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第四話



「も、もちろんユギじゃとも。ほれこの蒼の服とか懐かしいじゃろ」


裾をつまんで少し折り返す。ユーヤはまだ視線をそらさず顔を見つめている。

常に寝不足気味で隈のある眼、それが迫る うちに双王はのけぞるような格好になり、ユーヤがさらに顔を寄せる。


それはユーヤの職能、あるいは体質レベルでの注意深さを表す眼。

わずかな違和感にとことん執着し、可能な限りすべてを観察しようとするような、軍用犬のような眼をしている。


「……本当に?」

「も、もももちろん」


「ユーヤ、もういいから事態について話し合うネ」

「ん……そうか」


ユーヤは体をそむけて席にもどり、双子の片割れはなぜか膝から力が抜けて尻もちをつく。

パルパシア側もメイドを連れてきており、三つ編みのメイドが王女の体を持ち上げて着座させた。


メイドたちは壁際に下がり、物言わぬ花に徹する。


「睡蝶、双王が聞いてるけどいいのか」

「望ましくないけどしょうがないネ、言って追い返せる相手じゃないし」


そう言う睡蝶には、あわよくば双王も事態に巻き込んでやろうとする態度が垣間見えた。

ユーヤは少し推測する。ゼンオウ氏の妻とはいえ、まだ非公開の段階。その上でゼンオウ氏が隠れたとなれば、その立場は微妙なものとなるかも知れない。

ユーヤだけでなく、国際的に知名度の高い双王を巻き込んで事態を指揮できるなら、国内での自分の地位を固める助けになる。そのぐらいの計算はやってのける女性である。


「えー、では僭越ながら私からユギ王女へご説明を」


そしてかいつまんだ説明がなされる。聞くうちに双王は事態に興味を持ったようで、腕を組みつつ不敵に笑う。


「ほほうほうほう。そんな事になっておったとはのう。あのご老人がお隠れになったとは意外なことじゃ。あと二百年は生きそうじゃったのに」

「ゼンオウ様って杉の木か何かでしたか?」


劉信が軽く言い、他の文官たちが壁に何枚かの見取り図を貼る。

ユーヤがちらりと足元を見れば、文官の服はみな裾が長く、すり足で歩いている。暗殺を警戒して素早く動けない服になってるのか、などと勝手な想像をする。


「えー、こちらがシュテン大学の全図です。広さは88万平方メーキ。学生の数は17000人。寮生だけでも9000人はいますね。内部に商業区もありますし、企業もありますし、クイズのイベント会社もあります。まあ世界最大の大学ですよ」

「ドーム球場だと12個ぶん……すごいな」


ユーヤの呟きは誰かに届くほど大きくはなかった。劉信は話を進める。


「これを焼き払うとなるととんでもない大事業です。まず住宅地に延焼しないように敷地周辺の民家を取り壊さねばなりません。学生たちも避難させないといけませんし、内部の文化財や書籍についても……」

「それはとても無理ネ」


睡蝶はテーブルに肘をつき、長い吐息を漏らしつつ言う。


「それに、内部の書籍や文化財を動かしてから焼く、というのはゼンオウ様のご意思に反する気がするネ。ゼンオウ様は、学内にある何かを焼き払いたいから勅令を出されたはずネ」

