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竜の花嫁たち  作者: 151A
泡雪の花
15/48

どうにもできない



 ドサリとどこかで雪が落ちる重い音がする。


 鳥が羽ばたき空へと飛び上る姿を追ってセティはギリギリまで弦を引き絞った矢尻の先を動かす。

 白い陽の光りに金属製の鈍い輝きが反射して、危険を察知したか小動物が雪原を駆ける足音が聞こえた。


 だがセティの狙いは空を南へと滑空していく茶色の羽をした鳥だ。


 できればもっと大きな獲物を捕まえてくれれば少しはクレマの空腹が紛れるのだが、彼女はその日で食べきれる大きさの獲物しか選ばない。


 お陰で傷の治りは遅く、一週間も痛みに悩まされているのだから正直辟易だ。


 シュッ――――。


 セティが矢を放ち、空気を引き裂く鋭い音が静かな森に木霊する。


 まるで吸い込まれて行くように左の羽の付け根から腹を射抜き、態勢を崩した鳥は必死で右の翼を動かしてぐるぐると旋回した。


 だが次第に速度が落ち、大地の力に引っ張られて落下する。


 セティはその場所を正確に確認すると黙って歩き出す。

 クレマも少し離れてそれについて行く。


 雪を踏む規則的な音はどんどん先へと進んで行くが、足跡が残っているので姿が見えなくなっても慌てる必要はない。


 丁度丘のようになっている場所を上りきった彼女が仕留めた獲物を見つけたか、ぱっと身を翻して駆けて行く。


 セティの様子は丘に阻まれ見ることはできないのに弾む息遣いと気配が明瞭に感じられ、クレマはどんどん鋭敏になっていく感覚に恐怖を抱いた。


「……拾った犬猫も暫く一緒にいたら情が移るっていうけど」


 決してそんな生易しいものではないという自覚はあるが、色々な事情や問題がありながらも基本的には仲睦ましい二人の生活に身を寄せているとそれを邪魔することは憚られた。


 更にそんな風に思えるようになっている自分の感情すら気持ち悪くて。


 セティとテスの間に割って入り込んでいるクレマは明らかに不穏因子である。

 狭い小屋での生活は歪な関係と不安定ながらも奇妙な安定を示すようになっており、二人はクレマの存在を訝しがりながらも受け入れどこかほっとしている雰囲気すらあった。


「拾われて面倒見てもらってるのは俺の方か」


 彼らにとってクレマは怪我をした客であり、傍観者だ。

 なにをするわけでもなくセティの後をついて回り、テスに悪態をついたり軽口を叩きあったりする。


 たったそれだけなのに。


 楽しいと思っている。


 丘の頂上に立つと憐れな声を上げて苦しむ鳥の首にセティが手を伸ばしている所だった。

 その指がぎゅっと握りしめられ細い手首に力が籠められる。命を奪うという行為に対する罪悪感にこちらに向けられている背中が微かに震えていた。


 仕方がない。

 生きるためだ。

 生命を維持し、力を蓄え、日々を力強く生き抜くため。

 そして命を繋ぐために必要な行為。


「解っていても、そうやって悔いるんだねぇ」


 失われる命を悼む。


 テスが言ったようにセティはたった独りでも山の中で生きていけるだけの技術を身に着けていたが、それでも狩りや獲物の解体や皮矧ぎ、臓物の処理などは本来男のする仕事だ。


 平然と行っているように見せてはいても、命を刈り取る瞬間の恐怖や罪の意識は確実にセティの心を苛んでいる。


 小屋で目覚めた最初の日も罠にかかった野兎の入った袋を大事そうに抱えて、怯え暴れているのをなんとか宥めようとしていた。


 セティは始めからなんでもできる女だったのではない。

 そうしなければここで生活できないから、そうならざるを得なかったのだと解る。


「あの偽善者野郎」


 湯の沸く泉で苦しそうに告白したように、全てはテスのせいだった。


 セティは自分が望んで山での暮らしをしているのだと言っていたが、その道を選択するしかなかった原因は間違いなくテスにある。


「甲斐性無しめ」


 ここにはいない男の悪口を吐き出す虚しさを解消する方法が思いつかずにクレマは視線を背後へと転じた。


 少し小高い場所に立っているため雪化粧した木々が連なる景色が見えて息を詰める。


 鋭角な樹木や丸みを帯びた樹などが不思議な立体感を生み、緩やかな傾斜や断崖の下を流れる川が巨大な蛇のようにうねるように大地を切り裂いていた。


 上から見ると雪の下に隠れている道も確認でき、それを追っていくと麓の方に家々が並び黒い小さな点があちこちで動いているのも解る。


「あそこがここら辺の集落か」


 そしてセティとテスが生まれ育っただろう場所。

 そんなに遠い距離では無いことに驚き、またその微妙な距離が生々しい隔たりを感じさせていた。


「ん?」


 山道を下って行く人影に気付いてクレマは首を捻る。

 茶色の外套を着たがっしりとした体躯には見覚えがあった。


 そもそもこの山に住んでいるのはセティとテスだけで、集落の狩場とは重なっていないこの場所の道を使って下山するのはこの場にいない者以外には考えられない。


「テス?」

「……ああ、帰ったのね」


 いつの間に傍に来たのかセティが右隣りに立ち夫の後ろ姿を感慨も無く眺め呟く。


「帰ったって、えらく簡単にいうね」


 不思議なことに「行った」ではなく「帰った」という言葉を使ったセティは丘を駆け下りた時に脱げたフードを背中から持ち上げて深く被り、余計なことは喋らずに小屋のある方向へと歩き出す。

