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狼の様な口で、テラテラと濡れた牙が並ぶ口を開けて声を出している。うなり声を無理矢理言葉にしていような、たどたどしさがある話し方だった。
違和感にゾワリと鳥肌が立つ。 コイツが統率個体、だろうか?
「待て、俺が済んでからだ。よしと言ってもいきなり止めを刺すなよ? 痛め付けてからだ」
【わカぁっタ】
ある程度の会話、意志疎通が出来ている。と言うことはリボンの人の読み通り、この魔物が指示を出し、他の魔物が命令に従っていた可能性が高い。
「なあマリカ、妙な気は起こすなよ? お前が魔法を使えていたのはこのリボンのせいだと知っているんだからな」
「痛っ!」
拘束されている手がきつく握られる。遠慮も配慮もないその掴み方に、思わず声が出た。
「ああ、痛いのか。でもお前が何かしたら目の前の男はもっと痛い思いをするし、家族は痛みを感じなくなる様にしてやる」
楽しげに、愉快そうに、そう語るラハラの事を心底嫌いだと再認識した。
「父さんが付いていてそんな事に……」
「なるんだよ、こいつらが本気を出せば、集会場は簡単に襲えるし、長達だって本当なら皆死んでいたはずだ、お前の親父だって本気でないコイツらを相手にしていたから生きていたに過ぎない。お前だって集会場から出てきた時点で、いや、姉と走っていた時点で殺すことが出来たんだぞ?」
他の魔物が見た光景は全てこの魔物にも見えるのだろう。でないとこの台詞は出てこないだろうし、私の魔法が読まれていたのに説明が付く。言うこと全部は信用するわけではないが、ある程度本当の事を言っているとして聞いておこう。
「……何が目的」
とりあえず目的を聞こう。コウさんがゆっくり動いていたのは、多分時間稼ぎだ。目的さえ知れれば、時間稼ぎも楽になるかも知れない。
「違う、違うんだよマリカ、お前は怯えていなきゃいけないんだ」
「痛い、止め」
「口答えするな、お前は俺の言うことを聞いていなきゃ駄目なんだよ!!」
顎から頬にかけて真っ直ぐに痛みが走る。
切られた……?
一定のリズムで血が顎先から滴る。コウさんの近くにいる魔物が鼻をヒクヒクさせ、舌舐めずりをした。
「なあ、マリカぁ。俺は言ったよなあ、なるべくズタズタにはしたくないんだよ」
【ヂのにオい、ヴうぅマぞう、ぅまソヴ】
「こっちは俺のだ。なぁ、目の前で自分の女が傷つけられるのってどんな気分だ?」
ラハラはケラケラ笑いながらコウさんに聞いていた。コウさんは静かに佇んでいる。その金に近い琥珀色の瞳には、いつかと同じように静かに燃え上がるような怒りを湛えていた。
「返事がねえな、あ、出来ないんだったか、なぁマリカお前が代わりに答えるか?」
恐れるな、震えるな。私はもう、ラハラの思い通りにはならない。私はコウさんを信じている、なんとか、こいつを油断させて……
うん? いや、いっそ、こいつの思い通り恐れて震えてよう。
「……めんなさい、ごめんなさい」
ふるふると肩を震わせてか細く声を出す。なるべく前の私に、コウさんと出会う前の私に見える様に。
「ごめんなさい、私が悪いの、だから皆を傷付けないで、お願いですから」
「はは、やっと分かったのか。そうだ、お前は震えていればいい、それで俺の言うことを聞いていれば良いんだ。お前は――」
【ぢ、にヲイ】
朗々とラハラが語り初めた、意識がコウさんから反れる。魔物も血の匂いが気になるらしくこちらへと注目している。
コウさんを見ると、軽く頷いた後にぎゅっと目を瞑って開いた。
……目を閉じていろ、って事かな? 即座にぎゅっと目を閉じる。
「な、なんだ!?」
目蓋を通してもなお明るい光が目を刺した。
直に見ていたらしばらくは何も見えない状態がしばらく続くのではないだろうか、そんな強い光だった。
ああ、これは魔法だ。多分あの人の。
「クソ、目が」
ラハラが、無茶苦茶に短剣を振り回す。しかしその短剣は氷で覆われていて私を傷付けることはない。
これも魔法だ。
その間に遠吠えのような断末魔を残して魔物が動かなくなる。魔物にはコウさんの使っていた剣が刺さっていた。
「歯ぁくいしばれ糞野郎」
すでに近くに来ていたコウさんは言いながら、ラハラの顔面に拳を叩き込む。まるで炎が吹き出す様な勢いがある重い一撃はラハラの意識を一発で刈り取った。
後ろに倒れるラハラの拘束が緩んだため、私は前のめりに倒れそうになるが、地面にぶつかること無くコウさんに片手で抱きとめられた。
「炎よ、罪人を戒めろ」
コウさんが片手を向けてそう言うと、炎がまるで蛇のようにラハラに巻き付いた。服が焦げていないので今のところ燃えるモノではなさそうだ。
コウさんが魔法を使って辺りを調べ、その様子で周囲に魔物は居ないとわかった。
「コウさん」
「よく、頑張ったな」
コウさんの手が遠慮がちにあごに触れ、少し上を向かされる。
「癒しの炎よ」
暖かな魔力が傷を撫で、ヒリヒリする痛みは無くなる。
「ありがとうございます」
「いや、ごめん。痛い思いをさせた」
「コウさんの方が酷いですよ」
良く見ればあちこちに擦り傷や切り傷が見えた。予想が正しければコウさんにだけ魔物は本気だったはずだ。
こちらもコウさんの頬に触れて詠唱する。
「風よ、祈りを届けたまえ」
今日だけで何回も唱えた魔法を使った。しかしみるみるうちに身体中の力が抜けて意識が遠退く。
「マリカ!?」
あ、リボンが無いのを忘れていた。




