子供の名は
茶色の帽子に包まれた小さな頭が動いてこちらを向いた。
はしっこそうな青い瞳が栗色の前髪の下からルピナスを見上げてくる。
小作りの丸っこい鼻の上を横切る様にそばかすがあり、子供らしい柔らかで丸い頬が笑ったせいか上へと持ち上げられた。
よく喋る大きな唇は歯並びの良い白い歯をむき出して甲高い声で名を呼ぶ。
「この先の川のほとりに綺麗な花が咲いてるんだって」
小さく細い指が進行方向を示したが、道の先には到底川があるようには見えない。
ルピナスは癖のある赤毛をぼりぼりと掻いて、この周辺の景色を上空から眺めた記憶を探るが川があったことなど覚えていなかった。
てか、あったか?
そんな疑問を口にはできずに「花なんか食えないもん、別にどうだっていい」とだけ返す。
子供は「え~?」と不満げに声を上げるが、からかっているのかと訝る程にその口から出てくるものは眉唾な情報ばかりだった。
勿論嘘を言っているつもりがないことは明白だ。
腰までの短い外套に膝までのズボン。
そして編み上げ長靴を履き、大きな荷物を斜め掛けしている姿は旅装に間違いなく、こんな幼い子供がひとりで道を歩いていたのだからルピナスは呆れてしまった。
子供の名はノア。
旅の途中でたまたま上空を通りかかった道にぽつんと小さな影があるのを見つけルピナスは小動物かなにかだろうと始めは思った。
だが動物にしては動きがおかしい。
人に狩られることに警戒する動物たちは、そもそも人の気配のする場所に寄りつかないものだ。
道の傍に現れることや、横切ることはあっても道なりに進んで行くことなどまず無い。
影はとことこと一定の速度で道の上を進んでいたので、間違いなく動物の動きでは無かった。
となると考えられるのは人。
だがその大きさが小動物かと間違えてしまうほど小さく、また頼りないことがルピナスの不安を煽った。
近くに大人や保護者がいないかと目を走らせたが、子供の前後左右どこを探してもそれらしい人影を見つけることはできなかった。
もしかしたら旅の途中でなんらかの事故や急病などで動けなくなった大人を置いて助けを求めに人里へと向かっているのかもしれないと思い、手助けができないかと降り立てばノアは「一人旅だよ」と明るく笑ったのだ。
なんの問題も無いと言いたげな自信たっぷりの様子にこちらが気圧されるほどで、聞けば不慮の事故で亡くなった父親の庇護を失い生活できなくなったから離れて暮らしている母親の元を訪ねる旅の最中であると答えた。
父親を喪ったばかりだというのにノアには悲しみも暗さも感じさせない。
普通ならば泣きじゃくるしかできないくらいの年齢であるはずなのに、強いというよりも元々の性格が明るく前向きであることが悲しみに暮れることを己に許せないのだろう。
離れて暮らしているというが、母親が父親の死を知って迎えに来ないというのは少々理解に苦しむ。
人族の習慣や決まりごとに精通しているわけではないが、これは少々というかかなり異常で異例な気がする。
特殊な理由があるのだろうが、ルピナスには勿論解らない。
ノアは事情を話した後「じゃあね」と手を振ってなにごとも無かったようにルピナスと別れようとする始末。
その淡白さに驚いて慌てた。
「待て待て待て!」
腕を伸ばして外套の背中の部分を鷲掴みして止めるとルピナスは殊更恐い顔をして見せて脅しつけた。
「危ないだろ、子供がひとりでなんてなに考えてやがんだ!野盗に獣、それから幽鬼とか危険がいっぱい里の外にはあるんだぞ!?」
「大丈夫だって。この道は一番安全で一番近道なんだ。夕方には町に着くんだから」
問題ないよとルピナスの腕を解こうとしている。
だが子供の足で半日以上かけて歩いた先に村も町も里も無いのは知っていた。
「ねえから。町なんか!」
「嘘だ!」
「嘘ついてどうなる?俺になんの得があるんだよ?」
「うー……そんなこと言って油断させて、頭から食べる気だろ!?」
「はあ!?子どもなんか食っても腹の足しにはならねえつうの」