 前傾姿勢になっているのはきっと俯いて感情を殺すのに一生懸命になっているからだ。


 あれでは足元しか見えないだろう。


「帰ったってことは、あっちが本当の住処なのか」


 あのテスに限って愛人を囲うとは思えないが、今の状況から見て集落に本妻がいるのだとしか思えない。


 セティはやはり――――。


 ぐっと指を握り込んで歯軋りする。

 沸々と湧き上がってくる怒りは誰に対してのものだろう。


 不義理で不誠実なテスになのか。

 それともすごすごと引き下がって不幸な自分に酔っているセティになのか。


「――――苛々する」


 こんな中途半端な関係のまま人生を無駄にするつもりのセティと、二人の女を愛しながらはっきりと決断できないテス。


 クレマにはたったひとりの伴侶すら未だに求めることができないのに。


「どちらか片方寄越しなよ」


 随分な物言いだったが誰も聞いている者などいないのだから構わない。

 結局地を蹴り、空を駆けて追いかけたのはテスの方で。


 肌を撫でる冷たい空気が呼吸するたびに肺へと入ってくる。凍えるほどの冷たさなのに身の内に滾る怒りの熱さに押し流されて体中から汗が流れた。


 集落に入られればクレマがテスを捕まえるのは難しくなる。


 そう考えていることに驚き、一応面倒な手続きを踏まなければならないという理性は残っているのかと自虐的に笑う。


 今までのクレマならば激昂したまま集落に押し入り、テスを見つけ出して問い詰めるくらいのことは後先考えずにしたはずだ。


 彼らとの生活の中で変化した部分をほんの少し後悔し、そしてクレマを変えることができた彼らが何故普通の幸せな家庭を築けないのだと憤って。


「……見つけた」


 集落の手前にあった大きな樹の影に入って行ったテスの姿を認めて加速する。

 ここを抜けて先に行かれては手出しができなくなるから。


「その前に!」


 木々がぐんぐんと目の端を流れ去っていく。

 行けども行けども追い付けないような気がして焦ったが、目前に迫って来た大木に気付いて緩め滑空しながら高度を下げた。


 密集して林立する木の幹や枝に気をつけながら擦り抜け、速度を落とした所で地面に足を着く。

 だがやはり気が急いていたのか十分に勢いが殺せていなかったらしい。


 足首に衝撃が加わりずくりと痛む。

 そしてもんどりうって雪の中に倒れ込み、無様に転がった。


「あ~あ……」


 雪を払い落としながら身を起こし、なんとか立ち上がったが痛みは治まらない。

 それどころか飛行したことで体力を奪われ、情けないことに疲労困憊だ。


 ふらふらと集落へ向けて歩き出したが、苦労して木立を進んで来たというのにテスの姿はどこにもなかった。


 遅かったか、と苦虫を潰したような顔で雪道に出ると何故か残された足跡はひとり分だけ。

 しかも集落の方では無く山の方へと上っていた。


「どういう……?」


 テスはまだ森の中にいるらしい。

 足跡は明らかに小さく、女のものだと解る。


「おいおい。まさか森の中で逢引?」


