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竜の花嫁たち  作者: 151A
泡雪の花
11/48

変わり者


 耳にするだけでも凍りつき身を震わせるような風の音が吹き抜けて、薄氷が割れるような微かな音色が木霊する。


 真っ白な雪原に俯せに身を投げ出して身体中で寒さを体感しながらクレマは「痛て……」と呻く。


 黄みがかった金の髪が視界を遮っていたが、元より景色など代わり映えのしないものだった。

 緑の瞳を僅かに細めて冷たさと共に忍び入ってくる全身の痛みに毒づく。


「手加減無しでやりやがった。あの白竜……いくら伴侶に言い寄られたからって、あんまりだ」


 やっとのことで手に入れた伴侶を横から掻っ攫おうとしたのだから手加減などするはずも無いのだが、それでもあの苛烈さは異常だったように感じる。


「そこまで本気マジになる程の女でも無かったのにな~」


 伴侶を伴い里へと帰ろうと飛行中の白竜に偶然行き会い、なんとはなしに声をかけたのだが最初から嫌悪感丸出しで無視された。

 そのお高く留まった様子にクレマの嗜虐心と以前参加した巫女選定の儀で自覚していなかった性癖が目覚めたことにより激しく心が燃え上がったのは不可抗力である。


 竜族の巫女を産む女は異界から連れてこられた女であることが条件だ。

 その女に選ばれた里は稀有な巫女を育てる名誉と共に絶大なる恩恵に与ることができる。

 どの里も躍起になって巫女獲得に力を入れ、異界の女に気に入られるような竜を選出して送り出す。


 元々クレマは巫女を戴くということにさしたる魅力も感じず、面倒だったが他の里の竜族がどんな奴らなのかの方に興味があった。


 できれば手合せして己の力がどれほどなのか試したい――そんな軽い気持ちで参加したのだ。


 だが異界の女は行方がしれず、どうやら竜の神殿でも里でもなく人族の治めるグリュライトへと堕ちたらしい。

 懸命に探して迎えに行けば、何故かグリュライトで成体になった黒竜と一緒におり既にいい雰囲気だったからその仲を裂いてやろうと邪な思いでいたら途中から楽しくなってきて。


 それっきり他者の女にしか興味を持てなくなっていたのだ。


 自分でもどうしようもない性癖に目覚めてしまったことを今更悔いても仕方がない。


 勿論伴侶探しが上手く行った例は無く、こっぴどく振られまくっているのだからお手上げ状態だ。

 中には人族の男と両天秤にかけて楽しんでいる女もいたが、最終的には竜族よりも人族の世界で生きることを選ぶ。


「……全く、なにもかも上手く行かないんだからつくづく運がないよねぇ」


 あははと乾いた声を上げると直ぐ近くでキラキラとなにかが揺れて光りを反射する。


 なんだろうかと訝しんで目を凝らすと小さな透明の結晶が集まり、冷気で凍ったまま頼りない茎を支えに咲いていた。


「氷の、花?」


 否。


 氷では無く雪の花だ。

 なんとなくその方がしっくりときた。


「……すごい量」


 今まで気付かなかったが、視界を埋め尽くす真っ白な大地に雪の花が群生していた。


 風に揺れるたびに涼やかな音が響く。

 感嘆に洩らした吐息を受けて花が呆気なく溶け消える。


 なんと儚い花なのか。


「女の子にあげたら喜びそうだけど、これじゃ摘んでいけないなぁ」


 残念だと身体を揺らして笑うとその振動でさえも花は泡となって失われていく。


 陽光の中に滲むようにして消えて行く花を眺めていると雪を踏む音が乾いた空気の中に混じり始めているのに気付いた。


 徐々に近づいてくる足音と気配にクレマはゆっくりと目だけを動かして確認する。

 獣の皮をなめして作られた丈夫で温かい外套がまず目の端に映った。


 そして裾が捲れて華奢な革靴を履いた脚が歩くたびに覗く。

 夕陽色のスカートとその下に重ねられた白いスカートの対比が眩しくて知らず息を飲んだ。


 こんな山奥に女がひとりでいるなんて、頭おかしいんじゃないの?


