第三十六話
※
「うろたえるでない!」
そう言って立ち上がるのは雨蘭。腕を高い位置で組んで周囲を睥睨する。パルパシアふうの白の前開きシャツがやたらと目立つ。
「な、なんだ?」
「おい、あの子ってさっき三悪と組んでた……」
「じゃあ虎窯の旧メンバー? いや、今は現メンバーか……」
「おおよその対策は見えておる! 要は大学内にまんべんなく人を配し、妖精を追い払えばよいのじゃ!」
拡声の妖精も使っていないのに、その声は広場の端まで通る。口論になっていた学生たちまでがそちらに意識を引かれる。
「分担は各自の所属学部じゃ! 動けるものは戻って学部棟の警戒に当たるのじゃ!」
学生たちの一割ほどが走り出す。元よりそうすべきと考えていたものは多かった。雨蘭が号令をかけた格好か。
「同時に怪我人と老人を学生寮に収容する! 医学の心得があるものは手伝いに回れ!」
「寮か……だ、だが寮のあたりは入り組んでるし、商業区が近くにあるんだ、どこから火が出るか……」
ばしん、と扇子を膝に打ち付ける雨蘭。
「商業区はすべて引き倒す! 渡り廊下やこまごまとした建物もじゃ! 建物の間隔を確保し、万一の際の延焼を防ぐのじゃ!」
「なっ!?」
学生たちがその発言に面食らう。
「ま、まさかそんなこと……」
「シュテン大学は兵士の基礎を学ぶ場でもあるはずじゃ。練習用の武器もあるし、武の心得がある者は多い! 破壊こそが破滅を防ぐのじゃ! ほらそこ! ぼーっとしておらんで動かぬか!」
「わ、わかった」
「じゃあ俺は冶金実習棟に……お前は近代文学棟か」
「バケツ持っていこう、長めのホウキも……」
「雨蘭、仕切りがうまいというか……大の男をよく動かせるわね」
猫がつぶやく。彼女の方でもいくらかの学生に指示を出し、人がどこかに残っていないか捜索させていた。まとまった指揮系統というものはないが、何人かの聡明な学生が指揮をしているようだ。
彼女のもとにまた学生が来る。かつては虎窯の古参メンバーだった人物だ。つまりは市街封鎖の際に門を固めていた人間だが、彼らは顔が割れていないため、ちゃっかり猫を手伝っている。
「猫さん、考古学資料館の探索終わった。学生たちを20人ほど残してる。資料室と保管庫を見張らせてるよ」
「ご苦労さま、じゃあ第二研究林のほうもお願い、近くに養蜂場があるからハチに気をつけて」
「わかった、行ってくる」
彼らのような虎窯メンバーの現状は様々だったが、気力を失って、避難者に紛れている者が多い。頭をいじくられたように思考がまとまらない者もいるという。虎煌たちと劉信によって、心に干渉されたからだろう。
彼ら虎窯メンバーのケアや、市街封鎖について責任を明らかにすることも今後の課題だろう。しかし今はとりあえず、動けるものは猫でも使え、の気構えで彼らを指揮する。
時刻は夜の10時に迫ろうかという頃。おそらく妖精の対策は夜通しになるが、学生たちの熱意は高まってきている。
ちら、と雨蘭の方を見てみる。
「……それにしてもあの子、どこかで聞いたような声なんだけど」
「猫、雨蘭は、パルパシアの双王様だよ」
横にいた桃の言葉。猫はそちらを見て数秒の沈黙。
「……え、いやまさか……」
「私、は、一緒にクイズの検討してて気づいたの。間違いないよ。お忍びで学祭を見に来てた、とかじゃないかな」
「なるほどお忍びで……。いえ待って、なんで一人なの? 双王はどんな公務でもイベントでも二人で過ごすはず……」
「さあ……?」
「猫、ここにいたか」
そこへやってくるのはユーヤと睡蝶。
「ああ、ユーヤ、聞いたわよ、大きな勝負になるとか……」
「そのことだけど、私が選手として立候補したいネ」
睡蝶が進み出る。この場には陸を含めて三悪が揃っていたが、その三人は互いに顔を見合わせる。
その前で、睡蝶は深々と頭を下げた。
「お願い。これはシュテンの自治権を賭けた勝負でもあるけど、私と劉信の間でも賭けが持たれてるネ。勝手に決めて申し訳ないと思ってる。でも大学を守るためにも勝負するしかなかったネ」
「あの劉信様と……」
猫は他の三悪の顔を見てから、やや探るような調子で言う。
「私は異存はないけど……」
視線を伸ばす。
何かの球技場らしき広場には数千人が詰めていたが、その中央付近が空けられ、試合の設営が始まっている。
呼びかけているのは梟夜会のメンバー、どこかの建物から教卓が二つ運ばれ、美術科の学生たちが画材を持って群がっている。
「……。陸と桃はどうなの」
「私、も、睡蝶でいいよ」
