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竜の花嫁たち  作者: 151A
泡雪の花
12/48

独り言


 嵐は三日三晩続き、漸く静まった清々しい青空を見上げてクレマは大きく伸びをした。


 白い陽光が雪を照らして眩しいほどだったが、フードを目深に被り慣れた様子で雪道を歩く小さな背中を見失わない程度の距離を取ってついて行く。


 小柄なセティの腿まで届くくらいに降り積もった雪の中では歩くというよりも、掻き分け突き進むといった方が近い。


 一般的な人族の男性よりも背が高く、運動神経の良いクレマでさえも足を取られて態勢を崩す位なのにセティはどんどん先へと離れて行く。


 途中で空を見上げ、雪に埋もれた道を探すかのように木々を見回しているがどこも変わらない景色に見える。

 だが直ぐになにかを見出して迷いも無く前進する姿は感服する他ない。


「可愛くなーい……」


 道を見失ったり、転んだりした所を手助けして恩を着せようと思っていたのに、セティはまるでクレマの存在など始めから無い者として扱っている。


 当てにせずたったひとりで雪山を歩く姿は華奢で可憐な容姿とは逆に逞しく、可愛げがない。


 凍りつくような空気の中で吐露した愚痴は山肌に木霊して響き、セティの耳にも届いているはずだが完璧に無視されている。


「疲れた。足痛い、休憩しよう」


 口元に手を添えて要求すると遠い場所にいるにも拘らず足を止めて肩越しに振り仰いできた。

 その翡翠色の瞳に呆れを滲ませて、僅かに寄せられた眉間の皺が真ん中分けした前髪の下から見える。


 白皙の面に朱が射してとても愛らしいのにその表情は厳しい。


「…………ついて来なくていいと、あれほど言ったのに」

「だってつまんない」


 あんな小屋にひとりでいるなんて。


「――――あんな小屋で悪かったわね」


 ピリリと空気が凍える。

 棘を含んだ言葉を小声で呟き、セティはぷいっと前を向く。


「なに~?聞こえないんだけど?」


 わざとらしく首を傾げて聞き返しながら止まって待っているセティの元まで急ぐと、彼女は不服そうな顔をしたままそっと雪の上に蹲った。


「どうした?お腹痛い?それとも、洩らしそう?」

「…………あなたは、」


 大きなため息の後でセティは革の手袋を外して右手を伸ばしてくる。

 手袋をつけた左手で雪を掻き分けると白く細い指が濡れた靴に包まれた足首をそっと触れ、腫れを確かめるように掌が添わされた。


「いつもそんななの?」

「そうかも」

「……改める気は無いの?」

「う~ん。俺って正直者だからさ」


 他者にでは無く、自分の心に。


 口には出さずに胸の中で続けると、セティは微妙な表情を浮かべて見上げてきた。

 なにか言いたそうだったが結局はなにも言わずに立ち上がると手袋をはめて再び歩き出す。


「え?ちょっと待ちなよ。休憩は?」

「したでしょ。今」

「いやいや、さっきの休憩の内に入らないでしょ。短すぎっ」


 しかもクレマは立ったままだった。

 あれでは一瞬立ち止まったといった方が正しいだろう。


「鍛え方が足りないんじゃない?」


 ぼそりと洩らされた言葉にクレマの自尊心はささくれ立つ。

 どれだけ頑張って鍛えようとも竜族の足元にも及ばない人族の女に馬鹿にされては誉れ高き竜の体面に係わる。


 更に「狼や熊の獣人族の方がよほど持久力も強さも持ち合わせてる」とまで言われてしまえば怒りのあまり頭が真っ白になった。


「生き物の頂点に君臨する竜を犬っころや馬鹿力しか能の無い熊の獣人と比べるなんて、あんた死にたいの?」


 腹立ち紛れに目の前の華奢な肩を加減無しで掴むと、苦痛に息を飲む音が聞こえて愉悦が湧く。

 殺意を籠めた瞳で唇を歪め左右に弧を描く壮絶な笑顔を見て震え上がらぬ者などいないだろう。


 人族の女など大した労力もなく殺すことなど容易い。


 だがセティは己の右肩に食い込むクレマの小指をぎゅっと握りしめて睨みつけてきた。


「……凄んだ所で恐くなんかない」

「なに強がり言って――あ、いたた!」


 小指を外側に向けて捻るように振り払われ思わず声を上げる。

 元々肩や上腕に痛みのある右腕なので女の力ですら簡単に解かれてしまう。

 その上痛めている足首をセティは問答無用で蹴りつけて、仕上げとばかりに肘を腹部に叩き込んで来た。


「――――う」


 白竜に痛めつけられた箇所全部を責められて堪らず苦痛に悶える。


「どんなに強力な能力を持とうとも、他者を蔑むような者を敬う気にはなれない。例え八つ裂きにされたとしても、私の魂は貴方に屈することは無いわ」

「……やっぱり、可愛くない」


 腹を押えて前屈みになった姿勢のまま文句を言うが「可愛くなくて結構です」とつれない返答が戻って来た。


「そう言えば、女にここまで虚仮にされたのは生まれて初めてだな」


 怒りを通り越して呆れ果て、じっとりと睨まれれば忌々しさよりも愉快に思えてくる。


 ぼそぼそと呟くように喋る独特の話し方も、危険なことなど怖じ気ついてできなさそうな見た目なのに平然として獲ってきた獣の腹を裂き臓物の処理をして皮を剥ぐ、流れるような手つきはクレマの方が驚きのあまり固まってしまったくらいだ。