「そうかも知れませんね。まあたぶんそういう事でしょう。しかし何を消したかったのか……。シュテンは歴史ある大学ですし、何が眠ってるのかとても把握しきれません」


劉信はすだれ付きの帽子を手に取り、向きをよく確かめながらそれをかぶる。


「避難訓練とか何か口実をつけて、学生だけでも外に出しますか。そのうえで油と火薬を使い、一気に焼くことは不可能じゃないんですが」

「……ゼンオウ氏が何か焼却したいものがあるなら、それを見つけ出して焼けばいいんじゃないか?」


ユーヤがそう述べるが、ラウ=カン側の反応は重い。それが何か分かっているなら苦労はないのだろう。

双王が口を開く。


「見せたくない蔵書でもあるんじゃろ。浮気じゃとか特殊なプレイじゃとか、あれやこれやの色事を綴った日記じゃろうな」

「それなら日記だけ持ち出すだろ」

「壁画にしておるとか……」

「壮大すぎて逆に見たいな」


ふうと息をつき、ユーヤは睡蝶の方を向く。


「……と、その前に確認しておきたいんだが、睡蝶、例のあれについては」


睡蝶はその問いかけにうなずき、指を鳴らして他の文官を退出させる。


「劉信は鏡のことも知ってるネ。というより、ラウ=カンでゼンオウ様の命令を受け、鏡の奪還について取り組んでいたのは劉信ネ」


かのハイアードでの暗闘の中、ラウ=カンは妖精王祭儀ディノ・グラムニアのクイズ大会で使われる問題を入手し、それを交渉材料として第三国へ協力を呼びかけていた。

すべてはハイアードに奪われた鏡、その奪還のためである。


「鏡は今どこに?」

「宝物庫の一番奥ですよ。これ以上ないほど厳重に守られてますし、特別な錠前のかかった箱に封じられています。錠前が一種の知恵の輪になってまして、解錠まで八千手以上、12時間はかかるというシロモノです。開け閉めする人間に同情しますな」

「そうか……」


ゼンオウ氏は鏡に関する資料を焼却していたと聞いている。シュテンに関する勅令もその延長なのだろうか。

しかし、鏡がそこまで厳重に守られているなら、大学を焼いてまで資料を消す必要があるのだろうか。


ユーヤがそのように述べると、劉信もうなずいて見せた。


「そうなんですよね。資料の廃棄なら少しずつやればいいわけですし、そもそもシュテンに重要な資料があるとも聞いてないですし」

「……もしかして、シュテンについては鏡とは関係ないんじゃないのか? 何か別の懸念があったとか」

「別の懸念ですか」


と、劉信はインク壺と細い筆を取り出し、シュテン全図に手のひらほどの丸を書き入れる。


それは広さで言えば大学のニ十分の一ほど。敷地の北西部のあたりだった。


虎窯フーヨウの連中かもしれませんねえ」

「フーヨウ?」

「もともとはラウ=カンの古い神様、華彩ファンツァイフーをトレードマークにしたクイズサークルですよ。実力はシュテンでも随一でしたが、数年前から政治的な性格を帯び始めましてね。シュテンの一部を占拠して、自治体制を敷いていたんです」

「占拠……?」

「サークル関係者だけでこの一帯を独占使用してるんですよ。会議で虎窯フーヨウの名前が出るたびに空気がピリピリします」

「そんな勝手なことを許してるのか……?」


この世界では人々は争いごとを嫌う。本気で武力衝突が起きることはあまりないし、そのような発想から縁遠い。

しかし、大学の一部を占拠。あのゼンオウ氏がそれを黙認するだろうか。


「ゼンオウ様はシュテン大学の学長でもありました。メンツってやつじゃないですかね。大学に兵を入れるのはさすがに世界的なニュースになりますし。大学では新聞も発行してまして発信力もありますし」


こめかみを掻きつつそう述べる。ユーヤはまだ腑に落ちたとまでは行かないが、深く考えて答えが見つかるものでもなかった。質問によって会議を回す。


「その集団……占拠してるからには、何か思想があるはずだが」

「ああ、連中の要望としては、妖精王祭儀ディノ・グラムニアのクイズ大会。その代表として民間からの登用を認めろというものです。それと民間主導の大規模なクイズ大会の開催、国営放送の民間枠の拡大などですね」

「……それは、呑めない要求なのか?」

「お国柄ネ」


睡蝶が間髪入れずに言う。


「代表になりたいなら、科典かてんを受けて文官になれば可能性はある。どれだけ優れてても民間人に国の代表はさせられないネ」

「……」


睡蝶は胸の高さで腕を組んでいる。異論を聞きたくないという構え。それについて議論したくないという意思を感じた。ユーヤはそれ以上は言わずに、うなずくにとどめる。


どうも脇の双王が静かだなと思って視線を送ると、机に突っ伏して豪快に寝ていた。尻を引っぱたこうかと思ったが、椅子が邪魔だったので断念する。


「……その虎窯フーヨウって連中を何とかしたいなら、別にシュテンすべてを焼かなくてもいいじゃないか」

「それがメンツってことかも知れません。連中は何とかしたいけど、兵を入れたり、連中の占拠した地区だけを焼き払うことは、何というかあからさま・・・・・なのでしたくない。だからもう面倒なんで全部焼いてやれってことですかね?」