「まー勝負は早押しだろ? 俺の専門と違うからな、辞書の早引きならやるんだけどよ」
陸は配られていた蜂蜜入りのお茶を飲み、湯気の混ざった息を吐く。
「何となく分かってたぜ、あんた只者じゃないだろ、雨蘭もユーヤも。任せるからしっかりやってくれ」
「みんな、ありがとう、心から感謝するネ」
睡蝶は言い、三悪を眺め渡す。
「何度も言うけど、この勝負にはシュテンの自治権もかかってる。もし学生が自治を獲得したら、虎窯にはその中心になってもらうネ」
「まー、昔から俺らが交渉してきたことだからな。と言っても実のところ、会って話ができたのは三等文官までなんだが」
陸の様子を見て猫も同意する。
「そうね。さっきの長文クイズでも睡蝶の方が答えてたし……。でも大丈夫なの、相手は劉信様よ、科典で満点を取れる怪物だとか……」
そこで思い出す。睡蝶も満点を取ったと言っていた。ではあれは本当のことなのか。高名な学者でも満点は程遠い試験なのに。
彼女と劉信は、自分など想像の及ばない戦士なのか。国を左右するほどのクイズの場に立てる存在なのか。
「……睡蝶、あなたが何者でも構わない。どんな思いで勝負に臨んでもいい、でも」
彼女は睡蝶に近づき、そっと抱きしめる。
蝶の羽を折るまいとするかのような、ゆるやかな抱擁。
「あなたもシュテンのことを思う一人、私たちの友達、それは変わらないよ」
「……猫」
「だから一人きりで戦うなんて思わないで。私たちも補佐につく。24時間、支え続けるから」
その抱擁は意外なことだったのか、睡蝶は戸惑うような、感情に翻弄されるような目をする。
そして震える瞳孔から、ひとすじの涙が。
「うん……友達ネ。シュテンは必ず守る。絶対に勝ってみせるネ……」
※
「ゆーやさま」
用足しに立とうとしたところで、彼を呼ぶ声がある。
「マニーファ、よかった、無事だったか」
少しの沈黙、まさか自分を心配してたとは思わなかったのか、返答に困る様子があった。
ややあって、大丈夫ですよと返事が返る。
「私もおりますわあ」
モンティーナの声もする。ユーヤがいたのはごく普通の講義棟だったが、彼女たちは建物の外にいるようだ。
「申し訳ありません。ご命令あったものについてはまだ見つかりません。大きな勝負が始まるようですが、まだ探しますか? ユーヤさまの御身と、勝負を守ることに専念しても良いですわ」
ユーヤは唇を噛んで考える。彼女たちが数日駆け回って見つからないのなら、シュテンにはいない可能性が高まってくる。
「……すべての場所を探し、考えられる可能性を根こそぎ潰すのに、あと何時間かかる?」
「およそ26時間ほどですわあ」
「君たちの体力は大丈夫なのか」
「大丈夫だよお。私たちは森羅山脈で武を極めたメイドだよお。あと95時間は動けるよお」
そうは言われても、すでに3日近くも探し続けている。メイドたちに無理をさせたくない気持ちがあった。かの砂漠の国で、褐色の王子にも諌められたのを思い出す。
少し考えて、ユーヤは言った。
「今は深夜23時か……タイムリミットを24時間後、明日の夜23時とする。その後は僕のところに来てくれ。それと、各自6時間以上の完全な休憩を取り、食事も欠かさず摂ること」
「ゆーやさま、私たちならまだ」
「ダメだ、必ず休むんだ。では引き続き頼む」
沈黙が返る。
そこには抗弁したい感情が見えたが、やがてがさりという草ずれの音とともに気配が消えた。
「これほど難航するとは……無理な仕事をさせたな……」
おそらく、見つかる可能性は五分五分と言うところ。
五分五分? その言葉にユーヤは自嘲気味に笑う。自分が五分の当たりを引けるほど運のいい人間だと思っているのか。
だが、探すのはあの二人のメイド。そこに希望を感じる。
自分とは違ってキラキラと輝いている、この世界の上級メイドと呼ばれる人々。彼女たちなら、きっと幸運の女神も味方につける、そう信じようとする。
「……彼女たちの才能と、強運に賭けるしかないな」
※
「ロープ設置終わりました!」
「紫晶精の準備できてるよ!」
「問題用紙とりあえず1140問! あとはどんどん届ける! こちらでも誤字チェックよろしく!」
勝負が告げられてから、わずかに三時間足らず。何かしらのイベント設営の経験がある者なら、その急ごしらえの連携が実に手際よく、出来上がってくる造形物のレベルの高さに驚いただろう。
中心となったのはやはり学生たち、それもこの世界に独特の職業、クイズイベントを進路として考えている学生たちである。
「問い読みの人は常に控えといて! 常に二人以上だよ!」
