更なにを動揺する必要があるのか。
さっぱり解らないレンの狼狽ぶりにウィルが訝しがっていると、背後の茂みが激しく動いて青ざめたレンが「メイさん!ダメ!出てこないで!!」と悲鳴染みた叫び声を上げた。
振り返ったのは反射で悪気は全く無い。
「ウィルさん!見ちゃだめです!」と後ろから再度ぶつかってきたレンの掌が目を塞ごうと伸ばされるが、身長差のせいで口を覆うことしかできなかった。
草の間からメイが上半身を出してこちらをじっと見ている。確かにメイなのに先程とは明らかに違う点に気付いて僅かに愁眉を解く。
縺れた長い灰色の髪から突き出している三角の耳と丸い紫紺の瞳に変わりは無い。
だが全身を覆っていたはずの毛が首と肘から下以外は無くなっていた。
丈の高い草に隠れて下半身は見えないので確かめることはできないが、レンの取り乱しようからきっと滑らかな肌が剥き出しになっているのだろう。
「…………成程、服がいる」
「だからいったでしょう!?」
小振りながらいい形をしている胸を惜しげも無く外気にさらして、更に草を掻き分けて出てこようとするメイを片手を上げて制する。
「頼むから、そのままで」
「なぜ?」
「何故とはこちらが聞きたいくらいです。どうして獣化を解いたんですか?」
獣人族はその名の通り獣と人の姿をとることができる。
否。
できたという方が正しいだろう。
獣と契ることで繁殖して生き延びてきた彼らの血は薄まり、今では殆どが人型を取ることができないと聞き及んでいる。
だがメイの変化は明らかにその失われた能力を使っているとしか思えない。
信じられない力を有しているにも関わらず、彼女はきょとんとした顔で「このほうが、人族、きづかない。スージー、むかえいく。そのため」と答えた。
「理屈は解ります。ですが獣化を解ける者がいるとは驚きです。他にもその力を使える者が?」
もしメイの他にも獣化を解ける者がいるのだとしたらそれは大きな出来事である。
何千年も前の過ちを経て滅びかけている獣人たちが、また昔のようにその力を取り戻しつつあるのだとしたらどうなるだろう。
彼らの罪が許され、再び獣人族という種族が誇りと名誉をその手にすることができる予兆なのか。
それとも新たな火種となるのか。
慎重な態度と冷静な判断をしなければならない。
「ほかに?わからない。メイ、ずっとひとり。スージーあうまで、ずっと」
メイの瞳は嘘を言っていないようだった。
ならばこの件はこれから調査が必要だろう。
メイだけなのか、それとも全ての獣人族の中で復活しつつあるものなのか。
「ウィル、スージーあえた?どこ、いる?メイ、あいたい」
「彼女とは――――会えませんでした」
地下牢でのやり取りを思い出したら素直に伝える気にはなれず、ウィルは偽りを口にした。
途端にメイは顔を歪めて泣きそうな顔すると止める暇も無く茂みの中から飛び出してくる。
「うわああ!?メイさん!!ちょっ、だめ――ああぁ……」
慌てたレンが押し戻そうとウィルの後ろから出てくるが、まともにメイの裸身を見てしまい赤面して目を掌で覆う。
メイは恥ずかしがっているレンに目もくれず、両手でウィルの服をぐいっと掴んで身を寄せてきた。
「うそつき、よくない!」
「うそなどついては、」
「においする!スージーの!」
「おい、」
尚も否定するとメイがキッと睨み上げて、その鼻先を胸元へと埋めて勢いよく匂いを吸い込む。
その様子を見て卒倒しそうな程蒼白になったのはレンだった。
赤くなったり青くなったりと忙しそうな旅の連れは、よろよろとよろめいて恨めしそうに半眼で見つめてくる。
「……ウィルさんはよっぽど理性が強いのか、感受性が低いのかのどちらかですね」
「どういう意味だ、それは」
レンが決して誉めている訳では無いことくらいは解る。
むっとして睨み返すと「魅力的な女性が全裸で抱きついてきているのに平然としているなんて」信じられないとレンは首を振った。
「もしかしたらウィルさんには性欲がないんですか?」
幼体が女性に対する興味で妄想を膨らませている時のように明け透けに聞いてくるレンの方が逆に信じられないが、純粋な疑問と心配からの発言のようだったので叱るのは止すことにする。
「…………他の者よりは薄いかもしれん」