そもそも人を襲って食べる獣と同じ程度に扱われることに衝撃を受けて、ルピナスはがっくりと肩を落とす。
美しい娘を攫って行く憎い存在だと思われている竜族だが、もしかしたら連れ去って子を産ませた後用が済めば頭からバリバリと音を立てて食べていると信じられている可能性も否定できない。
実際はそんなことは無いのだが、人族は竜族の生態や暮らしを知ろうとはしないからそういった誤解や曲がった噂が広まっていくのは仕方がないことでもある。
「じゃあ肉は食べないの?」
じっとりとした目でこちらを睨んでくるのでルピナスは口籠り唸り声をあげる。
肉も魚も野菜も果物もなんでも食べる。
実際には雑食ではあるが、どんなに空腹でも人族を食べようなどとは思わない。
まあ、別の意味でおいしくいただくことはあるわけで――。
「子供は知らなくていいんだよ!!」
「なに!?それ!!」
理不尽な対応にノアは目くじらを立てて喚き散らすが、外套を掴んでいない方の腕を伸ばして茶色の帽子の上から頭を撫でた。
少々力加減を誤ったのか帽子が脱げそうな勢いだったのでノアが「やめろよ!」と抵抗する。
「しょうがねえから送って行ってやる」
「は?」
「お前の、母ちゃんがいる町までついて行ってやるから」
「ふざけんな、子供扱いして」
「十分子供だろ」
ぽんぽんと軽く叩いてから腕を放してルピナスは笑う。
「こうして知り合ったのもなにかの縁だろうし」
手を差し出すがノアは警戒した視線をそこへ注いでくる。
暫しの間悩み抜いた後で「いらない」と拒絶した。
「なんだよ。せっかく親切でいってんのに」
空を飛んで行けば目当ての町になど直ぐに辿り着ける。
そう告げれば顔を顰めて「歩いて行く」と言い張った。
「じゃないと母さんに誉めてもらえない」
受け入れてもらえないと首を振るからルピナスはため息を零して道を歩き出す。
「ちょっと!?」
「今更放り出せねえかんな。ちゃんと送ってくさ」
竜の力を使って連れて行くのが駄目だというのなら、ノアの速度に合わせて歩いて行くのは許されるに違いない。
早く来いと手招けば、ぽかんとした顔の後でノアはくしゃりと笑う。
まるで泣き笑い見たいな表情に本当は心細かったに違いないと気づく。
「しょうがないからついて来ることは認めてあげる」
大人びた言い方でノアはルピナスの隣に立つと名を名乗り、手を差しだしてきた。その小さな掌を自分の大きな手を重ねて握り「ルピナスだ」と応える。
「いくつなんだ?」と聞くとノアは不満そうな顔で「十歳だよ」と告げ、この歳になればもう子供ではないのだとムキになって主張する辺り子供にしか見えないのだが、本人は真剣で笑うことは躊躇われた。
「ヤードが故郷なんだろ?」
肩越しに振り返ったこの道を辿った先にある一番近い村の名を口にするとノアがけろりとした顔で「違うよ。その二つ先のウィージの村」と返答するものだから絶句してしまう。
「ウィージの村だと!?お前、ここまでどうやって来たんだ!?」
子供の足では四日はかかる道程に思わず詰問口調になった。驚いた様に目を丸くするノアの顔を見てまずいと後悔したが出てしまった言葉は二度と戻らない。
「どうやってって、歩いて?」
「…………なんで疑問形なんだよ。お前」
「いや、それ以外の方法がなんかあったかなと考えてたところだけど」
「色々あんだろうが。大人の力を借りるとか、馬とか驢馬とか」
「バカじゃないの?馬とか驢馬とか持ってるんだったら、今更母さんに頼ろうなんて思わないよ。だって」
十歳はなにもできない子供じゃないんだから。
どうやら大人の力を借りようという選択肢は端からノアの中には無かったらしい。
自分はなにもできない子供だと思いたくないのだろう。
「どんな子供だよー……」
呆れているとにこりと微笑んでノアは「野生の馬を捕まえるのに手を貸してくれれば、母さんのいる町になんか行かずに故郷に帰るんだけどな」と不遜なことを言った。
