第五話
「近似値クイズ、ですか?」
やや戸惑いを見せる劉信。その人物をユーヤはあらためて観察する。
腰までの長さがある黒髪、後ろに撫でつけた髪型のために額が露出しており、時代がかった帽子をかぶっているが、それでも整った目鼻立ちと、すらりと伸びた鼻筋に優男ぶりが垣間見える。
だがその眼もとは常に弛緩し、口元は奇妙な形に歪められて引き結ばれるという事がない。表情を子供のように大げさに変え、浮ついた声は顔立ちの印象にそぐわない。
その様子を見れば、誰しも似たような結論に至るだろう。美形の男が、周囲と打ち解けるために三枚目を演じていると。
(……だが)
演じようとしている意図が明白なために、誰もそれ以上に踏み込もうとしない。その奥にはさらなる内面があるのだろうか。隠そうとしている本性が。
「難しくはない……ごく簡単なクイズだ。答えが大きな数字になる問題、しかも誰も正確には把握できないような問題を出す。解答者は答えと思う数字を書き、最も近い方が勝利だ」
「……まあ、私としてもシュテンの焼き払いなんて望んでませんからね、潜入作戦には賛成できかねますが、判断をクイズに託すことは承諾いたしますよ」
脇から双王がしなだれかかる。
「それでそれで? ユーヤよ、いったいどんな問題をあうなひっ!?」
と、蒼のタイトワンピースが踊るように飛びのく。
「お、お尻触るでない」
「押しのけただけだろ……当たり所が悪かったなら謝るよ」
「い、いや別に怒るというか、驚いただけじゃが」
双王のその様子はともかく、ユーヤは口元に拳を当てて考える。
「よくある問題だと、この城に何本の柱があるか、とか。この国に何人の植木職人がいるか、みたいな問題があるが」
「面白いけど正解を調べるの大変すぎるネ……」
「他には……新聞に特定の文字が何個あるか、なんてどうだろう」
「ラウ=カンの新聞だと劉信に有利すぎるかもしれないネ。他国の新聞だと表音文字だから数えるの面倒だし……」
ユーヤは双王の方へ水を向ける。
「何かアイデアはないかな」
「んん……そうじゃな。ビンなんてどうじゃ」
「ビン?」
と、ユーヤは眼をしばたたき、そしてぽんと手を打つ。
「なるほど、じゃあ適当なガラス瓶を用意してくれるかな。片手で持てる程度の重さのものを。あと適当な豆類を」
「何やら思いつかれたようですね。用意させましょう」
劉信がラウ=カンの使用人を呼び、やがて用意されるのはタライにいっぱいの小豆のような豆と、円筒型のガラス瓶である。男の拳がすっぽり入るぐらいの大きさだろうか。
「冲豆というラウ=カンの名産品ですよ。良い香りがするもんで、料理のほかに枕に詰めたりもしますね」
「この豆を、そこの瓶にすりきり一杯まで入れる。何粒入ったかを当てよう」
「おお、なかなか面白そうですね。了解いたしました」
すでに機密の話は済んだと判断され、ラウ=カン側のメイドも何人か入ってきていた。紅柄ではないがスリットの深い、腰のくびれに吸い付くような縫製である。男の方はゆったりとした長衣、毛布をかぶっているような重量感があり、動きもゆっくりしていた。
使用人はユーヤたちに見えぬように人垣を作り、器に豆を詰め始める。なるべく音も立てぬように慎重に行われ、同時に解答用の黒板なども用意される。
「ユーヤよ、あのクイズに自信があるのか?」
「まあ、多少はね……」
もじもじと腰をねじっていた双王は、羽扇子を口元に当てて囁く。
「あれで合っておったか?」
「そうだよ……静かに」
あの時。
双王がユーヤに寄りかかろうとしたとき、ユーヤの手が背骨のあたりで素早く動いた。
その一瞬は驚いたが、あのとき確かに、背中に「ビン」と書かれたのだ。
角度的にそれは睡蝶にも見えたはず。双王の様子と合わせてユーヤから指示があったことぐらいは見抜いただろう。阿吽の呼吸で話を合わせていた。
