ノアの代わりに
それからの道中もささいだが色んな事件があった。
ノアは故郷のウィージの村を出発する前に集めたのか、はたまた通過してきた二つの町や村で手に入れたのか解らないがルピナスからすれば「ほんとか?」と首を傾げるような情報を繰り出して随分と振り回してくれた。
「こっちが近道らしいよ」と旅人が通る道を逸れて小道に入って猪に追いかけられたり、「休憩所があるんだって」と自信たっぷりに丘の上に連れて行きそこがどう見ても休めるような状態では無い朽ちた小屋の残骸しかない場所だったり、極上の木の実と評されるソウボの実を拾いに入った森の中で毒蜂に襲われたり、蛇が出たといっては悲鳴を上げて、珍しい鳥が生息している泉を探して彷徨った時は正直疲れもあって「いい加減にしろ!」と怒鳴ってしまい大喧嘩をしたり。
なかなか母親のいるドルの町へと辿り着かないのはきっと、ノアが不安で結果を出すことを恐れているからだと気付いていたからルピナスは何度も懲りずに怪しげな情報を提供されるたびに根気強く付き合った。
どちらかとういと気の短い方であると自覚しているが、よく短慮を起こさずにこの旅を続けられたものだと思う。
相手が子供であるということも大きいだろう。
後はノアの性格が明るく、一緒にいることが楽しかったこともある。
「ま、退屈はしなかったな」
見えてきたドルの町を前にそう感想を漏らすと、ノアは緊張で頬を強張らせていた面を上げて笑おうとしたのだろうが妙に歪んでいたので、ルピナスが代わりにとびっきりの笑顔を返してやる。
別れる時に湿っぽいのは嫌だった。
ここまでずっと愉快にやって来たのに、最後の思い出が涙で終わるなんてことはしたくない。
だからノアが笑えないのならば、ルピナスが笑わなければならないだろう。
ノアの中でこの旅の記憶が輝く笑顔で溢れるものだったと思える様に。
そしてこれから何度も何度も思い出して貰えたらと思うのはルピナスの身勝手な願いだろうか。
「………………行きたくないな」
ここにきてノアの足が重くなる。
もうはっきりと町の輪郭は見えており、境界線として町を囲む柵の向こうに人の姿さえも確認できる距離だ。
「今更なに言ってんだよ。お前は母ちゃんに会うためにここまで苦労してやって来たんだろ?」
帽子を失った小さな栗色の頭を優しく包み込むようにして撫でてやると、ノアは泣きそうな顔をして俯く。
泣くまいとしているのを見て「我慢すんな」と声をかける。
前に回りしゃがみ込んで視線の高さを合わせた。
「お前はよくやった。これ以上ないほど俺を振り回して、困らせて、怒らせて、心配させて。でもな」
途中で言葉を止めるとノアが不思議そうに前髪の向こうから青い瞳を注いでくる。
子供の癖に無垢で純粋さとは無縁な賢さと強情さを秘めた青い原石。
その中に弱さと孤独を秘めている。
「伴侶探しじゃない旅なんか初めてやったが、相手がお前じゃなかったらきっとここまで楽しめなかっただろうなって思うよ」
普通なら竜族は歩いて移動したりはしない。
自慢の力で空を行き、心が逸るままに我武者羅に伴侶を探し求めて里や村や町を訪れるのだから。
女を求める以外での旅など、成体に成り立ての若い竜の付き添いくらいしか思いつかない。
そう考えるとルピナスにとって貴重な経験だった。
己の足で長い道のりを歩き通して目的の場所へと向かうなどと時間も労力も大変なものだ。
だがそうしなければ人族は隣町や隣の村などに行くことなどできない。
結局は竜族も人族のことを理解しているとは言い難いのだと反省する。
人族は竜族の世界を知ろうともしないと嘆いたり、愚痴ったりしていた自分が酷く心が狭かったように感じて。
「だからお前で良かった。滅茶苦茶楽しかったからな」
大変だったけど、と続けるとノアが漸く唇を持ち上げて微笑む。
「うん、すごく楽しかった」
“すごく”という箇所に力を入れて強調し、今までのことを振り返っているのだろう遠い所を青い瞳は見つめる。
ルピナスの額辺りに視線が向いているのに、焦点と思いはそこでは無いとこへと飛んで。
その背に見えない翼があるように、ノアは記憶の中の世界を迅速に自由に飛び回っているのだ。
悲しみを払拭し、楽しかった旅へと思いを馳せて。
そうだ。
自由なのだ。
人族は弱くて、脆くて、簡単に道を踏み外してしまうけれど、獣の本能に縛られる竜族に比べれば遥かに知的で、豊かなのだ。
短い一生の中でもがき苦しみながら、それでも一生懸命に生きようとする姿に竜は惹かれるのかもしれない。
「――――本当はすごく、寂しくて、恐かったんだ。ひとりで歩く道も、夜の暗さも、脚の痛さも、荷物の重さも全部辛くて心細くて」
それでも行かなきゃならなくて。
「そしたらルピナスが来てくれた。そしたら大丈夫になって、ほっとして」
「解ってる。全部、言わなくても」
「ありがとう、ルピナスがいなかったらここまで……来れなかった」
