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14.「おかん」と呼ばれた令嬢(2)


 怖いくらいの無表情の王子に、本当に怖くなってきた。

 え、何でこの人、全然表情変わらないの? 瞬きすらしないって、どういう事? 怖い怖い怖い。


「セラが……、死んでいた……?」

 あ、喋った。

 ……っと、そうじゃないわ。返事、返事。

「はい。彼女の命日も覚えております」

 日付を告げると、王子は絞り出すような声で「う、そだ……」と呟いた。

 それは私の言葉を否定するものではない。ただの、『信じたくない』『嘘であってくれ』という心情の発露だ。

「嘘を言って、何になりましょう?」

 『前回』、セラの訃報を聞いた時、私も同じように「嘘でしょう?」と言ってしまったものだけれど。


 再び項垂れてしまった王子は、頭を抱えていた。

「また……『あの日』だ……」

 王子の言葉に私は、「ああ、やっぱりそうなのね」と思っていた。


 王子の語った『やり直し』の中でセラが死んだ日。

 それは両方とも、王子の成人の生誕祝賀の宴の日だったという。

 私が『前回』セラの訃報を受け取った日は、宴から数日後だった。余談だが、私は宴には参加していない。おサル王子と顔を合わせたくなかったからだ。

 周囲の令嬢たちも「参加しない」と言っている者がそこそこ居た。

 後になって結構な数の令嬢や令息が欠席したと知り、逆に行ってみれば良かった……と少し後悔した。どれ程閑散と寒々しい宴だったか、見物に行けばよかった、と。


「……彼女の、死因は、何であろうか……」

 王子の声が小さくて、聞き取り辛い。

「事故です。セラはあちらで考古学を学んでおりまして、遺跡の発掘調査中の事故で亡くなったと」

 洞窟内に見つかった遺跡の調査中、落盤に巻き込まれたのだ。

 セラだけでなく、その事故でセラと婚約していた男性も一緒に亡くなってしまったのだけれど、それは今は言う必要はないだろう。

「事故……」

 呟いたきり、王子はまた動かなくなった。


 本当に、この人にとって、セラは何なのだろう。

 私が知っているのはあの『一回目』のおサル王子だけなので、目の前の王子との印象の齟齬が酷い。


 項垂れていた王子はやがて溜息をつきながら顔を上げると、テーブルの上にあったベルを鳴らした。

 ベルがチリンと涼やかな音を立てると、侍従が部屋へ入ってきた。

「お呼びでございましょうか」

「マローン公爵令嬢を、馬車まで送ってやってくれ。……フェリシア嬢、申し訳ないが、今日はここまでとしよう。また後日……、話す時間を貰えないだろうか」

「仰せの通りに」

 頭を下げた私に、王子は「有難う」と小さく礼を言うと、先に立ち上がって出て行った。

 足元が少しふらついていて、何だか危なっかしいと思ってしまった。


 帰りの車中、「殿下はお嬢様を特別にお気に召されたのでしょうか」とわくわくするサマンサに、「違うわ、そういうお話じゃないのよ」と否定するのが大変だった。

 何しろ、何の話をしていたのかは言えないのだ。

 そしてやっと気付いた。

 『頭の中』では私は二十五歳なのだが、体は正真正銘五歳の子供だ。その『二十五歳の頭』で考えて発した言葉に、王子は当たり前に受け答えをしていた。そして私も、王子の発する恐らく五歳らしからぬ言葉に、普通に対応していた。

 傍から見たら、きっととんでもなく奇妙な光景だっただろう。……その為もあっての人払いか。

 『私』が普通に違和感なく話が出来たのだ。王子の話が本当かどうかなど、疑う余地はない。あの人の『中身』も私同様に見た目通りではないのだ。


 王子は、私は恐らく巻き込まれただけだろう、と言っていた。自身が繰り返してきた『やり直し』の『今回』に。

 でも本当にそうなのだろうか。

 何故、私だけ? 王子の直接の助力とするのであれば、三人の令息の誰か、または三人全員の方が良いのでは?

