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竜の花嫁たち  作者: 151A
危険がいっぱい
20/48

駆け引き



 岩と岩の間から流れ落ちる清水の先に水袋の口を差し出してノアは「すごいや!」と歓声を上げた。


 優しい木漏れ日の中でルピナスは足を投げ出して座ると、水音の涼やかさと程よい湿気を含んだ風に眠気を誘われて目蓋がだんだん重くなってくる。

 はしゃいでいるノアの声もどこか遠くなっていき、うつらうつらと舟を漕ぎ始めた。


 少しくらいいいだろ――。


 流石に徹夜で歩き尽くめではルピナスも睡魔には勝てない。

 軽い足音が近づいてきて右隣りにちょこんと寄り添うように座る気配がして口元を綻ばせた。

 ノアもよく頑張って歩いているから疲れているだろう。

 だから丁度いい休憩になるに違いない。


 狼もこの辺りには寄りつかないし。


 言い訳を胸の内で呟いている途中で意識がぶつりと途絶えて夢も見ない眠りへと落ちた。



「もし?旅の御方、そろそろ日も暮れる時刻ですよ」


 柔らかな声と共に肩に触れる手の華奢な感覚にルピナスは一気に覚醒する。

 弱くなっている太陽の光を背に負っているので顔の造作は解らないが、小首を傾げてこちらを覗き込んでくる仕草や身体の輪郭から若い娘であることだけは確かだ。


「う、あ。すまん」


 慌てて太陽の位置を確認すると女が言うように、日暮れ間近の陽光へと変わり始めていた。水場へと辿り着いたのが丁度昼頃だったので、随分と寝入ってしまっていたようだ。


「助かった」


 このまま起こして貰えなかったら目が覚めた時には辺りは闇に包まれていただろう。


 素直に礼を言うと身を屈めていた女が腰を上げて頭を振ったので、その顔を見ることができた。

 黒い髪の生え際へと目尻がすうっと切れ上がっているが、瞳が大きいのできつそうに感じられず、ツンと上を向いた鼻や形の良い唇の間から覗く可愛らしい歯が若々しくて好もしい。

 胸は小振りだが細い胴から腰が張っている見事な曲線に思わず喉が鳴る。


「なにエロい目で見てんの?失礼だよ」


 右隣りから非難の目と鋭い突っ込みがやって来て慌てて違うと否定するが、実際邪な目で見ていたのだから説得力は無い。


「お前も男なら解るだろ?あの魅力が」

「ごめん。解らない」


 同意を求めるために小声で耳打ちしたが即座に切り捨てられてルピナスはがっくりと肩を落とした。


 しょうがない。

 ノアはまだ子供なのだ。

 女の良し悪しなど解るはずも無い。


「親子、ですか?」


 女は湧水を手で掬って喉の渇きを癒し、右手に持っていた水袋の飲み口で湧水を受けながら不思議そうな顔で尋ねてきた。


 誤解されてはたまらないので「違う!たまたま通りかかって、子供がひとりで旅してるって言うから心配で!」と勢いよく首を振ると、ノアが半眼でルピナスを見ているがこの際知ったことでは無い。