そんなことはないと知っていたが、ルピナスは小さく頷いてやる。
ノアが安心したように破顔して右手を伸ばしてきたが、なにを考えたか途中で止める。中途半端な場所で迷子になった手がどこかへ辿り着くことはなく、ゆっくりと下ろされた。
「……ほんとは」
掠れた声が喉に絡んでノアは唾を飲み込む。
なにを言いたいのか薄らと想像がつくが、ルピナスは黙って言葉の続きを待った。
「ほんとは、まだ一緒に旅を続けたくて。でもそれはただの我儘だから、できなくて」
濡れた瞳が大きく揺れ、真っ直ぐにルピナスを見つめる。
諦めと喪失。
悲しみと別離。
「ルピナス、行かないでよ。一緒に、ここで――――ごめん、うっ」
溢れる思いと涙がノアの声を奪う。
だから代わりに笑って「それはできない」と無慈悲に伝えた。
「竜族は人族の世界では生きられない。人の集落の中に異端の存在である竜がいることが人々の不安を煽り、いらん諍いが起こるからだ」
竜は里からその力の源を身体に蓄積する。
存分にその力を蓄えた上で人族の世界であるグリュライトへとやって来るが、なにもしなくても力は少しずつ消費されていく。
力は里に戻ることでしか得られることはできず、そのため度々故郷へと戻る必要があった。
勿論一箇所にじっとして力を使わなければ二、三年はもつだろう。
だが竜は貪欲で飢えに弱い。
己の中の力が減れば減る程気性が荒くなり、理性や人型を保つことは難しくなる。
そうなればなにかの拍子に人族に襲い掛かる危険性があった。
だから多くの竜たちがグリュライトに長期で滞在することを忌避している。
それを十歳のノアに解れというのは酷だ。
しかもここには実の母がいる。
ノアには親の愛情が必要で、まだ誰かを深く愛したことのないルピナスにはその代わりができるといえる自信は無かった。
「だから母ちゃんのとこへ行け」
「――――っく、だめ、だ、たら、ル、ピナスと」
「そうだ。いらないって言われたらここへ戻ってこい。日が暮れるまではここで待っててやるから」
日が暮れるまで戻らなければ、母親に受け入れてもらえたと判断してここを去ると告げればノアはしゃくり上げて「うん」と返事をする。
「ま、きっと大丈夫だと思うけどな。お前はちゃんと自分の足でここまで来たじゃないか」
「ルピナス、あた」
言いかけて止めてノアはぐいっと袖で目元を乱暴に拭うと器用に全ての感情を消しさった。
強い眼差しでルピナスを睨むようにして突然「行ってくる」と宣言し、町へと続く道を猛然と走り始める。
「なんだ?まったく、最後まで読めない奴」
苦笑いしながら遠ざかって行く小さな背中を見送って、ルピナスは道の脇に腰を下ろして夕刻までの空き時間に一眠りすることにする。
きっとノアの母親はひとりでここまで訪ねてきた我が子に驚き、成長を喜んでくれるだろう。
そして無謀なことをしたと叱ってやって欲しい。
それから抱き締めてノアの苦労や頑張りを認めて、労って、愛してくれたらもっといいなと考えている自分がなんとも奇妙で笑えてきた。
「なんで、ノアのことばっかり考えてんだか」
伴侶探しの不安や焦り、己の将来について考えなくてはいけないことなど沢山あるのに。
今は別れの感傷に浸っていてノアのこと以外に頭を使う気にはなれなかった。
「親の気持ちってのはこんなもんなのか」
漠然とした想像でしかないが、自分の感情が子を思う親のものと同じなのだろうと苦く笑う。
所詮は我が子ではないのだから、いつまでもこの腕の中にいるとは限らないのに情をうつして。
胸の中にあったノアという存在がそのままぽっかりとどこかへと行ってしまったことが酷く寂しいと思っている自分がいる。
「解ってたことだろうがっ」
自分で自分を罵り、愚かだと詰りながら一向に訪れない眠りに苛立ちを募らせる。
そしてふと右隣りに感じる気配や小さな温もりを無意識の中で探している自分を自覚して重症だと嘆息した。
「もし?旅の御方」
「あ?」
今はそっとしておいて欲しかったのでぞんざいな声を上げて目を開ける。
その先に覗き込むようにして前屈みになっているパムの姿があって咄嗟に「ああ、悪い」と謝罪した。
パムは勝気そうな目尻に皺を刻んで微笑み、別に気にしていないという風に頭を振る。
「実はお話が」
「……ノアの母ちゃんのことか?」
色気のある話を期待したかったが、パムとの間にはそんな時間も会話もしていないのだから必然的に話となればノアの母親のことしかない。
「はい、町長に許可は取っているのでこちらへ」
促されるままに立ち上がり、パムの先導でルピナスは町へと向かって行く。
どうやら野盗退治やら道草を食っている間にパムはノアの母親について調べてくれていたようだ。
その上でルピナスの滞在許可も申請してくれていたようで、すんなりと見咎められずに中へと入ることができた。
町はひっそりとしており通りを歩いているのはパムを除けば男だけだ。