「……」


途轍もない暴論、と取れないこともない。


しかしゼンオウ氏のことを思い出すと、そのような苛烈な決断が絶対にないとは言えない。ましてや体調を崩し、己の余命が幾ばくもないと思ったなら、それが精神のあり方に影響を与えないとも――。


「準備についてですが、私の方で可能な限り遅らせてます。軍用の飛行船と、火薬に油、それに火煉精ルビニスを呼び出すための材料。書類仕事が増えて大変ですが、まあ何とか」

「なるべく引き伸ばして欲しいネ」


ユーヤは。二人のやり取りを横目で見る。


(……)


そして誰にも気づかれぬ程度に熟考。今までの会話を、誰が何を言ったのかを。


「ええと、他に説明すべきことはですね、いまシュテンは学祭の時期でもありまして」

「いや、もういい」


そして決断は迅速。

ユーヤの発言に奇妙な力強さがあったため、劉信がつと首を向ける。


「えっと……? もういいと言われますと」

「時間を浪費するだけだ。ここはシュテン大学への潜入調査を提案する」


言いつつも、ユーヤの瞳孔は鋭く絞られて、場の全員を観察している。


「潜入調査……ですか? いえ実のところ、城内からも人員を出して内偵させてますが」

「あくまで内偵だろう? 僕なら何か掴めるかも知れない。その虎窯フーヨウというのはクイズサークルなんだろ? 僕も大学でクイズサークルに属してた。通じあえるかもしれない」

「ユーヤどうしたネ? 何か気づいたことでもあるネ?」


(……あるわけがない)


こんな説明を受けてるだけの場で、事態の核心に至るなどあるわけがない。

ただ一つ、ユーヤがこの場で抱いた違和感といえば。


劉信という男は、喋りすぎる。


(わずかな質問に、数倍の言葉が返ってくる。これは誘導の気配を感じる)


少しずつ、意識もしないうちに場が誘導されている気配があった。あと小一時間もこの文官に付き合ったなら、シュテンの空爆もやむなしという結論に流れそうな予感がある。


だからユーヤは動いた。ともかくも事態の主導権を握るために。


「……ユーヤが行くなら、私も行くネ」


睡蝶が言うのは意外だったのか、ユーヤが顔を向ける。


「危険じゃないのか? 一部とはいえ大学を占拠してる連中と接触するんだぞ」

「大丈夫ネ、私が強いのは知ってるはずネ」

「もちろん我も行くぞ!」


と、ユーヤの肩にのしかかってくるのは双王。


「え……だ、大丈夫なのか。君は顔が知られてるだろ」

「ふふん、お忍びで行動するなどお手の物じゃ。変装の道具も常に持ち歩いておる」


それで、とユーヤに耳打ちする。


「どこへ行くんじゃ? ユーヤの好きなスケスケの店か?」

「…………君なんも聞いてなかっただろ、カンで喋ってるだろ」


「それは、看過できません……」


劉信が言い、ほとほと困った様子で汗を拭う。


「ユーヤ様とユギ王女は非公式なご訪問ですが、本来は国賓であらせられる御方ですよ。睡蝶様も……」

「別に危険なんてあるわけないネ。シュテンで今とくに何かが起きてるわけでもないし」


ユーヤはというと、壁際にいた上級メイドたちを見る。

二人は困った顔をしていたが、何かしら言いつけられてることでもあるのか、静かに頭を垂れるのみだった。

睡蝶は興が乗ってきたのか、卓上にばんと両手をついて嬉々とした様子。


「大丈夫ネ。私とユーヤはほとんど顔を知られてないし、シュテンは安全な街ネ」

「いえ何かあったら私の出世にも響きますし、あれ? これ以上の出世ってほぼないからいいのかな別に」

「劉信」


ユーヤが名を呼ぶ。その耽美なる顔立ちながら愛嬌を出そうとしていた男は、やや強張った表情でユーヤを見る。


「はい? 何でしょう」

「迷ったらクイズで決めればいいじゃないか。それがこの世界の流儀だろう? 妖精の王の意思ってやつさ」

「クイズ……ですか。しかしユーヤ様は異世界の御人と伺っております。この世界についての知識をほとんど持っていないと……」

「やりようはある、たとえば」



「――近似値クイズ、とかね」


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