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13.「おかん」と呼ばれた令嬢


 おかんこと、フェリシア・マローン公爵令嬢のお話です。



 小さな女の子が、こちらに向かって駆けてくる。

 ああもう。高位貴族の令嬢が、そんな風に『元気いっぱい』に駆けてくるものではないわ!

 これは小言を言ってやらねば……と待ち構える私の腕を、女の子は飛びつくように取った。

 顔の細部は分からないけれど、その子がとても嬉しそうに笑っている事は分かる。

「ねぇ、聞いて、おかん!」


「 誰 が よ 」


 自分の声に驚いて目を覚ました。

 どうやら夢を見ていてたらしい。私の顔の上には、今まさに私を起こそうとしていたらしい侍女が、「……何が、でございますか……?」と驚いたような顔をしている。


 ものすごく明瞭な寝言を言ってしまったのね……。


 私はゆっくりと寝台に身体を起こすと、まだ戸惑っている侍女に微笑んだ。

「ごめんなさい、ただの寝言よ。……おはよう、サマンサ」

「おはようございます、お嬢様。今日は良いお天気でございますよ」

「あら。雨は上がったのね」

 昨日まで三日間、雨が降り続いていたのだ。雨が続くと、頭が鈍く痛む。医師が言うには、特に病などではないらしいけれど。

「昨夜の内にやんだようでございます。とても気持ちの良い日ですので、窓をお開けしますね」

「ええ、お願い」

 サマンサが窓を開けると、さぁっと少し涼しい風が入り込んできた。

 風は部屋の中の湿気を外へ運び出してくれそうだ。ああ、本当に気持ちの良い日だ。


 身支度を済ませ、朝食をいただき、この後は自室で本でも読もう……と廊下を歩いていた。

 とても良い天気なので、至る場所の窓が開け放たれている。

 昨日までのじっとりとした空気が噓のように、涼やかで爽快な空気だ。

 窓の外の木々はたっぷりの水を天から恵んでもらい、今日は陽光を目いっぱいに浴びて、とても青々と美しい。葉擦れの音も耳に心地よい。

 木も嬉しそうね、などと思いつつ、私は窓の外を眺めながら歩いていた。


 それが失敗だったのか、功を奏したのか。

 どちらなのかは、今でも分からない。


 私は進行方向を見ていなかった。

 さわさわと風に揺れる木の枝と、そこにやって来た小鳥などを幸せな気持ちで眺めていたのだ。

 ウフフ、小鳥さんも気持ちがいいのね、などと呑気な事を考えていた自分の頭を、分厚い辞書ででも引っ叩いてやりたい。

 歩くときは、きちんと前や足元を見る! これ、大事!


 前日まで雨続きだったおかげで、掃除の滞っている部分が色々とあった。

 使用人たちは漸く訪れた好天に、張り切って邸の掃除をしていた。


「あ! お嬢様!!」

 サマンサが慌てたような声を上げたのが分かった。

 外を見ていた私は気付いていなかったのだが、私が足を出したまさにその場所には、小さな水たまりがあったのだ。


 掃除メイドがうっかり水をこぼしてしまい、それを拭くためのモップを取りにその場を離れていたのだ。


 掃除メイドを責める事は出来ない。

 彼女は毎日、邸をとても綺麗に保ってくれている。

 水を零すというのは失態ではあるが、強く叱責する程のものではない。何と言っても、拭けば元通りになるのだから。


 思い切り水たまりを踏んだ私は、つるんっと足を滑らせた。

 いけない! 転ぶ!

「ふぉぅあ!!」

 令嬢としてあるまじき意味の分からない叫びが口から転げ出た。


 何、今の声。悲鳴とも言えない声だったわ。

 こんなの、まるで■■みたいじゃない! いやだわ、わたくしったら!


 何とか転ばずに持ちこたえ、前後に大きく開脚して止まるという恥ずかしすぎる体勢になってしまった。

 サマンサが私を持ち上げるようにして助けてくれ、どうにか事なきを得た。


 というか私、さっき『誰みたい』って思ったの……?