 素直な感想を漏らしたクレマに女は翡翠色の瞳を僅かに瞠ったが、白い息を吐きながら大きく息継ぎをして迷いもせずに倒れ伏した横に膝を着いた。


 女の白い掌が服の上から遠慮もせず身体中を弄って来るので欲望がむくむくと湧き上がってくる。


 惜しむらくはなにかを探しているかのように動いているその指が、クレマに快楽をもたらそうとしているわけでは無いことだ。


「あんた野盗の類いなの?残念だけどなにも持ってないよ~?身ぐるみはがされるのはちょっと勘弁してもらいたいんだけどさぁ」


 所持しているのは肉体と身に着けている衣服くらいだ。

 流石に全裸で雪の中に放置されるのは避けたい。


「それとも俺の美しい裸体を見たい?」

「………………ふざけないで」


 シャツの裾を捲り上げていた手が止められて、消え入りそうだが侮蔑を含んだ声が背中に落ちてくる。

 「別にふざけちゃいないのに」と答えた瞬間、確かめるように押してきた指の感触と共に痛みが襲い思わず呻き声が出た。


 丁度左脇腹の辺り。

 そこは白竜にやられた場所だった。


「……脚も、」


 上半身を調べ終えた女の手が素早く臀部から大腿部、膝裏、脹脛と辿り熱を持ち始めた足首で止まり深いため息が聞こえた。


「一番痛いのは腕なんだけどねぇ?」


 一応自己申告をするが反応は無い。


 女が被っていたフードを背中に下すと長い茶色の髪が肩から胸元へと零れ落ちる。

 緩くひとつに結ばれたその髪を見てクレマはほんの少しがっかりするが、逆に胸の奥に火が灯るのも感じた。


 適齢期を迎えたばかりの若さに見えるが、どうやら既婚者らしい。


 丸みの残った頬は寒気に晒されたからか、それとも雪道を歩いて体温が上がったからかほんのりと赤かった。


 そして熟れた果実のように真っ赤な唇はふっくらとしていていかにも美味しそうだ。

 おとなしそうな雰囲気と愛らしい顔立ちは残念ながら今は無表情でおもしろくない。


「ねえねえ。旦那に内緒で俺と遊ぼうよ」


 退屈させないよ、と囁くと僅かに眉根を寄せて冷ややかな視線で見下ろしてくる。


「…………助けるの、よそうかな」


 親切心から近づいて来てくれていたらしい女は、やはりよく耳を澄まさなければ聞こえないくらいの音量で言葉を紡ぐ。


 彼女がどんな結論を出すのか興味があったクレマは黙って成り行きを見届ける。


 ちらりと翡翠の瞳を北の空へと向けて、雪原を抱く山の頂上を窺うと白く輝く空になにかを見出したのか軽く左右に頭を振った。


 そして視線を戻した女は気が進まないという表情を張り付けてクレマの右腕を掴むと、こちらに背を向けて自分の肩に回す。

 同様にして左腕を肩に乗せて胸の前で交差させ手首をぎゅっと掴むと前屈みになりながら立ち上がった。


 驚いたことに背中に担いで運ぶつもりらしい。

 一旦家に戻って旦那を呼んで来ればいいものを、女はクレマの足を引きずりながら歩き出す。


「………………痛いんだけどなぁ」


 一番痛む右肩から肘にかけての部分は酷く疼き、冷や汗が出るほどだ。


 でもその腕に当たる柔らかな感触は想像以上に弾力と大きさがあることをクレマに伝えてきて、女の幼く若い見た目とは裏腹に身体の成熟さを感じさせて腹の下に妙な熱が生まれる。


 腫れているだろう足首も容赦なく積雪にもみくちゃにされているからきっと悪化しているだろう。

 痛いという訴えは聞こえているだろうに女は頓着せずに先を急ぐかのように雪原を横断する。


「なんかあんの~?」


 理由を問うたが女は無言を貫いて進む。


 自分よりはるかに体格のいいクレマを背負って苦しかったからかもしれない。

 もしくは無駄なお喋りが嫌いだからかもしれないが。


 両方かな?


