そん時はそん時
結局の所。
コチリの実は数刻も森の中を彷徨ったものの見つけることはできず、日が暮れた頃には周囲を数十匹の狼に囲まれる羽目になった。
小脇にノアを抱えて炎で威嚇しながら逃げ出したが、中々お目にかかれない子供という御馳走を前に奴らは必死で追いすがって来たので引き離すのに非常に苦労した。
なんとか森を抜け出して道へと戻ることはできたが、休憩しようにもいつ森から狼が襲ってくるか解らない状況でのんびり足を投げ出して座ることなどできない。
その上抱えていたノアがいつの間にか寝入っており、この状況で眠れる神経に呆れつつも子供らしい寝顔に絆され、寝にくかろうと肩に頭を乗せさせ胸に抱え上げる。
青白い月が照らす道を歩きながら果たしてこれはノア自身の足で歩いて母親の元へと辿り着いたということになるのだろうかと悩んだが、ルピナスには答えが出せないことなので気にしないことにした。
森の中で赤竜の力を使って狼を牽制した時点で反則だといえなくも無いのだが、あの時はノアも冷や汗をかきながら「なんとかしてよ!」と喚き散らしていたので無効であると思いたい。
そのまま夜通し歩き、日が昇り始める前に肩の上でもぞりとノアが頭を動かして身じろいだ。しばらくぼうっとしたまま起き上がらなかったが、その間に整理していたのだろう。
突然がばりと身を起こすものだから背中が反ってひっくり返りそうになる。
「あっぶね!」
「ひゃあ!?寝てた?寝ちゃってたの!?」
「おい、危ないから動くなって!」
ノアはわたわたと腕で宙を掻きながら慌てて態勢を立て直そうとするが、動かれると返って危ないので身を委ねて欲しい。
だが「下ろして、下ろして」と懇願してくるのでルピナスはその場でしゃがみ込み、ノアの足先を地面に着けてやった。
「あー……びっくりした」
「びっくりしたのは俺の方だ。全く」
小さな丸い鼻を指先で摘まんで反論すると、ノアは眉を寄せて「やめてよ」と両手を突き出してルピナスの胸を押す。
その力の弱さと、掌の小ささに改めて十歳の子供なのだと自覚する。
本人は子供じゃないと言い張るが、やはり大人に護られなければ生きて行くことができないか弱い存在なのだ。
「しかもずいぶん先まで来たんじゃない?」
怒っているというよりはまるで困っているような口調で、ノアは摘ままれていた鼻を抑えながら道を振り返った。
「安心しろ。お前の歩く速度で進んで来たから、それほど町には近づいていないって」
「気にするところ違うんじゃない?」
「今更細かいこというなよ」
「ルピナスはざっくりし過ぎだと思う」
「そうか?昔一度細かい奴だといわれたことがあるんだが……」
あれは巫女選定の儀の時に異界の女をグリュライトへと迎えに行った際に一緒に行動をしていた黄竜に言われたのだったか。
地の属性を持つ黄竜は往々にして大きな変化を嫌い、地道にこつこつと物事を考える堅実な竜が多いと聞いていたが、あの黄竜は自由気ままに言いたい放題で付き合いにくい性格をしていた。
あれでは伴侶探しなど上手くはいかないだろうと思っていたが、どうやら無事に花嫁を連れて里へと帰って来たらしい。
ちょっと悔しい。
あんな他人の気持ちに鈍感な奴が、自分より先に伴侶を得ることができるなんて――。
「なにが悪いんだろうな?」
「聞かれても困る」
「……ごもっとも」
嘆息を洩らして明るくなってきた東の空を眺めた。
「あいつおとなしい女が好きだって言ってたから、そこが成功の鍵だったのかもな」
ルピナスの好みは陽気な女だ。
おとなしい女などなにを喋ればいいのか困るし、曖昧に笑われると良いのか悪いのか判断つかなくて不安になる。