 知り合いに、あんな素っ頓狂な声を上げる方は居ないわ。

 誰みたい?

 セ――……


 ずきん! と、こめかみ辺りに鋭い痛みが走った。

 痛んだあたりを手で押さえ、思わず眉根を寄せてしまった私に、サマンサが心配そうに表情を曇らせる。

「お嬢様、大丈夫でございますか? また、頭がお痛みになられますか?」

「そう、ね……。痛い、みたい……」

 サマンサは『また』と言ったが、この頭痛は昨日までのものとは種類が違う。


 昨日までの痛みは、『どこが痛いかはっきり分からない、鈍いもやもやした痛み』だった。

 今の痛みは『こめかみの奥あたりを、太い針で刺したような痛み』だ。


 歩くのが辛かったので、サマンサの手を借り何とか自室へと帰り着いた。

 そして先ほど起床し着替えたばかりなのだが、再度寝巻に着替えなおし、ベッドへと逆戻りした。


 頭が痛くて、何も考えられない。

 もしかして私、このまま死ぬのかしら……。



 結論から言うと、死にはしなかった。

 家族の話では、私は丸一日眠っていたらしい。時折、魘されるようにうわごとを言っていたそうだ。ただ、何を言っているかまでは聞き取れなかったらしいが。

 ……家族が聞き取れなくて良かったわ。


 目を覚ました私に安心した家族が部屋を去ると、私は鏡台に飛びついた。

 頭痛はもうすっかり消えている。家族は心配してくれたが、恐らくもう大丈夫だろう。


 鏡の中には、五歳の私。

 それはそうだ。私は『今』、五歳の幼子だ。

 だが、問題が一つある。


 目が荒んでいる……。


 五歳の天真爛漫な幼子のする目ではない。天真爛漫ですって。ハっ、なぁにが……って、駄目よフェリシア、そこで鼻で笑っては。

 五歳の幼子は、笑顔で小鳥さんに話しかけたり、支離滅裂なポエムを詠んだり、あの花の影に妖精さんが隠れていたりしないかしら? とか大真面目に言ったりするものよ!

 ……無理だわ。言えないわ。


 自分の身に何が起こったのかは全く分からない。

 けれど一つ言える事がある。


 これ絶対、あのおサル王太子の仕業だわ!



  *  *  *



 丸一日眠っていた、というその間、私は自分の二十五年間の人生を追体験していた。

 ……尋常じゃなく『濃い』人生だったわ……。


 私の最後の記憶は、悪くなり過ぎた事態を城は把握しているのかと、単身王城へ乗り込んだ日だった。

 城は荒れていて、立派であった門扉は傾げ、塀には落書きがされ、それらを制止する筈の騎士の姿はなく、『この城は既に空なのでは?』と思わせる静けさだった。


 城内はとても静まり返っており、人の気配がない。

 まあ、使用人や騎士たちが見限って出て行ったという話は聞いていた。だが、シュターデンの一派や、王位の簒奪を目論んでいた連中まで居ないのはどういう事だろう?