「無いわけではないと」
言葉で返すのは不本意なので黙って頷いて済ませる。
どこかほっとしたような顔でレンは二度ほど首肯して「服を調達してきます。その間メイさんを頼みますね」と背を向けた。
肩越しに振り返り軽快な足取りで駆けて行く後ろ姿を見送る。
「…………さすがにこんな場所で、こんな所を見られては問題があるな」
人通りがないとはいえ道の真ん中である。
裸の女と抱き合っているというのはどう考えても通常では有り得ない状況だろう。
ウィルは一旦引き離そうと肩を掴んで押したが、必死にしがみついて匂いを嗅いでいるメイの力は強く引き剥がすことを諦めるしかなかった。
「仕方あるまい」
背中と腰に腕を回して軽く抱え上げて、ゆっくりと茂みの方へと歩いて行く。
鳩尾辺りに当たる柔らかな胸の感触や掌に直接触れる張りのある肌、獣の匂いの中に微かに匂う甘い香りを感じて怯みはしても動揺はしないのだからレンが言うようにどこかの感情が欠如しているのかもしれない。
竜として、生き物としての大切ななにかが。
己が欠けているという自覚を突き付けられることがこんなにも心細く、そして恐怖心を与えるとは知らなかった。
どこが他と違うのか解れば直しようもあるのに、それが判然としないのでは手の施しようも無い。
「……スージー……」
鼻を鳴らして不安そうに名を呼ぶメイはいなくなってしまったスージーの痕跡を探しているかのようだ。
ウィルのシャツを握り、顔を押し付けてくるメイの行動は酷く幼く見えた。
「そんなに鼻をつけては私の匂いしかしないだろうに」
地下牢では鉄柵に阻まれてすぐ傍まで近づくことはできなかったのだ。
触れてもいない相手の匂いが解るとは思えない。
「……においした。でも、いなくなった」
「したのか」
呆れつつもあの狭い密室には確かに彼女の匂いが籠っていただろうと思い至る。
それが服に着いていたのかもしれないが、それを嗅ぎ分けたのだとしたらメイの嗅覚は凄まじいものがあった。
感心して眺めていると突然泣き始め、草むらの中にメイはしゃがみ込んだ。
「メイ、まもれなかた。フェイのこと、スージーたのまれたのに。きらわれる。メイまたひとりなる、いや」
ふわふわの毛に覆われた三角の耳が垂れて深い悲しみを体現する。
尾骶骨の下から生えている長い毛に包まれた尾も萎れて、抱え込んだ膝に力無く寄り添っていた。
「メイさんのせいではないでしょう」
腹を空かせて死んだのならば護る以前の問題だ。
なんらかの脅威に対してならば獣人族の能力があれば大概のことは切り抜けられるだろう。
だが飢えとなると話は変わってくる。
せめて森があれば、メイは獲物を狩って取って来ることができただろう。
それを食べることができたのならばスージーは畑の作物を盗むことも無く、フェイも飢え死にすることは無かったのだ。
「スージーさんとはどのようにして知り合ったのですか?」
自然と口から出た質問はその場の雰囲気から逃れたかったからでも、適当な会話を見つけられずにひねり出した物でも無かった。
純粋な興味からだ。
「メイは、こわい人おいかけられてた。ずっと、とおいとこ。メイにげてここきた。ここかくれるとこない。人族、獣人きらい。いじめる」
力も速さも強さも人族は獣人族になにひとつ敵わない。
だが獣人は圧倒的に数が少なく、人族はその器用さと賢さと数で勝っている。
侵略されたという古い歴史が獣人族を脅威と見做して、人里から追い出そうとする原因となっていた。
今では獣人族が人族に害をなすことなどできないと解っていても、獣人は毛嫌いされるのだ。
まだ竜族はいい。
天災だと恐れられてはいても問答無用で石を投げられたり、叩かれたりして追い出されることはないのだから。
獣人族に比べれば受け入れられている。
そのことを喜んでいいのか、もっと人族に竜族を理解してもらえる様に努力しようと思えばいいのか解らない。
「ウィル?きいてるか?」
「ああ……すみません。聞いています」
また考え込んでいたらしい。
顔を上げるとメイが不思議そうにこちらを見つめている。
「スージーさんは苛められていたメイさんを助けてくれたんですか?」
「ちがう。フェイが、メイひろた。スージー、ごはんない、かえない、すててこいいった」