陽気な女は感情を素直に面に出すので解りやすいし、話題に事欠かないから喋っていて楽しい。
更にちょっと気が強いくらいが可愛げがあるのだが、付き合いが長くなってくるとやきもちが度を越し始め険悪になってしまうことがあるので難しかった。
そしてルピナスが好きな性質の女は勝気な癖に保守的で、住み慣れた場所から離れることを嫌う。
「今更好きな女の趣味を変えるなんて難し過ぎんだろー……」
「なに?ルピナスはお嫁さんを探してるの?」
「あ?ああ、竜族は雄しかいないからな。人族の女の中から自分の子を産んでくれる伴侶を探して旅をしてるんだ」
まだお前には早い話しだろうけど、と苦笑いするとノアも「そうだね」と素直に頷いた。
婚姻や伴侶について語り合うには十歳という年齢は幼すぎる。いずれは成長して恋をし、思いを温めて恋人が伴侶になる日が来るだろうが、まだまだ先の話だ。
苦労を苦労と思わないノアが幸せな人生を送れればいいなと親のような気持ちで思っているのだからかなり重症かもしれない。
「伴侶も子供もいないのに、親の気持ちって」
間抜けすぎる。
「ルピナス!この先の川のほとりに綺麗な花が咲いてるんだって」
がっくりと肩を落としているのを見て同情したか、殊更明るい声でノアが行く手を指差して見せたのだった。
やっぱりか。
何度目か解らないが行けども行けども川へと行きあたらない現実に、愚痴よりも諦念が勝つ。
「あれ~?おかしいなぁ」
川どころか綺麗な花さえ見当たらない。
ノアは少々焦りを浮かべて歩きつかれた足を止める。
「腹減ったな。昨日コチリの実も食い損ねたし」
胃の辺りを擦って空腹を紛らせていると「嫌味?」とじろりと横目で睨まれた。そんなつもりは無かったが嫌味に聞こえてしまったのなら仕方がない。
竜族は腹が減ったら現地調達が基本なので、人族のように干し肉やらパンやらを持ち歩かないのだ。
ノアが持っているような鞄も必要ない。
喉が渇けば川や泉を見つけて水辺に降り立ち飲めばいいし、空腹を感じれば獣を捕まえて焼いて食べる。果物が実る茂みや寝床に丁度いい場所など旅暮らしの長い竜たちはみな把握していた。
「人族ってのは不便だよな」
物言わぬ獣たちより力が劣り、簡単にその命を失う危険がある。
賢さと器用さのみが特化して、強靭さや本能は衰えていく。
「不便って思うルピナスの方が変なんだと思うけど」
「そりゃそうかもしれんが」
ルピナスが不便だと思っていても、ノアたち人族にしてみれば当たり前のことで、そこに認識の違いが出るのは仕方のないことだ。
「あー……でも、川がないと困るんだけど」
荷物の中から牛の胃袋で作られた飲み水を入れておく袋を取り出して途方に暮れた顔で俯く。
水が入っていればぱんぱんに膨らんでいるはずの水袋は頼りなく萎んでいて、その中には一口分ほどの水すら入っていないように見えた。
「しょうがねえ。ちょっと上から見て来てやるから待ってろ」
「あ!ルピナス!?」
呼び止める声を無視して跳躍するとふわりと身体が浮き上がる。
風を掴んでぐんぐん上昇し、雲の端にかかる所で止まった。
見下ろせばノアは小さな黒い点になっている。
この距離ではどんな表情をしているのか解らないが、竜族の力を間近で見て驚いているに違いないと大きく腕を振ってみせた。
それから道なりに先へと進んで行くと小さな橋がかかっている場所があったが、その川は干上がってしまったのか茶色の堀を残すだけになっている。
「まずいな……」
川で水を汲まねば流石に歩いて町へ向かうなど不可能だ。
他に水場は無かったかと記憶を辿り、町の方向とは逆にある森の奥に小さな湧水の出る場所があったはずだと思い出す。