 調度や装飾品にはうっすらと埃が積もっており、使用人たちが職務を放棄してそれなりの日数が経過しているのだと分かる。


 使用人が居ない状態で、あの王太子は果たして生きているのだろうか。


 自分で食事の支度など、間違っても出来ないだろうし。もしかしたら、着替えすら出来ないかもしれない。

 保存食はいくらかあるだろうが、あの頭に何か詰まっているのかさえ疑わしい王太子が、保存食の正しい食べ方など分かるのだろうか。


 そんな事を考えながら、無人の城を奥へと歩いた。


 ここへ来るのは、十三歳の頃以来だわ……と、僅かばかりの感慨はあった。だが特に、この場所に楽しい思い出がある訳でもない。

 そんな感慨は、すぐに消えた。


 許可のない者の入城が制限されている区画まで来ると、私は付いてきてくれた護衛や侍女をそこに残し、更に奥へと進んだ。

 ……本当に無人だ。

 人影すら見当たらないし、物音もない。

 城下の喧騒が嘘のようだ。

 そしてこの、『完全に無人の城』というのも、何の冗談だろうか。


 いくら使用人たちが大量に職を辞したとはいえ、このように『完全に無人』になどなるだろうか。

 それとも、民衆が雪崩れ込むのを恐れ、何処かに隠れていたりするのだろうか。


 私はただ奥へ奥へと足を進めていた。

 行く宛てがある訳ではない。

 けれど誰かが隠れているのだとしたら、きっと奥の方だろう。その程度の考えでしかなかった。


 以前の記憶を頼りに、厳重に警備されていた方へと廊下を曲がる。

 穏やかな笑顔の騎士様に「こちらは王族の方以外は入れないのですよ、リトルレディ」と注意された廊下の奥へと。


 しんと静まり返った城は、何だか不気味な気がした。

 大分奥の方まで歩いてきた。廊下には窓がない。それはつまり、この辺りがそれだけ厳重に隠され、警備されている場所だということだ。

 ……尤も、今は無人なのだけれど。


 今更ながら不安な気持ちになりながらも、歩を進める。

 もうここまで来たら、一番奥まで行ってやるわ! 逆にそんな風に開き直っていた。


 無人の廊下を歩いて行くと、一際奥まった場所に到着した。

 そして、不思議な光景を目にした。


 いかにも重そうな扉が開け放たれており、その向こうから真っ白な光が溢れて廊下までも照らしている。

 あれは何だろう。

 窓がなく暗いので、私はその辺の応接室か何かにあった燭台を手に持っていた。燭台の頼りない灯りとは全く異質な、圧倒的な光の氾濫だ。あれ程の光量の照明器具など、見た事がない。

 王族が極秘で開発させた何とか……とか、他国から献上された珍しい何とか……だのの可能性もある。


 何だろう。

 あそこで何が起こっているのだろう。


 私は恐る恐るそちらへと近づいた。

 何と言っても、現在の私は『不法侵入中』なのだ。……尤も、今現在『法』が機能しているのかどうか怪しいが。

 それでも余り人に見られたい場面ではない。


 そーっと近寄り、扉の陰から向こうを見た。

 真っ白だった。

 そこが部屋なのか、部屋だとしてどれくらいの広さなのか、そんな事すら分からない、塗ったように真っ白な光一色。

 その中に、薄汚れた衣服を着けた王子が居た。

 こちらに背を向けていて、王子の正面には何か石のようなものが浮いている。

 ……浮いている!? 何なの、これ!


 王子は床に両膝をつき、項垂れている。

 何なんだろうか、この状況は。


 ここから離れた方がいいのか、それとも王子に声をかけた方がいいのか……。

 逡巡する私の頭の中に、『声』のようなものが聞こえた。

 <やり直そう。……全てを>

 え!? やだ、何これ、気持ち悪い!