言外に協力してくれる?と問われているのだと気づき、ルピナスは子供ひとりで生きて行くよりも母親の下で子供らしく生きることの方が大事だと思ったので首を振って拒否した。
「ちぇっ。ケチ」
「十歳は子供じゃないんだろ?じゃあ自分のことは自分でなんとかしろよ」
野生の馬を捕まえるなど生半可な覚悟ではできない。
子供だけでそれができるほど簡単なものでは無く、人族の成人した男であっても命を失う危険があるのだ。
しかも捕まえた後で調教し、互いに絆を結ぶまでに途方も無い苦労と時間を有することから誰も彼もができるものではないとノアも解ってはいる。
「あ!この先の森の中にコチリの実がなっている場所があるんだって。丁度喉もかわいたし、お腹もすいたし行こうよ」
子供らしい邪気のない声を上げてノアは駆けだす。
道を逸れて森の入り口の藪を掻き分けて飛び込んで行く小さな後ろ姿を追いながら、ルピナスは首を傾げた。
ここは狼が多く、日当たりも悪いためコチリなどの果実が実るような森では無いはず。
最初にノアが言ったこの道は一番安全でも一番近道でもない。
夜は狼が徘徊し、旅人を襲うという評判がある。
道は平たんで起伏が無いため歩きやすいが、その分町までの距離は長かったはず。
「ったく、どこで情報を掴んでくるんだか」
明らかに子供だから騙されているとしか思えない。
危なっかしくて仕方がない。
「今までよく無事でここまで来れたもんだ」
なんだかんだでノアは母親の住む町の近くにまで辿り着いている。
そのことに感心しながらも、きっとここまで来る間に色んな困難があったに違いないのにどこまでも明るいノアの姿は逆にルピナスの胸を苦しくさせた。
「うわあああ!?」
「おい!?ノア!大丈夫か!?」
前方から聞こえた悲鳴を聞いて反射的に目の前の茂みを飛び越えると、そこは直ぐに大きく口を開いた崖があった。
ごうごうと吹き上がってくる風の音を聞いて身震いし、ノアを探して顔を移動させるがどこにも見つけることはできない。
「ノア!?どこだ!?」
焦って呼べば「ここだよ」と弱々しい声が下から聞こえる。
崖下を恐る恐る覗き込めばなんとも頼りない石に必死でしがみ付いているノアの姿があった。
強い風に帽子が飛びそうになっている。潤んだ瞳には恐怖と焦りが滲んでいて哀れに映った。
「掴まれ!」
手を伸ばしてやると小さな喉をごくりと鳴らしてノアは小さく頭を振る。
手を離すことが恐いのだろうが、いつまでもつか解らない石に掴まっていた所で助かることはできない。
飛んでノアを助けることは可能だが、それでは自分の力で母親の元へと向かったことにはならないだろう。
だから「掴まるんだ」と厳しい声で促した。
青い瞳を瞬かせてからぎゅっと唇を引き結ぶ。
そしてノアは手を伸ばせば届く場所にあるルピナスの腕を見上げて覚悟を決めたか、左手に力を込めて右手を放して伸び上がってきた。
「よし、いい子だ」
その手を掴んで引き上げて誉めると、悔しいのか苦しいのか顔を歪めた。
「また、子供扱いして」
「大人は手に入れた情報に惑わされたりしないだろうが。だからお前はまだ未熟な子供だってんだよ」
情報を信じて疑わないからこういうことになるのだと失敗から学んで欲しかったからの苦言だったが、ノアは膨れっ面をして立ち上がると無言で歩き出す。
その方向が道へと出るものとは逆で、森の奥へと向かうものだったからノアがコチリの実を諦めたわけではないのだと解る。
「……強情」
ルピナス自身コチリの実が嫌いでは無いので、もしなっているのなら食べたいが、どんなに進んでも小さな赤い実を見つけることはできないと解っているのに付き合って森を行くなど気が重い。
それでも放っておけない。
狼が出る危険な森だ。
道も目印も無い森では簡単に迷ってしまう。
「暫く伴侶探しは諦めないとだな……」
やれやれと肩を落とし、ノアの母親が独身で別嬪だったらいいなと考えながら森を先へと進んだ。




