第三十五話
※
「避難は進んでるか!」
「人が多すぎる! デマも飛んでるし食料も足りない!」
太陽が西の果てに沈みつつある時刻。赤い屋根の学舎が夜闇に呑まれつつある。
吞まれればどうなってしまうのか。
大気に満ちる蜂蜜の匂いと、どこかで火を吹く妖精の気配。その中で矮小な人間がどうなるのか誰にも分からない。
「広場にいればいいんだろ、シュテンの西側なら何万人でも大丈夫だ」
「だが、現実に数万人が集まれば何が起きるか分からんぞ……」
「おいおい、どうなっちまうんだよ……」
呟くのは悪癖の陸。広大な運動場は様々な陸上競技のスペースに区切られており、そこに万を超す人間たちが集まりつつある。
「この、数で、夜を越すなんて無理だよ。お手洗いも必要だし、持病がある人だって……」
悪書の桃も不安げに構える。
その声を背にして、悪問の猫は大学の地図を見ている。
「宝石に寄ってくる妖精でも実害のあるのはわずかでしょ。要するに赤煉精だけが問題なのよね」
「雨が降ってる建物は問題ねえんじゃねえのか?」
「そうね、今のところ大火事は起きてないけど、問題なのはすでにボヤが出た建物よ。木材が炭化してるはず」
三悪の存在を見て、周囲に学生たちが集まってきている。広場は明るい。空を光の妖精たちが飛び交っているのだ。どことなくハイになっているかのように無軌道に、高み低みを入り乱れて飛ぶ。
「炭化してると何か問題なのか」
「赤煉精は炭でも呼び出せるの。つまり建物が燃えると、その燃え残りにさらに赤煉精が寄ってくる。そして被害が広がっていく」
「そんなことが……!」
学生たちと、それを遠巻きに見ている学祭の一般客、ざわざわと動揺が駆け巡る。
「大学がすべて焼け落ちるまで終わらないってのか!?」
「空気に蜂蜜の蒸気が混ざってる、こんな環境は世界のどこにもないもの。でもこれは恐ろしい現象よ。使い方によっては兵器にすらなりうるかも……」
シュテン大学は主に東側に建物が集中しており、西側は開けている。しかし、と猫は頭を抱える。
「この現象は一日は続く……、こんな吹きっさらしの場所に一万人以上がいるわけにいかない……避難場所を確保しないと」
「猫よ、このあたりは宿舎とか学生寮じゃろ、ここなら大勢が避難できるぞ」
雨蘭が地図を覗き込んでいる。確かにその区画は30ほどの学生寮が軒を連ねる区画だ。備蓄倉庫も井戸もある、食料もまだ残っているだろう。
「ここにご老人や病人だけでも移せぬか」
「封鎖が始まったときにそういう人たちは外に出されたから、安静が必要な人は多くはないけど……。近くで大火事が起きたら火の粉が飛んでくる。煙だって……」
「妖精なら男たちで見張ればよかろう、手で追い払えば消えるはずじゃ」
三悪も雨蘭たちも事態の全容を把握してはいないが、思ったより火の手が少ないのは、大学にあまりにも人が多すぎたことが関係している。
妖精は基本的に追い払えば元の世界に帰る。それは蜂蜜の蒸気が満ちている空間でも変わらない。そのために人のいない学部棟から真っ先にボヤが起きたのだ。それも、すぐに人か駆けつけて対応できた。
「考えてみれば避難者が一カ所に集まるのは危険やもしれぬ。もっとまんべんなく人を配置すべきではないか?」
「追い払えると言ったって深夜まで続けられるかどうか……やっぱり避難したほうが」
意見はなかなか合致しない。見れば広場のあちこちで同じような議論が起きている。若い学生が多いだけに行動すべきという意見が多く、それを止める人々と言い争いになっている。
「それに屋根は見張れない……」
猫が重たげに言う。
「火の粉が飛んで屋根が少しづつ焼け焦げてるはず。そのどこからか赤煉精が呼ばれたら大変なことになる。高い場所からえんえんと炎を吐き続けられたら……」
そのとき、傍らにいた少年が。
「屋根なら、俺たちが……」
突然、広場の一角が湧き立つ。
