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竜の花嫁たち  作者: 151A
泡雪の花
16/48

彼女の望むもの

 滅茶苦茶に走り、空を駆けてどろどろに疲弊した身体を引きずって小屋の扉を開けるとセティは鳥を捌き終わった包丁の手入れをしていた。


 濡らした研ぎ石の上に刃の片方をあててゆっくりと動かすと全身の産毛が逆立つような音がする。


 暖炉には美味しそうな匂いを放つ鍋が掛けられ、温かな空気が部屋に満ちていた。


 朝まではここに三人の気配が賑やかなまでに感じられていたのに、狩りの後小屋で夕食の準備をしていたセティはただひとり帰らぬ男を想って待っていたのだ。


 愛されてもいないのに。


「――――っ!」


 悔しくてクレマは勢いよく扉を閉める。

 その剣幕に少々驚いたか目を丸くしてセティが顔を上げた。


 そしてなにごとかに気付いて「……見たのね」と独白のように吐き出す。


「テスは本当に彼女のことが好きだから、」

「いいの?それで、あんたは」

「いいもなにも……仕方ない」


 テスの愛を独り占めできなくても平気だと思っているのか、セティは「仕方がない」とこの不毛な関係を片付ける。


 そんなもの結局はその場限りの対応でしかない。

 ただの逃げだと、甘えだと解っていて。


「なんで二股かけられて平気なのか解らないけどさ」


 一番でなくても彼に大切に思われ、少しでも傍にいたい。

 彼女はそれを望んでいる。


 それが腹立たしい。


「旦那が他の女と楽しんでるんだから、あんただって俺と楽しんだって問題なくない?」

「なにを、ちょっと――やめてっ」


 左腕一本で華奢な身体を抱き寄せて、熱い吐息を耳元に吹き込めばセティは小さな悲鳴を上げて抗った。


「……始めからこうすればよかった」


 遠慮なんて柄にもないことをせずに、嫌われるのを前提に押し倒していればこの柔らかな温もりは簡単に手に入ったのだ。


 怪我を負った竜族を自分の他には誰もいない小屋に引き入れるくらいに孤独に耐えかねていたセティ。


 もしかしたら彼女もそれを期待していたのかもしれなかったのに。


「ん、や。どうして!?」


 熱く抱き締められ首をぺろりと舐められたセティが事態を把握できずに震えながらクレマの衝動の訳を問う。


「女にも性欲あるでしょ?こんな山の中でひとり寂しく暮らしていれば、身体が疼いて眠れない日も多いはずだよ」

「最低、そんな、勝手な動機で……いや、放して!」

「なに?それならどんな理由ならいいの?あんたが欲しくてたまらないとでもいえばよかった?睦言の延長で愛してると囁けば満足?」


 睨み上げてくる翡翠色の瞳を覗き込んで唇の端を歪めて見せると、蒼白のセティが激しく暴れたが女の力でいくら抵抗しても逃げ出すことは不可能だ。


 力を使い果たして満身創痍の状態でも人族の男にだって負けることは無い。


「おとなしくしてれば優しくするし、お互いに気持ち良く――――おい!なにしてんだよ!?」


 自分本位な要求を口にしながら体重をかけてセティの身体をテーブルの上に押し倒す。

 観念するだろうと思っていたら暖炉の赤い炎に照らされて閃いた輝きにクレマは慌てて身を引いた。


 できの悪い二人用の小さなテーブルの上からゆっくりと身体を起こしたセティは細い喉元に包丁の切っ先を当ててクレマを見やる。


 無表情で。


「そんなに、」


 嫌なのか。

 クレマに抱かれるくらいなら死を選ぶ程に。


 確かな拒絶は絶望と言う名の闇を連れて嘲笑うかのように足元を揺れ動かす。

 大地の力を自由に操るクレマにとってそれはなによりも恐怖だった。

 立っていられずに床に座り込み、それでも治まらない揺れに恐れ慄き悲鳴を上げる。


「なにか、」


 掴まるものはないかと這いずりまわり、寝台へと縋りついたが治まるどころか激しくクレマの世界は横に縦にと揺れ続けた。


 どこにも安寧の場所は無いと覚った頃にはぐるぐる回る景色の中で気分の悪さだけが残っていた。

 胸の辺りが痛み、そこを抑えて床に転がる。


 理由の解らない喪失感に打ちのめされ、ただただ不安で込み上げてくる嗚咽を飲み込むのに必死だった。