それすらも枯れている可能性はあるが、森の木々が葉を落とし枯れ始めている兆候が無いから恐らくは大丈夫だろう。
「更に遠回りになるが、仕方ないな」
竜族のルピナスは多少腹が減ろうが、水が飲めなかろうが死ぬことは無い。
だが人族であるノアはそうはいかないのだ。
しかも子供である。
確実に死は急ぎ足でやって来る。
もしもの時はノアを抱えて空を駆け町へと運ぶつもりではいるが、ぎりぎりまでノアの意思を尊重してやりたいと思う。
風を切り進み、小さな点だったノアがみるみる形を成して行く頃になって激しく後悔した。
待っていろといった場所に留まることを拒否し、ノアは道を母のいる町へと向かって進んでいたのだ。
それは別に問題ない。
問題はその顔だった。
空色の瞳は途端に曇り空のように翳り、大粒の涙を溢れさせながらも泣くまいと必死に唇を震わせていたのだ。
目尻を赤くして硬く握った両拳を戦慄く口元に当てて。
嗚咽を堪え、小さな体で悲しみと不安を消化しようと懸命に足掻くノアを見て、初めてひとり置いて行ってしまったことを痛切に反省した。
「馬鹿か、俺は」
大人ぶっていてもノアは十歳の子供だと知っていたはずなのに。
故郷から遠く離れた母親の住む町へひとりで旅をすることに恐怖や心細さが常にあったのは想像に難くない。
それを表に出さなかったのは、出してしまえば進めなくなるからで。
最初にルピナスの力を借りるのを拒んだのは温もりや優しさを感じてしまえば、二度とひとりには戻れないとノア自身が知っていたからだ。
それなのにルピナスは放っておけないからと軽い気持ちでノアの手を取り、ノアの孤独の深さに気付けずに簡単に傍を離れた。
行かないで欲しいと止められたのにも拘らず。
「ノア」
呼びかければ小さな肩がびくりと跳ねて背中が強張る。
振り向かずにノアは先へと歩き続けるからルピナスはどうすればいいのか解らずに後ろをついて行く。
せめて泣き止むまで待とうと黙っていると大きく洟を啜り上げる音がして、ぴたりとノアの足が止まった。
「ノア?」
情けないことに声が上ずってしまう。
なにかいえばいいのか、謝った方がいいのか、抱き締めたらいいのか、笑いかければいいのか――でも、どれも違う気がして。
「責任、とりなよ」
「は?責任……?」
こちらに背を向けたままノアは拗ねたように言った。
だがこういった時の責任の取り方などルピナスは知らない。
「これだけ不安にさせて、泣かせたんだから町に着いて母さんからいらないって言われたら……他に行くとこないからルピナスの家に住まわせてよ」
「俺ん家?」
唐突な要求に声が裏返り、ノアが小さく笑った。
そして「うん」と澄んだ綺麗な声で返すので無下にできずに頭を掻く。
「あのなー……竜の里って、そんなに簡単に行き来できるような場所じゃないんだぞ?グリュライトに帰りたいって言われても、」
「言わないよ」
だって他に行くところないわけだし、と明るい瞳を瞬かせて振り返る。
その真っ直ぐな目で見つめられるとルピナスはだめだとは言えなくなってしまった。
「母ちゃんはノアをいらないって言わないだろうさ」
「……だといいけど」
微苦笑した顔があまりにも儚くて。
「そん時はそん時だな」
今からそんなことを考えても無意味な気がした。
もし母親がノアを引き取らなかったら――他に受け入れてくれる場所を探してやろう。
なんなら野生の馬を捕まえて、故郷まで連れて行ってやっても良い。
でも、ノアはまたあんな風にして泣くのだ。
そう思ったらルピナスには他の方法など選べない気がした。
「さあ、ちょっと遠回りするけど文句は無いよな?」
ノアの背を押して道から外れると、湧水がある森の方へと進路を変えた。