ルピナスが来ることを聞き若い女たちはみな家の中へと閉じ籠っているのだろう。
そんなに竜が恐いのか。
怒りよりも悲しみが勝つ。
それでも中にはパムのように気さくに接してくれる者もいる。
整った容姿に惹きつけられて寄ってくる女もいる。
だが一緒に来てくれる者は誰もいない。
「ノアの母親は」
パムは言いにくそうにしながら町の最奥にある場所へとルピナスを案内した。
そこはあちこちにこんもりと土が盛られた場所で、ひっそりと寂れた雰囲気が漂っている。
盛り土の上に枯れた花や摘んで来たばかりの花が置かれているのを見て、ここが墓所なのだと理解した。
「まさか――?」
「はい、五年前に」
「そんなに前なのか」
それならば父親の死を知ったとしても母親がノアを迎えに来ることなどできなかっただろう。
「ここが故郷だったそうで、病気を期に実家に帰って来たらしくて」
「じゃあ、」
夫に愛想を尽かして出たわけではないのだ。
重い病を得て、幼子を育てられなくなった母親は泣く泣く故郷へと戻ったのだろう。
そして愛する妻を看病できずに永遠の別れとなってしまった夫は自堕落な生活へと身を崩し、結局は自暴自棄になって事故で死んだ。
それすらも自ら死を選んだかのようで、残されるノアの気持ちなど微塵も考えていない父親に激しい怒りを覚えた。
母親に縋ろうと訪ねてきたノアは、結局その懐かしい母の顔すら見られずに。
どこにいるのかと探していると、右端の方にある盛り土の傍で途方に暮れているノアの姿がそこにあった。
「ノア」
「………………ルピナス、この場合はどうしたらいいの?」
物の言えなくなってしまった母親が「いらない」と宣告することはできず、そうなったらルピナスとの約束はどうなってしまうのかと酷く困惑した顔で聞いてくる。
「お前次第だな」
「え?」
「来たいか?赤竜の里に」
「――――うん!」
即答したかったのだろうが様々な感情が溢れそうになって、それを一旦飲み干して大きく頷きながらノアが答える。
「じゃあ、話しは早い」
行くぞと手を差し出せばノアは躊躇いもせずに握り返してくる。
ルピナスは母親の眠る盛り土に向かい目礼して「成人するまで、俺が預かります」と決意を伝えた。
それを神妙な顔で聞いていたノアに笑いかけた後で「世話になった」とパムにも礼を言う。
「いいえ。私はなにも。ノアのこと、幸せにしてやってください」
「そんな大げさな」
「幸せにすると約束してくれないと竜の里へ安心して送り出せません」
茶目っ気のある笑みを浮かべたパムに「解った、努力はする」と請け負う。
それではと会釈をして去っていくパムを見送って「いい女だったなぁ」と悔やむ。
「ほんとはあの人を連れて帰りたかったんじゃない?」
ちょっと拗ねたようにノアが腕を強く引く。
その子供らしい仕草が可愛いなと思いながら「そうだな」と返せば「残念だったね!」と頬を膨らませる。
「でも暫く伴侶探しは諦めないとな」
ノアが成人するまではルピナスが他に目を向けることはできないだろう。
これからも振り回されることを覚悟しておかなければならない。
「暫くじゃなくて、永遠にできないよ」
「はあ!?なんだと!?」
それでは困るとしっかりと握っている手を振れば、ノアが抜け目のない顔で明るく笑う。
「だって、あたしがルピナスのお嫁さんになるんだから当然でしょ」
「は、なんだって?お前――――女だったのか!?俺はてっきり、男だと」
「うん。思ってたみたいだから言わなかったけど」
「ちょ……待て!」
成人していない少女を連れ帰ったとなれば前代未聞の大騒ぎだ。
「まずい、俺やっぱり連れて行け――」
「今更じたばたしない!ほら、さっさと行こうよ。赤竜の里へ」
結局ノアの要求には逆らえなくて。
ルピナスはその背に負おうとして躊躇する。
「…………また落ちたら困るし」
言い訳して胸に抱え上げるとノアがぎゅっと腕を首に回してきた。
もう離さないし、離れないと言いたげなその強さにルピナスは居た堪れなさと、落ち着かなさを同時に味わう。
「どこで間違ったか」
後悔しても今更遅い。
観念して「行くか」と地を蹴った。
笑われようとも、今更手放せないだろう。
人の温もりとは不思議なものだ。
そして心も。
ルピナスはノアの代わりに。
ノアはルピナスの代わりに。
いつかは互いにかけがえのない存在へとなっていくのかもしれないと思えば、それはそれでいい気がした。
ルピナス編「危険がいっぱい」終了です。
年の差カップル、しかも押しかけ女房です(笑)
ノアが成人するまでは結婚はできませんが、その間に育まれる愛やら思い出やらが彼らを幸せにしてくれると信じています。
次は白竜ウィルのお話です。
次回はちょっと重い内容ですので、書く方もですが見る方も少し気合いが必要かと思います。
それでは次も見てくださっていただければ幸いです。




