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異世界ショコラティエの甘い革命~チョコレートが存在しない世界でカカオを育ててバレンタインを流行らせます~  作者: 黒崎隼人


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3/12

第3話「路地裏の商談」

 カカオマスの製造に成功してから半年。


 季節は巡り、収穫の秋が訪れていた。


 僕はこの半年間、ひたすらチョコレートの改良に明け暮れた。


 課題は山積みだった。


 まず、砂糖の問題だ。安価な黒砂糖では雑味が強すぎて、カカオの繊細な香りを殺してしまう。僕は父に頼み込んで、隣町まで荷馬車を走らせ、比較的高価な「白砂糖」に近い精製糖を手に入れた。お金は、森で採集した薬草を売って貯めたへそくりを全部つぎ込んだ。


 次に、口どけの問題。石のすり鉢での手作業には限界がある。そこで僕は、村の鍛冶屋のオヤジさんに頼んで、簡易的な「石臼」を作ってもらった。粉を挽くためのものではなく、ペーストを練り上げるための専用設計だ。


 動力は水車だ。


 幸い、僕の家の近くには小川が流れている。僕は廃材を組み合わせて小さな水車を作り、それを石臼に連結させた。これで二十四時間、休むことなくコンチング(練り上げ)が可能になった。


 村人たちは、川辺でゴトゴトと回り続ける奇妙な装置を不審がったが、ミナが「ルカの発明だから大丈夫!」と笑顔で説得してくれたおかげで、なんとか撤去されずに済んだ。


 そうして出来上がったのが、『試作二十八号』。


 艶やかな光沢(テンパリングにも成功した!)、絹のような滑らかな口どけ、そして白砂糖によって引き立てられた、上品で奥深い甘み。


 これを持って、僕は町へ出ることにした。


 目指すは、ここから馬車で二時間の場所にある商業都市「アルン」。


 そこの朝市で、試験販売を行うのだ。


「気をつけて行けよ、ルカ」


 出発の朝、父さんはぶっきらぼうにそう言いながら、荷馬車の御者にお金を渡してくれた。僕の分の運賃だ。


「ありがとう、父さん。……これ、お土産」


 僕は包みに包んだチョコを父さんに渡した。


「……フン、甘いもんは苦手だがな」


 そう言いながらも、父さんは包みを大事そうに懐にしまった。


 隣では、ミナが大きく手を振っている。


「頑張ってねー! 全部売り切ってきてよ!」


「ああ、任せてくれ!」


 僕は手を振り返し、荷台に乗り込んだ。


 馬車が動き出す。見慣れた村の風景が遠ざかっていく。


 初めての町。初めての商売。


 不安がないと言えば嘘になる。心臓は早鐘を打ち、手には汗がにじんでいる。


 けれど、鞄の中に入っているチョコレートの重みが、僕に勇気をくれた。


 大丈夫だ。この味は、絶対に裏切らない。


 アルンの町は活気に満ちていた。


 石造りの建物が並び、通りには多くの人と馬車が行き交っている。市場には野菜や果物、織物や陶器など、様々な商品が所狭しと並べられていた。


 僕は市場の管理人に場所代を払い、隅っこの小さなスペースを確保した。


 布を敷き、その上に商品を並べる。


 一口サイズに切り分け、綺麗な葉で包んだチョコレート。


 看板には、炭でこう書いた。


『新作菓子・ショコラ 一枚・銀貨二枚』


 ショコラ。この世界に馴染むように、響きの良い言葉を選んだ。


 銀貨二枚は、一般庶民なら数日分の食費に相当する値段だ。ただの平民の子供が売る菓子としては破格の高値だが、高価な精製糖を使った原価と手間を考えれば、これでも利益はギリギリだ。


 準備は整った。


 あとは客を待つだけだ。


 しかし――。


「……売れない」


 太陽が真上に昇っても、僕の前で足を止める人はいなかった。


 真っ黒な見た目が災いしているのだろう。「焦げているのか?」「泥団子か?」といったヒソヒソ声が聞こえてくる。


 試食を出してみても、誰も警戒して手を出そうとしない。


「坊主、そんな泥団子に銀貨二枚だと? 正気か?」


 隣で野菜を売っているおじさんが、からかうように声をかけてきた。


「違います。これはお菓子です。すごく美味しいんです」


「菓子だって? そんな黒いのがか? ハッ、世も末だな」


 悔しさに唇をかむ。


 見た目で判断されるのは予想していたが、ここまで見向きもされないとは。


 その時だった。


「おい、そこの少年」


 低い、しゃがれた声が聞こえた。


 顔を上げると、一人の老人が立っていた。


 仕立ての良い服を着ているが、どこか着崩していて、目つきは鋭いタカのようだ。手には豪勢な杖を持っている。


「はい、いらっしゃいませ!」


 僕は慌てて立ち上がった。


「その黒い塊……。微かだが、嗅いだことのない香りがするな」


 老人は鼻をひくつかせ、値踏みするように商品を見下ろした。


「はい! これはショコラという菓子です。カカの実という果実を加工して作りました」


「カカの実……? あの不味いオニノミか?」


 老人は眉を片方上げた。知っているようだ。


「はい。でも、特殊な製法で苦味を消し、香りを引き出しました。だまされたと思って、一口いかがですか?」


 僕は試食用の欠片を差し出した。


 老人はしばらく僕の目を見ていたが、やがて太い指でチョコをつまみ上げ、口に放り込んだ。


 噛み砕く音。


 老人の眉間に刻まれていた深い皺が、一瞬で消え去った。


 鋭い瞳が、さらに大きく見開かれる。


「…………ほう」


 短い感嘆の声。


 老人は杖をつき直し、姿勢を正した。


「滑らかだ。舌の上でほどけるように溶ける。それにこの香り……香ばしさの中に、花の蜜のような甘さと、果実のような酸味が複雑に絡み合っている。……そして何より、後味の余韻が素晴らしい」


 的確すぎる食レポに、僕は驚いた。ただの通行人ではない。


「少年。これを全て買おう」


「えっ……全部、ですか?」


「ああ。全部だ。言い値でいい」


 老人は革袋を取り出し、一枚の硬貨を取り出した。銀貨ではない。黄金に輝く、金貨だ。


「そ、そんなに頂けません! 銀貨二枚で……」


「馬鹿を言え。これだけの逸品、端金などで買えば俺の舌が笑われる。釣りはいらん、これは技術料だ。受け取れ」


 老人は金貨を一枚、僕の手に握らせた。商品の値段の数倍、いや数十倍の価値がある。


「あ、ありがとうございます!」


「礼を言うのは俺の方だ。久しぶりに、心が震えるものを食った」


 老人は商品を全て包ませると、最後にニヤリと笑った。


「俺はマルセル。この街の商人ギルドで、少しばかり顔が利く男だ。……少年、お前、もっと広い場所で勝負する気はないか?」


 マルセル。その名を聞いた瞬間、隣の野菜売りのおじさんが「ヒッ」と息を呑んだのが聞こえた。


 僕はゴクリと喉を鳴らす。


 どうやら、とんでもない大物を釣り上げてしまったらしい。


「……あります。僕はこの菓子で、世界中を驚かせたいんです」


「いい目だ。気に入った」


 マルセルは懐から一枚の名刺――羊皮紙のカードを取り出し、僕に渡した。


「来週、ギルドに来い。お前のその『ショコラ』について、もっと詳しく聞かせてもらおうか」


 そう言って、老人は風のように去っていった。


 手の中には、ずっしりと重い金貨。


 そして、未来への切符。


 僕は震える手でそれを握りしめ、空を見上げた。


 やった。


 第一歩だ。

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