 自分の思考に、他者の思考が割り込むような不快さ。それに軽く瞳を細めた瞬間、視界が真っ白に染まった。



   *  *  *



 現在私は、お城へ向かう馬車の中だ。

 あー~~~…………、無駄にいい天気だわ。

 長く吐き出した吐息が、馬車の振動で揺れる。……いい具合のビブラートだわ。セラなら歌いだしそうだわ。


 今日は城で王子とお茶会だ。憂鬱で面倒な事この上ない。


 何がどうなってこうなっているのかは分からないが、二十五歳まで生きたあの記憶は確かだ。

 このままでは国はどうなってしまうのか……という焦燥も、恐怖も、憤りも、全て全て覚えている。

 だが現在の私は五歳だ。

 そして国はとても平和だ。

 あー~~~~…………、いい天気。


 この『王子との茶会』は、二十五年の記憶の中にもある。

 国王直々の招待状が届き、断るに断れなかったのだ。そして肝心の茶会は、開始から一時間程度であっさりとお開きになった。

 それもそうだ。

 ホストである王子にやる気が全くなく、話題を振るなどという高度な芸当は当然できず、挙句の果てに癇癪を起こして暴れだすという開いた口が塞がらない有様だったのだから。

 けれど私はそこで、後に親友となる少女と出会えた。

 それがセラフィーナ・カムデン侯爵令嬢だ。

 可愛らしい見た目の少女で、見た目だけなら大人しそうな小さな淑女だ。……見た目だけなら。

 本人曰く「つやつやの毛並みで、悪役のボスが膝に乗せてそうな可愛い猫ちゃん」を常に被っているらしい。……後半がちょっと何を言っているのか分からないが。


 その見た目だけ可憐な猫被り令嬢を、あのトンデモ王子が気に入ってしまうのだ。まあ、気に入ってしまう気持ちは分かる。「気の強さが顔に出ている」と言われる私と違い、セラは真ん丸で大きな目が愛らしく、小柄で守ってあげたくなる風情の美少女だからだ。

 ……セラには『大人しく守られる』という芸当は不可能だろうけれど。


 ロクな思い出のない城と、ロクな思い出のない王子。

 その王子とこれからお茶会。

 あー~~~~~~…………、ほんっと無駄にいい天気!



 城に到着し、案内役の侍従と騎士様に従い歩く。まあ、行先は分かっているのだけれど。

 二十五歳の記憶と違い、城の中には沢山の人が居る。使用人は忙しそうに動き回っているし、騎士様もきびきびとした動作で巡回している。廊下にも装飾品にも、埃など当然見当たらない。

 本当に、あの時の状況が異常なのだわ。


 広い庭園へ案内され、侍従が「どうぞ」と椅子を引いてくれた。

 そこへ座り、円形のテーブルを囲む椅子の数を数える。

 私が座っている椅子を入れて、五つ。……おかしい。記憶の中と、椅子の数が違う。

 まずあの席、ホストの席には王子。その隣に公爵令息、子爵令息、セラ、私、侯爵令息……だった筈。

 城の使用人に限って、ゲストの数を間違うような失態は犯さないだろう。

 ならば、誰が欠けている?


 王子が欠席ならいいのにな~~~…………。


 そんな事を考えていると、続々と参加者がやって来た。

 まずは公爵令息。彼がやって来るという事は、時間のぴったり五分前なのだろう。きっちり・かっちりした性格なので、彼は必ず『約束の時間のぴったり五分前』にやって来るのだ。

 次は子爵令息。彼は今日の参加者の中で一番邸が遠い場所にあるのだから、こんなものだろう。

 そして時間ギリギリに侯爵令息。彼は「遅れなければ大丈夫!」という緩い考えの人間なので、時間前行動などは特に気にしない。彼と何か会う用事がある時は、『予定の時間の十分前』を告げておくのが正解だ。

 それぞれが席に着く。

 残った椅子は一つ。王子の席だ。


 セラが居ない。


 欠席だろうか。

 今日はセラと会う事だけを楽しみに来たというのに。

 あー~~~~……、ガッカリ。


 侯爵令息に遅れる事数分、王子がやって来たようだ。

 はーぁ。またあの、ただただ気まずいだけの一時間が始まるのね……。

 そう思いつつも、相手は王子だ。我が家の番犬の方が数倍賢いと思うが、王子は王子だ。礼をしなければならない。


 やがて、王子が私たちの居るテーブルの前で足を止めた。

 さて、第一声はどんなとんでもない事を言い出すかしら……と身構えていると、とても落ち着いた静かな声が言った。

「皆、顔を上げてくれ」

 ぎゃんぎゃんと怒鳴るような耳障りな話し方……ではない。

 王子が来たのかと思っていたけれど、別の誰かだったのかしら。


 そんな風に思いながら顔を上げると、そこには記憶の中の王子と同じ衣服を纏った別人が居た。

「今日は招待に応じてくれて、感謝している。さあ、席に着いてくれ」

 笑顔で言うと、その王子らしき人は周囲の侍女に目配せをした。それを合図に、侍女たちが動き出す。

 え……? これ、誰……?

