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第四十九話 エピローグ2





社会人となって何年も過ぎた頃、一度だけ草森の屋敷に行った。


そこは焼け落ちていた。火事にあったらしく、山中に焼け跡だけを晒していたのだ。


近くに住む人に聞いてみたが、放火にあったとか、落雷によるものとか言われていて判然としない。


塀もほとんど焼け落ちていた。七沼は瓦礫を乗り越えて中に入る。


やはり何もない。家財道具は持ち去られたのか、誰かが片付けたのか何もない。畳も瓦もほとんど残っておらず、ただ土蔵の土壁と、苔むした庭石だけがここが人家だったと語る。


あれ以来、草森葵とは一度も会っていない。

噂に聞くこともなく、便りを送るすべもない。彼女が大学にいたと覚えている者すら少ない。神隠しにでも遭ったように、すべての前から姿を消したのだ。


ここには何があっただろう。

思い出すことは懐かしい思い出のようでもあり、悪夢のようでもある。思い出の中で草森葵の姿は変わらない。最初に出会った緑のロングワンピース。本を読んでいた彼女。そればかりが想起される。


やはり来るべきではなかった。七沼はかぶりを振って振り向く。

その足元に紙片が。


「……?」


拾い上げる。腐りかけたレシートのようなわずかな紙片。文字もかすれていて、ほとんど読めない。


――問題、ウナ  穴子  に   る毒 であり、  や炎 を


ウナギや穴子の血に含まれる毒素であり、中毒や炎症を引き起こす物質は何か、そのような文章が自然に再生される。答えはイクシオトキシン。


それは、残熱。

クイズの名残を感じる。この世のものとも思えぬクイズ王が、クイズだけに没頭した時間が、ここに確かに存在したのだと。


「――ああ」


だが、彼女がいない。

もう会えない。会えるのは幻覚の中だけ、七沼が作り上げた虚像の彼女だけ。それが彼に呼びかける気がする。


――七沼くん。


仕方ないのか。

そんな生き方を選んだのだから、あるいは宿命付けられていたのだから。


――七沼くん。


呼びかける声はどんどんと近づく。彼の頭の中を占拠する。

悲しみと絶望の中で、彼は耳を塞いで泣き崩れそうに。


「七沼くんってば!」


頭をしばかれた。


「痛っ!? て、あれ……」


振り向く、全身くろぐろと日に焼けて、タンクトップに膝上丈のハーフジーンズ姿の女性がいた。タンクトップは南国の花の図柄である。


「……く、草森、じゃなくて、葵さん?」

「なにヒトの敷地で泣いてんのよ。まだ登記は残ってんだから不法侵入よ」

「え、いや、ごめん」


草森葵は腕を高く組んで、ふんと鼻を鳴らす。その変貌ぶりに七沼の思考が追いつけていない。


「七沼くん、テレビマンになれたの?」

「え、あ、ああ、いちおう」

「そう、じゃ就職祝いにお酒おごって」

「普通逆じゃない?」


草森葵は七沼の真横に回り、背中をバンと叩く。


「いいじゃないの、いま金欠なのよ」

「え、だって葵さん大金持ち……」

「マカオのドッグレースで全部スッたわ。あんだけ応援したのに最悪。二度と犬なんか信じないから。知ってる七沼くん、あいつら人間の言葉わかんないのよ」

「あ、葵さん、だいぶ変わったね……」

「当たり前でしょ。七沼くんは変わらなさすぎ、後ろ姿でもすぐ分かったよ」

「そ、そう?」


道を下る。

夕景の街を眼下に眺める、蛇のようにねじ曲がった道、照り映える紅葉の森、その奥に広がる密集した民家。つま先に力を入れて下る。


「七沼くん、変わらないとだめだよ」


ふいに、そんなことを言う。


「そうかな」

「そうだよ、変わらない方がいいものもあるけど、七沼くんは変わったほうがいい。持ってるものを全部捨てて、新しい自分に生まれ変わるの。思い出とか記憶とか、捨てちゃうほうがいいよ」

