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異世界ショコラティエの甘い革命~チョコレートが存在しない世界でカカオを育ててバレンタインを流行らせます~  作者: 黒崎隼人


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第5話「白い粉の壁」

 契約を結んでから数日後、最初の試練が訪れた。


 それは予想通り、砂糖の問題だった。


 マルセルから届いた最初の注文は、ショコラ百枚。期限は二週間後。


 数だけ見れば不可能ではない。カカオ豆のストックはあるし、石臼も順調に回っている。問題は、それを甘くするための砂糖の質だった。


「……やっぱり、ダメだ」


 僕は頭を抱えてしゃがみ込んだ。


 目の前には、試作したチョコレートの残骸が散らばっている。


 マルセルが手配してくれた砂糖は、確かに市場で売っている黒砂糖よりはマシだった。しかし、それでも純白には程遠い、黄色みがかった砂糖だったのだ。


 これを使って作ると、どうしても後味に雑味が残る。それに、粒子が荒くて、口どけの中にジャリッとした不快な感触が混ざってしまう。


 すり鉢ですり潰しても限界がある。完全に溶け込ませるには、もっと微細なパウダー状にするか、あるいは不純物を取り除かなければならない。


「どうしたんだ、ルカ。朝から難しい顔して」


 納屋に入ってきたのは、父のガンツだった。手には収穫したばかりの野菜が入った籠を持っている。


「父さん……砂糖が、上手くいかないんだ」


 僕は正直に打ち明けた。


「届いた砂糖じゃ、僕が目指す味にならない。もっと純粋な、混じりけのない甘さが欲しいんだけど……」


 父さんは籠を置き、僕が指差した砂糖袋を覗き込んだ。


「これでも十分上等に見えるがな。お前の舌は王様並みか?」


「王様以上だよ。お客さんに出すんだから」


 僕がムスッとして答えると、父さんは短く笑い、ひげをさすった。


「……純粋な甘さ、か。そういえば昔、じい様が言ってたな。『甘味の根』の話を」


「甘味の根?」


 聞き慣れない言葉に、僕は耳を疑った。


「ああ。ここらじゃ雑草扱いされてるが、川沿いに生えてる白い大根みたいなやつだ。煮詰めると甘い汁が出るってな。ただ、泥臭くて誰も食わねえが」


 白い大根。煮詰めると甘い。泥臭い。


 ――甜菜。


 前世の知識がフラッシュバックした。サトウダイコン、あるいはビートと呼ばれる植物だ。寒い地域でも育つ貴重な糖源。


 まさか、こんな近くにあったなんて!


「父さん! それどこに生えてるの!?」


「ん? あそこの川の、下流の湿地帯だが……」


 父さんが言い終わる前に、僕は飛び出していた。


 籠とクワをひったくり、全力で川へと走る。


 もしそれが本当に甜菜なら、精製次第で純白の砂糖が作れるかもしれない。泥臭さは、活性炭による濾過でなんとかなるはずだ。


 湿地帯に着くと、僕は泥だらけになりながらその植物を探した。


 あった。


 ラグビーボールのような白い根っこ。葉の形も記憶にあるものと一致する。


 僕は夢中でそれを掘り起こした。十本、二十本。籠がいっぱいになるまで掘り続け、重さも忘れて家に持ち帰った。


 そこからは、化学実験のような時間が始まった。


 まず、泥を落として皮をむき、細かく刻む。それを大鍋に入れ、水を加えて煮出す。


 グツグツと煮立つ鍋からは、確かに甘い匂いが漂ってくるが、同時に土のような独特の臭みもある。


「うわ、何この匂い……」


 手伝いに来てくれたミナが、鍋の中を見て顔をしかめた。


「これが宝の山になるんだよ。見てて」


 煮出した汁を布で濾し、茶色い液体を抽出する。ここからが勝負だ。


 僕は事前に用意しておいた『炭』を取り出した。薪を燃やして作った木炭を、粉々に砕いたものだ。


 炭には、微細な穴が無数に開いており、それが不純物や色素を吸着してくれる性質がある。


 茶色い液体に炭の粉を投入し、よくかき混ぜる。


 液体は真っ黒になった。


「ええっ!? ルカ、何してるの!? 真っ黒になっちゃったよ!」


 ミナが悲鳴を上げる。


「大丈夫、これでいいんだ。魔法みたいなもんだよ」


 しばらく置いてから、今度は何重にも重ねた布で、慎重に、時間をかけて濾過する。


 ポタリ、ポタリ。


 布の先から落ちてくる滴は――。


「……透明だ」


 ミナがつぶやいた。


 炭の黒さも、元の茶色も消え失せ、そこには透き通った黄金色の液体が溜まっていた。


 匂いを嗅いでみる。


 あの嫌な泥臭さは、嘘のように消えている。


 指につけてなめてみる。


 すっきりとした、切れの良い甘み。


「成功だ……!」


 ガッツポーズをする。


 この液体をさらに煮詰め、水分を飛ばしていく。


 鍋の底に、白い結晶が析出し始めた。


 かき混ぜる手が重くなる。粘度が増し、やがて鍋の中は白い砂のようなもので満たされた。


 乾燥させ、さらさらに砕く。


 出来上がったのは、雪のように白い砂糖だった。


 現代の精製糖ほど純度は高くないかもしれない。それでも、この村で手に入るどんな砂糖よりも美しく、そして雑味がなかった。


「すごい……本当に白くなっちゃった」


 ミナが恐る恐る、その白い粉を指でつまんで口に入れた。


 パッと顔が輝く。


「甘い! すごーい! 美味しいよルカ!」


 彼女は飛びついてきて、僕の腕を揺すった。


 その笑顔を見て、僕はようやく肩の力を抜くことができた。


 これならいける。


 カカオの香りを邪魔せず、むしろ引き立ててくれる最高のパートナーだ。


 だが、問題は量だ。


 籠一杯の甜菜から取れた砂糖は、両手一杯分ほどしかない。百枚のショコラを作るには、全然足りない。


「……父さん、お願いがあるんだ」


 様子を見に来ていた父さんに、僕は頭を下げた。


「この甘味の根、畑で育てさせてほしい。これがあれば、最高のショコラが作れるんだ」


 父さんは、僕の手の中にある白い砂糖と、ミナの笑顔を交互に見た。


 そして、大きくため息をついた。


「……やれやれ。うちの畑が、菓子工房の支店になっちまうな」


 それは、実質的な許可だった。


「ありがとう、父さん!」


「その代わり、普通の野菜もちゃんと作れよ。生活費は大事だからな」


「うん、わかってる!」


 こうして、僕の農園計画に新たな作物が加わった。


 カカオの森と、甜菜の畑。


 僕の世界は、少しずつ、けれど確実に広がっている。


 壁は乗り越えた。


 あとは、作るだけだ。


 ***


 その日の夜。


 新しく作った砂糖を使って、早速チョコレートを試作してみた。


 出来上がったものを口に含む。


 違う。


 今までとは全く違う。


 雑味が消えたことで、カカオ本来のフルーティーな酸味と、ナッツのような芳醇さが、鮮烈に浮かび上がってくる。


 甘さはスッと消え、後には心地よい香りだけが残る。


 これだ。


 僕が求めていた、本物の味だ。


 あまりの完成度に、一人で台所に立ち尽くし、涙ぐんでしまったのは秘密だ。

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