「でもユーヤ、こんなのクイズと言えるネ? ほとんどカンで当てるしかないネ」
「……このビンを使った形式、僕の世界ではNumber of guessといって、国によってはパーティの定番なんだよ。経験はあるんだ」
「ほほうなるほど、つまりあれじゃな、必勝法があるんじゃな」
「そうネ、きっと想像もつかない裏技とか、イカサマとか」
(……あるわけがない)
それは声に出さない。
だが、ユーヤはなるべく誠実に、多くを語ろうと努めていた。言語化が難しいことも、理解が困難なことも。
「……僕の知る、ある王は知識に優れていた。並外れた読書量をこなし、想像を絶する情報量を記憶していた」
「文人タイプの人ネ。ゼンオウ様もそうだったネ」
「その王が取り組んだことは、本来は知識の版図でないクイズを、知識でねじ伏せること」
「? どういうことネ」
「例えば……紅都ハイフウに何枚の窓があるか、という問題。推測で答えることも可能だが、もっと別のアプローチもある。窓をあらかじめ数え上げればいい」
「そんなこと不可能じゃろ……それだけで何年もかかってしまうぞ」
双王もわけが分からないという顔をする。ユーヤにとっては辛い時間だった。その王に関する話を、空想上の怪物のように取られるのは。
「誰かが数えて、本に記したことがあるかもしれない。少なくとも、近似値クイズとして出題された問題は誰かが数えたはず。それを網羅的に覚える。それによって問題を潰していくんだ。さらに言えばラウ=カンに何台のピアノがあるか識っていれば、ピアノ弾きの人数や、ピアノ調律師の数も推測しやすい……」
「わ、わかんないネ。なんでそんなこと覚える必要が……」
「……そこの君、司会進行を頼む、盛り上げなくてもいいから」
「あ、分かりました」
若い文官の一人が応じ、瓶の真横に陣取る。
「えー、ではこれより統括書記官の劉信様、それとセレノウのユーヤ様による近似値クイズを執り行わせていただきます。ルールはすでにご承知のことと思いますので省略しまして……では三分間のシンキングタイムののちに発表といたしましょう」
集中する。
周囲から光と音が遠ざかり、自己の内面に潜っていくような感覚。誰かを思い出すような、誰かと自分を重ねるような忘我の世界へ。
そしてその集中を、誰にもそれと悟らせない。
「なかなか難しいですな。ぎっちり詰まってますし、小さい豆ですから、うーん500個ぐらいですかね? もうちょいあるかな」
「その冲豆というのを見てもいいかな」
「どうぞどうぞ」
タライに残った豆を手に取る。小豆によく似ているが、よく見ればぐるりと周囲を取り巻くように白い筋が見える。真球に近い形で、指でいじるとゴリゴリと硬い。
(あの瓶……)
肉厚で広口、臼のように重心が低そうな形。指示通りにすり切りいっぱいまで豆が詰まっている。
――690
(……)
それは直感の声か。
花を見てその名前が浮かぶように、ごく自然にイメージされる数字なのか。
(……そう、近似値問題、フェルミ推定に必要なのは、慎重な思考と丁寧な計算)
近似値クイズについての考え方はフェルミ推定とも呼ばれる。論理的思考により答えを推測することである。
この問題の場合は豆の体積、瓶の内容量、豆の形状による充填率などが推測できれば、おおよその答えが出せるだろう。
(でも、それだけじゃない)
距離を置いているためか、劉信は片目をつぶって瓶の大きさを測っている。腕を伸ばして親指を立てているが、デッサンにあるような目測というより、それっぽいポーズを取っただけに思えた。
――ほら。
長テーブルの上に、瓶が置かれている。
ごく普通のジャムの瓶。理科室にあったビーカー。星型の砂が入っている小瓶。醤油瓶やウイスキーの瓶。
――ほら、このぐらいの瓶なら、この数になる。