 いえ、王族の礼装をお召なのだから、王子なのだろうけれど。


 記憶の中の王子は、あんな風にきちんとした言葉遣いなどしない。訂正だ。『しない』のではなく、『出来ない』。

 西方の商人が連れていたおサルさんのような短髪に、おサルさんの方が利口と思える行儀の悪さ。それが記憶の中の王子だ。

 席に着いた王子は、とても堂々とした態度で自己紹介なんかをしている。

 記憶の中のおサル王子は名乗りもせずに「お前らは誰だ?」が第一声だったのだけれど……。


 私の持つこの『記憶』は何なのかしら?

 もしかしたら、本当にただ夢を見ていただけなのかしら。けれどあれは『ただの夢』などではない。

 何故なら、五歳の私では理解し得ない政治や経済の知識が、『今』の私にはあるのだもの。それらは当然、『五歳の私』は未だ学習していないものだ。


 二十五歳まで生きて、あの良く分からない光に飲み込まれて、五歳に戻った……?

 いえ、違うわね。

 五歳の時点で『二十五まで生きた記憶を思い出した』が正解ね。て事は、二十五歳まで生きて、良く分からない何かに巻き込まれて、また一から人生をやり直してる、という事になるのかしら。

 ……ややこしいわ。


 私は談笑している四人の少年それぞれの顔をまじまじと見た。

 自分と同じ『謎現象』に巻き込まれている人が、他に居ないかと思ったからだ。

 あの記憶があるならば、少なくとも『天真爛漫な子供』などでは居られない。

 ――そう思ったのだが、直後に思い直した。


 そもそもこの場に『天真爛漫な子供』が居ないわ。


 おサル王子はさておいて、他の三人は全員、子供ながらに腹に一物持っているような人物だ。

 一番無邪気に笑っているように見える侯爵令息が、実は一番腹の中が黒い事を私は知っている。


 見ている限り、令息たち三人は、私の知る『二十代の彼ら』より無邪気な笑顔だ。歳を重ねる毎に、彼らの笑顔から頭の『無』が消えていくのだ。

 まだ彼らの笑顔は可愛らしい。


 という事は、彼らは誰も私と同じ記憶は持っていないのだ。


 そもそもこの『前回』とでも言うべき記憶があるなら、まず王子を見て驚く筈だ。

 背もたれにふんぞり返るように座ったりしない。ちょっとでも気に入らない事があると、テーブルをバンバン叩いていたのだが、当然そんな事はしない。耳障りな金切り声で怒鳴ったりもしない。

 知性の欠片も見当たらなかったのだが、今目の前に居る王子は真逆だ。

 この場の誰より美しい所作で、話を途切れさせないよう全員に均等に話題を振って、うっかり菓子を落としてしまった侯爵令息に嫌味のない笑顔で対応し、公爵令息の意地の悪い質問にも笑顔で対応している。

 こんなの、まるで王子様みたいじゃない……! あ、王子様だったわ。


 何なのかしら?

 この『前回の記憶』と『今の状況』、どうしてこんなに違うのかしら。


 ふと話題が途切れたので、私はかまをかけてみる事にした。

「少々お訊ねしたいのですが……」

 誰に、ではなく、全員に向けて言う。

 ぐるっと一同の顔を見回しながら。

「皆様は、『セラフィーナ』という名の令嬢をご存知でいらっしゃいますか?」

 この場に居ない、私の親友。


 誰か一人くらい顔色を変える者がないかと期待していたのだが、見事に宛てが外れた。

 全員がきょとんとしてこちらを見ていた。

「……どちらのご令嬢だろうか?」

 無知を恥じるような口調で訊ねてきた王子に、私は小さく息を吐いた。

 もしかして……とは思っていたが、『セラフィーナ・カムデン』という令嬢は、『今回』は居ないらしい。居るのだとしたら、彼女は侯爵家の令嬢なのだから、王子が知らぬ筈はないだろう。

「物語に出てくるご令嬢ですわ。……楽しい物語だったものですから、どなたかご存知の方がいらしたらお話ししたいと思いましたの」

 どうぞ今のお話は忘れてくださいませ、と告げ、私はその話題を切り上げた。


 ガッカリ…………。

 セラが居ないなんて……。

 あー~~~~~…………、つまんない! またセラと一緒に学術院に通えるかと期待していたのに!