 黄竜になってから女に背負われるなど初めての経験だ。


 細い肩と背中を胸部と腹部に感じ、柔らかな胸や尻が当たる感触は勿論悪くない。

 薄らと首筋に浮かぶ汗と僅かに匂う甘い体臭に酔いながら心地良く揺れていると、足を絡めて雪の上に押し倒してしまいたくなる。


 それをしなかったのは女が運ぶ先にいるだろう夫の顔を拝んでやろうという好奇心があったからだ。


 こんな危うい色香を持った女を妻にした幸運な男とはどんな男なのか。


 つまらない男なら奪ってやろう。

 その方がきっとこの女も幸せになれる。


 なんの根拠のない自分勝手な考えだったが、人族の住む大地を離れる決心をしてくれれば荒々しいほどの愛情を注いで囲い込むだけの甲斐性はあった。


 女が歩くたびに儚いほどの音を立てて雪の花が消えて行く。


 それを漫然と眺めながら口元に笑みが浮かんでくるのを止められずにクレマは華奢な身体に背負われていた。




 あまりにも気持ちのいい揺れと感触に、どうやら眠ってしまっていたらしい。


 薪の爆ぜる音と匂いに導かれるようにして覚醒するとクレマはゆっくりと目蓋を押し上げた。


 薄暗い室内の低い天井は煤けており黒々と艶めいている。

 時折軋むように小屋自体が揺れて隙間から冷たい風が入り込んできた。

 頭を擡げて部屋を見渡すと窓も無く外の様子は窺えないが、どうやら荒れているらしい。


 狭い小屋の中には石を積んだ暖炉の正面にひとつしか無い出入り口。

 玄関横に背の低い戸棚とあまり器用では無い者が作ったテーブルに椅子が二脚置かれていた。

 毛糸で編んだ絨毯の上に毛皮のついた獣の敷物があり、壁によく使い込まれた弓矢が掛けられているのを見ると女の旦那は猟師のようだ。

 

 一番大きな家具はクレマが横たわる寝台で、乾燥した藁を敷き詰めた寝台は香油でも垂らしているのか爽やかな香りがした。


「…………新婚にしては殺風景で華やかさも皆無だよねぇ」


 一台しかない夫婦の寝台を使っていることの罪悪感などクレマにあるわけがない。

 せいぜい匂いと存在を植え付けてやろうと枕に顔を擦りつけると、背負われている時に嗅いだ女の体臭が仄かに香って鼻息が荒くなる。


 そわそわと熱が高まってきて抑えるのが難しくなる手前で止めてため息をひとつ。


 ひとりで盛り上がった所でつまらない。

 というか虚しい。


 女の気配は探るまでも無くどこにもないのは解る。

 一間しかない小屋の内部をぐるりと見渡せば一望できるほどの狭さだ。

 身を隠す場所も無いのだから女がクレマを放置して留守にしていることは間違いなかった。


「不用心だな~」


 怪我をしているにしても素性の解らない者を連れ帰って、眠っているからと家を空けるのだからその危機感の薄さに呆れかえる。


 そもそも警戒心の強い女ならばクレマを家へと招き入れることはしないだろう。


 集落から離れ山の中で暮らしているくらいなのだからまともな神経の持ち主ではないのかもしれない。


 それはそれで構わなかった。

 クレマ自身、他者に誇れるような性格をしているわけでは無い。

 黄竜の里でも眉を顰められることもしばしばだ。


「変わり者同士、上手く行くかもしれないし」


 聞かせる相手もいないのに声を弾ませる滑稽さに笑いを誘われて失笑すれば、小屋は突風に襲われたのか大きな音を立ててミシミシと揺れた。


 こんな天気の中、女はどこへ行ったのだろうか――?


