第四十八話 エピローグ1
※
――48時間後。
あらゆることが嵐のように巻き起こり、混乱を極めた紅都ハイフウ。その朱色の都がようやく眠りを得ようという頃。
「待て」
波の音の隙間を縫って、声が響く。
呼びかけられた男は三本マストの高速船に乗り込むところだった。桟橋の上で振り返る。
「おや、よくここが分かりましたね」
そう応えたのは劉信。
船上では何人かの船員が動き、もやい綱が外されていく。慌ただしい出港の眺めである。
「ここを推測したのは睡蝶だ。彼女は忙しくて来れなかった」
「直接会えば私を拘束せざるを得ないからでしょう? お目こぼしをいただけたようで感謝しますよ」
海に面したハイフウの片隅、ごく限られた繁忙期にしか使用されぬ船着き場である。
ユーヤは数人の兵を引き連れていた。セレノウふうのメイドも見える。だがユーヤは彼らに合図して後ろに下がらせ、劉信へと歩み寄る。およそ七歩の距離まで。
「その通りだ。睡蝶は君を拘束したくないと言っていた。その代わり大陸を出て、少なくとも五年は戻ってこないでほしいと」
「言われずとも、もう戻る気はありません。虫たちもそれを望んでいます」
甲板のそこかしこに見える影。それは船員の姿をした虫たち。
そして虎煌もいる。彼らはシュテンを襲った豪雨と、都市の混乱に乗じて姿を消していた。
「虫たちが気にしていたのでお尋ねしましょう。被害のほどは?」
「奇跡的に死者は出なかった。虎煌たちの奮闘あってのことだ。睡蝶は彼らは何の罪にも問わないと言っている。大学の封鎖についても……」
「駄目ですよ。彼らは私が新天地へ連れていきます。これ以上、ラウ=カンのために働かせたくない」
大陸には、その周囲にいくらかの島が存在する。
ものによっては自給自足が可能な大きさがあるが、それらはほとんど開拓されておらず、植民もされていない。離島では妖精を呼び出すことができないからだ。
海賊の根城であったり、漁船の基地であったりする場合もあるが、その九割以上は無人島と言われる。
「我々は妖精の加護から離れます。これ以上、神だの妖精だのに関わりたくないのです」
劉信が秘密裏に己の財産を動かし、ハイアードで建造された高速艇を入手したとの情報が得られたのは3時間前。
シュテンの被害状況をまとめ、蜂蜜を蒸気化する機構を破壊し、大学の再建計画や各国の報道機関への対応など、睡蝶は忙殺されていた。そのためユーヤに頼んだ形だが、本音はやはり、会いたくないのだろうと思われた。
「睡蝶にお伝えください。すべては私の乱心の果てとすればいい。あらゆる罪を私に押し付け、あなたが玉座につけばいい。それだけの力が彼女にはある」
「……」
「話はそれだけですか」
「ああ……君への伝言と、可能なら虎煌たちを連れ帰るように頼まれただけだ。だが、彼らが拒むなら無理強いはしない、とも言われている」
「彼らもこの会話を聞いています。船から降りてこないということは、そういうことです」
背後を見て、わずかに感慨深げな声音になる。
「不思議なものです。私も虫たちも人並外れた力があるのに、作られた存在と知った途端、何もする気がなくなった。人の世が嫌になった。不遜なことを言うならこれが超人の感覚というものでしょうか。私達は人間と違う種になってしまったのかも知れません」
「そんなことは……」
「しかし私は睡蝶に破れた……。戦って分かりましたよ。彼女はおそらく束ねられていない。天然自然の才というものです。そしてその才能に磨きをかけ、私達すらも超えるクイズ戦士に育った。では我々はいったい何なのでしょう? 人間にもなれず、神と呼ぶにはあまりにも低きを這う獣……」
雲間に月が隠れ、にわかに闇が濃くなる。その中で劉信の表情は伺えない。
「ご安心くださいユーヤさん。我々はもう大陸のことには関わらない。どこか遠い島で静かに暮らしますよ。睡蝶にも我々のことなど忘れるように……」
「神は」
夜の底。ユーヤの影は溶けている。