 確実になにかがクレマの中から失われ、そしてそのことを悲しみ魂が泣き叫んでいる。


 クレマの自覚とは無関係に。


 よく履き込まれ磨かれている靴先がゆっくりと近づいてくる。

 小さな足先、きゅっとしまった足首。

 音も無く、気配も無く、ただ匂いだけを連れて。


 初めて会った時と同じ状況が繰り返されていることに気付いてクレマはぼんやりと夕陽色のスカートとその下の白いスカートの対比に息を飲む。


 室内なので外套を着ていないセティがやはりあの時のように傍らに膝を着く。


 白い手が伸ばされてクレマの視界を遮っている黄色の髪を退けて後ろに流す。

 その優しげな手つきに呆れて「……やっぱり、頭おかしいんじゃない?」と第一声まで同じ言葉を口にした。


 無理やり自分のものにしようと襲ってきた者に対しての態度では無いと注意したつもりだが、セティは何故か微かに笑って首を傾げる。


 いつも緩く結ばれていた長い髪が下ろされており、さらさらと肩から落ちて綺麗だった。


「おかしいのは、俺の方かもしれない」

「……やっと自覚した?」

「性格が破綻してるのは知ってるけどね。頭がおかしいと認めるにはちょっと抵抗ある」


 手を伸ばして茶色の髪を指に巻きつける。

 柔らかくて冷たい、とても触り心地のいい髪だった。


「結んでないと、テスに怒られるんじゃない?」


 既婚者は髪を結う決まりがある。


 それは余所の土地から来た者が見ても解るようにという配慮であり、そしてそうすることで毅然と貞操を護ろうという女側の意志の表れでもあった。


 だがきょとんと目を丸くしてセティは「何故?」と聞いてきた。


 これにはクレマも意表を突かれて「なんでって言われても、そういうもんじゃないの?夫婦って」と返すしかない。


「ああ、そうか」


 そうよね、とようやく合点がいったように何度か頷いてクスクスと声を上げて笑う。

 まるで少女のように愛らしい笑顔にクレマは妙な息苦しさを感じた。


 セティはそんなクレマに頓着せずに着いていた膝を起点に床に横座りする。美しい脚の輪郭を浮き彫りにした夕陽色のスカートが目の前にあった。


 すぐ触れられる場所に。


「……髪は山での生活では邪魔だから結んでいただけ」

「それって、どういう」

「私とテスは夫婦では無いの」


 困った顔を真っ直ぐに暖炉へ向けて、後は食べるだけになっている鍋の様子を気にしている。

 クレマと話しているのに気もそぞろなセティに腹の底がそわそわし、思わず絡めていた髪を引っ張った。


「ちょっと、痛い」


 抗議と共にぺしりと手の甲を叩かれて器用な指に髪を奪い取られる。

 寂しくなった指先を見つめてクレマは口の端を下げた。


「愛人は夫婦とは認められてないからね」

「……違う」

「違うの?夫婦でも愛人でもない男をあんたは独り暮らしの小屋にほいほい招き入れるんだ?そりゃどんだけあばずれなんだか――――って!」


 握り締められた小さな拳が勢いよく蟀谷に振り下ろされ、クレマは目を白黒させながら頭を抱えて悶える。


「確かに怪我しているあなたを放っておけなくて連れて帰って来たけれど、いつだってそんなことをするわけじゃない」


 昂ぶった感情のまま落とされる言葉にクレマは痛みに苦しみながら期待する。

 欲しい言葉を彼女が与えてくれるのを。


「あの時はひどい雪嵐の予兆があったし仕方なかったから。テス以外の男を小屋に入れたことなんて今までなかった」

「……じゃあ俺が初めて?」


 テス以外でというのを抜きにして考えれば浮足立つほどだったが、夫婦にも愛人にもしてくれない男をそれほど好きなのだと思えば腸が煮えくり返りそうだった。


 大樹の下で貪るように求め合っていた姿を目の裏に蘇らせれば怒り狂うことなど簡単なことのように思える。


「あなた、勘違いしてる」


 クレマの苛立ちや怒りを知らぬセティは切なげなため息を洩らす。


「私とテスは、」


 家族なの。


 与えられた言葉はクレマが望んでいたものとは少し違っていたが、大きく外れたものでは無かった。


 それでもセティがテスのことを語る時の愁いを帯びた表情や、山を登って来た時に喜んでその腕の中に駆け込んだ姿を思えば彼女の中でテスの存在がどれほど大きいかは想像がつく。