 呆れながらもまだ機会は失われていないということに感謝して、女の足跡を辿った。

 重い脚を引きずって幹に縋りながら進んだ先に、テスの姿が消えた大樹が見えてきた。足跡も迷うことなくそこへと真っ直ぐに向かっている。


 間違いなく待ち合わせ場所はそこだ。


 そしてそこにテスと憎い女がいる――――。


 雪と木の幹の二色しか存在しない世界にチラリと見えた鮮やかな赤。

 そして雪の上に投げ出された革の手袋。

 抑えきれない劣情をぶつけるかのように抱き合うふたつの人影。


 いや。

 ひとつに重なり、最早ふたつではない。


 女は幹に背を預け、激しく口づけてくるテスの茶色の髪に白い指を埋めていた。

 左手は背中に回され、しがみつく様に外套を握り締めている。

 小さなピンク色をした形の良い爪と滑らかな肌は悦びに震え色づいていた。


 テスは忙しなく頭を動かして深く女の唇を求め、右掌で乳房を揉み左手で腰の辺りを撫で擦っていた。

 ぐいぐいと右膝で女の足を割りながら腰を擦りつけている様は盛りのついた犬のようで見ていて吐き気がする。


 クレマがいたからかもしれないが、テスがセティをこんな風に熱く乱暴に乞い求めるような素振りが無かったことが一番クレマを打ちのめした。


「そんな女の」


 どこがいいんだ――。


 淫らに腰を振り、野外で睦み合う行為を悦ぶような女など。

 荒々しく暴力的に雄の本能で責め立てられることで興奮している女のどこが。


 怒鳴り散らしてやりたかったがクレマの喉は機能を失ったかのように動かない。どうでもいいようなことはぺらぺらとよく回ってくれる癖に肝心な時に働かないとは。


 そんな男ではないと思いたかった。

 テスは情に厚く、ひとりの女を生涯愛せる誠実な男だと。


 思いたかったのに。


 酷く裏切られた気がしてクレマは手を着いていた幹に指をめり込ませた。


「ん……はぁ、ねえ。あんまり帰って、ん、来ないから……あ、心配」

「すんな、そんなもん」


 吐息を絡めながら女は濡れた瞳でテスを見つめ、熱に浮かされたように燃える瞳をしたテスが短く心配なんかするなと吐き捨てる。


「俺が好きなのはお前だけだって言ってんだろ」

「じゃあ、もう、行かないで」


 切ない声にテスは一瞬肩を強張らせ小さな声で「それは、できない」と答えた。

 嫌だ、嫌だと抵抗するように女が頭を振り、それを黙らせるためにテスはまた唇を重ねる。


 どうにもならない気持ちをぶつけるように何度も何度も。


「なにそれ……」


 テスが好きなのはセティでは無く、今腕の中にいる集落の女で。

 それなのにセティの所へと通うことを止めることもできないという。


 どれだけ身勝手で、最低な男なのか。


 そんな男を待つセティの孤独や寂しさを思いクレマは力を振り絞って走り出す。


 痛みも、疲れも全て身体から切り離して。


 ただ感情の赴くまま。

 彼女の元へ。


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