 ……なーんて。私が考えたところできっと、分かりっこないわね。『精霊の石』の考える事なんて。



 数日後、王子から呼ばれて、私は再度お城へと向かった。

 今日はなんと、国王陛下との謁見だ。怖い。『前回』も陛下と直接お言葉を交わした事なんて、二回くらいしかないのに。

 王子からの手紙には、国に巣食う『シュターデン』という毒虫を一掃する為に、陛下に全ての事情を話して協力を請いたい、と。その為に、私の持つ『前回の記憶』の話を陛下にして欲しいのだ、との事だった。

 王子では、城の外がどのような様子であったのかが分からないから、と。

 まあ、そうでしょうね。王子はその頃、離宮に幽閉されていたそうだし。

 とはいえ、私も自領の保護で精一杯で、王都の有様は話に聞いた分と、王城へ乗り込んだ最後のあの日に馬車からちらと見ただけしか分からないけれど。

 マローン公爵領にも騒動の余波は押し寄せてきていたのだが、いずれ国が荒れるのではないかと見越して早めに手を打っておいたのが奏功した。ただ、王都や他領から難民が押し寄せてきて、その手続きやら何やらでてんてこ舞いではあった。それをお話すれば良いだろうか。


 城へ着くと、王子が出迎えてくれた。

 王子直々の出迎えには、正直言って面食らってしまった。

「呼び立ててすまない、フェリシア嬢」

 当然のようにエスコートしてくれる。……まあ確かに、これが二十五歳の男性だったなら、この動作も当然の事なのだけれど。

 己が招いた客だからと、流れるような自然さでエスコートしてくれる五歳児が、果たしてどれだけ居るだろうか。そしてこれが『前回』のおサル王子だったなら、エスコートなどという概念すら理解しなそうなところが何とも言い難い。


「私一人の話で父がどれくらい信用してくれるかが分からないので、君にも力を貸してほしいとつい頼ってしまった。申し訳ない」

 廊下を歩きながら、王子がそんな事を言った。

「構いません。……わたくしも、あの光景は二度も見たくはありませんので」

 これは本心だ。

 二十五年生きてきて、これまでに見たどれ程の悪夢よりも恐ろしく信じ難い光景がそこにあったのだ。

 もう二度と見たくないし、本音を言うなら思い出したくもない。

 けれどあの光景は、何かを一歩間違えたら現実になるものなのだ。目を逸らして良いものではない。


「『毒虫』を駆除できねばああなるのでしたら、その『駆除』には全力を尽くしましょう。喰い荒らさせる訳には参りません」

 私の言葉に、王子がふっと小さく笑った。

 え? 何笑ってるのよ。

 隣を見ると、かすかに微笑む王子がこちらを見ていた。

「中々に頼もしい台詞だ。流石はセラの『おかん』だな」

「……『おかん』はおやめくださいませ」

 反論した私に、王子は楽しそうにくすくすと笑うのだった。


 『おかん』とは、セラが私を称してそう言っていたものだ。あだ名のようなものだ。

 それを知っているのだから、この人は本当に、セラや私を見てきたのだ。

 ちなみに『おかん』の意味は、極一部の地域の方言で『お母さん』が訛ったものだ。……セラの母親になった覚えはないのだけれど。……まあ、世話は焼いていたかもしれないけれど。