「私たちは夫婦子って呼ばれる双子の兄妹なの。一年共に母のお腹で片時も離れず成長するからか、互いを自分の半身のように慕い求めてしまうんだって。だから」


 男と女の双子は嫌われる。

 まるで夫婦のように仲良く、互いの人生を歪めてしまいそうな危うさを秘めいているからとセティは続けた。


「テスはそうでもなかったけれど私は違った」


 他の子と仲良くしているのを見ては機嫌が悪くなり、邪魔をしたり、意地悪をしたりして兄であるテスを困らせた。


 父と母もそんなセティの様子に何度も注意したが、兄を好きだと思う気持ちを悪く言われるのが解らなくて反発した。両親も兄も味方では無いことに腹を立て、セティは意固地になって口を噤んだ。


 己の感情を表に出すことが罪なのだからと飲み込み、テスに対する独占欲を胸の中に無理に押し殺しているせいで誰かに優しくするという最低限の思いやりすら失って。


「もうひとりの自分であるテスはどんどん人の輪の中に入って行くのに比べて、私はどんどん内に引きこもるようになって誰とも接することを拒むようになったの」


 ある日テスが集落の女の子と恋仲になったことを知った時、嵐のような激しい感情を発露させたセティは我を失い罵りながら暴れ狂った。


 両親は恐れ、人々は呆れ、兄は妹の醜態に顔を歪めて自身を責めて謝罪した。


「ああ、これは無理だと思ったの」


 自分の想いは歪んでいると漸く認め、セティは身の回りの少ない荷物だけを手に山へと移った。


「私は他の人と馴染めない。一緒には住めないから」


 寂しくても山の生活を望んだ。


「本当は誰も知らない土地へと移住するべきなんだろうけど、やっぱりテスの傍を離れるのが嫌で」


 時折様子を見に来てくれるだけで満足なのだとセティは淡く微笑む。


「テス以上に他の人を好きにはなれないから、私は」


 ずっとこのまま独りなんだと覚悟していたと告げられてクレマの胸の奥が誰かに鷲掴みされたかのように激しく痛んだ。


「それなのに、土足で踏み込んできて」

「はは……俺の特技だから」


 人の一番柔らかくて弱い所に傍若無人に乗り込むのは最早趣味でもある。

 嫌がる顔を見るのが好きで、クレマの言葉で激昂する姿が面白くて。


 わざと傷つく言葉を選ぶ。


「私もあなたと一緒。頭がおかしいの。圧倒的に欠けてるから」


 半身であるテスを求めるのか。


 それではテスはどうなのかと思いを巡らせば、愛しい女に己をぶつける姿には必死さがあった。

 心の枯渇している部分を、自分には無いものを求めて女を抱き締めていたように思う。


 もしかしたら意思ある生物は全て欠けているのかもしれない。


 だからこそ傍にいてくれる誰かを探して、ピタリと相性の合う伴侶との出会いを夢見るのだろう。


「俺とだったらおかしい者同士上手く行きそうだけど……」


 どう?と軽い口調で問いながらも、心は不安で鼓動が激しく乱れていいた。

 セティが翡翠の瞳を瞬いて見下ろしてくる。


「かもしれない」


 あくまでも曖昧な返答だが断られてはいない。

 そのことに驚いてクレマは「まさか本気じゃないよねぇ?」と恐る恐る確認した。


「あなたみたいに失礼で、軽薄で、なにごとにも本気にならない竜なんか普通の女の人は絶対に選ばない」

「…………言ってくれる」


 だが真実である。


「でも私は普通の女じゃない」


 はみ出し者で嫌われ忌まれた女。

 野山をしなやかに駆けて弓矢を放ち、仕掛けた罠にかかった小動物を捌いて日々の糧を得る逞しい女だ。


 独りでも生きて行けるように強く在ろうとする女。


「人はテス以上に好きな男は現れないと思うけど、竜族にはきっと」


 あなた以上に一緒に生活したいと思える竜はいないと思う。


 赤い唇から零れた信じられない言葉にクレマは「ああ……」と声を洩らす。