 なにもかもがちぐはぐで意外性ばかりのセティは、変り者と一概に括るのは憚られるような個性の持ち主だった。


「面白いね」


 ぺろりと上唇を舐めて微笑むと目の前を歩く小さな背中を眺める。

 三日前はその背に負われて助けられたはずのものなのに、今は遠く感じるのだから不思議だ。


 手を伸ばせば届く距離なのに。


「殺しても手に入らない魂か……」


 それならばどうすればこの手にすることができるのだろう。


 思案しながらも遅れずについて行くと、気配が鬱陶しかったのか、はたまた気まずさを打開しようと思ったのかセティが顔を横向けてこちらを見た。


「それだけ歩く元気があるのなら、嵐も止んだことだし竜の国へ戻ればいいのに」


 迷惑がっているよりも怪訝そうな口調にクレマは破顔する。


「あんたの旦那の顔を見るまでは居座るつもりなんだけど」

「悪趣味……」


 あの嵐の中三日も小屋の中に閉じ込められていたが、驚くべきことにセティの夫は戻ってこなかった。


 ひどい吹雪で前も見えずに帰って来るのを断念したのかもしれないが、普通は愛しい妻をひとり残した小屋になんとしてでも帰ろうとするのではないのだろうか。


 しかも彼女は帰宅しない夫の心配をしている様子も無く、嵐が強くなる前に狩って来た野兎をスープにしてクレマと向かい合って食事をするくらいなのだから腑に落ちない。


 まるで最初からこの小屋にはセティひとりが住んでいたかのようだった。


 夫婦二人で使うには狭い寝台、少ない食器、全てが手の届く所にあるようなこじんまりとした小屋。


 全てがその仮定を前提とすれば納得できる。


「その方が寂しくないんじゃない?」


 きょとんと翡翠の大きな瞳を瞬かせてセティは訝しげに小首を傾げる。

 小さな赤い唇を動かして「誰が?」と問うので「あんたが」と応じるとふっと鼻で笑われた。


「寂しさなんか感じない。だって、私は」


 独りじゃないもの――。


 風に吹き飛ばされそうな程小さな声は大気に消え、二人のものではない雪を踏む力強い音が山間に響き渡った。


 視線を前方に向けると茶色の外套を身に纏った男が道なき道を上ってくるのが見える。

 セティは頬を綻ばせて「テス!」と呼びかけた。

 雪を巻き上げて先を急ぐその姿は愛しい夫を迎え入れる喜びと甘さに満ちている。


「へえー……」


 本当にいたとは。

 驚きだ。


 転げるように斜面を駆け下りて行ったセティを腕の中で抱き止めて、互いに無事を確かめあっている雰囲気は仲睦ましい。

 テスと呼びかけられた男は手袋をつけた両手でセティの頬を挟み込むと白い歯を見せてニッと笑った。


「なんだよ、若いんだな」


 男というよりも青年といった方がいいくらいの若者だ。

 セティと同じくらいの歳にしか見えない。


 人里離れた山の奥にある小屋に閉じ込めるくらいの旦那だから、余程権力を持った脂ぎった中年の男だと思っていたのに。


「愛人説は消えたかー……残念」


 日に焼けた肌にかかる前髪の下に輝く瞳は活き活きとして力強く輝いている。

 大きな口と太く凛々しい眉は男らしさと正義感の強さを感じさせて鬱陶しい。


 そんな男がセティとの関係を愛人で片づけられるわけがなかった。


 正真正銘の夫婦だろう。


「まあ、その方が奪いがいあるけど」


 いつも囁くように喋っていたセティが男を見つけた時に喜びにあふれた大声を上げたことはクレマの中に嫌な感情を残して耳の奥に刻みつけられた。


 面白くない。


 面白くはないが、本能が激しく掻き立てられるのは震えが来るほど心が弾む。


「つくづく自分の性癖が嫌になるね」


 地に足をつけた生き方を好む黄竜の里の仲間は眉を潜めてクレマを窘めるが、言われて治るようならば苦労はしない。


 勿論治す努力もその気も無いのだから始末に負えないが、そこを捻じ曲げて生きた所で真実幸せだとは思えなかった。


 ただ本能や感情を押し殺せないままでは伴侶を迎えられないことは正直悩み所だ。