「無理だよ……僕にとっては大事な思い出で……」

「私、昔の自分は嫌いだよ」


そっと足元に置く刃物のような言葉、七沼は悲しみが押し寄せるのを感じる。


「今の方がずっと気楽、知識もお金も持ってない、過去だってほとんど捨てちゃって何も覚えてない。何も持たないのが一番楽で、自然な私なの」

「……」

「七沼くんは、今の私のほうが魅力的だと思わない?」

「よく分からないよ……再会して5分も経ってない」

「そりゃそうだ」


この後、草森葵はまたすぐ海外に出てしまい、今度こそ完全に消息が途絶えてしまった。


折にふれて思い出す草森葵の姿。しかしそれは日焼けした活動的な女性でなく、図書館の奥で本を読みふけっていた姿だ。そればかり思い返されることに負い目がある。


思い出の中の彼女はどこにもおらず、それでいて永遠に消えることはなく。


そして七沼は、クイズの世界に埋没していく。


時代は変わり、クイズの世界も変わっていく。


その中で、七沼は変わることなく、いつまでもその情熱を……。





大学封鎖が解かれてから80時間あまり。


「よーやく人心地ついたのう」


朱角典の客間にて、大きめの座椅子で足を伸ばすのは雨蘭。


「雨蘭は大して何もしてないネ。こっちは分刻みの仕事があって大変だったネ」


客間ではあるが執務机を持ち込み、書類を確認しているのは睡蝶。少しでも話の時間が取れるようにと、仕事をしながらの歓談であった。


シュテン大学の封鎖は前代未聞の事件であり、その後始末はうんざりするような大片付けと、書類の山との格闘である。

その中で姿を消した劉信に代わり、文官たちを取りまとめていたのは睡蝶だった。


彼女の存在を知っていたのは朱角典でも20人とはおらず、ゼンオウ氏と話していたという証言や、雨蘭の口添えがあるとしても国の中枢に食い込むことは容易ではない。


しかし今現在、ラウ=カンのすべてを差配しているのは彼女だ。ユーヤの感覚では、いかに卓抜の人物とはいえ信じがたい事態。世界観の隔たり、睡蝶の才覚、そんなもので説明できるのかも分からない。


「大したもんだ……老練の文官や、こわもての武官ともバシバシやりあってたし」


そう呟く。彼はなぜか長椅子にうつ伏せになっていた。


「うむ、あの24時間クイズあたりから凄かったのう。人が変わったようじゃ」

「そう? 自分ではよく分からないネ」

「前からひとかどのクイズ戦士ではあったが、なんだか数段上の実力者という感じじゃな、ユーヤよ、何かこうなる作戦があったのか?」


問いかけるが、ユーヤはのっそりと身を起こしてかぶりを振る。


「何もないよ、あれは僕の作戦なんか遥かに超えた事象。睡蝶は自分の力で壁を超えたんだ」

「うーん、ユーヤはそう言うけどほんとに分からないネ。あの時、急に頭が冴えてきたのは確かだけど……」


その様子を見て、雨蘭は扇子で口元を隠す。ちなみに言うなれば留学生風の服はまだ着ており、彼女がユギではなくユゼである、と認識してるのはこの場ではユーヤのみである。


「ううむ……それは危険じゃのう。そういう説明のつかぬ強さにユーヤは弱いんじゃよな……。セレノウの王女もそうであったし」

「何ぶつぶつ言ってるネ?」

「何でもないぞ」


と、座ったまま右足を伸ばし、だるだるの靴下をユーヤに向ける。


「ところでユーヤ、何でグッタリしとるんじゃ?」

「メイドさんにマッサージを受けたんだけど……体の骨ぜんぶ折られるほど激しくて……」

「そんなハードなプレイを」

「言い方」


ユーヤは劉信への伝言を頼まれたが、それ以外は朱角典の客間で休んでいた。というより、休めと言っても聞かないので薬で眠らせたほどだ。


本人が表情に出さないので意識されなかったが、虎煌に掴みかかったときに虫たちから受けたリンチ、あれが笑えないほどのダメージを与えていたという。

そこから5日ほど。もう腫れも内出血も引いており、マッサージは確かに効果があったのか、血色も少しは良くなっていた。

彼の気だるい雰囲気だけは、あまり変わらないが。


「ま、ユーヤもだいぶ回復したし、幸運にも死者は出なかったしで、とりあえず最悪の事態は回避できたのう。寮に避難させておった教授とか病人とかも無事じゃったし」

「……まだ、解決してないこともあるけどね」


最大の懸念は、ゼンオウ氏の消息。


あの時、妖精の力で豪雨を呼んだ老王は、雨けぶりに紛れて姿を消した。

釉月門からは出なかったはずなので大学内にまだいるのか、あるいは独自の脱出手段を持っていたのか。


「もし天梅ティエンメイ雪峰スウフォンに入ったと分かるなら探してもいい。でも、どこに行ったか分からないんじゃお手上げネ……」


睡蝶はそう言い、ユーヤはその声を聞く。ゼンオウ氏に会いたい気持ちは確かにありそうだと感じられた。そのことに不思議な安堵を覚える。


「ふふん、しかし残念じゃったのう」

「? 何の話ネ?」

「睡蝶よ、お主はそのうち正式に女王となるじゃろうが、しばらくはこの国に釘付けになるのう。我とユーヤはパルパシアに帰って甘い日々を過ごすゆえ、お主はそのことを考えながら蜂蜜でも舐めるがよい」