 『前回』は一時間で終わったお茶会は、今回は二時間以上となった。

 まあ、前回と違って『座っているだけで苦痛』な会ではなかったから、別に構わないけれど。

 お開きとなって「さて、帰るか」と席を立ったところで、お城の侍従の方が私の侍女に何か言付けていた。何かしら? 何か粗相でもしてしまったかしら? と少々不安な思いで侍女を見ていると、侍女が私の耳元にこそっと言った。

「殿下がお嬢様をお呼びだそうです。時間の都合がつかないならば、無理にとは言わない、と。……如何なさいますか?」

 如何も何も、特にこの後の予定もないのだ。断る訳にもいかないだろう。

 ……相手があのおサル王子だったなら、何としても断るところだが。

「伺います、と伝えて頂戴」

「承知いたしました」


 侍従の方に案内され、応接間らしき部屋に通される。

 部屋の中では既に、王子が待っていた。

「呼び立ててしまってすまない。どうぞそちらに座ってくれ」

 王子が手で示しているのは、彼が居るソファの向かい側のソファだ。……まあ、五歳だものね。不埒も何も未だ分からない年齢よね。でも紳士的な対応で加点対象だわ。

 私がそちらへ移動すると、王子は壁際に控える侍女や侍従をちらりと見た。

「それと申し訳ないのだが……、人払いをさせてもらって構わないだろうか。余り多くの人間に聞かせたい話ではないので……」

 え!? 人払い!?

 驚いた私に、王子はとても小さな声で言った。

「君の『親友』の話だ」

 その言葉に、私は更に驚いた。

 お茶の席で名前を出した時、誰一人顔色を変えなかったけれど。王子も不思議そうな顔をしていたのだけれど。

 確かにその話をするなら、知らぬ人間には聞かせたくない。きっと頭がおかしくなったなどと思われるだろうから。

 私は家から付いてきてくれたサマンサに、外に出ているように告げた。そして王子が合図をすると、侍従も居なくなった。

 ドアは細く開けられているが、通常の声量で話す声は聞き取り辛いだろう。


「ありがとう。感謝する」

「いえ……」

 王子は一つ息を吐くと、軽くこちらへと身体を乗り出してきた。恐らく、声が小さく聞き取り辛い故の配慮だろう。

「まず……、君は何故、セラの名を知っているのだろうか」

 恐らく、『知っている』というよりも、『覚えている』と言った方が正確なのだろうけれど。

 どう話そうか。上手く話せるだろうか。話したとして、信じてもらえるだろうか。

 それより何より。

 何故王子は、セラを知っているのだろうか。


 迷った末、私は自分の身に起こった事を全て話した。


「成程……」

 一通り話し終えると、王子はそれだけ呟き、何か考え込むように目を伏せた。

 こんなにまじまじと王子の顔を見るのは初めてだけれど、綺麗な顔をしてたのね。どうしてもおサルさんの印象が強すぎていけないわ。

 今は髪が長めだからかしら、印象が全然違うわ。

 そんな事を考えていると、王子がふと視線を上げた。

「君には、その『前回』の記憶しかないのだろうか」

 言われた事の意味が分からず、思わず首を傾げてしまった。

「『しか』……と、仰られますと……?」

 『前回の記憶がある』というだけで、他の人よりも持っている記憶は多いと思うのだけれど。

「私にはそこから更に、何度も繰り返しやり直した記憶がある。……何度やり直したかなどは数えていないので、もう正確には分からないが……」

 ……は!? 繰り返しやり直した!? どういう事!?