「仮設トイレここでいいですか!」
「もっと目隠しの布を高くして! 仮設テントを完全に隠す感じで!」
彼らは何度もイベントを経験しているが、それでもこの深夜、図面もない状態からステージを組み上げるのは才能あっての技だった。
広場には八角形にロープが敷かれ、その東西にはロープで仕切られた花道がある。それぞれの花道は待機用の仮設テントに繋がっていた。
中央には花や動物の木工で飾られた解答台。その背後に置かれるはずのパネルはまだ遅れている。芸術科の学生たちがギリギリまでこだわっているようだ。
「あと25分よ! 回答者は!?」
「劉信さま入られました!」
「睡蝶選手、まだです! 時間までに必ず来ると!」
「ちょっと大丈夫なの! スタートに間に合わなかったら台無しに」
「いいのよ」
そう言うのは黄色の紅柄を着た司会者。問題用紙に目を通しつつ細かく書き込みを入れている。
「これは24時間の耐久戦、スタート時点で二人ともいなくたっていいの。私はただ読み続けるだけ」
「そうは言っても……お客さんも期待してるよ、もう数千人集まってるし」
「もっと来るわよ。今のうちに後方に階段席を作った方がいいかも。大学の備品でオペラグラスもあったでしょ」
「鈴鈴……なんか肝が座ってるというか、落ち着いてるわね」
「とんでもない、心臓が口から飛び出しそうよ」
深く息を吸い、長く長く吐き出してから答える。
「参加者も大なり小なり緊張してるはず……最初の関門は、それを乗り越えて実力を出せるかどうかね……」
※
「睡蝶、あと15分だ、移動しよう」
そこは吹き抜けのある空間。地下へと続く巨大な螺旋階段。
この白納区にも学生たちが入ってきているが、この縦穴にはなぜか近づくものが少ない。だが元々ここは妖精の呼べない場所であるから、火災の心配はいらないだろうと思われた。
睡蝶は入り口から20メーキほど降りた場所で、両腕を前に出して腰だめに構えている。両手の親指と人差し指で三角形が作られていた。
そして、その背中はうっすらと熱を持つかに思える。
(……何かの武術の構えか。中国拳法で言う站樁のような……)
片腕の重さは体重の約6%ほどと言われている。体重45キロの人間なら2.7キロほど。
両腕で5キロ弱、それを前に突き出し、肩から背筋までを動員して支え続ける、ユーヤの知識としてはそんなところだ。
そして彼女のそばには大きめの鞄。最初に拠点とする予定だった寮から取ってきたものらしい。
「それは衣装鞄……? 衣装を変えるのか」
「ユーヤ」
背を向けたままで睡蝶が言う。
「ん……どうしたんだ」
「私が劉信に勝てたら、私は作られた存在じゃない、生まれついてのクイズ戦士だと証明できる、そう言ったネ」
「ああ、言った」
「でもなんだか……それは二の次のようにも思えてくるネ。魂を束ねるとか、自分の生まれのこととか、この大学のこととか、考えることはいくらでもあるのに、目の前のクイズのことしか考えられないネ。頭の中にどんどん問題が浮かんで、もう一人の自分が答え続けてるネ」
ユーヤは少し安心する。緊張で押しつぶされている、という状態ではなさそうだ。
「それがクイズ・ハイだよ。集中できてる。その感覚を維持していこう」
「今はただ、勝ちたい……」
そして腕を下げ、くるりと振り向いて言う。
「何かを証明するとか、何かの将来を左右するとか、そんな迂遠なことじゃない、勝って何かを勝ち取りたいネ」
「? どういうことだ?」
「ご褒美を要求するネ」
ゆらと、とユーヤのそばに歩み寄る。流れるような足取りで階段を登り、すぐ目の前まで。
「ユーヤがけしかけたと言ってもいい勝負ネ。ユーヤは私がやる気を出せるように協力すべきネ」
「そう言われても……」
「私が勝ったらご褒美が欲しい。俗物的で欲深い、でもそれが本当の私って感じがするネ。人生がどうとか、過去がどうとか、そんなことのために戦うのは似合わないネ」
「……」
その申し出に、ユーヤは彼女とのあれこれを思い出してさすがに反応に困るものはあったが。
今はただ、少しでも彼女のメンタルを乱したくない、思いつくままのことに付き合ってやりたい、そのような感覚がユーヤを支配していた。
それは彼という人間性。
クイズ王たちを崇拝し、その望むままに付き合ってきた彼ならではの、言ってみればマゾヒズムに近いものだった。
「……分かったよ」
ユーヤは少し笑っていた。そのようにクイズ王にかしずくことが、彼の魂を慰めているかのように。
「君が、勝ったなら……」