 玉座に座った陛下と対面するのかと思っていたが、流石に話題が話題だけにそうではなかった。

 狭い応接室のような部屋で、陛下がソファに座られていて、その背後には宰相閣下が立っておられる。……これはこれで、圧迫感と言うかなんと言うか……。


 入り口で深々と礼をした私の隣で、王子が「お連れしました」と頭を下げている。

「二人とも、顔を上げよ」

 王とはいえまだ若いのだが、声に威厳がある。

 そろそろと身体を戻すと、陛下が自身の正面のソファを手で示した。

「座りなさい」

 その言葉に、王子がまた当然のように私をエスコートしてくれる。

 王子は確か『何度もやり直しを繰り返した』と言っていたけれど、それで本当にあの凶暴なおサルがこうなるのだろうか。どういう進化を経てきたのだろう。


 私たちがソファに座ると、侍女がお茶を出してくれた。そして侍女が去ると同時に、部屋からは侍従や騎士様など全員が退出した。

 扉もきっちりと閉じられている。

 圧迫感と緊張感が凄いわ……。陛下や閣下とこんな距離で、しかも個人的にお話するなんて、初めてで怖いわ……。


 がちがちになっている私の隣で、王子が小さく息を吐く音が聞こえた。それはまるで、気合を入れるように。

「……で、話とは何であろうか」

 王子を見て訊ねた陛下に、王子はテーブルに用意されていた紙の束を手に取った。

「これらの者を、早急に調べ捕らえていただきたいと思いまして」

 言いながら、紙の束を陛下に差し出す。

 受け取った陛下はそれをぱらぱらと捲り、背後に居る宰相閣下に渡した。閣下は一枚ずつ、ゆっくりとご覧になっている。

 『これらの者』という事は、シュターデンの者たちや、それに協力した者たちの名が連ねてあるのだろう。それにしては枚数が多いようだが。


 じっくりとその紙を見ていた閣下が、漸く紙片から目を上げた。

「……この情報は、どこから?」

 ああ、名前だけでなく、彼らを捕らえる為の何らかの情報も書き込んであるのね。それなら納得。

「私が調べました」

「どのようにでしょうか」

「これからそれをお話しします。ですが……、到底信じ難い話となります。ですので、まずは一旦私の話を最後まで聞いていただけますでしょうか」

 そう前置きをして、王子は自身の『過去を何度も繰り返しやり直した』話をした。

 その繰り返しの中で、シュターデンという連中の起こすとんでもない騒動の話を。

 王子では分からない国内の様子などは、私が補足する形で話をした。


 王子が話し始めた当初は、余りに現実離れした話であるので、正面に座すお二人は話半分に聞くのでは……と多少の危惧があった。けれどそれは杞憂だった。

 お二人とも真剣なお顔で、それぞれ何かを考えるような表情で聞いて下さっている。


「連中に国を荒らさせる訳にはいかないのです」

 王子はそうきっぱりと言い、話を締めた。

 暫くの沈黙の後、陛下が深く息を吐かれた。

「……罪状としては、充分か?」

 その言葉は、王子や私の話を信じた上で、背後に控える宰相閣下に対して問うものだ。

 宰相閣下は再度、手に持った紙片に視線を落としている。

「如何様にも。叩けば余分な埃が出そうな者もあります」

「ではそちらは任せた。すぐにでも動けるようにしてくれ」

「御意に」

 信じてくれた上に、シュターデンの連中を調査して捕らえてくれる、と……?

 凄い……! もしそれが上手くいったなら、『前回』のあの騒乱は回避できる事になる。


「何という顔をしているのだ」

 私をご覧になってくすっと笑われた陛下に、私は思わず自分の頬を手でさすった。……どういう顔をしていたのかしら。何だかちょっと恥ずかしいわ。

「我らが話を信じた事が、それ程に意外だったか?」

 正直……に、言っていいのだろうか。

 少々の逡巡の末、私は頷いた。

「……はい。正直に申し上げますと、自分自身ですら信じ難い経験でございますので。それを他者に信じろなどとは、到底……」

「それ、その口調と態度よ」

 陛下は僅かに楽し気に仰ると、「なあ?」と背後の宰相閣下を振り向いた。閣下も小さく苦笑するように笑うと頷いた。

「陛下の仰せの通りでございますな。……殿下にしろフェリシア嬢にしろ、言葉も態度も年齢にそぐわぬ事甚だしいのだよ」

「あ……」

 それは確かにそうだ。相手が大人であるから、特に気にせず話していたが。

 ちらりと隣の王子を見ると、王子はこちらを見て軽く笑った。……この人、それを知っててわざと固い言葉を選んで話してたのね……。この王子、食えないわ。

「子供が大人ぶりたいだけなら、何処かでボロが出るかと思ったが……。まあ、見事に堂に入ったものよ」

 陛下は楽しそうに笑われるが……。

「逆に、『一般的な五歳の子供』というものがどういうものであったかが分からず、日々手探りでございます」

 綺麗なお人形を貰えば、嬉しいは嬉しいのだけれど、飛び上がって喜ぶかと言われたら難しい。先日それで、両親をガッカリさせたばかりだ。『大げさなくらいに喜ぶ』など、ある程度の年齢を過ぎてからはしなくなって久しいからだ。


「それに、クリスに関して言えば、その文字もそうだな」

 閣下が手に持った紙を見て仰った陛下に、閣下も頷かれた。

「左様でございますね。五歳の幼子の書かれる文字ではありませんね」

 それぞれに言う二人を見て、そういえば……と思った。今日の呼び出しに王子から貰った手紙も、とても美しい文字で書かれていた。私はあれはてっきり、筆耕にお願いしたものだとばかり思っていたが……。