「でもこれが俺だし」


 嘘偽りなく胸を張って堂々と口にする。

 隠して伴侶を手に入れても、後でばれて離縁を突き付けられればクレマの方が痛手を喰う。


 竜族はたったひとりの女しか愛せない。


 これだけはクレマといえども覆しようのない性だ。

 伴侶を失えば、永遠に孤独と共に生きねばならない。


「それだけは、勘弁願いたいね」


 だから本気にはならない。


 なれない。


 確実にありのままのクレマを受け入れて愛してくれる女性でなければ。


 風が吹き粉雪が舞いあがる。

 セティが振り返りなにやら説明しているようだ。

 促されこちらを見た男の眼差しが刺すように鋭い。


 それを受け止めて不敵に笑えば、男はますます険を深めてセティを叱責する。

 首を竦めて彼女は反省したように目を伏せたが、皮手袋に包まれた手は反抗するかのように強く握り締められていた。


 何故だかひどく憐れに映りクレマは大きく左手を振って挨拶をする。


「三日間密室で楽しんだけど、怒らないでやってくれる~?」

「なっ!?どういうことだ、セティ!」


 男が声を荒げ腕を掴んで責める。

 セティが呆れたようにクレマに視線を注いだ後で宥めるように男の胸を優しく叩いた。


「落ち着いて。なにもない。私は潔白」

「だがっ」

「細いけど、意外と胸大きいよね。しかも柔らかいし?」

「く、貴様!!」


 男は顔を真っ赤にして怒りを表して結構な距離を走って上って来た。

 あまりの血相に呆れたか、虚をつかれたかセティは口をぽかんと開けて見送る。


「怒る権利あんの?あんた、こんな山奥にあんな可愛い女の子を閉じ込めておいて」


 男なら手を出さずにはいられない、そそられる身体をした若い娘をたった独りで。

 不用心にもほどがある。


「だから、俺が」


 たっぷり可愛がってやったよ。


 不安と怒りを煽るように言うとテスは頭から湯気でも出るのではないかと思うほどに怒り狂って滅茶苦茶に殴りかかってきた。


「あはははは。悔しがるくらいなら、人里で大切に護ってあげていればよかったのにさ」

「――――ふざけるな!貴様になにが解る!!」


 大きく振りかぶった拳を避けられて雪の中に倒れこむと男は悔しそうに叫んだ。


「解るわけないよ」


 事情も理由も知らないのだから。

 部外者であるクレマが解ることなどなにひとつない。


 ただ解ることがあるとしたらセティは山での生活を苦に思ってはいないが、人里から離れて過ごさなければならないことを悔やんでいる。


 友人も隣人もいない山奥で話し相手もいないのだから声も自ずと小さくなってしまうだろう。


 まるで独り言のように。


「……あの小屋には私が自分から移ったの。誰かから言われたわけじゃなく、自分の意思で。だから、寂しくなんかない」


 そうやって平気なふりをして呟く自分の顔がどんな表情をしているか見せてやりたい。

 テスは頬を強張らせて横を向き、雪の上に拳を振り下ろして気持ちを鎮めるとのろのろと立ち上がる。


「帰ろう、セティ」

「うん」


 素直に返事をして下った道を引き返してくるセティはほっと安堵していた。

 先に帰り道を辿り始めた男について行かずに待っていると、追いついた彼女が「……嘘つき」と苦情を申し付けるが、クレマはなんのことか解らないと肩を竦めて見せると諦めたように嘆息して通り過ぎる。


 一列になって上って行く山道は白く輝く雪に覆われて美しい。


 言葉を交わさぬまま黙々と進む登山は楽しくは無いが、心地良い疲労が押し寄せてくる。

 旦那の顔を見たのだから当初の目的は果たしたともいえるが、このまま去るにはセティの印象が強すぎて。


 クレマは去り難いと思っている気持ちを認識して、二人の夫婦生活が明るく幸せなものであるか確かめるまでは居座ってやろうと心に決めた。


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