 意味が分からずぽかんとした私に、王子は恐らく簡潔に纏めたのであろう話をしてくれた。……それでも充分に長かったが。


 私の覚えている『前回』を『一回目』として、何度も結末を変えようと繰り返した事。

 王子が死を迎える度、私が見たあの真っ白な部屋に戻される事。その部屋からまた過去へ戻り、何かを変えようと行動する事。それでも二十五歳で死んでしまう事。

 国の動乱の原因とも言うべき、シュターデン伯爵家という家の陰謀。そしてそれを阻止出来た事。

 陰謀は阻止出来たが、セラフィーナが殺されてしまった事。

 再度やり直したが、またセラフィーナが殺されてしまった事。

 そして、私も聞いた、石の『やり直そう。……全てを』という言葉。


「『全てを』と、石は言った。……それまでの『やり直し』は、石が私に『どこへ戻るか』を問うていた。けれどそれもなく戻された。しかも恐らくは、『生まれる時点から』だ」

 『今回』、王子が『やり直し』ているのだと気付いたのは、言葉も覚束ない乳児の時点だったらしい。

「戻される前、石は私に問うた。『君の望みは?』と。私はそれに『セラフィーナを奪わないでくれ』と願った。彼女に平穏な死と、幸福な生を、と。石は確かに『聞き届けた』と言った」

 どうして王子がセラの幸福なんかを願うのだろう。王子とセラは仲が良かったのだろうか。セラはおサル王子を心底嫌っていたけれど、目の前のこの王子なら確かに、嫌う理由はないかもしれない。……まだ分からないけれど。


 王子はこちらを見ると、僅かに辛そうに眉を寄せた。

「『聞き届けた』と受領した筈なのに……、……何故カムデン侯爵家にセラが居ないのか……」

 ああ、やっぱり居ないのか……。

 まだ五歳で、社交なども殆ど無い為、余り他家の令嬢・令息の噂などは聞こえてこない。それでも今日集った三名の令息の噂は聞いた事があった。彼らはそれ程に優秀なのだ。

 そして『前回』、この茶会の前に私は、セラの名前を聞いていた。非常に優秀な令嬢である、と。

 けれど『今回』、セラの名前は一度も聞いた事がなかったのだ。


 もしかして居ないのかな、とは、ちらっとは思っていた。

 けれど本当に居ないと言われると、落胆が凄まじい。


 そして私以上に、目の前の王子の項垂れ方が凄い。

 おサル王子は確かにセラに執着していた。けれどあれは、子供がお気に入りの玩具を手放そうとしないような、とても幼稚な感情であったように思う。

 目の前の王子も、セラに執着しているようだが、これは一体どういう感情からだろうか。


 それはさておき、私はどうしても王子に言わねばならない事がある。

 先ほどの王子の話を聞いて、それが本当かは分からないにしろ、王子には言った方がいいような気がしたからだ。

「殿下」

 呼びかけると、項垂れていた王子が顔を上げた。

 あ、この人も、目が荒んでるわ……。王子が『何度も繰り返した』って話、本当なのかも。

「殿下に、お伝えしておきたい事がございます」

「……何だろうか?」

 声量を抑えた私の声を聞き取ろうと、王子がこちらに軽く身を乗り出してきた。

 私も王子に向かって身体を乗り出す。

 大声で言いたい話ではないからだ。


「わたくしにとっては『前回』で、殿下にとっては『一回目』のお話なのですが……」

 王子は『セラが十三で異国へ旅立って以降、何処で何をしているのかも全く知らない』と言っていた。

 私はセラと連絡を取り合っていたから知っている。それに私にも、あちらには知り合いが多数居たのだ。

 ……とても言い辛い話だけれど、多分言った方がいい。そんな気がする。


「セラは、異国で命を落としております。……セラが、十八になる年に」


 私の言葉に、王子の顔から表情が抜け落ちた。



 彼女のファミリーネームが『マローン』なのは、もしかしたら私がここ数週間くらい、猛烈に栗おこわが食べたいと思っている事と何か関係している可能性があります。


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[良い点] おかんっ‼︎ …と胸アツになったり、初回セラのその後に衝撃を受けたりしていたら、 最後栗おこわに意識を持っていかれました(笑) [一言] 更新スピードアップは嬉しい、でも間もなく完結してし…
[良い点] 悲喜こもごもが全て最後の栗で持っていかれますた笑 [一言] 仲間との再会に涙するクリス様に胸がつまると同時に セラちゃんが居ることに軽く絶望(だって同年齢ってことは)した前話。 フェリシア…
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