小さな声だがかなり近くから聞こえる気がする。劉信はわずかに身構える。
「神は自らを殺す武器を創造できる」
「…………!」
「推測に過ぎないが、砂漠の国で泥濘竜がそれを行おうとした可能性がある。妖精を殺せる武器を生み出し、人間に与えようとした。ではその武器は妖精だけに有効だろうか。いや、やはり神にも有効と考えるのが妥当だろう。そして泥濘竜と華彩虎はともに妖精を憎んでいた。あるいは他の古き神々もだ。その憎悪を利用できる可能性がある」
おそるべき告白がなされていると、劉信は呼吸すら止めて耳を澄ます。実際はほとんど誰にも聞き取れぬほど小さな声であったが、劉信には抑揚まではっきりと理解できた。
「神々の生み出した武器ならば、神を殺せる。それが僕の考える可能性、神殺しの筋書き」
「……なぜ」
「……僕一人で抱えておくには、重すぎる」
あくまで推測に過ぎず、実現までのハードルもおそろしく高い。
しかし、絶無ではない。
神々が滅ぶということが、実現しうるのだと。
「それに、君には聞く権利がある、そう思った。これはぼくの意志だ。君には伝えておきたかった」
「……」
揺れを感じる。
もやい綱がすべて外され、長い櫂がゆっくりと突堤を押していた。
ごくわずかな速度で、船は海へ漕ぎ出す。真夜中に明かりもつけぬ出港。しかし虫たちの操船に迷いはない。
「……セレノウのユーヤ。あなたの背負っているものは、とても重そうですね。一人では背負いきれぬほどに……」
そのつぶやきは、異世界人に届いただろうか。もはや船着き場までの距離も分からない。
やがて街の灯も遠くなり、船は闇夜の中を進む。複数の櫂が力強く動き、船を彼方へと押し進める。
あの奇妙な男に、また会えるだろうか。
劉信はふとそんなことを考え、その考えを打ち消すように頭を振る。
もう戻ることはない、神々にも妖精にも関わることはないのだ。
そう決意を新たにし、今はただ、月がいつ顔を出してくれるか、それだけを考えた。
※
――60時間後
シュテン西側の広場、そこには仮設の小屋が並んでいる。工事のための事務所であったり、学生たちの相談を受け付ける窓口であったりだ。
三十以上も並んでいて長屋街のような眺めであるが、その一つが、今は虎窯に割り当てられていた。
「会議なんてガラじゃないんだけどなあ」
そうぼやくのは「三悪」の猫。
彼女はこの二日間、教授たちや城の文官たちとともに事態の収拾にあたっていた。
幸運にも死者こそ出なかったが怪我人は多く、建物に書籍、さまざまな美術品に工芸品、失われたものはあまりに多い。
だが救いと言えるのは瓦礫の片付けと、仮設小屋の建設に多数の学生たちが参加したことだ。
同時に朱角典の動きも早かった。学生寮を焼け出された学生たちに民間の宿を提供し、生活費として一時金を支給。仕事を持つもので学園封鎖に巻き込まれた者にも個別に補償がなされている。このために城の金蔵が開かれたらしい。
その背後には睡蝶の指揮があったらしいが、猫などはまだピンときていない。彼女の能力に疑いはないが、やはり国のトップとなるには若すぎるためだろう。
「まー緊張すんなって、今日はおおまかな提案するだけなんだろ」
「そう、だよ、朱角典なら何度か行ってるしきっと大丈夫」
「あのね、虎窯として交渉してたのは三等文官までだったのよ。今日は大臣クラスが何人も来るっていうし……」
早くも始まる復興の槌音とともに、「三悪」に課せられたことがある。大学の自治権の移譲についてだ。
シュテン大学に関連する部署はゼンオウの直轄となっていた。組織図として、それらがすべて学生の下につくのはさすがに現実的ではない。
今のところは学生たちの自治会を諮問機関として位置づけ、学生たちの代表に議決権を付与し、さらに独自予算を配分するなどの改革案が上がっている。
「責任重大よ……というか私たちだけじゃムリよ。早いとこ選挙でもやって自治組織を作らないと……」
「シュテン、には、生徒会とかなかったからねえ……私としては猫に代表やってほしいけど」