 閣下が「見てみるかい?」と、紙を一枚手渡してくれた。

 とても美しい文字が、流れるように繊細に綴られている。それはまさに、先日貰った手紙と同じ文字だ。

「五歳の子供の書く文字ではないだろう?」

 笑いながら同意を求める陛下に、私は素直に頷いた。……五歳の子供の云々もあるけれど、私の書く文字より余程綺麗だわ……。

「まるでペン字の手本のようだ」

 笑う陛下に、王子は「いえ、それ程でもありません」と答えているけれど……。やめて、王子。その謙遜は私に効くわ!

「私の書く文字は、単語の終わりをはねる癖があるそうです。言われて直そうともしたのですが、無意識にはねてしまっているようで、中々直らず……」

 王子の言葉に、手元の紙に視線を落とす。……あ、確かに少しだけ、単語の終わり際の文字の端がはねてるわ。クセ……と言われたら、クセなのかも。でもこれはこれで、カリグラフィっぽくて綺麗だけども。

 きっと、こんな小さな文字のクセに気付くのは、セラね。あの子、『自称・名探偵』だから。

「『名探偵』に指摘されました?」

 王子に訊ねてみると、王子は楽しそうにくすっと笑った。

「良く分かったね。そういうクセがあるから、私の書いたものなら署名がなくても分かる、と言われたよ」

「わたくしの書く文字は、角がキッチリと揃っているのだそうですわ。……言われてみるまで気付かないものですけれど、そう指摘されると気になって仕方なくなるものですわね……」

 セラに『文字の角がカチッ! キチッ! って揃ってて、そこがすごくフェリシアっぽい』と笑いながら言われた事がある。まるで私が四角四面の融通の利かない人間みたいじゃない、と愚痴ったら、やはり楽しそうに笑われた。


 陛下と宰相閣下は対応を協議してくださる事を約束してくれ、王子と私には「言うまでもなかろうが、お前たちのその『前回の記憶』は他言無用としておけ」と忠告をくださった。

 ええ、陛下。仰られずとも、こんな話、誰かになど不用意に出来ませんわ。……頭がおかしくなったと思われるのが落ちですもの。



 その日以来、私と王子は良く話をするようになった。

 王子の渡した情報を元に動いてくれている大人たちの進捗を教えてくれたり、互いの『過去』の話をしたりと、話題は尽きぬ程にあるからだ。


 その私たちの間にはいつも、居ない筈のセラが居た。


 王子は自分の知らない『一回目』のセラの様子を良く聞きたがったし、私も私の知らないセラの話を聞くのが楽しかった。王子の話を聞くたびに、「何度やり直して、どれだけ周りが変わろうと、セラはいつもセラなのね」と可笑しく思った。

 そしてその、『常に変わらないセラフィーナ』の話を、王子はとても嬉しそうに愛しそうに語ってくれるのだ。……特に、王子が『今回』の直前にやり直していた回というのは、セラは王太子妃となっていたそうで、話の内容は惚気以外の何物でもなかった。

 それでも、幸せそうな、楽しそうなセラの話は、私も聞いていて楽しいものだった。


 ただ、『どこにも存在しない令嬢』の話を、『あたかも旧知の仲のように語る』というのは、他者に見せたいものではない。

 自ずと、王子と私は二人きりで会う時間が増えてしまう。ついでに、話をする時は人払いも必須だ。

 なので遠巻きに様子を窺う使用人や騎士たちからしたら、私たちはとても楽し気な親し気な笑顔で、随分と長い時間語り合う『仲睦まじい』様子に見えたのだろう。

 ……まあ実際、仲が悪い訳ではないのだが。


 自分たちにそういった意識がないものだから、他者の目から見たらどう見えているのか、という客観的な視点が欠けていた。

 それを「やらかしたわ……」と思い知らされたのは、六歳の冬だった。


 雪のちらつく、底冷えしてとても寒い日。

 私は侍女のサマンサの淹れてくれたホットミルクを飲みながら、サマンサと「今日は冷えるわねえ」などと言い合っていた。とても呑気な冬の一日だ。

 城へ呼び出されていた父が帰宅し、何の用だか私を書斎に呼ばれた。


「お呼びでしょうか、お父様」

 書斎を訪ねると、父は「ああ、うん……」と顎を摩りながら煮え切らない返事をした。……私を呼んだの、お父様ですわよね? そこはシャキッとお返事くださいな。

「今日、陛下から直々にお話をいただいてな……」

 父は小さく息を吐くと、僅かに困っているように眉を寄せた。

 何かしら? 例のシュターデンの関係の話かしら?