「おい、ゼンオウ様だぞ」
「まさか!? ご病気だって噂だぞ」
「ゼンオウじゃと……?」
雨蘭と三悪たちもそちらを見る。人が生垣のようになっており何も見えない。
「行ってみるぞ桃よ」
「う、うん」
「ゼンオウ様、この事態は何事なのですか」
「この大学を焼き尽くすと聞きました。本当ですか」
それは確かにラウ=カンの王、ゼンオウに間違いなかった。
周囲には鉄棍を持った学生たちが固めており、押し寄せる人々も近づけないでいる。それ以前にこの国において、90年近くも王位についていたゼンオウのカリスマ性はやはり別格のものであるようだった。人々は駆け寄ろうとするが、近くに寄っていくと自然と膝をついて祈るような構えとなる。
脇には劉信、この場の何人かはその人物に何かしら思うこともあるはずだが、何も言い出せない。鉄棍を持つ学生がいるというだけでなく、この時代の人々に染み付いた格差ゆえ、身分の差ゆえ押し黙ってしまう。
「ゼンオウどの……この学内にいたというのか……?」
雨蘭は何度か会っている。それゆえに、その老人の姿にわずかな違和感も覚えた。以前に見た時の記憶よりだいぶ疲労の色が濃い。あの燃えたぎるようだった老獪の気配が影を潜めている。
老人は拡声の妖精を持ち、静かな調子で語る。
「聞け」
その一声で群衆は沈黙せざるを得ない。誰しも膝をつき、陽光を見上げる花のように地面に根付く。
「我はラウ=カン伏虎国の王、見翁である。我が言葉を漏らさず聞き、多くの者に伝えよ」
雨蘭はやはり怪訝な顔をする。その老人の語り口にはどことなく強制されている印象があった。この国において彼に命令できる者などいるはずもないのに。
「我は王であり、王は誰にも許しを求めぬ」
言い放つ。その言葉には静かな威厳が、あるいは怒りがあった。人々は肉食獣に射すくめられたように金縛りにあう。
「シュテンは炎に包まれ灰と消える。それは我の自由意思の上でのこと。その由を民草につまびらかにする必要もない」
ざわめきが広がる、それは針山のトゲのように鋭利な部分があった。王と民であっても許容しかねる言葉であったと、そのような反感の色が浮かぶ。
「だが、我はもはやこの国に何らの判断もせぬ」
言葉が人々の上を旋回する。その意味を受け止められるものはごく少ない。
「お前たちにすべてを委ねる。ここにいる劉信が我の意志を継ぐ。このシュテンを焼き尽くし、存在した記録すら消し去る。お前たちは学生たちの代表を出し、劉信を打ち破ってみせよ。そのときこのシュテンのすべてをお前たちに譲ろう。あるいは……」
「お前たちが、次代の王となればよい」
そして、歩み去る。
二人の学生が護衛についたが、誰もそれを追うものがない。
今の出来事を受け止めかねたのだ。
「おい、今のって……」
「隠居なされるってことじゃないのか、しかも、王位を民間に譲る可能性を……」
「はあ? そんなことあるわけないだろ。確かにゼンオウ様にはお子がおられないが……」
「さて、ゼンオウ陛下のお言葉は以上です。続いて私からご説明させていただきましょう」
そして発言するのは劉信、彼は拡声の妖精を使っていないが、腹の底から出る鋼線のような声をしている。闇に包まれつつあるシュテンにおいて、そこに存在する声が一つきりに思えるほどの声量。
「そこにいる三悪もよく聞きなさい。学生たちの代表と、この私、統括書記官たる劉信の試合を行います。必ずしもシュテンの学籍を持っていなくてもよい。学生たちの代表として戦うに足る器であればよいでしょう。勝者はこのシュテンと、この地にあるものすべての権利を握る。それはもちろん朱角典城においても強力な権力を得ることを意味する。これはラウ=カンの将来を賭けた勝負となります。その種目とは――」
※
「24時間クイズ……!?」
シュテンの一角、アルコールの匂いがただよう歓楽の町。