その人物は淡い光に包まれている。柔らかな物腰の印象がそう見えるのか、あるいはユーヤの抱く羨望のためか。
そして瓶が積み上げられる。壁いっぱいに、足元を膝まで埋めて。
実際にそんな光景を見たわけではない。試行のほとんどはコンピュータによる物理演算を使った。
――コインならこれだけ入る。ボトルキャップならこれだけ。
部屋を埋める無数の容器。貯金箱、金魚鉢、マグカップ、タンブラー、辞書のカバー、広口の瓶に細口の瓶、バケツにドラム缶、ビニール袋に高架水槽まで。
(そう……何もかもを網羅的に数え上げる、それが知識の王)
数えてしまえば、それは知識の領土。
やがては、見えるようになる。
容器と内容物の関連性を、直感的に何個入るのか見抜く目を――。
「回答をどうぞ」
二人が黒板に回答を書き、それを誰にも見られないように床に置く。劉信は楽しげな声を崩さない。
「これ人力で数えるんですよね。何だか楽しくなってきましたよ。今からでもみんな集めて賭けにしましょうか。すごく儲かるかも」
「……。では計測を始めよう。全員によく見えるように、豆を十個一列に並べていくんだ」
そして計測が始まる。
食堂から長卓が取り除かれ、床に大きな紙が敷かれる。そこに陣を敷くのは三カ国のメイド軍団。
瓶の中身がばらまかれる。国家資格持ちの上級メイドたちはやはり仕事が早く、丁寧ながらも正確な手業で豆を並べていく。
「計測、終了いたしました」
「はい、ええと、じゃあそれを足し合わせるんですね」
司会を任された文官が紙の中央へ行き、それぞれが数えたものを合算する。
「はい出ました。正解となる数は687個、ですね。ではお二人とも、解答をどうぞ」
「どれどれ、勝ってるといいんですが」
そして示される答えは。
ユーヤ『683』
劉信『691』
「……!!」
驚愕に固まるのはユーヤ。
ほんの一瞬ではあったが、彼がここまで明確に驚きを見せるのは稀なこと。それほどに異様な事態。
「おや? これって引き分けですかね? どっちも差が4つですよね。あ、もしかしてオーバーするとドボンとかそんなルールでしたっけ」
「い、いや……この場合は」
拍手が。
背後から聞こえる。それは睡蝶のものだった。
「さすがユーヤ、初めての土地で馴染みのない豆。それで近似値を叩き出したのは見事ネ」
彼女は白のロングドレスを着ていたため、裾が絡まないようしずしずと歩く。
「劉信、ここはユーヤの健闘を讃えるべきネ。ユーヤならきっとシュテン大学でもうまく立ち回る。彼にしか見つけられない何かを見つける。その可能性は感じたはずネ」
そして周囲のメイドや、文官たちからも拍手が上がり。
一瞬。奥歯を噛み砕きたくなる。
異世界人だからと情けをかけられたような状況に。勝ち負けをないがしろにされていることに。理性を総動員してそれに耐える。
(……あと一戦)
最初に感じた690という数字、あれを書くべきだったという強い悔恨。
それは異世界人ならではの理由。この世界のガラス容器の精度を疑った。わずかに表面が波打っていたなら、直感より内容量が少なくなると考えてしまった。それで割り引いて書いてしまった。
(あと一戦やれたなら――)
「分かりました」
だが無情にも、劉信からすでに勝負の熱が失せている。
「確かにお見事な手腕でした。私としてもそこまで絶対の反対というわけでもありませんし、睡蝶さまの責任のもとで行っていただけるなら」
「ユーヤよかったネ、これで調査できるネ」
「ああ……そうだね」
劉信は何やら挨拶を言いおいて、その場を退出する。
異世界人と引き分けたこと、それに多少は屈辱を感じたのか、あるいは平静を保っていたのか。
(……劉信)
ユーヤはその人物をずっと観察していたが、最後まで分からなかった。
彼がどのぐらい、本気で今のクイズに取り組んでいたのか。
彼は、何者であるのか――。