「お前に、王太子妃となるつもりはあるか、と……」

「はぁぁ!?」

「フェリシア!?」

 あら、いけない。わたくしとした事が! 淑女の出す声ではなくてよ、フェリシア。心のセラにはお引き取りいただかなければ。……ちょっとあっち行っててちょうだいね、セラ。


 私は小さく息を吐くと、父を真っ直ぐに見て、なるべくきっぱりとした声音で告げた。

「あるか、と問われましたら、答えは一つです。ございません!」

「……だよなあ」

 納得したように頷かれるお父様。

 我が家は私が一人娘だ。将来的には、適当な婿を取り、私はその方の補佐に就く事になっている。もし私が他家へ嫁入りしても良いように、私のスペアとなる養子候補も居るには居るが。


 父は溜息をつきながら、何か封筒を差し出してきた。

「今日、陛下に言われてな。王子殿下が立太子された後、殿下やお前さえ良ければ……と」

 何にも良い事ないのだけれど。

 確かに王子は、粗を探すのが難しいくらいに出来た方だけれど。でも、そうじゃない。彼には『心から大切に想い愛する女性』が居るのだ。

 ……この世に存在しない相手になんて、勝てないわ。しかもそれが、自分の親友なんだもの。勝てる筈がないわ。


「陛下がお前と直接、話がしたいそうだ」

 父の差し出す封筒を受け取ると、封筒には王家の紋が透かしで入っていた。

 陛下から直接の書状だなんて……。畏れ多くて怖いじゃないの……。


 受け取った書状を自室で開封してみると、陛下がお話をしたい旨が美しい文字で綴られていた。その書状の文末に『なお、この書は筆耕による代筆である。悪筆故に、ご容赦願いたい。』と書かれていて、陛下の茶目っ気に思わず噴き出してしまった。下書きを渡された筆耕は、どう思っただろうか。



 指定された日の指定された時間に城へ行くと、侍従が案内をしてくれた。

 通された部屋には既に陛下と王子が揃っており、一番身分が低い自分が一番遅い入室となった事を詫びると、陛下が楽し気に笑われた。

「なに、レディに待たされるのは、苦でもない。さあ、そこに掛けなさい」

 ……本当、茶目っ気のある方だわ。陛下って、こんなに素敵な方だったのね。


「さて、フェリシア嬢。君の父上から話は聞いただろうか」

 お茶の支度が整うと、陛下がそう切り出してきた。

「はい。わたくしの返事は、父に言付けました通りでございます」

 『王太子妃となる気はあるか』に対して『否』だ。

 父には「なるべくキッパリと! 毅然と! お断りの意思をお伝えくださいませ」と言付けた。父がどれくらい『毅然と』伝えてくれたかは分からないが。

「断られた事に関して、咎めたりするつもりはない。……だが、差し支えない範囲で構わんので、理由を聞きたい」

 理由……と言われても……。

「まずわたくしは、マローン公爵家を愛しているからでございます。公爵家並びに、公爵領とその領民を愛しております」

 それらを受け継ぎ、導き、次代へ託す。それが自分の為すべき事と考えている。


 けれど、『王太子妃に』という有難いお話を、即答の間で『否』と断じたのは、それが一番の理由ではない。

 何より一番の理由は――

「『王太子妃』という座には、わたくしよりも相応しい者が居る、と考えております」

 その当の王太子が心から望む相手が。

「過ぎた謙遜というものは、可愛げがないものだぞ、フェリシア嬢」

 ……それは、貴方様のご子息に仰っていただけませんでしょうか、陛下……。


「使用人たちや騎士たちの話では、其方らは非常に仲睦まじい様子で歓談しているそうではないか。互いに憎からず思って居るのではないか、と専らの噂だそうだが……」

 そんな噂になっていたなんて! だからこその、今回の話か。

「クリスにも、断られてしまった。フェリシア嬢に迷惑をかけるような事はするな、と叱られた」

 ……どこまで本当なのかしら。笑いながら仰られても、こちらも笑っていいものか迷うわ。

「フェリシア嬢も交えて、話をさせて欲しい、と言われてな。こうして呼び出させてもらったのよ」

 何故私も?