やおら立ち上がり、のけぞるほどに背中を反らせて、最上段から振り下ろすように言う。


しかし言われた睡蝶は。


「ふふ」


なぜか、茹ですぎた太麺のようににまりと笑う。


「ふふふ、ふふふのふ」

「なっ……何じゃその不気味な笑いは」

「私は劉信と24時間クイズで決闘した。それは私の運命を勝ち取るための勝負だったけど、ユーヤがけしかけた勝負でもあった。だからユーヤに言ったネ。私が勝ったらご褒美が欲しいと」

「ご褒美じゃと? またチチでも揉ませる気か」

「そんな要求したことないしそれユーヤ側のご褒美!」


ペースを乱されかけるが一秒で立て直し、執務机の引き出しから一枚の巻物を取り出す。

そして勝訴を告げる人のように、大きく腕を突き出して広げてみせた。


「控えおろう!」




――私、セレノウのユーヤは


――貴殿、ラウ=カンの睡蝶のいかなる要求に対しても




「あ……」




――その要求が第三者、またはいずれかの国家に被害を与えうるものでない限り


――ただ一度だけ、迅速に誠実に、従うことを誓います




「あ、ああ、あああああああ!?」




――なお、この証文は締結日より一ヶ月後から効果を発し、効果発揮より一年間有効とします




末尾の日付と、双方の署名まで目を通して、雨蘭は表情筋のほぼ全部を稼働させた顔になる。


「ふふふ、私とユーヤの間で結んだ証文ネ。ちなみにこれは写し。原本は宝物庫の最奥に封じてあるネ」

「そこまで厳重にしなくても、ちゃんと守るってば……」

「ゆ、ゆゆユーヤ! 我も! 我もこれ欲しい!」

「え、いや、双王にあげるわけには……」

「なんでじゃあああああ! 我も今回頑張ったじゃろおおおおお! 地底クイズとかでえええええ!!」


顔に噛みつく勢いで叫ばれ、ユーヤはちょっと引きつつ応じる。


「頑張ったのはみんなだろ……睡蝶に対しては、やる気を出してもらう意味もあって……」

「ユーヤおまえ分かっとるのか! 虞人ぐじんかぶを要求されるんじゃぞ! 七日と七晩離宮にこもって! その後は男が立たなくなるような薬をじゃな!」

「虞人株? そんなつまんないことに使わないネ」


睡蝶は写しのほうで顔を扇ぎつつ、目を細めて勝ち誇ったオーラを放つ。


「この証文の価値は計り知れないネ。一年間じーっくり考えてから、最適な要求をご用意して差し上げるネ」

「お手柔らかに……」


さすがにユーヤも不安を感じなくはないが、今はともかく睡蝶が立ち直ったことに安心していた。

そうやって自分より周りのことを案じるのは一種の悪癖だとも分かっているが、当分治りそうにないと諦めている。


「ユーヤ考え直すのじゃ! あやつ野獣の目をしておるぞ! ユーヤの好きなスケスケを逆に着せられるぞ!」

「どういう発想してるネ」

「いや軍事訓練で大きなミスをした将軍がいたのじゃが、つぐないに何でもすると言うからスケスケの服で三日過ごさせたら隠居しおった」

「すごいかわいそう」

「あのな、何度も言ってるけど、僕がそんなもん好きとか言ったことあるのか、一度でも」


ユーヤは少し怒ってみせるが、雨蘭はきょとんと目を丸くして、部屋の隅にいた二人のメイドに扇子を向ける。


「ええと、例えばそこの二人が証拠じゃ」

「なんでだよ」

「我には分かる。でかい方は極薄で赤のスケスケ、幼い感じの方は意外にも黒のスケスケ」


え、と脇を向く。


「そ、そうなの?」

「うふふ、全然違いますわあ」

「違うよお」


ユーヤは目を三角にして振り向き、雨蘭のほっぺを左右に引っ張る。


「違うじゃないか! 人の国のメイドにセクハラ発言してんじゃない! というか反射的に聞いてしまったわ!」

「はがががが、な、なんでじゃ、我の勘が狂うなどあががが」


そのメイド二人はすました顔をしていたが、人知れず冷や汗を流したことは誰も気づかなかった。


「さすが双王さまですわあ……」

「妙な才能あるよお……」


「大変です!」


ばん、と客間の扉を開け放って、入ってくるのは女官である。


「む、急にどうしたネ、取り次ぎもなく入室するのは無礼ネ」

「も、申し訳ありません! ただいま宮廷前の閲兵広場に、外国籍の飛行船が強行着陸いたしました!」


「あっ」


三人の王族の声がハモり。

そして廊下の向こうから大股の足音と、それを止めようとする女官たちの声が。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 10年前の私 『おおおおおお!ここでそうくるかー! アガる!!!』 今日の私 『閑話も楽しいから2話くらいのんびりしたい、、一方で 始まったら引き込まれちゃうんだろなぁー☆』 [一言]…
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