 伴侶探しを諦めた途端に転がり込んで来た女性との出会いは貴重で、艶やかな黒い髪が背中をサラサラと流れる様子はうっとりと魅入ってしまうほどだ。


「どうりで似てないなと思ってました」

「そうだろ?俺とノアじゃ親子には見えないはず」


 栗色の髪と青い瞳のノアと、赤い癖毛と吊り上がった朱色の瞳をしたルピナスでは似通った色も造形も無い。


「でも寄り添って眠る姿はまるで親子みたいに親密でしたよ」

「そうか?なんか懐かれたみたいで」

「優しいんですね」


 女はにこりと微笑んで水で一杯にした水袋の口に栓をすると水辺から離れてこちらへと歩いてくる。


「いや、それほどでも……」


 耳の裏を掻いて照れ笑いを浮かべると、気色が悪いと言いたげにノアが二の腕を擦って身を震わせる。


「どこまで行くの?」


 女は視線をノアへと向けて砕けた口調で話しかけた。

 明るいさっぱりとした言い方にルピナスは好感を抱いたが、ノアは違ったようでむっつりと口の端を曲げて黙り込む。


「あー……悪い。懐っこい奴なんだけどな、あんたがあんまり綺麗だから気後れしちまったのかも。こら、ノア。ちゃんと答えないと駄目だろう」


 失礼だぞと今度は逆にこっちが窘める番だった。

 だがノアはついっと顎を上げてそっぽを向き、女に背中を見せて膝を抱えてしまう。


「ノア!おいって、」

「いいんです、きっと大人ばかりが話してて退屈しちゃったんですよ」


 気を使った女がルピナスを止めて「ごめんね」と謝罪までする。

 子供の気紛れに振り回されたのに寛容な態度で接する女に感動しながらも、ノアの頭をぐいっと押し下げて「なんか、すんません」と一緒に頭を下げた。


 本当はノアも悪いと思っているのだろう。


 無理矢理頭を下げさせられたというのに文句も抵抗もなかったのだから。


「ノアの母ちゃんがこの先のドルの町にいるらしくて。そこまで」

「ドルの町……?それなら私の知っている人かもしれない」


 私そこの住人だからと女が破顔した。


 女はパムと名乗った。


 ノアの母親がいるというドルの町に住んでおり、父親と一緒にヤードの村へと定期的な情報交換のために行っていた帰りだという。


「森の入り口で父は待ってるんです」


 驢馬が引く荷馬車に乗って来たので、ここまでは入ってこられなかったのだそうだ。

 前は道の途中にある川の水を汲んで道中の飲み水として使っていたが、突然枯れてしまったので仕方なく道を外れて森の中の湧水を汲みにやって来たという。


「どうしてこっちの道を使ってるんだ?遠回りだし、狼が出るっていうのに」


 普通なら二日半かけて行き来するよりも、一日半の近道を行った方がいいだろうに何故かパムたち親子はノアが騙されてやって来た道の方を選んだ。


「普通ならこの道は使わないんだけど、もうひとつの道に野盗が出るようになって」


 みんな遠回りで狼が出るがこちらの方を通るらしい。


「狼は縄張りの森からは滅多に出てこないし、火を怖がるからまだ対処はできる。でも野盗は殺しも、盗みも平気でするから」

「なるほど、近道ってところは嘘だったが安全ってとこは真実だったのか」


 完全に子供だから嘘の情報を掴まされたのだと思っていたが、ノアにこの道を行くように勧めてくれた人物には感謝しなければならない。


 たいした価値のあるものも持っていない子供が野盗に襲われれば、確実に殺されるか人生を曲げられてしまうことになる。

 若い娘であるパムを連れての旅ならば野盗がいる道をいくよりも、まだ野生の狼の方が怖くも被害も少ないだろう。


「いつからなの?」


 さっきまで膨れっ面で話を聞いているのかどうかも解らないような素振りをしていた癖に、ノアは青い瞳を炯々と光らせてパムのスカートを引いて尋ねた。


「確か、ひと月くらい前だったと思う」

「誰も退治しようとか思わなかったの?」

「あの場所に住みついた野盗は近づかなければ襲って来ないから、刺激しないようにしようってことになって」


 今は道を通る者だけを襲っていても、そのうち野盗は欲をつかせて周辺の村や町を襲撃し始めるかもしれない。


 そうなってからでは遅く、失われた命や尊厳は取り戻すことはできないだろう。


 ルピナスも何度かそういう話を耳にしたことがあるし、一度実際に現場を見たことがある。

 勿論移動中の空の上からで目と鼻の先で起った出来事では無かったが、闇を払うかのように赤く燃え上がる炎と黒い煙が遥か上空からでもはっきりと見えた。

 逃げ惑う人々とそれを追って喜ぶ男たちの下卑た声すら聞こえるようで吐き気がしたのを覚えている。


 弱い者いじめなどなにが楽しいのか解らないが、人はみな優越感を欲して自分より弱者であると認識すると虐げようとする暗い性質を隠し持っているのだ。


 竜族は力の強い者が選択権や決定権を得ることができる。だが遥かに能力的に落ちて未熟である竜に対して、強者が無慈悲に力を揮って叩きのめすことは皆無だ。


 力の差による秩序は解りやすく、自然と上下関係ができるのが竜の世界の利点だった。