クイズサークル梟夜会は、自分たちの店を見張りつつ、先刻の戦いの記録体を複製していた。
店を訪れたのはユーヤと睡蝶。代表である鈴鈴は、その提案に目を丸くする。
「しかも、相手が統一書記官の劉信様って……何が起きてるの、一体」
「このシュテンを賭けた勝負になる」
この混乱のさなかに置いて、学生たちを巻き込んだ試合をするにはどうればいいか。
シュテンのすべてを賭ければ良い、それが劉信の提案だった。
勝負はもはや劉信と睡蝶の個人的な賭けという枠を超え、シュテンはおろかラウ=カン全体を巻き込みつつある。この国の将来に大きく関わりつつあるのだ。
「勝負はおよそ四時間後、午前0時からスタートする、その運営を頼みたい」
「……ちょっと待って、さすがに考えさせて」
店内にいるサークルメンバーを見れば、みな疲労の色が濃い。先ほどまでの三悪と虎窯の勝負、そして記録体の販売や会場の設営でフル回転だったのだ、無理もないだろう。
「およそ一万問以上……すべて通常の早押しクイズでいいのね」
「そう、アレンジ程度にジャンル問題を入れても構わない」
「ねえ、すぐ手に入る問題ってどのぐらい」
スタッフの一人に尋ねる。その女性は少し考えてから答えた。
「例会用のストックが800問ぐらい、クイズの本ならたくさんあるけど……」
「ダメよ、本からは使えない。そんなありものが許される勝負じゃないんでしょ」
ユーヤは何も言わないが、その眼を見て鈴鈴は短くうなずく。
「……いいわよ、やるわ」
「鈴鈴! 無茶よ!」
何人かが顔面蒼白になっている。これからの24時間の戦い、その運営、考えただけで寒気がするほどの仕事が予感される。
「「広読連」に声をかけて。「壁の目クイズ会」にも。「八つ草の野伏」の会長には私が直接話す」
「他のサークルに協力してもらうの? でもどこも問題のストックはそんなにないよ。シュテンの問題を全部かき集めても一万問はとても……」
「図書館と学術書庫を貸し切りにするわ。人海戦術で問題を作り続ける。そう……一人が一日で100問ぐらい作れるとするなら、百人がかりでやればいい」
「これから作るっていうの!?」
「裏取りとダブりのチェックに100人あてる。200人ぐらいいれば可能なはず。そうね、文科系のサークルにも声をかけるわ。ファッションとか料理に詳しい学生、芸能にスポーツに諸外国の事情に……専門分野の学生を集めて、一カ所でカンヅメにしてひたすら作ってもらう」
黄色の紅柄の裾をつまみ、何かを考える風に顔を伏せる。
「でもそれでも間に合うか分からない……。だから今すぐ取り掛かる。他に言っておくことは?」
「何もない。運営はすべて任せる」
「そちらのお嬢さんが勝負するの?」
背後にいた睡蝶を見て言う。睡蝶は落ち着いた眼をしていたが、そこには適度な緊張も見えた。
「これから相談するネ。あくまで学生たちの間で代表を選ぶ、私はそれに立候補するだけネ」
「そう、まあ頑張ってね」
「よろしく頼む、じゃあ僕たちはこれで」
このシュテンにおいて二度はないであろう大勝負。
それをごく短時間で依頼して、ユーヤたちはさっさとその場を後にした。
「……あの男、イカれてるわね」
心の底からそう思うが、ではそれを受けた自分たちは何なのか。
もちろん打算はある。シュテンどころか世界で誰もやったことのないクイズ。その運営を成功させれば自分の将来にとって大きな意味を持つだろう。
だが、それだけだろうか。
シュテンの町が脈動している。
町には混乱と恐れと、そして奇妙なことには少しの熱気が感じられた。誰も彼も蜂蜜の香りに酔っているのか、この非日常に順応しようとしているのか。
それとも、それは滅びが秘める熱量なのか。
世界のすべてが炎に包まれる、そのことに熱狂しているのか。
炎の中から再生の予感が、新たなる何かが誕生する予感が、誰しもの中に――。