「まあ俺はクイズサークルの方を守ってくから、難しいことは猫にまかすぜ」
陸はどうもよく分かってなさそうだった。猫はじろりと睨んで、億劫そうに仮設小屋を出ていく。
すると、わっと騒ぎが起きた。大勢の人間が猫を待ち構えていたようだ。
「猫! 朱角典で会議なんだろ! しっかり頼むぜ!」
「写真撮るからこっち向いてー!」
「建て直すならコンサートホール作ってよ、パルパシア風のオシャレなやつ」
「私達のお給料の方ももうちょっと……」
生徒だけではない、教授や学内の職員もいる。今の今まで瓦礫の片付けをしていたのか、スコップをかついで泥だらけな者もいた。
そして、街の子供も。
シュテンに住み着いている街の子供たち。それらがひとかたまりになって屈み込み、羨望の眼差しを送っていた。
「……」
猫はその全員を眺め渡して、しばし茫然とする。
やがて、はっと何かに気づくように目を開き、深く息を吸って腹筋を固める。
「……みんな、聞いて!」
張り上げる声。歓声もにわかに打ち消され、全員の目が猫の学朱服に注がれる。
「先日の虎窯の一部メンバーによる大学封鎖。あれは言語道断なやり方だった。かりそめにも彼らにサークルを奪われてしまったことはお詫びしたい。どうか許してほしい」
深々と頭を下げ、戸惑うような空気が流れる。
その新メンバー、すなわち虎煌たちは、旧来の虎窯の理念を封鎖の理由としていた。しかし、実はまったく異なることを朱角典に要求していたという。ラジオを使っての宣言も、大学封鎖を行う口実に過ぎなかった。
これらはユーヤから聞いたことだが、彼もまたすべては語ってくれなかった。どうしても言えないことがあり、そのことは重々に詫びたいとも言っていただろうか。
サークルを利用されたことに憤りを覚えぬ訳ではない。しかし、虎煌たちにもまた事情があったと察することもできた。ともにクイズで競い、戦うさまを見て、彼らの必死さ、切羽詰まった気配に触れたからこそ、彼らを責める気になれなかった。
それらのことを胸の中で思い返しつつ、猫は言葉を続ける。
「虎煌たちは姿を消した。彼らの真意は何だったのか、何が起きていたのかはもう分からないかも知れない。私は「三悪」なんて言われてるけど、この事件ではずっと蚊帳の外だった。それがとても悔しい」
大陸でも未曾有の事態であった大学封鎖。その中心で何が起きていたのか。
すべては謎のまま、学生たちは最後まで当事者にはなれなかった。
「でも、今日からは!」
だん、と一歩進み出る。前の足に力を込め、シュテンの土を足指で握るようなイメージ。
「今日からは私たちが主役! シュテンをどうやって変えていくか、どんな大学にしたいか、みんなで考えていく! 今日からはみんなが主役なの! 私は今日の会議で、シュテンの門戸を大きく広げることを提案する! 受験料と授業料、教科書費用に公金の補助制度を作る! 学力があるのにシュテンに入れない人への助けを作るの! そこのあなた!」
え、と硬直するのは白い服の少年。シュテンに住み着いている街の子供の一人。猫はそばに寄っていって抱えあげる。
「あなたも望めば、努力すればいつかシュテンで学べる! あなたが世界の主役にもなれる! 私はそんな大学を目指したい!」
「うわ、ちょ、ちょっと、恥ずかしいよ!」
街の片隅にいる少年。それが大学に行き、あるいは時代の主役ともなる。
猫の提案はこの時代、この大陸においてはまだ現れていない、未知の概念だった。大学とはそれなりの家格か、裕福さを持つものが行く場所という認識だったのだ。
猫の提案を理解しきれぬ者も、あるいは庶民への良からぬ感情から、受け入れられぬ者もいただろう。
だが、確かに。
その猫の威風堂々たる態度は、何かを象徴するものがあった。
世界はまさに、ここから変わるのだと。
控えめな拍手が生まれる。
それは広がり、拡大し、どんどんと強くなっていき、猫と、その抱えあげる少年の全身を打ち付ける雨となって。
そして未来という、巨大な足音が――。