 疑問を抱くのとほぼ同時に入口のドアが開き、冷たい風と雪が吹き込んできた。

 そしてフードを被った女が戻ってきてドアを閉め、肩や頭に積もった雪を払い落とす。

 革の外套は重く湿り、ぽたぽたと水滴が床に染みを作っている。

 女は背負っていた袋を下ろして丁寧に足元に置くと、外套を脱ぎ不出来な椅子を掴んで暖炉の前まで歩いて行く。


 一番温かな場所に椅子を置き、その背もたれに外套を広げてかけると再び入口の方へと移動し袋を持ち上げた。

 その瞬間袋が不自然に蠢き、声にならない鳴き声が聞こえた気がした。


 女が袋を胸に抱えて宥めるように撫でる手つきが優しく、伏せられた睫毛の下の翡翠色の瞳が綺麗で思わずクレマは息を飲んだ。


「………………そうだった」


 弾かれたように顔をこちらへ向けた女は寝台に横たわったクレマを見て驚きの表情を浮かべたが、すぐに落胆し肩を落とすと小さな声で現実を思い出したと呟いた。


「そんなあからさまにがっかりしないでもよくない?俺は別に助けて欲しいな~なんて一言も言ってないし。勝手にここまで連れて来たのはあんたでしょうが」

「嵐が来るって解ってて、放置できない」


 頬を膨らませて顔を反らし、女は不満を隠しもせずにテーブルの上に袋を乗せた。

 その瞬間激しく表面が波打ち中で生き物が暴れている気配がする。


「放置した所で死にはしないんだけどね~。残念だけど竜族はそんなに軟な作りをしてないんだ」


 死にはしないが極限まで寒い中にいると冬眠状態になる。

 流石に人を襲う獣も竜族を襲って食べたりはしないので危険は無いが、体力を温存するために無防備に眠っている姿を誰かに見られるのは御免こうむる。


「そう……助けて損した」


 抑揚のない女の声からは感情を読み取り辛い。

 だがクレマが竜族であると明かしても動じなかったところを見ると薄々は正体に勘付いていたのだろう。


「驚かないんだ?」


 問うと女は怪訝そうに小首を傾げる。

 茶色の長い髪が肩から滑り降りて胸元へと流れた。


「俺が竜族だって知ってた?」

「…………空から落ちてきて死なないのは鳥の獣人族か、竜族くらいでしょ」

「ふ~ん。鳥の獣人も竜族も見たことあるような口ぶりだねぇ」

「フラウの山向こうの土地には獣人族が沢山いるから」


 女は獣人については見たことがあると匂わせたが、竜族については言及しなかった。

 伴侶を探して人族の女性を求める旅をする竜族は出会いの数を重視して村や町などの集落を回る。

 こんな山奥に年頃の娘がいるなど誰も思いはしないから、女が竜族と出会ったことがないとしてもなんら不思議はない。


 第一こんな山奥に住むこと自体が異例なのだ。


 人は女であれ、男であれ安全で不足ない生活を送るためには身を寄せ合い、助け合って生きる道を選ぶ。

 それを拒むように、忌むように山奥で暮らしているのはなんらかの理由があるに違いない。


「人里に住めないようなこと、なんかした?」


 たとえば罪を犯したか。

 それともただ単に嫌われているのか。

 逆に人嫌いで好きでここに住んでいるのということもあり得る。


「――――!?」


 女がギリッと奥歯を噛み締める音が聞こえた。

 翡翠の瞳に揺らめいたのは暖炉の火のように熱く、焼け付くような怒りに似た憤りだ。


「そうよ、」


 言葉では肯定しながら、その瞳は明らかに否定している。

 その矛盾にクレマは薄く笑った。


「私は」


 全てを飲み込んで女が赤い唇を引き結び、懐からナイフを取り出すと逃げ出そうと悪戦苦闘している獣の入った袋を左手で押え思い切り右手を振り下ろした。


 振り絞るような長い吐息を洩らした後で女は自嘲気味に笑う。


「はみ出し者。嫌われ、忌まれた女」

「成程。俺も里では頭痛の種扱いなんだ。似た者同士仲良くしよう。俺の名前はクレマ」


 あんたは?と聞けば、女は呆気に囚われたような面持ちで「セティ」と答える。

 そのなんとも弱々しい返答にクレマは破顔して「よろしく」と挨拶をした。


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