 じわじわと溶け出して温かな血潮が体中に行き渡るのを感じた。


 それは誰からも認められない性格や資質であったり、そのことに不満を持ち腐っていたクレマの汚い部分がセティの一言で解きほぐされ流れ去っていくしこりの様なものだった。


 漣のように包み込む幸福感にクレマは瞳を閉じる。


「……セティは男を見る目がない」

「そうかも」


 固い声が返ってきて即座に違うのだと言い訳しそうになる。

 床に腕を着いて上半身を起こすと不貞腐れたセティの顔が間近にあった。


「俺を選んだこと、絶対に後悔はさせない」


 絡み合った視線の先でセティが怯んだように身動ぎする。

 髪を覆っているスカーフに指をかけると恥じらうように目を伏せ、嫌がる素振りを見せないのをいいことに髪を撫でながら解いた。


 同時に赤く熟れた唇に自分のものを重ねる。


 緊張したように震え、固まっているセティはあまりにも初すぎてクレマの胸の内側を激しく引っ掻いた。


「…………まずい、加減できずに壊しちゃうかも」

「え?」


 テスに泉で化け物扱いされたことを思いだし自制をかける。

 さすがに経験豊富なクレマでもこのまま進んでしまうことに躊躇と恐怖があった。


「今更焦っても意味ないし、ゆっくり行こうか」


 今まで持てなかった相手への配慮の芽生えにクレマ自身が一番驚いていたが、セティもそのことに対して異論は無いらしくこくこくと頷く。


「所で、どうして俺がテスを旦那って言った時に否定しなかったわけ?」


 最初の方で教えてくれていれば誤解は直ぐに解けたはずだ。


「村ではそうやって揶揄して呼ばれていたから、あんまり違和感がなくて」


 それに夫だと思いたかったのだと正直に答えた。

 人族の一番はテスで、竜族の一番はクレマ。


「あんた、すっごい欲張り」

「……だと思う」


 それから独占欲も強いから気を付けて、と可愛らしく付け加えてくるのでクレマの胸の中に火がぽっと灯る。


「独占欲なら負けないけどなぁ」


 すぐにでも黄竜の里へと連れ帰りたいが、まだ怪我も体力も戻っていない。

 セティを抱えて空を飛ぶなど難しいだろう。


「途中で伴侶を奪おうとする馬鹿な輩がいないとも限らないし?」

「それ自分のことでしょ」


 呆れ声の聞こえる腕に力を入れて綺麗な形の頭にそっと口づけする。


「腹減った、なんか食べさせて」


 頷いた小さな温もりが抜け出せるくらいに力を緩めると、するりとセティはすり抜けて暖炉の前に立つ。


 あの雪原に咲いていた雪の花のように儚い容姿をしながら、彼女は凛として力強く咲いている。


「俺はちゃんとセティの下の世話するからさ。安心して」


 勿論嫌がったりはしない。

 嬉々としてするだろう。


「なに、それ」


 嫌悪を顕にセティが振り返り、そんなのは御免だと首を左右に振る。



「言ったと思うけど、竜族は長命なんだ。人族より長く生きる。つまり伴侶は必ず竜を置いて先に逝く。死の床につく伴侶の世話をするのは竜の務め。穏やかに、幸せの内に逝けるように力を尽くすよ」


 俺なりのやり方で。

 必ず幸せにする。


「誓うから」


 なんの愁いも無く俺と共に来てくれる?


 セティは虚をつかれたか一瞬固まり、そしてあの泡雪の花のようにきらきらと破顔して「もちろん」と応えた。


一筋縄ではいかないクレマの恋はどうでしたでしょうか?


性格に難ありのクレマがみなさんに嫌われはしないかと毎回怖くてたまりませんでした。

それでも最後まで見届けてくださった優しいあなたに感謝を捧げます。


間にセティ目線のおまけの話を挟んで次は赤竜ルピナスの物語になります。

もし宜しければ時間の許す時にでも覘きに来てください。


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