 そう思い隣に座る王子をちらと見ると、王子は陛下を真っ直ぐに見た。

「私と彼女に、『やり直した記憶』がある事は、以前お話しした通りです」

 それは聞いた、と頷く陛下に、王子は続けた。

「その際、国を揺るがす陰謀とは関わりのない事ですので、話さぬ事柄が沢山ありました。その『話さなかった事柄』の一つに、ある一人の令嬢の話があります」

 そう。

 私も意図して話さなかった。話しても信じてもらえないだろうし、話す事によって実在する侯爵家に迷惑がかかってはならないから。


 王子は、セラの話を陛下にしようとしているのね。

 その為に、『セラが居た過去』を知る私を呼んだのね。

 『セラフィーナ・カムデン』という令嬢が確かに存在していて、それが決して王子の空想や妄想の産物ではないのだと証明する為に。


 いいわ。協力しようじゃないの。


「その令嬢の名は、セラフィーナ・カムデン。カムデン侯爵家の長女で、私たちと同い年の少女です」

「カムデン侯爵家……というと、男児が一人しか居らん筈……」

 流石は陛下だ。主要な貴族家の情報がすっと出てくる。

「わたくしの記憶では、その男児――ローランド様の姉に当たる人物でございます。セラは女児でございますので、カムデン侯爵家の後継は現在と変わらずローランド様でございました」

 ただ私は、セラの弟君に関しては、余り知っている事はない。礼儀正しく、口数が少ない少年だったように思う。

 私がローランド様の名を出したからだろう。王子が私を見て訊ねてきた。

「君は『前回』、ローランドと面識は?」

「取り立てて『親しい』と言える程ではありませんわね。お顔を合わせましたら挨拶をする程度……でございましょうか」

「そうか。彼の印象なんかは、どうだっただろうか」

「セラの弟君にしては大人しい……と申しますか。セラが規格外なだけかもしれませんが……」

「成程。有難う」

 王子は僅かに考えるような表情をした後、再度陛下に向き直った。


「セラフィーナは、父上が私の為に集めてくださった友人たちの一人、でした」

 相違ないか、と陛下に問われ、私は「相違ございません」と答えた。

「私とフェリシア嬢の『記憶』には、彼女はきちんと存在しているのです。……『今回』、何故カムデン侯爵家に彼女が存在しないのかは分かりませんが……」

 王子の話を聞きながら、何か考えている風だった陛下が、私たちを交互に見た。


「二人ともに訊きたい。その令嬢の髪の色は?」

 私は「焦げ茶です」と即答した。同じ間で、王子は「黒檀のように美しい、光沢のある黒に近い茶です」と答えた。

「瞳の色は?」

「緑です」

「深い森を思わせるような、濃い澄んだ緑です」

 王子……。修飾が多いの、どうなの……?

 私の正面では、陛下も少し困ったようなお顔をされている。

「……お前たちが言っているのは、同じ令嬢で相違ない……のか……?」

 ……そうなりますよね。


「外見的な特徴などは?」

「大きな丸い目が印象的な、小柄で可愛らしい少女でした」

「好奇心旺盛な猫のようで、表情も猫の目の如くくるくると良く変わり、殊更に笑顔が愛らしく、また活発な性質でもあるので常に弾むような足取りで歩いておりその様も非常に可愛らしく、彼女が動く度に美しい髪がさらさらと波打ち、その様はさながら――」

「クリス、クリス、もう良い」

 止めてくださって有難うございます、陛下!

 ていうか王子のその立て板に水の修辞、何なの!? ちょっと怖いじゃない! しかも何で、陛下に止められて「面白くない」みたいな顔してるの!?


 陛下は深い深い溜息をつかれると、呆れたように王子を見た。

「要するにお前は、その令嬢が好きなのか」

「はい」

 きっぱりと、迷いも何もなく即答する王子。

 ……ねえ、ちょっとセラ。貴女、今どこで何をしているのか分からないけれど、さっさとこの王子を引き取りに来てくれない? ちょっと怖いわよ、この王子。

 そんな事を考えている私の隣で、王子はきっぱりと言い切った。


「私は、彼女を――セラを待ちたいのです」


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