ふるふると首を左右に振ってメイが口にした言葉は今の姿しか知らなければ理解できないものだったが、最初に見た獣化していた姿ならばなんのことはない。
フェイはメイを大きな犬だと思って拾ってきたのだ。
そしてそれをスージーは食べるものが無いのに犬など飼えるわけがないから捨ててこいと叱った。
もしかしたら最初の姿すら完全な獣化では無かったのかもしれない。
人族からの目を欺き、生き抜くためには獣人族としてより獣としての見た目の方が遥かに生存率は上がる。
きっとフェイもスージーも犬だと信じて疑わないほどの完璧な獣化だったのだ。
「でも、スージーおいてくれた。すてなかた。さむいよる、いっしょふとんねた。あたたかくて、メイうれしかた」
さびしくないの、はじめてだたから。
「さびしいからたすけてくれた、だからメイ、スージーまもる」
紫紺色の瞳は暗くなってきた闇の先にある人里の方へと向けられる。
その純粋さ。
ウィルはどこかが欠けてしまっている自分よりも、余程メイの方が善たる存在で人族に受け入れられるべき者であるような気がする。
「間違っている……」
本当の寂しさや孤独を知らないウィルにはメイの気持ちは解らない。
ただ推測するしかなかった。
「メイ、まちがてない!スージーわるくない!」
「ああ、違います。メイさんもスージーさんも、間違ってはいないんですよ」
ただ状況と環境が悪かっただけだ。
この町でなければこれほど飢えで苦しむことは無かっただろうし、作物を盗んだくらいで死刑を言い渡されることも無かった。
「本当に、どうすればいいのか……」
メイもスージーも憐れで。
だがウィルに出来ることなどなにも無い気がする。
助けたいと、力になりたいと思うのは傲慢だろうか?
「手に入れてきましたよ」
駆け戻って来たレンの腕の中に抱えられている服を見て、ぼんやりとどうやって手に入れて来たのだろうかと考える。
交換できるようななにかを持ってなどいなかったはずなのに。
年下のレンが自分よりも遥かに人族の世界に精通しており、頼りになるのだと改めて気づかされ経験不足に打ちのめされた。
「お腹空いたでしょ?」
そう言ってパンと干し肉も一緒に差し出すものだから驚いてしまう。
「どうかしましたか?」
「……今まで私の中でのレンの評価が低かったことを心の中で詫びていた」
「は?それは、今まで私はなにもできない若造だと思われていたということですよね?」
「そこまではいってない」
「同じことですよ!服も食べ物も手に入れられないと思ってたんでしょう?」
膨れっ面をするレンの姿はやはり若々しくて、頼もしさよりも愛らしさの方が強い。
そう告げると「なんですか、それ」と呆れられる。
一生懸命にメイから視線を反らしながら服を渡しているレンはやはり純情そうにしか見えない。
それでも裸のメイに心を乱されなかったウィルよりも、多くの女性を相手にしてきているのだと思えばそれはそれで見る目が変わってしまいそうだ。
服など着たことが無いメイが手間取っているのをレンが手助けして漸く着替え終わる頃にはとっぷりと日が沈んだ後だった。
「明日、もう一度行ってみよう」
スージーの所へ。
今日は色々とありすぎて頭の整理も心の準備もできていなかったから。
明日はもっとうまくできる。
そう信じて口にすると、レンもメイも真剣な顔で頷く。
「頑張ってください」
始めは伴侶探しの旅だったはずが、死罪になろうとしている人族の女とそれを救いたい獣人族の女の事情に巻き込まれている。
奇妙な成り行きにウィルは閉口するばかりだが、今まで考えたことも知り得なかったことも沢山あった。
それだけは感謝していて。
夜空に星が瞬いて、月明かりだけを頼りに野宿することも新鮮でごろりと地面に横たわる。
眠れるだろうか?
神経が高ぶっていて、考えることも多くてとても寝られる気がしない。
疲れているはずなのに。
そういえばこんな風に複数の者たちと雑魚寝をすることも初めてだ。
「……案外知らないことも多い」
神殿の中で巫女と過ごしていれば知ることができなかった出来事に自然と笑みが浮かぶ。
明日はきっと今日より上手く行く。
そう奮い立たせて、ウィルはぎゅっと目を閉じた。