 それに比べて人族の世界は想像以上に複雑で危険が多い。

 そういうところが生き辛く窮屈で、ルピナスが不便だと思う部分だった。


「ふーん」


 急に興味無さそうに相槌を打ちノアは掴んでいたスカートを放すと、とことことルピナスの横へとやって来てにやりと笑いかける。

 その笑い方が不穏に映り嫌な予感がしたが、どうやら逃げることはできないようで早々に降参した。


「なんだ?なにを考えてる?」

「善いこと」

「は?」


 帽子を被った後頭部に両手の指を組んで見上げてくるノアの顔はまるで悪戯小僧のそれと同じだ。

 ちらりと前を歩くパムの綺麗な黒髪へと視線を投げてから「好かれたいんでしょ?」と大きな声で言うので、泡を食ってノアの口を塞ぐ。


「ばかっ。そんなこと、でかい声でいうもんじゃない」

「もがは、ふがが、むうー……!」


 注意したがノアは声を抑えずに文句を言ってくる。

 ふがふがと不明瞭な言葉しか聞こえないが、多分「ばかはどっちだ」とかなんとか言っているに違いない。


 失礼な奴だ。


 子供には心の機微や繊細さ、恋に必要な駆け引きなど理解できないのだ。

 残念なことに。


「いいか?手を離すが、言いたいことがあるなら少し声を小さくしろよ」


 青い瞳に真剣な色を乗せ、こくこくと頷くのでそっと手を退けてやる。勢いよく空気を吸い込んで肩を何度も上下させるとノアは涙目になりながら鼻の穴を大きく広げた。


「……死ぬかと思った」

「ん?ああ、悪い」


 どうやらルピナスの手が大きすぎて口だけでは無く鼻まで覆っていたらしい。それでは息もできなかっただろうから、とても苦しかったはずだ。


 落ち着いた後でノアはちょいちょいと人差し指を動かして屈むようにと指示してくる。

 横着で偉そうな態度だが、一歩間違ったらノアを殺しかねなかったので黙って言う通りに膝を曲げて屈んでやった。


 ノアが右手を口元に当ててルピナスの耳に近づけてくる。


 内緒ごとを打ち明ける仕草のひとつに「子供だな」と微笑むが、ノアには見えていないようで小さな声がルピナスの鼓膜を擽った。


「野盗をこらしめようよ。そしたら」


 だが内容は全く笑えるものでも、ほのぼのしたものでもなかったので凍りつく。


 ――あのひともきっと感謝して、花嫁でもなんでも喜んでなってくれるんじゃないかな?


 悪魔の囁きにルピナスはぶるりと背中を震わせる。


「だめだ」と強く突っぱねたいのに、口から出たのは掠れた弱々しい声だった。

 抗えぬだけの魅力と意思の力がそこにはあって、ノアの誘いを拒絶できない情けない自分に虚脱しつつも随分と先に行ってしまったパムの溌剌とした後ろ姿を探す。


「竜族は強いんだよね?」


 野盗なんかに負けないでしょ?と確認されれば勿論だと即答してしまう。


「じゃあやろうよ」


 まるで邪気など無いように破顔するノアは純粋無垢な子供では無い。


「簡単にいうなって」


 必死で思い止まらせようとするが、たった一日でノアの性格は嫌というほど見知っていた。


 強情で、頑固で。

 言い出したら聞かない。


「不可侵って決まりなんだよ」


 竜族は人族の争いごとに首を突っ込んではならないと決まっている。

 だから前回見た野盗の襲撃も見て見ぬふりでさっさと通り過ぎた。


「ふかしんってなに?」

「あー……えっと、人族のことは人族に任せておけってことだ」


 少々違うが大きく間違ってもいない。

 するとノアは顔色を変えて「ふーん。じゃあいいよ」と吐き捨てた。


「母親の住む町まで行こうとしていた子供が野盗に襲われたって放っておいてくれて良いから」


 くるりと背を向け森の中を道も無い木立の中へと入って行こうとするノアの肩を慌てて掴む。


「おいおい、待ちなさいって」

「人族のことは人族に任せるんだろ!?じゃあ、どうなろうとルピナスには関係ないから」


 全然気にしなくていいから、と腕を振り払ってすり抜けて行く小さな身体を必死で引き止めようとしたが身軽に飛び退いて距離を取られた。


 そのまま走り去られたら見失ってしまいそうで、ルピナスは堪らずに叫んだ。


「解った!解ったから、少し落ち着け!」

「いやだ。野盗に人がたくさん苦しめられているのに、無視できない」

「なにか方法を考えようぜ?な?野盗がこの辺りに住めないようにするいい方法を」


 ルピナスが竜の力を野盗に直接使わなければ干渉したとは見做されないだろう。

 だから。


「一緒に、考えようぜ?」


 ノアの青い瞳とルピナスの朱色の瞳がぶつかる。

 数秒根競べをして、先に折れたのはノアだった。


「解った。考えよう」


 ゆっくりと離れてしまった距離を埋めながら歩み寄り、ルピナスはその小さな手を掴んで野盗の詳しい情報を聞くためにパムとその父親が待つ森の外へと向かって進んだ。


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